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第二四部「繭の影」第1話
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光が見えた
光のある時
そこには必ず影がある
見間違うな
影を生み出すのは光
光を生み出すのは影
☆
その街では一番の繁華街だろう。
平日の夜であっても常に人が行き交うような長い通り。
その広い道路を挟むように、歪な規則性を持って並ぶビル群。
時間としては二二時を過ぎた頃。
街の熱気は季節的な気温の変化だけではない。
すでに季節は春。
多くの生き物と同じように、人々もまた動き始めていた。
テナントビルの七階。
最上階。
ワンフロアの広いレストランバーがあった。
そして明らかにその存在は場違い。
いわゆるゴシックロリータというファッションは、決してドレスと言われるような物ではない。ヨーロッパのロココスタイルをベースとしたロリータファッションは日本で独自に形成されてきた文化だ。
その店はドレスコードを意識してもおかしくないような高級感のある店。もちろん客層も決して民度は低くない。
そんな店だからこそ、余計に西沙のゴスロリファッションは際立って見えた。
それでも僅かに店の雰囲気を意識したのか、今夜は歩きやすいローファーではない。低めだがヒールのサンダル。ピアスとネックレスの色も、いつもよりは明るい。全体的に黒い印象のゴスロリの中でそのワンポイントは際立った。とは言っても、最近の西沙のセンスが少しだけ変化してきているのは身近な人間たちなら気が付いてはいた。
その西沙が通り側の大きなガラスへ向かってヒールの音を響かせる。身長が低いせいもあるのか、性格を表すような大股での歩き方は変わらない。それに合わせて両腕も大きく前後に振る。
西沙が向かう先には、街の灯りを照らし出し、映し出す大きなガラス。天井から床までのそれは、さしずめ透明な壁。もしくは映画館のスクリーン。
そんな窓際の丸テーブルに一人で座る女性。
春用の薄手のコートを着たまま。
座面の高い椅子に座る、萌江の姿があった。
いつもより少し長くなってきた後ろ髪をコートの襟で包んだまま、相変わらず店の雰囲気などお構いなしなのか化粧は薄い。薄暗い店内の間接照明でも分かるほど。ハイネックのグレーのブーツが細い足には不釣り合いなほどに大きく見えた。
窓の外を見たままの萌江に、ヒールの音を止めた西沙の声が向けられる。
「来たよ。準備出来た」
すると、萌江は目の前のロックグラスに手を伸ばして返した。
「…………はいよ」
グラスを持ち上げると、氷が揺れる音が耳をくすぐる。同時に嗅覚に絡みつくブランデーの香り。
萌江はグラスの中身を一気に飲み干すと、立ち上がった。すでに背中を向けている西沙の背中に着いていく。まだ唇に触れた氷の冷たさを感じながら。
二人が向かったのは店の奥の個室。
ここは最近何度か仕事で使用している所だった。
〝蛇の会〟を解散して、西沙が再び始めたのはやはり〝心霊相談所〟。それでも以前と違うのは株式会社として登記したことだろう。株主は西沙と立坂、満田の三人。それ以外の社員は杏奈だけ。咲恵には未だ自分の店があり、相変わらず萌江はそのアルバイトという表向きだけの肩書きなのは変わらない。
現在は一連の裏の手続きは立坂が一手に引き受けていた。
西沙の相談所は以前と同じ場所に再び作られることになる。それは立坂がビルとの契約を続けていてくれたお陰だった。
このレストランバーも立坂の税理士事務所の顧客。
そして今夜ここを選んだのは地理的な理由。
こんな店を、西沙たちは何ヵ所か押さえていた。
曇りガラスになった個室のドアを開けると、そこには木目のテーブルが二つと、その向こうにテーブルを半分だけ囲むように設置されたソファーが並ぶ。ディナールームというよりはパーティールーム。
すぐに萌江の目に入ってきたのは、そのソファーに座り、大きく項垂れた女性の姿。膝の上で組んだ筋張った両手が僅かに震えていた。上品ではあったが決して派手な服ではない。その素材や色からも年齢が年配の女性であることが伺えるが、如実なのは白髪混じりの髪の毛だろう。明らかに分かる中途半端な白髪染め。僅かに手入れをしていた後も見えるが、ここ最近はあまり手間を掛けている感じではない。
その横に座る杏奈が顔を上げて口を開いた。
「お疲れ様です。こちらの方が────」
杏奈もやはり店の雰囲気に合うような服装ではない。相変わらずの動きやすいボーイッシュスタイル。それでも最近はボディラインの分かりやすい服装になってきたように萌江は感じていた。
その杏奈の声を、隣の震える声が遮る。
「────やめて…………やめて…………もういいから…………」
明らかに涙の混じるその声の女性を、萌江は黙って見下ろしていた。
──…………みつけた…………
その萌江の背後で、西沙が静かにドアを閉める。
女性の隣に座っていた杏奈は、ソファーの上で腰をスライドさせて場所を開けた。女性はそのことにすら気付いていない様子のまま体を震わせ続ける。
「…………私が…………私が悪いの……」
──……やっと見付けたよ…………御世………………
誰から見ても、女性はまともな状態ではない。
萌江は女性の左側に腰を降ろしていた。同時に首のネックレスを外し、左手に絡める。そこにはチェーンに下がった萌江の持つ水晶────〝火の玉〟。
