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第十四部「憎悪の饗宴」第5話(第十四部最終話)
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西沙は総てを欺いた。
当初の計画は、死んでみせるところまで。
しかし、西沙は自分を憎んだ。
美由紀の部屋で、その遺体を見た時、自分の総てを否定したかった。
まるで自分の体温が抜け落ちたかのように何も感じない。
もはや、それが憎しみなのか悔しさなのかも分からない。
ただ立ち尽くしていた。
これからの計画など、総てが無駄に思えた。
代償はあまりにも大きい。
──……私が…………美由紀を殺した……………………
──…………私があんなことをしなければ……………………
「……西沙さん…………」
少し遅れてきた立坂の声が背後から聞こえた。
「……どうして…………」
元々、美由紀が電話に出ないことを心配した立坂が西沙に連絡したことで、先に到着したのが西沙だった。
「立坂さん…………」
西沙がやっと口を開く。
「……明日…………私の葬儀になるから…………」
「え? だって────」
「美由紀に…………立派な葬式してあげなくちゃ…………」
望まれて産まれてきた子供ではなかった。愛情というものがどんなものなのかも知らず、常に何かに怯えながら生きてきた。それが美由紀の人生。それが美由紀が世の中に感じた答え。
西沙も知っていた。
知っていたのに、この結果を予測出来なかった。
美由紀を見ていなかった。
美由紀を守りきれなかった。
「……最後くらい…………立派でもいいじゃない……………………」
立坂ももちろん美由紀の生い立ちは聞いていた。それだけに、西沙のその言葉だけで充分だった。
西沙が続ける。
「……骨壺だけ…………立坂さんが預かっておいて…………身元引受人として…………お母さんはすぐには納骨しないはず。私の骨だと思えば、そこに何かがあると思うはず…………」
「分かりました」
やがて西沙の〝幻惑〟の力で美由紀の遺体が葬儀へ。
西沙は、自分への復讐を誓った。
決して自分を許すことはない。
──……お母さんは…………必ず美由紀に近付く………………
そして、萌江と咲恵は気が付いていた。
しかし、あれ以来、西沙には会っていない。
総ては感じただけ。
だからこそ、不思議な確証のまま、萌江と咲恵自身も雄滝神社で派手な立ち回りを演じられた。二人は、西沙の存在をすぐ近くに感じていた。
「これは……誰の〝力〟?」
咲恵はソファーに座ったままで隣の萌江に声をかけた。
萌江も咲恵も目を瞑って手を繋ぐ。
萌江が応えた。
「西沙だよ…………ここにいる」
不思議と三匹の猫たちも縁側に座って黙って二人を見ているだけ。
咲恵が返した。
「ホントだ…………西沙ちゃんの匂いがする…………見えてきたよ…………みんないるね」
「……例え幻でも…………これが私たちの復讐…………」
二人が繋いだ手の中には、〝火の玉〟と〝水の玉〟が並ぶ。
二人にとっては初めての経験だった。
しかし、間違いなく西沙の存在を感じていた。
絶対にやれると信じた。
もはやそれは、言葉で説明の出来る領域を超えていた。
──……私は絶対に…………あの人たちを許さない…………
萌江はそれだけを思った。
そしてそれは、西沙の願いでもあった。
☆
咲は完全に膝を落とし、両手を床に着いていた。
開いた口から出るのは震える声。
「…………どうして…………あの時…………」
その言葉が宙に浮かぶ中、西沙は一歩だけ前へ。
視線は咲に向けたままで、呆然と立ち尽くす杏奈の肩に手を置いた。
そして囁く。
「ただいま」
直後、杏奈は泣き崩れた。
西沙の手を掴み、その巫女服にしがみつくようにして膝を落としていた。
西沙が改めて口を開いた。
