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序章

魔法技術者のお仕事

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 僕は暗赤色の魔石に祈りをこめると、自分で組んだ術式に魔力を注ぎ込んだ。魔力はあらかじめ術式に定められた通りに流れてゆき、魔法陣が燐光を発しはじめた。
 燐光は眩しいほどになって、魔法陣は真っ白い光の円にしか見えなくなる。ほどなくその白い円の中に、「売上分析」という文字が浮かび上がってきた。魔法陣に書かれているようなアリステ魔術文字ではなく、王都からこのエルフの森辺りまでのマザール王国全土で広く使われているマザール文字だ。
 僕は光の円に指を這わせ、「平日、ランチタイム、メニュー別」とマザール文字を書き込む。たちまち円上の文字はかき消え、遥か上空のクラウドへと魔力が昇っていく。
 雲から情報を帯びた小包パケットが届くのに一秒とかからなかった。小包は魔法陣に吸い込まれると、僕の組んだ術式に従って処理され、魔法陣に再び文字が浮かぶ。
 雲に入力しておいたテスト用の売上明細から、平日の昼食時間帯の売上が集計されて表示されている。売上が多いメニューから順に食数、売上金額、それに売上一位のメニューからの累積売上金額などが並んでいて、累積売上金額が全売上高の70%になるまでのメニューをA、70~90%になるものをB、それ以降をCとしてグループ分けしてある。
 それらの数値が入力したテストデータと矛盾しないか、グループ分けが正しい仕様通りになっているかを確認して、僕はテスト仕様書の最後の項目に丸を書き込んだ。あとは試験者と試験日を記入すれば、この術式は完成だ。結合・総合テストのチームに引き渡せる。
「キリシマさん、本日午前中に完了予定の売上分析の進捗は問題ないでしょうか」
 背中まである艶やかなプラチナブロンドの髪を揺らしながら、陶器みたいに白い肌のエルフの女性が僕の席に近づいてきた。プロジェクトマネージャーのラウラさんだ。
「ええ、たった今テストが終わったところです」
「それは良かったです。キリシマさんは入社一年目ですが、もう十分仕事を任せられますね。ところで……」
 ラウラさんは、僕の隣の席を一瞥した。
「ピルスナーさんは、もう出社されていますか?」
 ヤン・ヘルムート・ピルスナー先輩は、この道十年のベテラン魔法技術者で、術式を組む腕は確かなのだが、色々と問題も多い。午前九時に出社するよう職務規定で決められているのに、十時半の今になっても出社して来ないのもその一つだ。ちなみにこの会社の社員ではなく協力会社から来ているのだが、僕が入社する前からこの会社にいるので、僕は自社の先輩に接するように「ヤン先輩」と呼んでいる。
「いつもなら、そろそろ来る頃ですよね」
 そう言って僕は、フロアの入り口の扉を見やった。するとちょうどその時、真鍮のドアノブがガチャリと回ってヤン先輩が顔を出した。
「ピルスナーさん。ゆうべも深夜までお仕事なさっていたのは知っておりますが、遅刻するならせめて連絡をしてください」
 ラウラさんが、やや険のある口調で忠告する。毎日のように遅刻して、しかも何時に出社できるか連絡もしてこないヤン先輩に、ラウラさんはいつも悩まされているのだ。
「いやー申し訳ない。これからは連絡してから遅刻するよ」
 ヤン先輩は短く刈り込んだ赤髪の頭をポリポリと掻いた。
「……まあ良いです。ピルスナーさんが担当されている仕入機能の術式は、今日完了する予定になっていますが、進捗はいかがでしょうか」
 確か昨日の十七時半のミーティングでは、仕入の術式にバグが見つかったと言っていた。それを直すためにヤン先輩は遅くまで会社に残っていたようだが、どうなったのだろうか。
「それがですね。バグ自体は直ったんですが、テストが全部やり直しなもんで、今日深夜までやっても終わるかどうか微妙ですね」