「杏奈ちゃん、雫さんは? もう遡ってる?」
その萌江の言葉に、まるで分かっていたように杏奈は即答した。
「はい、先に」
「分かった…………」
──…………いけるか…………
「……私が…………」
女性が呟いた時、萌江は下を向いたままの女性の顔に掬い上げるように左手を当て、その頭を強引に押し上げた。そして右手で後頭部を支える。
「……顔くらい上げてよ……あなたのことを教えて」
少し強めにも感じる口調の萌江はそう言って目を閉じた。
女性の体はもう震えていない。顔は萌江の左手で覆われたまま。両手は力なくソファーの上に流れる。まるで意識を失ったかのように力を失っていた。
萌江の反対側に西沙が座る。女性の右手を左手で、右手は女性のお腹へ。
口を開いたのは萌江。
「……うん、聞いてた通りだね。私と同じ…………」
「……完全に自己催眠だ」
西沙の低い声が返る。
逆に萌江は声のトーンを僅かに上げた。
「そ、悪霊か呪いの類だと思ってる……最悪だ……」
「でも……嫌だな…………何か……」
西沙が言葉を濁すと、萌江は毅然と返す。
「そうだね。隠れてる部分がある…………西沙ならどこを突く?」
「娘」
「────だね。西沙、この人はウチで預かろう。咲さんに伝えて」
萌江は強い目を西沙に向けた。
西沙も強く視線を返す。
「分かった」
☆
室町幕府の時代。
文明一三年。
西暦にして一四八一年。
〝金櫻鈴京〟────スズと、青洲が姿を消して二年。
二人には三つ子がいた。
一人は楠維。
一人は世妃。
一人は羽妃。
齢は一二。
楠維と世妃は夫婦として清国会の頂点────雄滝神社の滝川の性を引き継ぐ。
羽妃は唯一、御陵院家の養子となった。
それは総て、スズ────〝金櫻鈴京〟の指示。
清国会の中で〝神〟と言われた鈴京の指示に、当然誰も疑問など持たなかった。持つことも許されなかった。
清国会の二番手である御陵院神社は〝神〟である〝金櫻家の血〟を手に入れた。
御陵院神社の当主である麻紀世は、実質的に清国会を手に入れたと言ってもいいだろう。
それでも雄滝神社を継いだ楠維と世妃はまだ幼い。成人するまではと御陵院家が雄滝神社を管理していた。
〝金櫻家の血〟を巡って謀反を働いた恵比寿神社の清国会に対する反発は依然激しく、世の中の騒乱が落ち着いていた時代にあっても清国会内部では各地で小競り合いが続いていた。まして金櫻鈴京が姿を消したという噂が広まると、その内乱に拍車が掛かる。どの神社も権力を欲していた。
雄滝神社は元々従者と言っても身の回りの世話をする程度の者達しかいなかった。その為、雄滝神社の警護は御陵院神社から帯刀した従者が常に十名程張り付くことになる。
そんな中にあっても、麻紀世は翌年には養子の羽妃に婿を取ろうと考えていた。もはや御陵院家の血などどうでもよかった。早くに次の〝金櫻家の血〟が欲しかった。御陵院家が金櫻家の血で満たされれば、いずれ御陵院家は〝神〟になれると考えた。
そして今は、まだ保険のようなもの。
しかし、そんな御陵院家の衰退を狙って恵比寿神社も動いていた。
その日、御陵院神社に出入りの薬問屋────粕谷隆法が訪れる。すでに地元では一番の薬問屋。その勢力は藩からも信頼を得ている程。これまでも御陵院神社へは定期的に訪れていた。
「此度は珍しき薬を明朝より仕入れました故、是非見て頂きたく…………」
粕谷は麻紀世の前に小さな壺を差し出す。それは明らかに大陸の装飾が施された物。
「明朝からと……何に効く薬だ⁉︎」
少し前のめりになる麻紀世に対し、粕谷は冷静を装って声色を落として応えた。
「滋養強壮に良く…………子種を多く残せるという逸品とか…………」
麻紀世は迷わなかった。
言われた通りに食後にその薬を羽妃に飲ませ、薬の半分は雄滝神社に送った。
しかしそれから二月もした頃から羽妃は体力を失い始め、しだいに床から起き上がるのも難しくなっていく。
麻紀世は毎日祭壇に向かった。
祈り続けた。
〝金櫻家の血〟を失う事は、自らの〝力〟と〝未来〟を失う事。
しかもまだ婿ですら迎え入れてはいない。
やがて楠維と世妃も体調を崩していく。
そんな頃、粕谷の悪い噂が聞こえ始めてきた。
そしてその粕谷が、夜、御陵院神社に呼び出される。
「……最近……恵比寿に出入りしているようだな…………」
麻紀世のその低い声に、微かに粕谷は体を後ろに下げていた。
不安気に座布団の端に目をやりながら、いつの間にか言葉が泳ぐ。
「……よもやそのような……御陵院様と……恵比寿の遠藤様との御噂は聞いておりました故…………」
麻紀世の耳に届いていた悪い噂。
それはかつて清国会に対して謀反を起こした恵比寿神社の遠藤家に、粕谷が出入りしているというものだった。
「噂? 諸大名同士の戰でもあるまいに……粕谷……なぜ御主が知っている…………」
清国会の内部事情は決して表に出ているものではない。
恵比寿神社の当主である遠藤重富とて、外部に内輪の揉め事を漏らすような事はしないはず。
麻紀世の声が空気を震わせた。
「…………買われたか…………隆法…………」
何も返さない粕谷に、麻紀世は背中を向けたまま。
「……いつから懐に刃物を忍ばせるようになった……?」
その声に、粕谷は僅かに右手を動かす。
麻紀世は祭壇に目を向けたまま。
そこには横にして置かれた刀。
その鞘を左手で握ると同時に、右手で柄を握っていた。
燭台の松明の灯りが刀の鍔に反射する。
体を翻した直後────麻紀世は粕谷に切りつけていた。
