かなざくらの古屋敷

中岡いち

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第十四部「憎悪の饗宴」第5話(第十四部最終話)

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 西沙せいさは総てをあざむいた。
 当初の計画は、死んでみせるところまで。
 しかし、西沙せいさは自分を憎んだ。
 美由紀みゆきの部屋で、その遺体を見た時、自分の総てを否定したかった。
 まるで自分の体温が抜け落ちたかのように何も感じない。
 もはや、それが憎しみなのか悔しさなのかも分からない。
 ただ立ち尽くしていた。
 これからの計画など、総てが無駄に思えた。
 代償はあまりにも大きい。

 ──……私が…………美由紀みゆきを殺した……………………

 ──…………私があんなことをしなければ……………………

「……西沙せいささん…………」
 少し遅れてきた立坂たてさかの声が背後から聞こえた。
「……どうして…………」
 元々、美由紀みゆきが電話に出ないことを心配した立坂たてさか西沙せいさに連絡したことで、先に到着したのが西沙せいさだった。
立坂たてさかさん…………」
 西沙せいさがやっと口を開く。
「……明日…………私の葬儀になるから…………」
「え? だって────」
美由紀みゆきに…………立派な葬式してあげなくちゃ…………」
 望まれて産まれてきた子供ではなかった。愛情というものがどんなものなのかも知らず、常に何かに怯えながら生きてきた。それが美由紀みゆきの人生。それが美由紀みゆきが世の中に感じた答え。
 西沙せいさも知っていた。
 知っていたのに、この結果を予測出来なかった。
 美由紀みゆきを見ていなかった。
 美由紀みゆきを守りきれなかった。
「……最後くらい…………立派でもいいじゃない……………………」
 立坂たてさかももちろん美由紀みゆきの生い立ちは聞いていた。それだけに、西沙せいさのその言葉だけで充分だった。
 西沙せいさが続ける。
「……骨壺こつつぼだけ…………立坂たてさかさんが預かっておいて…………身元引受人として…………お母さんはすぐには納骨しないはず。私の骨だと思えば、そこに何かがあると思うはず…………」
「分かりました」
 やがて西沙せいさの〝幻惑げんわく〟の力で美由紀みゆきの遺体が葬儀へ。

 西沙せいさは、自分への復讐を誓った。
 決して自分を許すことはない。

 ──……お母さんは…………必ず美由紀みゆきに近付く………………

 そして、萌江もえ咲恵さきえは気が付いていた。
 しかし、あれ以来、西沙せいさには会っていない。
 総ては感じただけ。
 だからこそ、不思議な確証のまま、萌江もえ咲恵さきえ自身も雄滝おだき神社で派手な立ち回りを演じられた。二人は、西沙せいさの存在をすぐ近くに感じていた。
「これは……誰の〝力〟?」
 咲恵さきえはソファーに座ったままで隣の萌江もえに声をかけた。
 萌江もえ咲恵さきえも目をつぶって手を繋ぐ。
 萌江もえが応えた。
西沙せいさだよ…………ここにいる」
 不思議と三匹の猫たちも縁側に座って黙って二人を見ているだけ。
 咲恵さきえが返した。
「ホントだ…………西沙せいさちゃんの匂いがする…………見えてきたよ…………みんないるね」
「……例え幻でも…………これが私たちの復讐…………」
 二人が繋いだ手の中には、〝火の玉〟と〝水の玉〟が並ぶ。
 二人にとっては初めての経験だった。
 しかし、間違いなく西沙せいさの存在を感じていた。
 絶対にやれると信じた。
 もはやそれは、言葉で説明の出来る領域を超えていた。

 ──……私は絶対に…………あの人たちを許さない…………

 萌江もえはそれだけを思った。
 そしてそれは、西沙せいさの願いでもあった。





 さきは完全に膝を落とし、両手を床に着いていた。
 開いた口から出るのは震える声。
「…………どうして…………あの時…………」
 その言葉が宙に浮かぶ中、西沙せいさは一歩だけ前へ。
 視線はさきに向けたままで、呆然と立ち尽くす杏奈あんなの肩に手を置いた。
 そしてささやく。
「ただいま」
 直後、杏奈あんなは泣き崩れた。
 西沙せいさの手を掴み、その巫女みこ服にしがみつくようにして膝を落としていた。
 西沙せいさが改めて口を開いた。
「死んで見せないと清国会しんこくかいの中枢には入り込めなかったしね。私は雄滝おだき神社には入れてもらえないし…………とは言っても咲恵さきえの水晶を利用させてもらったけどさ。もう少し黙ってても良かったんだけど、美由紀みゆきが可哀想でこれ以上は無理だった…………自分の母親がいかにひどい人間かも分かったしね」
 すると、さきが叫ぶ。
「私は! この国の為に…………!」
「ただの束縛だよ。自分の娘にも勝てない程度の力しかないくせに、何者かになったつもりでいる…………誰かを持ち上げることでしか生きられないなんて…………それが宗教の現実…………」
 そして、西沙せいさの目が少しだけ変わる。
 何かを覚悟した目。
 強く、寂しい目。

