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五年後
37 躾け
しおりを挟むリリアンヌの拳を何度食らっても無傷のジルベールには驚かされるが、それ以前に応接室は滅茶苦茶だった。
このままでは屋敷が倒壊する危険がある。
「リリアンヌ……その、そろそろ……だな。屋敷が倒壊しそうだ。いや、あなたを止めるつもりはないが……やるなら外でやって欲しい」
姉弟の時間を邪魔するつもりはない。しかし屋敷が倒壊すれば使用人達も巻き込まれてしまう。
説得を試みるつもりだったが、リリアンヌはすぐに動きを止めた。
「あっ、ごめんなさい、私……」
穴の空いた床や壁を見てリリアンヌが青くなる。
どうやら弟の躾けに忙しく周囲が見えていなかったらしい。
既に修繕の人手は手配しているが、この惨状では一日二日では追いつかないだろう。
「ど、どうしましょう……このままでは建物が……」
「いや、今ならまだ修繕でなんとかなる。だが、続きをするのであれば外で頼みたい」
あくまでリリアンヌの望みが優先だ。
「……ラファーガは私を甘やかし過ぎです」
「そうだろうか?」
弟を躾けているリリアンヌを物理的に止める術を持たないから好きにさせているだけかもしれない。あの拳は、きっとラファーガを即死させる。
リリアンヌは恥ずかしそうに手で顔を覆っている。
「……恥じらいの方向性がおかしいだろう」
ジルベールが埃を払いながら溜息を吐く。
あれだけリリアンヌの怪力で殴られているのにその美しい顔面に傷ひとつないのが不思議だ。
「リリアンヌが恥じらうべきなのはその暴力性だ」
ジルベールがリリアンヌに近づく。また殴られるのだからやめろと止めたくなってしまうが、ラファーガはなにも言えない。
「王国に戻れ。帝国の人間はリリアンヌを怪物のように扱う。ここの使用人共を思い出せ。主人が妻に迎えると連れてきた女を敵視している。だが、使用人共は正しいだろう。リリアンヌの力は畏れるべきだ」
ジルベールがリリアンヌの手を掴む。
彼女はその手を振り払わなかった。
「……私は……」
リリアンヌが俯く。
ジルベールの言葉は半分以上真実だろう。そしてそれはリリアンヌを傷つける。
「私は、ラファーガと帝国で生きると決めました。……覚悟を決めて、帝国に来たのです。そうでなければ、ジルベール、あなたに手紙を書いたりなどしません」
「『この姉をなかったものだと思ってください』なんて手紙だけで、帝国に渡したりなどできるか」
ジルベールの苛立ちが理解出来てしまう。
リリアンヌは自分の中で全てを完結してしまう節がある。他者がどう思うかまで考えていない。自分と神以外の要素について考えることが出来ない。だから無意識に心を抉ってしまう。
神の計画の一部だから血縁者と離れる。簡単にそんな結論を出すことが出来てしまうのだ。
「私は、神に仕える道を選んだ時から、あなたの姉ではなくなりました」
「なぜだリリアンヌ。なぜ……私よりもあのいかがわしい神とやらを選ぶ……」
縋るようなジルベールは、姉に見捨てられた子供の様だ。
ああ、ジルベールはリリアンヌを愛しているのだと気付く。
もしかすると姉以上の感情を抱いているのかもしれない。
「なぜ、あなたは神の声に耳を傾けないのですか。ジルベール。受け入れさえすれば、我が神はあなたにも語り掛けるというのに」
心の底から疑問に感じているらしいリリアンヌの言葉に、僅かながら鋭さを感じる。
その言葉はまるでラファーガに対しても神を受け入れていないとでも告げているようだった。
「受け入れさえすれば、あなたも私と同じように神の力を授かることが出来るでしょう」
魔術的な素質の話なのだろう。リリアンヌと同じ力が授けられるのかもしれない。
「私はそんなものは望んでいない。リリアンヌ、修道女の真似事をしたところでお前は修道女にはなれないぞ。諦めろ。大人しく王国に戻り私を支えろ」