反射的に上げた腕を切られた粕谷は後ろに倒れながら血を飛び散らせる。
その粕谷の首筋に、麻紀世は迷う事なく刀の切先を突き刺していた。
「…………重富…………」
麻紀世は言葉を絞り出すと、何度も粕谷の体に刀を突き刺す。
やがて鮮血に染まった麻紀世の元に、一人の従者が駆け寄った。
それは雄滝神社に行かせていた従者の一人。その従者は息を切らせながらも当然目の前の光景に驚く。
「……麻紀世様…………」
「────何用だっ‼︎」
麻紀世の声が空気を止める。
従者は震える声を隠せないまま。
「…………楠維様と…………世妃様が…………」
それは、雄滝神社の楠維と世妃の死亡を告げるもの。
翌日、羽妃も亡くなる。
麻紀世は〝神の血〟を失った。
恵比寿神社の遠藤家への恨みを募らせながらも、清国会が〝金櫻家の血〟を失った事実が知れる事を恐れた。
雄滝神社と御陵院神社に同じ位の年齢の子供を養子とし、三人の死亡を隠蔽。三人共、情報の漏洩を恐れた麻紀世が貧しい家に大金を払っての強引な養子だった。
一度は死んだとの噂が流れた直後だけあって、その新たな噂はますます金櫻家の血筋の神格化を高めた。
そして麻紀世は清国会を存続させる為、自らの権力を真実にするため、密かに〝金櫻家の血〟を探し続けた。
☆
まだ年が明けてすぐ。
それでも二月の終わり。
すでに周囲に雪は無い。
日中ともなると春の香りを感じるような頃。
この日、西沙が来たのもそんな陽の高い時間だった。
御陵院神社には、定期的に西沙が訪れていた。清国会の状況の進捗確認と、萌江たちとの情報共有のため。
本殿、準祭壇前。
そこは本殿内の正面にある本祭壇の裏。二番手の祭壇と言っても決して小さい物ではない。
元々が憑き物専門という神社の特色のためか、その相談内容は多岐に渡る。祭壇によっても向き不向きというものがあるため、現在のような特殊な構造になっていた。
「内閣府の整理は終わりました。三月の年度末には〝裏七福神〟は正式に解体されます」
そう言って西沙に向けられた咲の表情は、晴れ晴れとしつつも疲労が見え隠れする。
「非公式な部署なのにこういう時は正式な手続きを踏むんだね。仕方ないか」
そう応えた西沙も疲れた表情をしていた。
年末から年明けにかけての〝蛇の会〟の解体と株式会社の設立。新しい相談所の開設。しかも相談所の仕事は想像以上に多忙を極めていた。
「内閣府的には正式な部署でしかありませんよ。世間に公表するかしないかは私たちしだいでしたから…………」
応えた咲の顔には寂しさも見える。
清国会のため、金櫻家のために国を動かし、内閣府を作り、その中に組織された専門の部署────総合統括事務次官。〝裏七福神〟と呼ばれた職員を含め、咲は自分で作ったその部署を自らの手で解体した。
「……反発は無かったの?」
その西沙の問いに、咲は小さく息を吐いてから応える。
「淡々としたものでした……行政らしいと言えばそれまでですが、職員各自の移動先もそれなりの所です。不満は無いものと考えています」
すると、その言葉に繋げたのは咲の隣の涼沙だった。
「雫さんがどうするか心配してたんだけどね……」
それに西沙が応える。
「まあ、現実問題として生活のこともあるしさ。だから雫さんはウチで責任を持つよ。せっかく株式会社に登記までしたんだしさ。まだ社員になるかどうかは迷ってるみたいだけど……」
「立坂さんならお金の流れはどうとでも出来るか」
すぐにそう返した涼沙の言葉を掬うのは咲。
「それに関しては私に口を挟む権利はありません。立坂さんにはここのお金に関しても上手く整理して頂きました…………これで西沙も晴れて元の家業に復帰ですね」
それに西沙は笑みを浮かべて返した。
「まあね。それもこれも立坂さんと満田さんのお陰だよ。前の相談所の場所を押さえててくれたのは驚いたけど」
「依頼はもう来ているんですか?」
「うん、もう何件か……どんな小さな依頼でも断るなって萌江が言うからさ」
「萌江様が……?」
「結局はいつも幽霊の仕業なんかじゃないし呪いも祟りも存在しないような依頼ばっかりなんだけどさ。大口の客でもないのに…………」
いかにも経営者のような口振り。
その西沙の疑問に挟まったのは涼沙だった。
「そんなに稼いで……まさか唯独神社に鳥居でも作る気かな」
「それは確かに〝まさか〟だね」
「萌江様が〝形のある物〟に固執するとも思えないけどね」
「それもそうだ」
すると、足音が聞こえた。
三人が同じタイミングで顔を向ける。
咲の夫であり、涼沙と西沙の父でもある祐也が珍しく祭壇前に顔を出した。
「予約のお客様が来たよ。例の緊急の…………」
その祐也の言葉に、すぐに咲が返す。
「分かりました。本祭壇にお願いします」
立ち上がった咲は西沙を見下ろして続けた。
「西沙、せっかくです。付き合っていきなさい」
「? んー……そうだね」
西沙のその返答に、咲は微かに口角を上げる。
西沙も口元に笑みを浮かべた。
理由が分からないままに、咲が西沙を引き止める。
西沙も分からないままにそれに応えた。
──……まあ、何かあるんだろうね…………
この時、西沙が感じたのはその程度だった。
本殿内で一番大きな祭壇、本祭壇に三人が移動する。
そこには座布団に正座する年配の女性。座布団に正座したまま背中を丸めて視線を落とし、体を小刻みに震わせていた。
──……あれ? …………この人…………
そう思った西沙の頭に、なぜか萌江の顔が浮かぶ。
──…………どこかで、会った?