「死んで見せないと清国会の中枢には入り込めなかったしね。私は雄滝神社には入れてもらえないし…………とは言っても咲恵の水晶を利用させてもらったけどさ。もう少し黙ってても良かったんだけど、美由紀が可哀想でこれ以上は無理だった…………自分の母親がいかに酷い人間かも分かったしね」
すると、咲が叫ぶ。
「私は! この国の為に…………!」
「ただの束縛だよ。自分の娘にも勝てない程度の力しかないくせに、何者かになったつもりでいる…………誰かを持ち上げることでしか生きられないなんて…………それが宗教の現実…………」
そして、西沙の目が少しだけ変わる。
何かを覚悟した目。
強く、寂しい目。
「…………私は…………あなたの娘じゃない…………」
両手を着き、顔を伏せたままの咲の体が微かに震える。
そこに、さらに西沙が畳み掛けた。
「……それで…………いいんだよね…………」
そこに挟まるのは咲恵だった。
「西沙ちゃん…………そんなこと────」
「言っちゃダメ? どうして? お母さんだって私を娘だなんて思ったことないのに」
そう言いながらも、西沙の目には涙が浮かんでいた。
「ダメだよ。憎しみは必ず返ってくる」
そう返す咲恵に、西沙はすぐに返す。
「御世みたいに?」
「でも、御世は誰も恨んでいなかった…………」
「分かるよ……御世のことなら私も分かる…………私の中にもいるもの…………」
西沙も、自分の中にいる別の存在のことは理解している。
自分とは明らかに違う歴史が自分の中にある。
その歴史の空気も、その人物の感情も、常に自分と共にあった。
幼い頃から、それは身近に感じているもの。
そしてそれは、咲恵も同じだった。
咲恵も両親を恨んだ過去がある。両親が娘である自分を利用して多くの人を騙していたことは決して許されることではない。
しかしその過去があるからこそ萌江に出会うことが出来た。
感謝ではない。
許すことが出来た。
しかし、咲恵はもっと大きな所で人生を翻弄されていたことを知っていく中で、両親もそこに巻き込まれただけの人たちだったのかも知れない、と思うようになっていた。
誰もが、総てを自分で選択して生きているわけではない。何かに流されて生きている。
咲恵自身もそうだった。
「私たちは萌江を守るの…………その時に必ずその憎しみは邪魔になる」
その咲恵の声に、少し間を開けた西沙は萌江に顔を向けて口を開いた。
「分かったでしょ萌江…………これがあなたを中心とした世界の理…………」
その言葉を投げられても、今さら萌江も驚きはしなかった。
表情を変えることもない。
しかし、もはや自分がどうするべきかの答えが見付からない。
浮かぶのは疑問だけ。
「…………どうして……そこまで…………」
思わず萌江の口からそんな言葉が零れる。
素直な気持ちだった。
そして僅かに視線を下へ。
すると、西沙が正面を萌江に向けて返した。
「あなたを守るために産まれてきたから…………萌江と咲恵に出会ったのは偶然なんかじゃない」
「そんなこと…………私が信じるわけないじゃない…………」
それでも、完全に否定し切れない自分がいた。
その萌江が続ける。
「私は…………99.9%…………運命なんか信じない…………」
顔を上げた萌江の目は強い。
しかしそれでも西沙は返した。
その表情には、僅かに柔らかい笑顔が浮かぶ。
「いいよ…………でも0.1%だけでも信じて……最初から分かってた…………同時に美由紀も守ってきたはずだったのに私は美由紀を守り切れなかった…………私が派手に立ち回り過ぎたせいで美由紀は自ら命を絶った…………総て私のせい…………もう引き下がれない」
そして、西沙の頬を涙が零れていく。
それを見た萌江は感じていた。
──…………本気なんだ……………………
何が正しいのか、そんなことは分からない。
何が正しかったのか、そんなことは誰にも分からない。
あるのは結果だけ。
その時、本殿に響いたのは咲の叫び声だった。
「あなたはヒルコ様の産まれ代わりなの‼︎ その為に私があなたを産んだの‼︎」
☆
咲が幼い西沙を雄滝神社に連れて行った次の日の夜。
夕食後に西沙は祭壇に呼び出されていた。
