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7 事前準備
しおりを挟む試合中の魔法使用は禁止されている。が、試合直前に魔法を使うこと自体は禁止されていない。
たとえば肉体強化。筋力や防御力を高める魔法を使う生徒は善悪学級問わず存在する。つまり事前準備た。
そして、魔法薬の持ち込み自体は明確な禁止をされていない。傷薬や回復薬を準備することはむしろ推奨されている。
無害な薬を二種類混ぜたときに有毒ガスを発生させるだとか、特定の植物に触れると強力な目潰しになるだとかそんな薬を準備することは数百年の歴史あるこの戦いでは既に常識となっている。
勿論。私も薬は各種用意しているし主戦力になりそうな人員に肉体強化魔法をかけるつもりだ。
けれどもそれだけでは生温い。
「ねぇ、ピーター、ちょっといいかしら?」
善学級のあまり目立たない男子に声をかける。
ピーターが以前から私に気があるのは知っている。ただ、声をかけてくるような度胸もない。そんな小者。
「ど、どうしたの? マヌエラ」
驚いた様子のピーターを人通りのない廊下の物陰に招く。
「ふふっ、ちょっとお話があるだけよ。もっと寄って」
ピーターは少しだけ警戒した様子で、それでも逆らうだけの度胸はないようで大人しく従った。
ピーターは小心者だけれども戦闘力が高く厄介なのだ。不意打ちならエドガーの剣を弾き飛ばすことさえできる。尤も、正面からぶつかった時はまだエドガーが上手だけど。
「前からあなたのことかわいいと思っていたのよね」
近づいてきたピーターの顎を撫でれば、驚いた表情を見せられる。
「知ってるわ……あなたが私に惹かれてることくらい」
だから……。と耳元で続ける。
「エドガー様には内緒よ?」
そう囁き、ピーターの唇に唇を重ねる。
ピーターの体が驚いた様に跳ねるけれど蛸の握力で逃がしてあげない。
ぢゅーっと音が鳴ってしまうほど激しくその唇を吸う。想像通り濃い魔力を持っている。吸い取る側から体に力が漲っていく。
十年分くらい生命力を吸い取った。全力疾走で二時間走り続けたみたいに体が疲れるでしょうけど、不正じゃないわ。
ピーターを解放すれば、彼はその場でへたりと座り込んでしまう。
「……マヌエラ……え、えっと……じょ、情熱的、なんだね……」
「別に。ただの気まぐれよ」
お肌がツヤツヤしてきたわ。美容にいいのよね。でも、吸収方法が不便なのが残念よ。エドガーに見つかると面倒くさいことになりそうだもの。
でも、あと三人は引っかけておかないと。
確実な勝利の為には少しでも強敵を減らしておいた方がいいもの。
お肌がツヤツヤもっちりして、十歳は若返った気がする。
魔力も漲るし、善学級の戦力を五人ほど削れた。悪くない成果ね。
そう考えながら会場に辿り着くと、エドガーが少しぴりぴりしている様子だった。
「エドガー様、どうかしたの? 珍しい。緊張している?」
そう声をかけると、なぜか歯を食いしばっているように見える。
「いや……そういうわけではないのだ……」
きつく握られた手。爪が食い込んでいる。
「大事な戦いの前になにしてるのよ。血が出ているわ」
仕方がない。勿体ないけど軟膏を塗ってあげるわ。
ポケットから軟膏の入れ物を出してエドガーの手当てをしてあげようと思ったのに、手に触れた瞬間振り払われてしまう。
「あっ、すまない……痛むのだ……触れられたくない」
「手当てしてあげるだけよ」
痛むなんて嘘だ。エドガーはこの程度の怪我を痛がったりするほど打たれ弱くない。
「私に触れられたくないなら自分で手当てして頂戴」
軟膏の入れ物を渡す。深海の魔女に伝わるレシピだから効果は劇的よ。
「待ってくれ。マヌエラ……あなたを拒んでいるわけではない。ただ……」
エドガーは口を閉ざす。
なにかを言いたい様子で、それを飲み込んでいるようだ。
「言いたいことははっきり言って頂戴」
こういう妙な空気は苦手だ。
「……あなたを血で汚したくない」
嘘が下手な男。本当に悪が向いていないわ。
エドガーは受け取った軟膏の入れ物を開け、貴族様のお高いハンカチで傷口を拭う。
そんなことをしなくても軟膏を塗れば傷は消えるのに。
けれどもエドガーは陸の生物だ。私とは構造が違う。たぶん陸の生物が怪我をした時と手当ての手順も違うのだろう。
そう考えて納得することにする。
「……マヌエラ」
その唇はそんなにも重いのかしら。そう思ってしまうほど、躊躇った様子で名を呼ばれる。
「なにかしら?」
「……あなたは、私の婚約者だ」
「そうね」
今更何の確認かしら。
その口から次にどんな言葉が飛び出すのか予測出来ずに警戒してしまう。
「……束縛はできる限りしたくないとは思っているのだが……あなたが……他の男に触れることだけは耐えられないのだ……」
困り果てた表情を見せられ困惑する。
「……エドガー様……あなたね、悪なら悪らしく生まれ持った美貌と肉体を活用して敵の戦意を殺ぐ工夫くらいして頂戴。そんなくだらないことに拘ってたら悪の勝利が遠のくわ」
くだらない。そうよ。くだらないこと。
だって私は一途な恋になんて憧れたり出来ない。
「私たち、悪なのよ? 私、深海の魔女なのよ? つまり、目的の為ならどんな手段でも使う。エドガー様、私の婚約者だと言うのなら手段なんて選ばないで頂戴」
勝利が全てよ。
そう言い放つと彼は溜息を吐く。
「悪にも美学が必要だ。美しくなければ勝利に価値はなくなる」
「美しさ? そんなもの、勝ってから考えて頂戴」
きっと半分以上八つ当たりだ。
漲る魔力で気が大きくなっていたのもあるだろう。
「私は愛の僕だ。マヌエラ、あなたのために必ず勝利してみせる。だから……勝利を手にした暁には……いや、こんな条件を出したところであなたの心を手にすることは出来ないな」
エドガーは躊躇う。
「聞くだけなら聞いてあげるわ」
「……あなたの、口づけが欲しい」
僅かに恥じらうような響き。
エドガーにも恥じらうことがあるのかと驚いた。それと同時に、普段の無駄な自信は何処へ消えてしまったのかと言うほど弱気に見える。
「……いいわ。悪学級が勝利したらご褒美くらいあげる」
その前に私が戦闘不能になるかもしれないけれど。
魔女には不利な競技よ。
「本当か?」
驚きと戸惑いの視線を向けられ、こちらの方が困惑する。
「あなたが言い出したんじゃない」
「それはそうなのだが……」
唇同士が触れなければきっと大丈夫。
どこに口づけるなんて約束していないもの。
「私の気が変わらないようにせいぜい見せ場を作って頂戴」
「勿論だとも」
どうやらいつもの調子に戻ったらしい。自信が漲る姿勢になったエドガーに安堵する。
だって彼が使えなければ悪学級の勝利は遠のくもの。
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