咲が祭壇を背に腰を下ろす。その隣に涼沙が続く。
西沙は女性の斜め後ろ。だいぶ距離を空けて座った。
日差しの高い時間。
風は無かった。
本殿の板戸を開け放しているにも関わらず外の音は聞こえない。
静かだった。
小さく衣擦れの音だけ。
その空気を最初に揺らしたのは咲だった。
咲は両手を床に着き、深々と頭を下げ、言った。
「御陵院神社を治めております……咲と申します。隣は娘の涼沙……後ろにおりますのは末娘の西沙です」
涼沙も頭を下げる。
咲が頭を戻すと、続けて頭を上げた涼沙が咲の言葉を繋ぐ。
「……高柳操様ですね。御電話で簡単に御話は伺いましたが、今一度御相談の内容を御伺いしてもよろしいでしょうか」
咲も涼沙も落ち着いて見えた。
しかしなぜか西沙は落ち着かない。妙な胸騒ぎがしだいに大きくなってくるのを感じていた。
──……この光景…………見た…………
その女性────高柳操は、小さく、ゆっくりとした口調で応え始める。
「…………その……娘の……娘の優花のことなんですが……結婚して五年になります。もう三〇になりますが…………未だに子供が出来ません…………」
咲も涼沙も余計に口を挟んだりはしない。ただ子供が出来にくいというだけならここには来ないことが分かっているからだ。しかもここは憑き物専門の神社。
何かがあると判断するのも自然なこと。
操が続けた。
「病院でも免疫異常の可能性が高いとは言われましたが正確な原因は分からないと…………実は……そのことで…………古くからの呪いのようなものではないかと思いまして…………」
「そう思われるには何か…………」
すかさず返したのは涼沙。
操もすぐに応えた。
「私も同じなんです…………優花は養子です。私も子供を産めませんでした……遺伝の可能性も一つの病院では言われましたが……しかし……私の母も子供を産めない体なんです…………」
少しだけ、涼沙が間を開ける。
「……つまり…………」
「私も養子なんです」
操のその言葉に、涼沙は言葉を詰まらせた。
その隣で咲が小さく息を吐くが、それに気が付かないままに操が続ける。
「私も知りませんでした……優花のことを母に相談したら話してくれました…………母は自分がどうなのかは聞いたことがないそうですが…………ただ…………」
操が唾を飲み込む音が響く。
そしてその声が続いた。
「……高柳家に言い伝えられてることがあるそうで…………高柳家は、呪われているそうなのです…………」
それに涼沙が小さく。
「呪いですか……それは…………」
次の言葉に繋げられないままに、操。
「高柳家は元々武家だったそうなんですが……それ以上は教えてもらえませんでした…………」
すると、やっと咲が口を開いた。
「なるほど……そうでしたか…………」
咲は軽く顔を上げるように西沙に目を向け、続ける。
「西沙、あなたは何か」
「一つ確認なんだけど」
西沙はまるで待っていたかのようにすぐに返した。
そして、すでに何かを見ていた。
「高柳家はすでに血が絶たれてるってことなんでしょ? みんな養子なのに不思議とみんな妊娠出来ない……しかも〝呪い〟の話が昔から伝わっていた……でもすでに血が絶たれてるなら、どうして? 血が呪われていたとしたら、すでにその血は存在しないはず。誰が何を呪ってるっていうの?」
操は顔を上げない。
ずっと視線を下げたまま、誰の顔も見ようとはしない。
それでも構わずに西沙が続けた。
「今、不妊に悩む人が増えてるのは知ってる。というより、病院で正式に不妊治療を受ける人が増えたって結果でもあるんだよね。実際の数がいきなり爆発的に増えたわけじゃない。数字として統計に上乗せされるかどうかだけだよ。男性が原因の不妊が増えたってのも同じ。昔は男性に原因があるなんて誰も考えなかった時代があっただけ。いざ調べてみたら結構な割合だった……とは言っても、すでに分かってるだけで三世代か……しかも、もしかしたら次も養子になるかもしれない…………」
少し感情が際立ったことは西沙自身気が付いていた。
萌江のことがあったからだ。萌江の体も子供を作ることが出来ない。しかもそれが原因で一度結婚生活に失敗した過去は、咲恵だけでなく西沙と杏奈も聞いていた。
なぜか操の話を聞く前に萌江の顔が頭に浮かんでいた。しかし萌江を関わらせることには確かに抵抗があった。
──……でも…………これは萌江じゃなきゃダメだ…………
側から見ると追い詰めるような相変わらずの西沙の口調。しかし咲も涼沙も顔色一つ変えなかった。西沙の行動や言動には必ず意味があると信じていたからだ。
操が両手で顔を覆う。
その両手から声が漏れた。
「…………やめて……お願い……あの子は何も悪くない…………優花は何も悪くない…………」
嗚咽を含んだ泣き声が響く。
西沙が立ち上がった。
ゆっくりと歩き、操の隣で膝を着くと、その背中に手をかける。
「呪いでも……そうじゃなくても、そんなこと…………どうだっていい」
西沙のその言葉に、操が僅かに頭を上げた。
その操に、西沙の声が降り注ぐ。
「娘さんを救いたいのね。分かった」
西沙は目の前の咲に顔を向けた。
「この光景、昨日の夢で見た。言葉も全部覚えてる」
咲が口元に笑みを浮かべ、西沙の強い目が言葉を繋ぐ。
「〝これは……萌江と咲恵の案件だ〟」
西沙のその言葉に、咲が声を張った。
「西沙、これは御陵院神社から〝御陵院心霊相談所〟への正式な依頼です。お金なら幾らでも払います。高柳様を……お願いします」
☆
