無月夜噺

猫又 十夜

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伍夜

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ナホが 珍しく発熱で会社を休んだ日のことだった。

非通知の着信が入った。

間もなく昼になる位の時間。
熱のせいで熟睡していたのを起こされた。

「このヤロー!!!って ブチ切れたわ」


無言で 電話を取ると
相手は
「あ~?ナホ?久しぶり~~っ♪元気ぃ?」
と 言った。

まるで旧知の友かのような馴れ馴れしさだった。

けれど その声は 連日 聞き続けた あのカオリンの声だ。

「わたしぃ 最近引越ししたんだ~。
新居お知らせハガキ出そうと思ったんだけど。
うふふ。
ナホの苗字忘れちゃって~。

ナホって苗字って なんだっけぇ?」



この茶番は 一体なんなのだろう?

わざと?

それとも 本気で 気付かないとでも思って
友達のフリをしてるのだろうか?

「カオリちゃん。

あんたの苗字は

アイザワだったわね。」

ハッタリだった。

とりあえず あ行の苗字で思い付くのを拾った。

吐き出すように低い声で
抑揚を付けずに言った。

ガチャ、ガチャ、ガチャン

と 慌てるように電話は切れた。

そして

苗字を聞く電話は 
それっきり かかって来なかった。





カオリンの苗字が 本当にアイザワだったかどうかは
今だにわからないし
知る術もない。

その後
ナホと彼はすぐに籍を入れた為
ナホの苗字も変わった。




ところでこの話には
後日談がある。

ナホと私が
久しぶりに呑んだ帰り。

二人は、いつまでも喋りながら
地下鉄のホームに下りた。

ホームに下りると
ちょっと異様な風体の女性が 
独り言をずっとエンドレスで呟き続けていた。

ナホもアタシも
一瞬おしゃべりの声を潜め
足早に彼女のワキを擦り抜けた。

「!」

アタシもナホも
声に出さず見つめあった。

アタシ達は頷くと
扉が閉まる直前の
逆コースの電車に
二人して飛び乗った。

異様な風体の女を 
ホームに残したまま
車窓の風景は 暗闇へと姿を変えた。


女は 
「苗字さえ わかれば
 苗字さえ わかれば
 苗字さえ わかれば
 苗字さえ わかれば」


と 呟き続けていた。
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