きょうもにぼしをおおもうけ!

ROSE

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どこかで見た猫

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 病室で眠ってしまったからといってたいやきさんの世界に行ける訳ではなかった。
 目が覚めても相変わらず病室で過ごし、おじいちゃん先生が看護師さんになにかを指示するのを黙って眺めているだけだ。
 大志は頻繁にお見舞いに来て、ついでに看護師さんたちに笑顔と握手を振りまいている。
 そこだけ切り取ればわりとイケメンなんだよなぁ。
 猫狂信者だけど。
 意識を失っていたことに関しては原因不明で、今日もよくわからない検査をいくつか受けた。
 あの頭に貼り付けるなにかはくすぐったいから嫌いだななんて考えていると、窓の外に猫が見える。
 どうもこの病院は猫が多いらしい。
「大志兄ちゃん、ここでも餌付けしてるの?」
 思わず訊ねる。
「餌付けだなんて失礼な。お猫様方にはいつでも食べ物を献上できるように常に持ち歩いてはいるが……」
 餌付けしてるのか。
「この病院、猫多いなって」
「普段はそうでもないのだが……早希が入院した辺りから猫が増えている気がする。調査しておくか」
 地域猫問題なんかは大志の専門分野のはずだ。
 殺処分ゼロを公約に掲げ、猫が住みやすい社会を実現するんだっけ?
 そのためなら人間が多少不便でも構わないというのが大志の思想だ。
「流石にちょっと運動不足だから散歩したいなって思ってるんだけど、外、出ていい?」
 一応今は大志が保護者みたいなものだから訊ねてみる。
「敷地内なら問題ないが……やっぱり心配だ。私も付き添おう」
 大志付きでも寝たきりから解放されるならマシだ。
 さり気なくポケットの中身を確認する大志に気づかないふりをして、入院着の上にカーディガンを羽織った。