助けて下さい……萌江様…………
救わなくてはなりません
救わなくてはならない人々が
まだ………………
☆
およそ三ヶ月前。
年が明けたばかりの頃。
その夢の声は、御世。
しかし目覚めの嫌な印象ではなかった。
少なくとも、萌江はそう感じていた。
「かなざくらの古屋敷」
~ 第二四部「繭の影」第2話へつづく ~
光のある時
そこには必ず影がある
見間違うな
影を生み出すのは光
光を生み出すのは影
☆
その街では一番の繁華街だろう。
平日の夜であっても常に人が行き交うような長い通り。
その広い道路を挟むように、歪な規則性を持って並ぶビル群。
時間としては二二時を過ぎた頃。
街の熱気は季節的な気温の変化だけではない。
すでに季節は春。
多くの生き物と同じように、人々もまた動き始めていた。
テナントビルの七階。
最上階。
ワンフロアの広いレストランバーがあった。
そして明らかにその存在は場違い。
いわゆるゴシックロリータというファッションは、決してドレスと言われるような物ではない。ヨーロッパのロココスタイルをベースとしたロリータファッションは日本で独自に形成されてきた文化だ。
その店はドレスコードを意識してもおかしくないような高級感のある店。もちろん客層も決して民度は低くない。
そんな店だからこそ、余計に西沙のゴスロリファッションは際立って見えた。
それでも僅かに店の雰囲気を意識したのか、今夜は歩きやすいローファーではない。低めだがヒールのサンダル。ピアスとネックレスの色も、いつもよりは明るい。全体的に黒い印象のゴスロリの中でそのワンポイントは際立った。とは言っても、最近の西沙のセンスが少しだけ変化してきているのは身近な人間たちなら気が付いてはいた。
その西沙が通り側の大きなガラスへ向かってヒールの音を響かせる。身長が低いせいもあるのか、性格を表すような大股での歩き方は変わらない。それに合わせて両腕も大きく前後に振る。
西沙が向かう先には、街の灯りを照らし出し、映し出す大きなガラス。天井から床までのそれは、さしずめ透明な壁。もしくは映画館のスクリーン。
そんな窓際の丸テーブルに一人で座る女性。
春用の薄手のコートを着たまま。
座面の高い椅子に座る、萌江の姿があった。
いつもより少し長くなってきた後ろ髪をコートの襟で包んだまま、相変わらず店の雰囲気などお構いなしなのか化粧は薄い。薄暗い店内の間接照明でも分かるほど。ハイネックのグレーのブーツが細い足には不釣り合いなほどに大きく見えた。
窓の外を見たままの萌江に、ヒールの音を止めた西沙の声が向けられる。
「来たよ。準備出来た」
すると、萌江は目の前のロックグラスに手を伸ばして返した。
「…………はいよ」
グラスを持ち上げると、氷が揺れる音が耳をくすぐる。同時に嗅覚に絡みつくブランデーの香り。
萌江はグラスの中身を一気に飲み干すと、立ち上がった。すでに背中を向けている西沙の背中に着いていく。まだ唇に触れた氷の冷たさを感じながら。
二人が向かったのは店の奥の個室。
ここは最近何度か仕事で使用している所だった。
〝蛇の会〟を解散して、西沙が再び始めたのはやはり〝心霊相談所〟。それでも以前と違うのは株式会社として登記したことだろう。株主は西沙と立坂、満田の三人。それ以外の社員は杏奈だけ。咲恵には未だ自分の店があり、相変わらず萌江はそのアルバイトという表向きだけの肩書きなのは変わらない。
現在は一連の裏の手続きは立坂が一手に引き受けていた。
西沙の相談所は以前と同じ場所に再び作られることになる。それは立坂がビルとの契約を続けていてくれたお陰だった。
このレストランバーも立坂の税理士事務所の顧客。
そして今夜ここを選んだのは地理的な理由。
こんな店を、西沙たちは何ヵ所か押さえていた。
曇りガラスになった個室のドアを開けると、そこには木目のテーブルが二つと、その向こうにテーブルを半分だけ囲むように設置されたソファーが並ぶ。ディナールームというよりはパーティールーム。
すぐに萌江の目に入ってきたのは、そのソファーに座り、大きく項垂れた女性の姿。膝の上で組んだ筋張った両手が僅かに震えていた。上品ではあったが決して派手な服ではない。その素材や色からも年齢が年配の女性であることが伺えるが、如実なのは白髪混じりの髪の毛だろう。明らかに分かる中途半端な白髪染め。僅かに手入れをしていた後も見えるが、ここ最近はあまり手間を掛けている感じではない。
その横に座る杏奈が顔を上げて口を開いた。
「お疲れ様です。こちらの方が────」
杏奈もやはり店の雰囲気に合うような服装ではない。相変わらずの動きやすいボーイッシュスタイル。それでも最近はボディラインの分かりやすい服装になってきたように萌江は感じていた。
その杏奈の声を、隣の震える声が遮る。
「────やめて…………やめて…………もういいから…………」
明らかに涙の混じるその声の女性を、萌江は黙って見下ろしていた。
──…………みつけた…………
その萌江の背後で、西沙が静かにドアを閉める。
女性の隣に座っていた杏奈は、ソファーの上で腰をスライドさせて場所を開けた。女性はそのことにすら気付いていない様子のまま体を震わせ続ける。
「…………私が…………私が悪いの……」
──……やっと見付けたよ…………御世………………
誰から見ても、女性はまともな状態ではない。
萌江は女性の左側に腰を降ろしていた。同時に首のネックレスを外し、左手に絡める。そこにはチェーンに下がった萌江の持つ水晶────〝火の玉〟。