 ヤン先輩はいちおう申し訳なさそうな顔をして見せたが、その声はどこか軽い調子に聞こえる。
「来週から結合・総合テストのチームが本格的に稼働を始めるので、それまでに全ての術式を組み終わっていないといけないことは理解していますか?」
「わかっちゃいるんですが、俺、時間に追われるとかえってダメなタイプなんですよね。なので……」
「今日中になんとかしろって言われるより、明日も休日出勤してやっていい、って言われる方が、俺としちゃ嬉しいんですが」
 そう言ってヤン先輩は、にっこりと笑った。
 ヤン先輩はこれまでも、何かにつけて休日出勤をしたがることが頻繁にあったのだが、彼は別に仕事が好きな訳ではない。先輩は、ダラダラ仕事したいだけなのだ。技術力はあるし本気を出せば一日分の仕事を半日で終わらせることもできるのに、いつもダラダラやっていて、結果深夜までかかったり、それでも終わらなくて休日出勤を申請したりしている。
「……はあ」
 深いため息を一つついて、ラウラさんは空中に魔法陣を書いた。祈りを込めると術式が作動し、魔法陣の中から何百枚ものカードをリングで閉じた分厚いファイルが出てきた。ラウラさんが呪文を唱えると、ファイルは勝手にパラパラとめくれていき、「仕入機能単体テスト・担当者ヤン・H・ピルスナー」と書かれたカードのところで止まる。
「このカードには『予定作業日数・三日』と書かれています。これはバグの修正と再テストが必要になることも織り込んで見積もった日数ですし、あなたがこの作業にアサインされた際に、三日では終わらないと判断した場合は三日で終わらない理由を説明すれば日数を修正してもらうこともできたはずです。また、同時並行でやらなければならない他の作業もあなたには割り当てられていません。
 三日前にこの作業に着手したあなたは、昨日も遅くまで作業したうえ、まだ足りずに休日出勤まで要求しているわけですが、入社一年目のキリシマさんが定時までの作業できちんとスケジュール通り進められているのに、一人前の技術者であるあなたが遅れている件について、言い訳があるのであれば聞きたいものですね」
 ラウラさんは別に意地悪で言っているわけではない。休日出勤には、そして残業にだって、それなりの理由がなければならない。ただダラダラしてたら間に合わなかったので休日出勤します、なんて許されないのだ。
 さらに言えば、ヤン先輩はこの会社の人間ではないから、一人で休日出勤するわけにはいかない。彼が勤務しているあいだじゅう、誰か自社の社員が一緒に会社にいなければならない。それは例えば僕でもいいんだけれど、ラウラさんの性格なら自分が出なければ、と考えるだろう。
「想定した以上に根が深いバグだったので、修正に時間がかかったんすよ。規定ではバグの修正が発生しても、修正箇所と明らかに関係ないテスト項目は再テストの必要がないことになってるけど、根が深いだけに影響範囲も広くてね。全部再テストになっちゃって。それでです」
 ラウラさんはもう一度、深ーいため息ついて、「まあいいでしょう。休出の申請は出しておきます」と告げた。
「ただし、なるべく本日中に終わらせてください。本日中に終わった場合は、休出が必要なくなった旨を私と管理部へメールで連絡してください」
「了解」
 ヤン先輩は、嬉しそうな顔で答えた。休日出勤が許可され、時間に追われるストレスから解放されると、テンションが上がって結果的に休出しなくても仕事が終わってしまったりすることもある。本当に先輩は締切に追われるという状況に弱いらしい。
 そんな風に話しているところへ、他部署のフロアから顔をのぞかせた少し年嵩の男性エルフがラウラさんを呼びに来た。
「新規案件の話が来てるんです。打ち合わせするので第二会議室に来てください」
 請われてラウラさんがその男性と共にフロアを出て行ってしまうと、ヤン先輩はさっそく仕入機能のテスト作業を開始した。
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