「いいですか? あなたはいずれ御陵院神社を背負う立場になります。そういう心持ちでいてもらわなければなりません」
咲から何度も聞かせられていた言葉だ。
しかし西沙にはまだその真意は理解出来ない。この神社のことなら綾芽も涼沙もいる。どうして母親が自分にだけそんなことを言うのか分からなかった。
西沙は幼い目のまま咲に返していく。
「でもわたしはヒルコじゃないよ」
咲も言葉を選ばざるを得なかった。もちろん清国会のことをまだ話してはいない。それは正式に修行が始まってからのこと。
「あなたは我らにとって大事な身の上…………決して滝川様に盾突くような言動は控えなくてはなりません」
「だって、あの子、弱いよ」
「西沙!」
祭壇を震わせるようなその母の声に、西沙は身を硬くした。
怖かった。
いつの間にか唇も震える。
一人だけで呼び出される時、咲に口答えするのは許されなかった。
普通の親子ではない。
一般的な親子関係など存在しない家。
一緒に遊んだことも、一緒に買い物をしたこともない。
家族で旅行など、テレビの中の世界だと思っていた。
翌日の朝の祭事。
西沙は突然泣き出した。
本人にもその理由は分からなかった。
まるで赤ん坊のように泣き続けた。
西沙の、咲へ対する最初の反抗だった。
☆
西沙はゆっくり足を進めた。
足袋が床を擦る音が静かに響く。
両手を着いて肩で息をする咲の前で止まる。
──…………私は…………〝あなたの娘〟でいたかった……………………
その目から、いくつもの涙が零れ落ちた。
そして、西沙の口が開く。
「いつも真実は箱の中。だから開けてみたくなる…………でもお母さんは開けてみようともしなかった…………真実を知ろうともしなかった…………お母さん……こう考えたことない? 地球上の総ての生き物が死んじゃったら…………どうやって産まれ代わるのかな…………どこに産まれ代わるの? ────誰に産まれ代わるのよ‼︎」
静寂が空気を震わせた。
松明の炎すら静か。
泣き叫ぶのは咲の声。
その胸の内は本人にしか分からないだろう。
そこにあるのは残酷さだけ。
何かが崩壊していく怖さ。
何かを失う怖さ。
後悔が留めどなく溢れる怖さ。
それは、自分自身を失う怖さ。
西沙が咲に背を向ける。
顔を伏せたままの咲の右手が、何かを求めるように僅かに動いた。
萌江、咲恵、杏奈も咲に背を向けると、西沙が小さく口を開く。
「……私たちは…………正義の味方じゃないからね…………」
そして歩き始める。
階段を降り、参道の砂利を踏みしめた。
背後から、言葉にならない咲の声が微かに聞こえたが、誰も立ち止まることはない。
振り返ることすらなかった。
駐車場まで来ると、夜の虫の声が僅かに聞こえ始める。
季節が変わっていく。
まるでこの世ではない世界から解放されたような涼やかさ。
そして萌江の声がした。
「結構似合うじゃない。その服」
西沙は自分に向けられたその言葉に、両目を巫女服の袖で拭いながら応える。
「まあ…………形から入るタイプだからね……」
「ウソばっかり……西沙に巫女姿は似合わないよ。いつもの服にして。車の後ろに積んであるから」
「準備いいじゃない」
そして西沙が運転席に乗り込もうとする杏奈に目を向けると、杏奈は満面の笑みで返した。
「立坂さんが準備してくれてましたよ。理由も言わずに渡されて…………」
それに軽い溜息で返した西沙は、再び萌江に言葉を投げた。
「今夜から萌江の所でいいんでしょ? 事務所はそれこそ立坂さんが閉めちゃったし」
萌江も迷わずその言葉を拾う。
「賑やかになるねえ。猫がいるから早起きだよ」
「それは飼い主の仕事でしょ」
「我が家は交代制になったの。それとしばらくは杏奈と寝室一緒ね」
「いいけど……萌江と咲恵の部屋の隣じゃないでしょうね。夜に二人の声聞こえるのとかイヤなんですけど」
「耳栓買ってあげるから我慢してよ。今のうちにネットで注文しておくから」
「セクハラだよセクハラ、声出さなきゃいいでしょ」