「杏奈ちゃん、雫さんは? もう遡ってる?」
その萌江の言葉に、まるで分かっていたように杏奈は即答した。
「はい、先に」
「分かった…………」
──…………いけるか…………
「……私が…………」
女性が呟いた時、萌江は下を向いたままの女性の顔に掬い上げるように左手を当て、その頭を強引に押し上げた。そして右手で後頭部を支える。
「……顔くらい上げてよ……あなたのことを教えて」
少し強めにも感じる口調の萌江はそう言って目を閉じた。
女性の体はもう震えていない。顔は萌江の左手で覆われたまま。両手は力なくソファーの上に流れる。まるで意識を失ったかのように力を失っていた。
萌江の反対側に西沙が座る。女性の右手を左手で、右手は女性のお腹へ。
口を開いたのは萌江。
「……うん、聞いてた通りだね。私と同じ…………」
「……完全に自己催眠だ」
西沙の低い声が返る。
逆に萌江は声のトーンを僅かに上げた。
「そ、悪霊か呪いの類だと思ってる……最悪だ……」
「でも……嫌だな…………何か……」
西沙が言葉を濁すと、萌江は毅然と返す。
「そうだね。隠れてる部分がある…………西沙ならどこを突く?」
「娘」
「────だね。西沙、この人はウチで預かろう。咲さんに伝えて」
萌江は強い目を西沙に向けた。
西沙も強く視線を返す。
「分かった」
☆
室町幕府の時代。
文明一三年。
西暦にして一四八一年。
〝金櫻鈴京〟────スズと、青洲が姿を消して二年。
二人には三つ子がいた。
一人は楠維。
一人は世妃。
一人は羽妃。
齢は一二。
楠維と世妃は夫婦として清国会の頂点────雄滝神社の滝川の性を引き継ぐ。
羽妃は唯一、御陵院家の養子となった。
それは総て、スズ────〝金櫻鈴京〟の指示。
清国会の中で〝神〟と言われた鈴京の指示に、当然誰も疑問など持たなかった。持つことも許されなかった。
清国会の二番手である御陵院神社は〝神〟である〝金櫻家の血〟を手に入れた。
御陵院神社の当主である麻紀世は、実質的に清国会を手に入れたと言ってもいいだろう。
それでも雄滝神社を継いだ楠維と世妃はまだ幼い。成人するまではと御陵院家が雄滝神社を管理していた。
〝金櫻家の血〟を巡って謀反を働いた恵比寿神社の清国会に対する反発は依然激しく、世の中の騒乱が落ち着いていた時代にあっても清国会内部では各地で小競り合いが続いていた。まして金櫻鈴京が姿を消したという噂が広まると、その内乱に拍車が掛かる。どの神社も権力を欲していた。
雄滝神社は元々従者と言っても身の回りの世話をする程度の者達しかいなかった。その為、雄滝神社の警護は御陵院神社から帯刀した従者が常に十名程張り付くことになる。
そんな中にあっても、麻紀世は翌年には養子の羽妃に婿を取ろうと考えていた。もはや御陵院家の血などどうでもよかった。早くに次の〝金櫻家の血〟が欲しかった。御陵院家が金櫻家の血で満たされれば、いずれ御陵院家は〝神〟になれると考えた。
そして今は、まだ保険のようなもの。
しかし、そんな御陵院家の衰退を狙って恵比寿神社も動いていた。
その日、御陵院神社に出入りの薬問屋────粕谷隆法が訪れる。すでに地元では一番の薬問屋。その勢力は藩からも信頼を得ている程。これまでも御陵院神社へは定期的に訪れていた。
「此度は珍しき薬を明朝より仕入れました故、是非見て頂きたく…………」
粕谷は麻紀世の前に小さな壺を差し出す。それは明らかに大陸の装飾が施された物。
「明朝からと……何に効く薬だ⁉︎」
少し前のめりになる麻紀世に対し、粕谷は冷静を装って声色を落として応えた。
「滋養強壮に良く…………子種を多く残せるという逸品とか…………」
麻紀世は迷わなかった。
言われた通りに食後にその薬を羽妃に飲ませ、薬の半分は雄滝神社に送った。
しかしそれから二月もした頃から羽妃は体力を失い始め、しだいに床から起き上がるのも難しくなっていく。
麻紀世は毎日祭壇に向かった。
祈り続けた。
〝金櫻家の血〟を失う事は、自らの〝力〟と〝未来〟を失う事。
しかもまだ婿ですら迎え入れてはいない。
やがて楠維と世妃も体調を崩していく。
そんな頃、粕谷の悪い噂が聞こえ始めてきた。
そしてその粕谷が、夜、御陵院神社に呼び出される。
「……最近……恵比寿に出入りしているようだな…………」
麻紀世のその低い声に、微かに粕谷は体を後ろに下げていた。
不安気に座布団の端に目をやりながら、いつの間にか言葉が泳ぐ。
「……よもやそのような……御陵院様と……恵比寿の遠藤様との御噂は聞いておりました故…………」
麻紀世の耳に届いていた悪い噂。
それはかつて清国会に対して謀反を起こした恵比寿神社の遠藤家に、粕谷が出入りしているというものだった。
「噂? 諸大名同士の戰でもあるまいに……粕谷……なぜ御主が知っている…………」
清国会の内部事情は決して表に出ているものではない。
恵比寿神社の当主である遠藤重富とて、外部に内輪の揉め事を漏らすような事はしないはず。
麻紀世の声が空気を震わせた。
「…………買われたか…………隆法…………」
何も返さない粕谷に、麻紀世は背中を向けたまま。
「……いつから懐に刃物を忍ばせるようになった……?」
その声に、粕谷は僅かに右手を動かす。
麻紀世は祭壇に目を向けたまま。
そこには横にして置かれた刀。
その鞘を左手で握ると同時に、右手で柄を握っていた。
燭台の松明の灯りが刀の鍔に反射する。
体を翻した直後────麻紀世は粕谷に切りつけていた。