「…………私は…………あなたの娘じゃない…………」

 両手を着き、顔を伏せたままのさきの体が微かに震える。
 そこに、さらに西沙せいさが畳み掛けた。
「……それで…………いいんだよね…………」
 そこに挟まるのは咲恵さきえだった。
西沙せいさちゃん…………そんなこと────」
「言っちゃダメ? どうして? お母さんだって私を娘だなんて思ったことないのに」
 そう言いながらも、西沙せいさの目には涙が浮かんでいた。
「ダメだよ。憎しみは必ず返ってくる」
 そう返す咲恵さきえに、西沙せいさはすぐに返す。
御世みよみたいに?」
「でも、御世みよは誰も恨んでいなかった…………」
「分かるよ……御世みよのことなら私も分かる…………私の中にもいるもの…………」
 西沙せいさも、自分の中にいる別の存在のことは理解している。
 自分とは明らかに違う歴史が自分の中にある。
 その歴史の空気も、その人物の感情も、常に自分と共にあった。
 幼い頃から、それは身近に感じているもの。
 そしてそれは、咲恵さきえも同じだった。
 咲恵さきえも両親を恨んだ過去がある。両親が娘である自分を利用して多くの人を騙していたことは決して許されることではない。
 しかしその過去があるからこそ萌江もえに出会うことが出来た。
 感謝ではない。
 許すことが出来た。
 しかし、咲恵さきえはもっと大きな所で人生を翻弄されていたことを知っていく中で、両親もそこに巻き込まれただけの人たちだったのかも知れない、と思うようになっていた。
 誰もが、総てを自分で選択して生きているわけではない。何かに流されて生きている。
 咲恵さきえ自身もそうだった。
「私たちは萌江もえを守るの…………その時に必ずその憎しみは邪魔になる」
 その咲恵さきえの声に、少し間を開けた西沙せいさ萌江もえに顔を向けて口を開いた。
「分かったでしょ萌江もえ…………これがあなたを中心とした世界のことわり…………」
 その言葉を投げられても、今さら萌江もえも驚きはしなかった。
 表情を変えることもない。
 しかし、もはや自分がどうするべきかの答えが見付からない。
 浮かぶのは疑問だけ。
「…………どうして……そこまで…………」
 思わず萌江もえの口からそんな言葉が零れる。
 素直な気持ちだった。
 そして僅かに視線を下へ。
 すると、西沙せいさが正面を萌江もえに向けて返した。
「あなたを守るために産まれてきたから…………萌江もえ咲恵さきえに出会ったのは偶然なんかじゃない」
「そんなこと…………私が信じるわけないじゃない…………」
 それでも、完全に否定し切れない自分がいた。
 その萌江もえが続ける。
「私は…………99.9%…………運命なんか信じない…………」
 顔を上げた萌江もえの目は強い。
 しかしそれでも西沙せいさは返した。
 その表情には、僅かに柔らかい笑顔が浮かぶ。
「いいよ…………でも0.1%だけでも信じて……最初から分かってた…………同時に美由紀みゆきも守ってきたはずだったのに私は美由紀みゆきを守り切れなかった…………私が派手に立ち回り過ぎたせいで美由紀みゆきは自ら命を絶った…………総て私のせい…………もう引き下がれない」
 そして、西沙せいさの頬を涙が零れていく。
 それを見た萌江もえは感じていた。

 ──…………本気なんだ……………………

 何が正しいのか、そんなことは分からない。
 何が正しかったのか、そんなことは誰にも分からない。
 あるのは結果だけ。
 その時、本殿に響いたのはさきの叫び声だった。
「あなたはヒルコ様の産まれ代わりなの‼︎ その為に私があなたを産んだの‼︎」