「だって咲恵が声出すんだもん」
すると咲恵が眉間に皺を寄せて呟いた。
「……生々しいからヤメて…………」
そして杏奈が声を上げる。
「ま、今夜はもう遅いのでどこかに泊まりで……新しい家族の歓迎会ってことで」
☆
「ただいま!」
いつも西沙は出張から帰ってくる時は声が明るい。
美由紀がいつも通り事務所にいてくれるだけで、それだけで安心するのもあるのだろう。
出張の時は立坂に必ず美由紀のことを頼んでいくのが慣例だ。決して監視するほどのレベルではなかったし、事実立坂も監視カメラを設置していたわけではない。むしろ西沙がいない時に過剰に接するのは可哀想だと思っていた。たまに電話をするくらいに留めていた。例え遠くにいたとしても、西沙のほうがよほど美由紀に何かあれば気が付くのは早いだろうことを立坂も分かっていたからだ。
それでも西沙は必ず立坂に連絡を入れる。立坂からすれば西沙の微笑ましい一面を感じられる数少ない機会。なんとなく嬉しかった。
「またそんなにお土産買ってきて」
いつも美由紀はそう返しながら、それでもその表情は柔らかい。
美由紀が喜ぶからと思うと、いつも西沙はお土産を多目に買ってきた。
「しかもお菓子ばっかり」
そう言いながらも、美由紀は足取りも軽く給湯室に向かう。
美由紀も嬉しかった。
西沙との楽しい時間だった。いつも色々と仕事の愚痴を聞かされるのですら嫌ではない。
まるで西沙と一緒に旅行をしている気分になれる。
満足に旅行というものをしたことがない。人混みも嫌いだ。買い物もどちらかというと苦手なまま。少しずつ慣れてはきたつもりだったが、一人で安心して買い物が出来るのは一階のコンビニくらいだ。ただの慣れであることは美由紀自身も理解している。
「どうだったの? 今回の仕事は」
「いつもと同じだよ。ほとんど深層心理で解決出来るもの」
「萌江さんと咲恵さんと一緒の仕事だと楽しそうなのに…………」
「あの二人は私より凄いからね…………」
西沙が認めるのが萌江と咲恵だけなのは、美由紀だけが知っていた。いつも他人に対して強気な態度ばかりを見せる西沙が、不思議と自分には素直な面を見せてくれるのが美由紀は嬉しかった。
「今度さ、一緒に行く?」
西沙が唐突にそう質問をすると、美由紀はすぐに返した。
「出張?」
「仕事じゃなくて…………旅行に。たまには休みの日に遊びにいくのもいいかもよ。いつもここばっかりじゃつまらなくない?」
「そんなことないよ」
嘘ではなかった。
ここは西沙が作ってくれた場所だ。西沙は自分に居場所を作ってくれた。
それでも西沙の提案は嬉しかった。
「でも……また出張入って潰れちゃうよ」
「萌江にでも回すよ」
そう言って西沙は笑った。
しかし、その時間が訪れることは、無いままだった…………。
☆
咲は雄滝湖の湖畔にいた。
遠くの山肌に夕陽が沈んでいく。
また、夜がやってこようとしていた。
湖を眺める恵麻の背中も影が濃い。咲がその背中に事の一部始終を報告すると、おもむろに恵麻が背中で返した。
「……そうか…………仕方のないことだな…………」
「しかし…………」
思わずそう応えながらも、咲にはその後の言葉が見付からない。
「陽麻からも話は聞いてる…………計画の立て直しが必要になるのだろう?」
「おそらく…………」
恵麻はそれからしばらく黙ったまま。
微かな波の音が聞こえるだけ。
そして、不思議なほどに恵麻は穏やかだった。
咲と西沙のやりとりが見えていなかったわけがない、と咲は思っていた。
総て恵麻は知っているはず。そう思った。
しかし恵麻はそれに関しては何も言わず、不思議なほどに寂しい表情を見せるだけ。
その恵麻がゆっくりと口を開いた。
「お前の娘二人を借り受ける事になる…………西沙は潰せ…………迷うな」
その恵麻の言葉に、咲は何かを覚悟したように声のトーンを落として返す。
「…………はい……」
その頭に、以前の萌江の言葉が蘇った。
〝……誰かを恨んでも……何かを見誤るだけ…………気を付けて…………〟