反射的に上げた腕を切られた粕谷は後ろに倒れながら血を飛び散らせる。
その粕谷の首筋に、麻紀世は迷う事なく刀の切先を突き刺していた。
「…………重富…………」
麻紀世は言葉を絞り出すと、何度も粕谷の体に刀を突き刺す。
やがて鮮血に染まった麻紀世の元に、一人の従者が駆け寄った。
それは雄滝神社に行かせていた従者の一人。その従者は息を切らせながらも当然目の前の光景に驚く。
「……麻紀世様…………」
「────何用だっ‼︎」
麻紀世の声が空気を止める。
従者は震える声を隠せないまま。
「…………楠維様と…………世妃様が…………」
それは、雄滝神社の楠維と世妃の死亡を告げるもの。
翌日、羽妃も亡くなる。
麻紀世は〝神の血〟を失った。
恵比寿神社の遠藤家への恨みを募らせながらも、清国会が〝金櫻家の血〟を失った事実が知れる事を恐れた。
雄滝神社と御陵院神社に同じ位の年齢の子供を養子とし、三人の死亡を隠蔽。三人共、情報の漏洩を恐れた麻紀世が貧しい家に大金を払っての強引な養子だった。
一度は死んだとの噂が流れた直後だけあって、その新たな噂はますます金櫻家の血筋の神格化を高めた。
そして麻紀世は清国会を存続させる為、自らの権力を真実にするため、密かに〝金櫻家の血〟を探し続けた。
☆
まだ年が明けてすぐ。
それでも二月の終わり。
すでに周囲に雪は無い。
日中ともなると春の香りを感じるような頃。
この日、西沙が来たのもそんな陽の高い時間だった。
御陵院神社には、定期的に西沙が訪れていた。清国会の状況の進捗確認と、萌江たちとの情報共有のため。
本殿、準祭壇前。
そこは本殿内の正面にある本祭壇の裏。二番手の祭壇と言っても決して小さい物ではない。
元々が憑き物専門という神社の特色のためか、その相談内容は多岐に渡る。祭壇によっても向き不向きというものがあるため、現在のような特殊な構造になっていた。
「内閣府の整理は終わりました。三月の年度末には〝裏七福神〟は正式に解体されます」
そう言って西沙に向けられた咲の表情は、晴れ晴れとしつつも疲労が見え隠れする。
「非公式な部署なのにこういう時は正式な手続きを踏むんだね。仕方ないか」
そう応えた西沙も疲れた表情をしていた。
年末から年明けにかけての〝蛇の会〟の解体と株式会社の設立。新しい相談所の開設。しかも相談所の仕事は想像以上に多忙を極めていた。
「内閣府的には正式な部署でしかありませんよ。世間に公表するかしないかは私たちしだいでしたから…………」
応えた咲の顔には寂しさも見える。
清国会のため、金櫻家のために国を動かし、内閣府を作り、その中に組織された専門の部署────総合統括事務次官。〝裏七福神〟と呼ばれた職員を含め、咲は自分で作ったその部署を自らの手で解体した。
「……反発は無かったの?」
その西沙の問いに、咲は小さく息を吐いてから応える。
「淡々としたものでした……行政らしいと言えばそれまでですが、職員各自の移動先もそれなりの所です。不満は無いものと考えています」
すると、その言葉に繋げたのは咲の隣の涼沙だった。
「雫さんがどうするか心配してたんだけどね……」
それに西沙が応える。
「まあ、現実問題として生活のこともあるしさ。だから雫さんはウチで責任を持つよ。せっかく株式会社に登記までしたんだしさ。まだ社員になるかどうかは迷ってるみたいだけど……」
「立坂さんならお金の流れはどうとでも出来るか」
すぐにそう返した涼沙の言葉を掬うのは咲。
「それに関しては私に口を挟む権利はありません。立坂さんにはここのお金に関しても上手く整理して頂きました…………これで西沙も晴れて元の家業に復帰ですね」
それに西沙は笑みを浮かべて返した。
「まあね。それもこれも立坂さんと満田さんのお陰だよ。前の相談所の場所を押さえててくれたのは驚いたけど」
「依頼はもう来ているんですか?」
「うん、もう何件か……どんな小さな依頼でも断るなって萌江が言うからさ」
「萌江様が……?」
「結局はいつも幽霊の仕業なんかじゃないし呪いも祟りも存在しないような依頼ばっかりなんだけどさ。大口の客でもないのに…………」
いかにも経営者のような口振り。
その西沙の疑問に挟まったのは涼沙だった。
「そんなに稼いで……まさか唯独神社に鳥居でも作る気かな」
「それは確かに〝まさか〟だね」
「萌江様が〝形のある物〟に固執するとも思えないけどね」
「それもそうだ」
すると、足音が聞こえた。
三人が同じタイミングで顔を向ける。
咲の夫であり、涼沙と西沙の父でもある祐也が珍しく祭壇前に顔を出した。
「予約のお客様が来たよ。例の緊急の…………」
その祐也の言葉に、すぐに咲が返す。
「分かりました。本祭壇にお願いします」
立ち上がった咲は西沙を見下ろして続けた。
「西沙、せっかくです。付き合っていきなさい」
「? んー……そうだね」
西沙のその返答に、咲は微かに口角を上げる。
西沙も口元に笑みを浮かべた。
理由が分からないままに、咲が西沙を引き止める。
西沙も分からないままにそれに応えた。
──……まあ、何かあるんだろうね…………
この時、西沙が感じたのはその程度だった。
本殿内で一番大きな祭壇、本祭壇に三人が移動する。
そこには座布団に正座する年配の女性。座布団に正座したまま背中を丸めて視線を落とし、体を小刻みに震わせていた。
──……あれ? …………この人…………
そう思った西沙の頭に、なぜか萌江の顔が浮かぶ。
──…………どこかで、会った?