 さきが幼い西沙せいさ雄滝おだき神社に連れて行った次の日の夜。
 夕食後に西沙せいさは祭壇に呼び出されていた。
「いいですか? あなたはいずれ御陵院ごりょういん神社を背負う立場になります。そういう心持ちでいてもらわなければなりません」
 さきから何度も聞かせられていた言葉だ。
 しかし西沙せいさにはまだその真意は理解出来ない。この神社のことなら綾芽あやめ涼沙りょうさもいる。どうして母親が自分にだけそんなことを言うのか分からなかった。
 西沙せいさは幼い目のままさきに返していく。
「でもわたしはヒルコじゃないよ」
 さきも言葉を選ばざるを得なかった。もちろん清国会しんこくかいのことをまだ話してはいない。それは正式に修行が始まってからのこと。
「あなたは我らにとって大事な身の上…………決して滝川たきがわ様に盾突たてつくような言動は控えなくてはなりません」
「だって、あの子、弱いよ」
西沙せいさ!」
 祭壇を震わせるようなその母の声に、西沙せいさは身を硬くした。
 怖かった。
 いつの間にか唇も震える。
 一人だけで呼び出される時、さきに口答えするのは許されなかった。
 普通の親子ではない。
 一般的な親子関係など存在しない家。
 一緒に遊んだことも、一緒に買い物をしたこともない。
 家族で旅行など、テレビの中の世界だと思っていた。
 翌日の朝の祭事。
 西沙せいさは突然泣き出した。
 本人にもその理由は分からなかった。
 まるで赤ん坊のように泣き続けた。
 西沙せいさの、さきへ対する最初の反抗だった。





 西沙せいさはゆっくり足を進めた。
 足袋が床をる音が静かに響く。
 両手を着いて肩で息をするさきの前で止まる。

 ──…………私は…………〝あなたの娘〟でいたかった……………………

 その目から、いくつもの涙がこぼれ落ちた。
 そして、西沙せいさの口が開く。
「いつも真実は箱の中。だから開けてみたくなる…………でもお母さんは開けてみようともしなかった…………真実を知ろうともしなかった…………お母さん……こう考えたことない? 地球上の総ての生き物が死んじゃったら…………どうやって産まれ代わるのかな…………どこに産まれ代わるの? ────誰に産まれ代わるのよ‼︎」

 静寂が空気を震わせた。
 松明たいまつの炎すら静か。
 泣き叫ぶのはさきの声。
 その胸の内は本人にしか分からないだろう。
 そこにあるのは残酷さだけ。
 何かが崩壊していく怖さ。
 何かを失う怖さ。
 後悔が留めどなく溢れる怖さ。
 それは、自分自身を失う怖さ。

 西沙せいささきに背を向ける。
 顔を伏せたままのさきの右手が、何かを求めるように僅かに動いた。
 萌江もえ咲恵さきえ杏奈あんなさきに背を向けると、西沙せいさが小さく口を開く。
「……私たちは…………正義の味方じゃないからね…………」
 そして歩き始める。
 階段を降り、参道の砂利を踏みしめた。
 背後から、言葉にならないさきの声が微かに聞こえたが、誰も立ち止まることはない。
 振り返ることすらなかった。

 駐車場まで来ると、夜の虫の声が僅かに聞こえ始める。
 季節が変わっていく。
 まるでこの世ではない世界から解放されたようなすずやかさ。
 そして萌江もえの声がした。
「結構似合うじゃない。その服」
 西沙せいさは自分に向けられたその言葉に、両目を巫女みこ服のそでで拭いながら応える。
「まあ…………形から入るタイプだからね……」
「ウソばっかり……西沙せいさ巫女みこ姿は似合わないよ。いつもの服にして。車の後ろに積んであるから」
「準備いいじゃない」
 そして西沙せいさが運転席に乗り込もうとする杏奈あんなに目を向けると、杏奈あんなは満面の笑みで返した。
立坂たてさかさんが準備してくれてましたよ。理由も言わずに渡されて…………」
 それに軽い溜息で返した西沙せいさは、再び萌江もえに言葉を投げた。
「今夜から萌江もえの所でいいんでしょ? 事務所はそれこそ立坂たてさかさんが閉めちゃったし」
 萌江もえも迷わずその言葉を拾う。
「賑やかになるねえ。猫がいるから早起きだよ」
「それは飼い主の仕事でしょ」
「我が家は交代制になったの。それとしばらくは杏奈あんなと寝室一緒ね」
「いいけど……萌江もえ咲恵さきえの部屋の隣じゃないでしょうね。夜に二人の声聞こえるのとかイヤなんですけど」
「耳栓買ってあげるから我慢してよ。今のうちにネットで注文しておくから」
「セクハラだよセクハラ、声出さなきゃいいでしょ」
「だって咲恵さきえが声出すんだもん」
 すると咲恵さきえ眉間みけんしわを寄せて呟いた。
「……生々しいからヤメて…………」
 そして杏奈あんなが声を上げる。
「ま、今夜はもう遅いのでどこかに泊まりで……新しい家族の歓迎会ってことで」