そして、辺りが闇に包まれていく。
「かなざくらの古屋敷」
~ 第十四部「憎悪の饗宴」終 ~
当初の計画は、死んでみせるところまで。
しかし、西沙は自分を憎んだ。
美由紀の部屋で、その遺体を見た時、自分の総てを否定したかった。
まるで自分の体温が抜け落ちたかのように何も感じない。
もはや、それが憎しみなのか悔しさなのかも分からない。
ただ立ち尽くしていた。
これからの計画など、総てが無駄に思えた。
代償はあまりにも大きい。
──……私が…………美由紀を殺した……………………
──…………私があんなことをしなければ……………………
「……西沙さん…………」
少し遅れてきた立坂の声が背後から聞こえた。
「……どうして…………」
元々、美由紀が電話に出ないことを心配した立坂が西沙に連絡したことで、先に到着したのが西沙だった。
「立坂さん…………」
西沙がやっと口を開く。
「……明日…………私の葬儀になるから…………」
「え? だって────」
「美由紀に…………立派な葬式してあげなくちゃ…………」
望まれて産まれてきた子供ではなかった。愛情というものがどんなものなのかも知らず、常に何かに怯えながら生きてきた。それが美由紀の人生。それが美由紀が世の中に感じた答え。
西沙も知っていた。
知っていたのに、この結果を予測出来なかった。
美由紀を見ていなかった。
美由紀を守りきれなかった。
「……最後くらい…………立派でもいいじゃない……………………」
立坂ももちろん美由紀の生い立ちは聞いていた。それだけに、西沙のその言葉だけで充分だった。
西沙が続ける。
「……骨壺だけ…………立坂さんが預かっておいて…………身元引受人として…………お母さんはすぐには納骨しないはず。私の骨だと思えば、そこに何かがあると思うはず…………」
「分かりました」
やがて西沙の〝幻惑〟の力で美由紀の遺体が葬儀へ。
西沙は、自分への復讐を誓った。
決して自分を許すことはない。
──……お母さんは…………必ず美由紀に近付く………………
そして、萌江と咲恵は気が付いていた。
しかし、あれ以来、西沙には会っていない。
総ては感じただけ。
だからこそ、不思議な確証のまま、萌江と咲恵自身も雄滝神社で派手な立ち回りを演じられた。二人は、西沙の存在をすぐ近くに感じていた。
「これは……誰の〝力〟?」
咲恵はソファーに座ったままで隣の萌江に声をかけた。
萌江も咲恵も目を瞑って手を繋ぐ。
萌江が応えた。
「西沙だよ…………ここにいる」
不思議と三匹の猫たちも縁側に座って黙って二人を見ているだけ。
咲恵が返した。
「ホントだ…………西沙ちゃんの匂いがする…………見えてきたよ…………みんないるね」
「……例え幻でも…………これが私たちの復讐…………」
二人が繋いだ手の中には、〝火の玉〟と〝水の玉〟が並ぶ。
二人にとっては初めての経験だった。
しかし、間違いなく西沙の存在を感じていた。
絶対にやれると信じた。
もはやそれは、言葉で説明の出来る領域を超えていた。
──……私は絶対に…………あの人たちを許さない…………
萌江はそれだけを思った。
そしてそれは、西沙の願いでもあった。
☆
咲は完全に膝を落とし、両手を床に着いていた。
開いた口から出るのは震える声。
「…………どうして…………あの時…………」
その言葉が宙に浮かぶ中、西沙は一歩だけ前へ。
視線は咲に向けたままで、呆然と立ち尽くす杏奈の肩に手を置いた。
そして囁く。
「ただいま」
直後、杏奈は泣き崩れた。
西沙の手を掴み、その巫女服にしがみつくようにして膝を落としていた。
西沙が改めて口を開いた。
「死んで見せないと清国会の中枢には入り込めなかったしね。私は雄滝神社には入れてもらえないし…………とは言っても咲恵の水晶を利用させてもらったけどさ。もう少し黙ってても良かったんだけど、美由紀が可哀想でこれ以上は無理だった…………自分の母親がいかに酷い人間かも分かったしね」
すると、咲が叫ぶ。
「私は! この国の為に…………!」