 病院の庭はよく整えられている。季節の花が美しい。
 今は夏の終わりくらいなのだろうか。夏の花と秋の花が混ざっているように感じられたが、そこまで植物に詳しくはないのでなんとなくそんな気がする程度だ。
 それにしても、猫が多い。大志はどれだけ餌付けしたのだろうと思うほど、猫が多い。
 多分二十匹くらいの猫が好き勝手に寛いでいる。
 途中車椅子の患者さんとすれ違ったけれど、猫は車椅子に怯える様子すら見せなかった。
「ここは地上の楽園だね」
 大志はでれでれとだらしない顔になっている。これは有権者や後援会のご婦人方には見せられない顔だろう。
 顔で票集めしているようなものなのだから。
 久しぶりに病室から出たせいか、少し歩いただけでも疲れてしまった。 ちょっとベンチで休もうとすると、大志が本当にさり気なくベンチにハンカチを敷いてくれた。
 意外だ。
 まさかそこは猫の席だろうかと思ったが、本当に私の為に敷いてくれたらしい。
「飲み物を買ってくるよ。冷たいのと温かいの、どっちがいい?」
「えっと、温かいので」
 どうしたんだ大志。私は猫じゃないぞ。
 なんだか大志の方が異常なのではないかと思うくらい、普通に優しくて驚く。
 私、猫の世話をサボって叱られたんじゃなかったっけ?
 あれも気絶?
 記憶が曖昧だ。
 私の身になにが起きたかわからないけれど、今はっきりしているのは、あの高飛車毛皮は変わらず大志の飼い猫で、それでいてたいやきさんのいる世界にも行ける存在だと言うことだ。
 むむっ。わからない。
 足りない頭で考えたところで全くわからないぞ。
 参ったなと溜息を吐くと、足下に一匹の猫が近寄ってきた。
 あれ? この猫……どこかで見たことがあるような?
 ツヤツヤの黒い毛並みに優しそうな緑色の瞳。
 なんというか、ラムネが好きそうな……。
「……探偵さん?」
 あれ? あっちは死後の世界とやらではないのか?
 まさか、の空似だろう。
 猫はじっとこちらを見ている。
 それから少しだけ遠慮がちに私の爪先を前足で突いた。
「どうしました?」
 探偵猫ではないとは思うのに、どうしても彼と重なってしまう。
 きっとお洒落な帽子を被せばに見えてしまうだろう。
「おはぎさん?」
 そう、口にすると、目の前の黒猫は尻尾をぴんと立て、驚いたような様子を見せる。
「……わたしが、わかるのかい?」
 驚いたような顔から、いつもの探偵猫の声が響く。
「え? 本当に探偵さん? どうしてこっちに……」
 やっぱり猫の世界は死後の世界ではないのかな?
「……わたしはねむっているときにときどきこちらにいるのだけど……ここではたくやさんといっしょにくらしているんだ」
 たくやさんとは一体誰だろう。
 詳しく話を聞こうと頭の位置を低くする。
「コーヒーよりはココアがいいかなと思ったのだけど……紅茶の方がいいかな?」
 タイミング悪く現れた大志がお洒落なカフェの紙カップを持っている。
 そこそこ大きな病院だから、カフェも併設されているのだっけ。
「おや? おはぎさん。ああ、田中さんも入院中でしたね。お見舞いですか?」
 大志が姿勢を低くして、探偵猫に挨拶をする。
 いや、もう這いつくばりそうな勢いだ。
「あれ? 知ってる猫?」
「マンションの近くにいかにも日本家屋って雰囲気のお屋敷があるだろう? そこに住んでいるお猫様だよ。世話役の田中さんが胃潰瘍を悪化させて入院していてね。なんでも、取材を申し込まれたと思ったら、実は取材相手は彼の助手の方だったという……目立つのが好きな人のくせに、気が弱いところもあるから……」
 どうやら大志はその田中さんとやらとやたら親しいらしい。
「かれはさきちゃんのかぞく?」
 探偵猫が訊ねる。
「いとこの大志です」
「そうなんだ。仲がいいんだね」
 探偵猫は大志の方を見て、ぺこりと頭を下げる。
「いつもさきちゃんにおせわになっています」
「ご丁寧にどうも。田中さんとは親しくさせて頂いています。決して世話役を奪ったりはしませんのでご安心ください」
 大志が更に深く頭を下げた。
 おい、人前だぞ。
 そして会話がかみ合っていない。
「……あれ? もしかして、ひろしさんはわたしのことばがわからない?」
 探偵猫は驚いたように瞬きをする。
「あー、そうみたいです……」
「むずかしいね。にんげんさんでもことばをわかってくれるにんげんさんと、まったくわからないにんげんさんがいるんだ」
 探偵猫はじっと大志を観察する。
「たくやさんはさきちゃんほどではないけれど、わたしのことばをわかってくれてね。ときどきにんげんさんのことをおしえてくれるんだ」
「へぇ……」
 これは、たくやさんとやらに会ってみるべきだろうか。
「あ、お食事はお済みでしょうか? まだでしたら、つまらない物ですがこちらを……」
 大志がポケットから猫缶を取り出す。
 いや、本当に有権者に見られたらどうするんだろう。
「……大志兄ちゃん、たぶん、この猫さんはその、田中さんのお見舞いに来たんじゃないかな?」
 これ以上地面に這いつくばる大志を晒すわけにはいかない。
 失業するぞ。
 咄嗟に会ったこともない田中さんの名を出してしまったけれど、探偵猫も理解してくれたらしい。うんうんと頷いて見せている。
「たくやさんはさみしがりやさんだからね。いちにちにかいはわたしがはなしをきいてあげないとへやのすみでいじけてしまうからね」
 なんだそれは。
 かわいい中年を想像してしまうではないか。
 まだ会ったことのないたくやさんは、私の中で勝手に寂しい中年男性と形作られてしまった。
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