何度拳を叩き込まれたところで横柄な態度を改めるつもりはないらしい。
「戻りません。私はラファーガと共に生きることを選びました」
真っ直ぐ弟を見据えるリリアンヌに驚く。
彼女は頑固な女性だ。一度決めたことを簡単に曲げたりはしない。
きっと五年前の誓いに拘っているのだろう。それ以上の意味はないはずだ。
だというのに、ラファーガを選ぶと力強く口にしてくれる彼女に飛び上がりそうなほどの喜びを感じてしまう。
「リリアンヌ、あなたは本当にそれでいいのか?」
帝国で、今の彼女の立場は非常に悪い。
きっとこの先も苦しみに満ちているだろう。
「ラファーガ、私は……あなたと共にありたいのです」
視線が合わない。表情も見せてくれない。
けれども赤く染まった耳が、相当恥じらっているのだと教えてくれる。
「……本当に、リリアンヌが男一人の為に国を捨てる道を選んだのか?」
信じられないと言う表情のジルベールには、リリアンヌがどのような表情を浮かべたのか見えたのだろう。
鋭い視線で睨まれる。
「一体どんな手を使った! 私の……私からリリアンヌを奪うなど!」
声を荒らげ、掴みかかる勢いでラファーガに接近する。
「私は、彼女との誓いを果たしただけだ」
生きるために与えられた誓いを、必死に果たした。
彼女はそれに応えてくれたのだ。
「私は、リリアンヌに命を救われた。そして、生き方を示された。私にはこれからもリリアンヌが必要だ。そして、同じように彼女にも必要とされる存在になりたい」
リリアンヌがいなければ今のラファーガは存在しない。それが痛いほど分かっているからこそ、彼女を祖国へ帰すことが出来ない。
「ラファーガ……」
薔薇色に頬を染め、困惑したような表情を浮かべるリリアンヌが、どんな感情で名を呼んだのかわからない。
けれども、次に紡がれる言葉はラファーガを浮かれさせるには十分過ぎた。
「私も……あなたと共にありたいと思っています」
控えめな、それでも確かに人生を共にするという意思を示してくれている。
「まさか、恋だとかくだらない感情で敵国に嫁ぐというのか?」
信じられないと告げるジルベールの表情に絶望が滲む。
「……私は、ラファーガと出会わせてくださった我が神に感謝しています」
それは肯定でも否定でもない言葉だった。
リリアンヌの本心は彼女以外には読むことができないだろう。
「ジルベール、あなたは帰りなさい。あなたには王国で成し遂げるべきことがたくさんあります」
「しかし……リリアンヌが戻らねば……私の後ろ盾など存在しないではないか! 皆、ルイばかりを……」
ジルベールはその先の言葉を紡げないまま俯いてしまう。
どうやら彼の立場は相当悪いらしい。
「恐れてはいけません。ジルベール。あなたは本質を見失っているのです。落ち着きなさい。あなたの優秀さは、よくわかっています」
そっと、彼女の手がジルベールの頭に触れる。
そして、その唇がおぞましい低音を紡ぎ始めた。
「よ、よせっ」
ジルベールが手を振り払う。
その瞬間、リリアンヌの祈りが途切れた。
「我が神は、あなたを愛しています」
それは慰めでもなく、リリアンヌが信じる真実なのだろう。
「……茶を用意しよう。二人とも、疲れただろう。私も、考えを整理したい」
とにかく場所を移したかった。
庭に出れば、少しは気分が変わるかもしれない。
「いいえ、ラファーガ、ジルベールはこのまま帰ります。礼儀を思い出すまではこの屋敷に足を踏み入れることはないでしょう」
リリアンヌの言葉に説得力が乗る。
もしや、中断されたと思った魔術は既に発動していたのだろうか。
彼女の言葉通り、ジルベールはふらふらと歩き出す。
そして、のろのろと玄関へと向かっていったのだ。
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