「ただの束縛だよ。自分の娘にも勝てない程度の力しかないくせに、何者かになったつもりでいる…………誰かを持ち上げることでしか生きられないなんて…………それが宗教の現実…………」
そして、西沙の目が少しだけ変わる。
何かを覚悟した目。
強く、寂しい目。
「…………私は…………あなたの娘じゃない…………」
両手を着き、顔を伏せたままの咲の体が微かに震える。
そこに、さらに西沙が畳み掛けた。
「……それで…………いいんだよね…………」
そこに挟まるのは咲恵だった。
「西沙ちゃん…………そんなこと────」
「言っちゃダメ? どうして? お母さんだって私を娘だなんて思ったことないのに」
そう言いながらも、西沙の目には涙が浮かんでいた。
「ダメだよ。憎しみは必ず返ってくる」
そう返す咲恵に、西沙はすぐに返す。
「御世みたいに?」
「でも、御世は誰も恨んでいなかった…………」
「分かるよ……御世のことなら私も分かる…………私の中にもいるもの…………」
西沙も、自分の中にいる別の存在のことは理解している。
自分とは明らかに違う歴史が自分の中にある。
その歴史の空気も、その人物の感情も、常に自分と共にあった。
幼い頃から、それは身近に感じているもの。
そしてそれは、咲恵も同じだった。
咲恵も両親を恨んだ過去がある。両親が娘である自分を利用して多くの人を騙していたことは決して許されることではない。
しかしその過去があるからこそ萌江に出会うことが出来た。
感謝ではない。
許すことが出来た。
しかし、咲恵はもっと大きな所で人生を翻弄されていたことを知っていく中で、両親もそこに巻き込まれただけの人たちだったのかも知れない、と思うようになっていた。
誰もが、総てを自分で選択して生きているわけではない。何かに流されて生きている。
咲恵自身もそうだった。
「私たちは萌江を守るの…………その時に必ずその憎しみは邪魔になる」
その咲恵の声に、少し間を開けた西沙は萌江に顔を向けて口を開いた。
「分かったでしょ萌江…………これがあなたを中心とした世界の理…………」
その言葉を投げられても、今さら萌江も驚きはしなかった。
表情を変えることもない。
しかし、もはや自分がどうするべきかの答えが見付からない。
浮かぶのは疑問だけ。
「…………どうして……そこまで…………」
思わず萌江の口からそんな言葉が零れる。
素直な気持ちだった。
そして僅かに視線を下へ。
すると、西沙が正面を萌江に向けて返した。
「あなたを守るために産まれてきたから…………萌江と咲恵に出会ったのは偶然なんかじゃない」
「そんなこと…………私が信じるわけないじゃない…………」
それでも、完全に否定し切れない自分がいた。
その萌江が続ける。
「私は…………99.9%…………運命なんか信じない…………」
顔を上げた萌江の目は強い。
しかしそれでも西沙は返した。
その表情には、僅かに柔らかい笑顔が浮かぶ。
「いいよ…………でも0.1%だけでも信じて……最初から分かってた…………同時に美由紀も守ってきたはずだったのに私は美由紀を守り切れなかった…………私が派手に立ち回り過ぎたせいで美由紀は自ら命を絶った…………総て私のせい…………もう引き下がれない」
そして、西沙の頬を涙が零れていく。
それを見た萌江は感じていた。
──…………本気なんだ……………………
何が正しいのか、そんなことは分からない。
何が正しかったのか、そんなことは誰にも分からない。
あるのは結果だけ。
その時、本殿に響いたのは咲の叫び声だった。
「あなたはヒルコ様の産まれ代わりなの‼︎ その為に私があなたを産んだの‼︎」
☆
咲が幼い西沙を雄滝神社に連れて行った次の日の夜。
夕食後に西沙は祭壇に呼び出されていた。
「いいですか? あなたはいずれ御陵院神社を背負う立場になります。そういう心持ちでいてもらわなければなりません」
咲から何度も聞かせられていた言葉だ。