咲が祭壇を背に腰を下ろす。その隣に涼沙が続く。
西沙は女性の斜め後ろ。だいぶ距離を空けて座った。
日差しの高い時間。
風は無かった。
本殿の板戸を開け放しているにも関わらず外の音は聞こえない。
静かだった。
小さく衣擦れの音だけ。
その空気を最初に揺らしたのは咲だった。
咲は両手を床に着き、深々と頭を下げ、言った。
「御陵院神社を治めております……咲と申します。隣は娘の涼沙……後ろにおりますのは末娘の西沙です」
涼沙も頭を下げる。
咲が頭を戻すと、続けて頭を上げた涼沙が咲の言葉を繋ぐ。
「……高柳操様ですね。御電話で簡単に御話は伺いましたが、今一度御相談の内容を御伺いしてもよろしいでしょうか」
咲も涼沙も落ち着いて見えた。
しかしなぜか西沙は落ち着かない。妙な胸騒ぎがしだいに大きくなってくるのを感じていた。
──……この光景…………見た…………
その女性────高柳操は、小さく、ゆっくりとした口調で応え始める。
「…………その……娘の……娘の優花のことなんですが……結婚して五年になります。もう三〇になりますが…………未だに子供が出来ません…………」
咲も涼沙も余計に口を挟んだりはしない。ただ子供が出来にくいというだけならここには来ないことが分かっているからだ。しかもここは憑き物専門の神社。
何かがあると判断するのも自然なこと。
操が続けた。
「病院でも免疫異常の可能性が高いとは言われましたが正確な原因は分からないと…………実は……そのことで…………古くからの呪いのようなものではないかと思いまして…………」
「そう思われるには何か…………」
すかさず返したのは涼沙。
操もすぐに応えた。
「私も同じなんです…………優花は養子です。私も子供を産めませんでした……遺伝の可能性も一つの病院では言われましたが……しかし……私の母も子供を産めない体なんです…………」
少しだけ、涼沙が間を開ける。
「……つまり…………」
「私も養子なんです」
操のその言葉に、涼沙は言葉を詰まらせた。
その隣で咲が小さく息を吐くが、それに気が付かないままに操が続ける。
「私も知りませんでした……優花のことを母に相談したら話してくれました…………母は自分がどうなのかは聞いたことがないそうですが…………ただ…………」
操が唾を飲み込む音が響く。
そしてその声が続いた。
「……高柳家に言い伝えられてることがあるそうで…………高柳家は、呪われているそうなのです…………」
それに涼沙が小さく。
「呪いですか……それは…………」
次の言葉に繋げられないままに、操。
「高柳家は元々武家だったそうなんですが……それ以上は教えてもらえませんでした…………」
すると、やっと咲が口を開いた。
「なるほど……そうでしたか…………」
咲は軽く顔を上げるように西沙に目を向け、続ける。
「西沙、あなたは何か」
「一つ確認なんだけど」
西沙はまるで待っていたかのようにすぐに返した。
そして、すでに何かを見ていた。
「高柳家はすでに血が絶たれてるってことなんでしょ? みんな養子なのに不思議とみんな妊娠出来ない……しかも〝呪い〟の話が昔から伝わっていた……でもすでに血が絶たれてるなら、どうして? 血が呪われていたとしたら、すでにその血は存在しないはず。誰が何を呪ってるっていうの?」
操は顔を上げない。
ずっと視線を下げたまま、誰の顔も見ようとはしない。
それでも構わずに西沙が続けた。
「今、不妊に悩む人が増えてるのは知ってる。というより、病院で正式に不妊治療を受ける人が増えたって結果でもあるんだよね。実際の数がいきなり爆発的に増えたわけじゃない。数字として統計に上乗せされるかどうかだけだよ。男性が原因の不妊が増えたってのも同じ。昔は男性に原因があるなんて誰も考えなかった時代があっただけ。いざ調べてみたら結構な割合だった……とは言っても、すでに分かってるだけで三世代か……しかも、もしかしたら次も養子になるかもしれない…………」
少し感情が際立ったことは西沙自身気が付いていた。
萌江のことがあったからだ。萌江の体も子供を作ることが出来ない。しかもそれが原因で一度結婚生活に失敗した過去は、咲恵だけでなく西沙と杏奈も聞いていた。
なぜか操の話を聞く前に萌江の顔が頭に浮かんでいた。しかし萌江を関わらせることには確かに抵抗があった。
──……でも…………これは萌江じゃなきゃダメだ…………
側から見ると追い詰めるような相変わらずの西沙の口調。しかし咲も涼沙も顔色一つ変えなかった。西沙の行動や言動には必ず意味があると信じていたからだ。
操が両手で顔を覆う。
その両手から声が漏れた。
「…………やめて……お願い……あの子は何も悪くない…………優花は何も悪くない…………」
嗚咽を含んだ泣き声が響く。
西沙が立ち上がった。
ゆっくりと歩き、操の隣で膝を着くと、その背中に手をかける。
「呪いでも……そうじゃなくても、そんなこと…………どうだっていい」
西沙のその言葉に、操が僅かに頭を上げた。
その操に、西沙の声が降り注ぐ。
「娘さんを救いたいのね。分かった」
西沙は目の前の咲に顔を向けた。
「この光景、昨日の夢で見た。言葉も全部覚えてる」
咲が口元に笑みを浮かべ、西沙の強い目が言葉を繋ぐ。
「〝これは……萌江と咲恵の案件だ〟」
西沙のその言葉に、咲が声を張った。
「西沙、これは御陵院神社から〝御陵院心霊相談所〟への正式な依頼です。お金なら幾らでも払います。高柳様を……お願いします」
☆
助けて下さい……萌江様…………
救わなくてはなりません
救わなくてはならない人々が
まだ………………
☆
およそ三ヶ月前。
年が明けたばかりの頃。
その夢の声は、御世。
しかし目覚めの嫌な印象ではなかった。
少なくとも、萌江はそう感じていた。
「かなざくらの古屋敷」
~ 第二四部「繭の影」第2話へつづく ~
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