「ただいま!」
 いつも西沙せいさは出張から帰ってくる時は声が明るい。
 美由紀みゆきがいつも通り事務所にいてくれるだけで、それだけで安心するのもあるのだろう。
 出張の時は立坂たてさかに必ず美由紀みゆきのことを頼んでいくのが慣例かんれいだ。決して監視するほどのレベルではなかったし、事実立坂たてさかも監視カメラを設置していたわけではない。むしろ西沙せいさがいない時に過剰に接するのは可哀想だと思っていた。たまに電話をするくらいに留めていた。例え遠くにいたとしても、西沙せいさのほうがよほど美由紀みゆきに何かあれば気が付くのは早いだろうことを立坂たてさかも分かっていたからだ。
 それでも西沙せいさは必ず立坂たてさかに連絡を入れる。立坂たてさかからすれば西沙せいさの微笑ましい一面を感じられる数少ない機会。なんとなく嬉しかった。
「またそんなにお土産買ってきて」
 いつも美由紀みゆきはそう返しながら、それでもその表情は柔らかい。
 美由紀みゆきが喜ぶからと思うと、いつも西沙せいさはお土産を多目に買ってきた。
「しかもお菓子ばっかり」
 そう言いながらも、美由紀みゆきは足取りも軽く給湯室に向かう。
 美由紀みゆきも嬉しかった。
 西沙せいさとの楽しい時間だった。いつも色々と仕事の愚痴を聞かされるのですら嫌ではない。
 まるで西沙せいさと一緒に旅行をしている気分になれる。
 満足に旅行というものをしたことがない。人混みも嫌いだ。買い物もどちらかというと苦手なまま。少しずつ慣れてはきたつもりだったが、一人で安心して買い物が出来るのは一階のコンビニくらいだ。ただの慣れであることは美由紀みゆき自身も理解している。
「どうだったの? 今回の仕事は」
「いつもと同じだよ。ほとんど深層心理で解決出来るもの」
萌江もえさんと咲恵さきえさんと一緒の仕事だと楽しそうなのに…………」
「あの二人は私より凄いからね…………」
 西沙せいさが認めるのが萌江もえ咲恵さきえだけなのは、美由紀みゆきだけが知っていた。いつも他人に対して強気な態度ばかりを見せる西沙せいさが、不思議と自分には素直な面を見せてくれるのが美由紀みゆきは嬉しかった。
「今度さ、一緒に行く?」
 西沙せいさが唐突にそう質問をすると、美由紀みゆきはすぐに返した。
「出張?」
「仕事じゃなくて…………旅行に。たまには休みの日に遊びにいくのもいいかもよ。いつもここばっかりじゃつまらなくない?」
「そんなことないよ」
 嘘ではなかった。
 ここは西沙せいさが作ってくれた場所だ。西沙せいさは自分に居場所を作ってくれた。
 それでも西沙せいさの提案は嬉しかった。
「でも……また出張入って潰れちゃうよ」
萌江もえにでも回すよ」
 そう言って西沙せいさは笑った。
 しかし、その時間が訪れることは、無いままだった…………。





 さき雄滝おだき湖の湖畔にいた。
 遠くの山肌に夕陽が沈んでいく。
 また、夜がやってこようとしていた。
 湖を眺める恵麻えまの背中も影が濃い。さきがその背中に事の一部始終を報告すると、おもむろに恵麻えまが背中で返した。
「……そうか…………仕方のないことだな…………」
「しかし…………」
 思わずそう応えながらも、さきにはその後の言葉が見付からない。
陽麻ひまからも話は聞いてる…………計画の立て直しが必要になるのだろう?」
「おそらく…………」
 恵麻えまはそれからしばらく黙ったまま。
 微かな波の音が聞こえるだけ。
 そして、不思議なほどに恵麻えまは穏やかだった。
 さき西沙せいさのやりとりが見えていなかったわけがない、とさきは思っていた。
 総て恵麻えまは知っているはず。そう思った。
 しかし恵麻えまはそれに関しては何も言わず、不思議なほどに寂しい表情を見せるだけ。
 その恵麻えまがゆっくりと口を開いた。
「お前の娘二人を借り受ける事になる…………西沙せいさは潰せ…………迷うな」
 その恵麻えまの言葉に、さきは何かを覚悟したように声のトーンを落として返す。
「…………はい……」
 その頭に、以前の萌江もえの言葉が蘇った。

 〝……誰かを恨んでも……何かを見誤るだけ…………気を付けて…………〟

 そして、辺りが闇に包まれていく。




        「かなざくらの古屋敷」
      ~ 第十四部「憎悪の饗宴」終 ~
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