しかし西沙にはまだその真意は理解出来ない。この神社のことなら綾芽も涼沙もいる。どうして母親が自分にだけそんなことを言うのか分からなかった。
西沙は幼い目のまま咲に返していく。
「でもわたしはヒルコじゃないよ」
咲も言葉を選ばざるを得なかった。もちろん清国会のことをまだ話してはいない。それは正式に修行が始まってからのこと。
「あなたは我らにとって大事な身の上…………決して滝川様に盾突くような言動は控えなくてはなりません」
「だって、あの子、弱いよ」
「西沙!」
祭壇を震わせるようなその母の声に、西沙は身を硬くした。
怖かった。
いつの間にか唇も震える。
一人だけで呼び出される時、咲に口答えするのは許されなかった。
普通の親子ではない。
一般的な親子関係など存在しない家。
一緒に遊んだことも、一緒に買い物をしたこともない。
家族で旅行など、テレビの中の世界だと思っていた。
翌日の朝の祭事。
西沙は突然泣き出した。
本人にもその理由は分からなかった。
まるで赤ん坊のように泣き続けた。
西沙の、咲へ対する最初の反抗だった。
☆
西沙はゆっくり足を進めた。
足袋が床を擦る音が静かに響く。
両手を着いて肩で息をする咲の前で止まる。
──…………私は…………〝あなたの娘〟でいたかった……………………
その目から、いくつもの涙が零れ落ちた。
そして、西沙の口が開く。
「いつも真実は箱の中。だから開けてみたくなる…………でもお母さんは開けてみようともしなかった…………真実を知ろうともしなかった…………お母さん……こう考えたことない? 地球上の総ての生き物が死んじゃったら…………どうやって産まれ代わるのかな…………どこに産まれ代わるの? ────誰に産まれ代わるのよ‼︎」
静寂が空気を震わせた。
松明の炎すら静か。
泣き叫ぶのは咲の声。
その胸の内は本人にしか分からないだろう。
そこにあるのは残酷さだけ。
何かが崩壊していく怖さ。
何かを失う怖さ。
後悔が留めどなく溢れる怖さ。
それは、自分自身を失う怖さ。
西沙が咲に背を向ける。
顔を伏せたままの咲の右手が、何かを求めるように僅かに動いた。
萌江、咲恵、杏奈も咲に背を向けると、西沙が小さく口を開く。
「……私たちは…………正義の味方じゃないからね…………」
そして歩き始める。
階段を降り、参道の砂利を踏みしめた。
背後から、言葉にならない咲の声が微かに聞こえたが、誰も立ち止まることはない。
振り返ることすらなかった。
駐車場まで来ると、夜の虫の声が僅かに聞こえ始める。
季節が変わっていく。
まるでこの世ではない世界から解放されたような涼やかさ。
そして萌江の声がした。
「結構似合うじゃない。その服」
西沙は自分に向けられたその言葉に、両目を巫女服の袖で拭いながら応える。
「まあ…………形から入るタイプだからね……」
「ウソばっかり……西沙に巫女姿は似合わないよ。いつもの服にして。車の後ろに積んであるから」
「準備いいじゃない」
そして西沙が運転席に乗り込もうとする杏奈に目を向けると、杏奈は満面の笑みで返した。
「立坂さんが準備してくれてましたよ。理由も言わずに渡されて…………」
それに軽い溜息で返した西沙は、再び萌江に言葉を投げた。
「今夜から萌江の所でいいんでしょ? 事務所はそれこそ立坂さんが閉めちゃったし」
萌江も迷わずその言葉を拾う。
「賑やかになるねえ。猫がいるから早起きだよ」
「それは飼い主の仕事でしょ」
「我が家は交代制になったの。それとしばらくは杏奈と寝室一緒ね」
「いいけど……萌江と咲恵の部屋の隣じゃないでしょうね。夜に二人の声聞こえるのとかイヤなんですけど」
「耳栓買ってあげるから我慢してよ。今のうちにネットで注文しておくから」
「セクハラだよセクハラ、声出さなきゃいいでしょ」
「だって咲恵が声出すんだもん」
すると咲恵が眉間に皺を寄せて呟いた。
「……生々しいからヤメて…………」
そして杏奈が声を上げる。
「ま、今夜はもう遅いのでどこかに泊まりで……新しい家族の歓迎会ってことで」
☆
「ただいま!」
いつも西沙は出張から帰ってくる時は声が明るい。
美由紀がいつも通り事務所にいてくれるだけで、それだけで安心するのもあるのだろう。
出張の時は立坂に必ず美由紀のことを頼んでいくのが慣例だ。決して監視するほどのレベルではなかったし、事実立坂も監視カメラを設置していたわけではない。むしろ西沙がいない時に過剰に接するのは可哀想だと思っていた。たまに電話をするくらいに留めていた。例え遠くにいたとしても、西沙のほうがよほど美由紀に何かあれば気が付くのは早いだろうことを立坂も分かっていたからだ。
それでも西沙は必ず立坂に連絡を入れる。立坂からすれば西沙の微笑ましい一面を感じられる数少ない機会。なんとなく嬉しかった。
「またそんなにお土産買ってきて」
いつも美由紀はそう返しながら、それでもその表情は柔らかい。
美由紀が喜ぶからと思うと、いつも西沙はお土産を多目に買ってきた。
「しかもお菓子ばっかり」
そう言いながらも、美由紀は足取りも軽く給湯室に向かう。
美由紀も嬉しかった。
西沙との楽しい時間だった。いつも色々と仕事の愚痴を聞かされるのですら嫌ではない。
まるで西沙と一緒に旅行をしている気分になれる。
満足に旅行というものをしたことがない。人混みも嫌いだ。買い物もどちらかというと苦手なまま。少しずつ慣れてはきたつもりだったが、一人で安心して買い物が出来るのは一階のコンビニくらいだ。ただの慣れであることは美由紀自身も理解している。
「どうだったの? 今回の仕事は」
「いつもと同じだよ。ほとんど深層心理で解決出来るもの」
「萌江さんと咲恵さんと一緒の仕事だと楽しそうなのに…………」
「あの二人は私より凄いからね…………」
西沙が認めるのが萌江と咲恵だけなのは、美由紀だけが知っていた。いつも他人に対して強気な態度ばかりを見せる西沙が、不思議と自分には素直な面を見せてくれるのが美由紀は嬉しかった。
「今度さ、一緒に行く?」
西沙が唐突にそう質問をすると、美由紀はすぐに返した。
「出張?」
「仕事じゃなくて…………旅行に。たまには休みの日に遊びにいくのもいいかもよ。いつもここばっかりじゃつまらなくない?」
「そんなことないよ」
嘘ではなかった。
ここは西沙が作ってくれた場所だ。西沙は自分に居場所を作ってくれた。
それでも西沙の提案は嬉しかった。
「でも……また出張入って潰れちゃうよ」
「萌江にでも回すよ」
そう言って西沙は笑った。
しかし、その時間が訪れることは、無いままだった…………。
☆
咲は雄滝湖の湖畔にいた。
遠くの山肌に夕陽が沈んでいく。
また、夜がやってこようとしていた。
湖を眺める恵麻の背中も影が濃い。咲がその背中に事の一部始終を報告すると、おもむろに恵麻が背中で返した。
「……そうか…………仕方のないことだな…………」
「しかし…………」
思わずそう応えながらも、咲にはその後の言葉が見付からない。
「陽麻からも話は聞いてる…………計画の立て直しが必要になるのだろう?」
「おそらく…………」
恵麻はそれからしばらく黙ったまま。
微かな波の音が聞こえるだけ。
そして、不思議なほどに恵麻は穏やかだった。
咲と西沙のやりとりが見えていなかったわけがない、と咲は思っていた。
総て恵麻は知っているはず。そう思った。
しかし恵麻はそれに関しては何も言わず、不思議なほどに寂しい表情を見せるだけ。
その恵麻がゆっくりと口を開いた。
「お前の娘二人を借り受ける事になる…………西沙は潰せ…………迷うな」
その恵麻の言葉に、咲は何かを覚悟したように声のトーンを落として返す。
「…………はい……」
その頭に、以前の萌江の言葉が蘇った。
〝……誰かを恨んでも……何かを見誤るだけ…………気を付けて…………〟
そして、辺りが闇に包まれていく。
「かなざくらの古屋敷」
~ 第十四部「憎悪の饗宴」終 ~
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