上 下
35 / 38
四章

口喧嘩と狩り 1

しおりを挟む
 女の子にしては喋り方が多少乱暴だとは思っていた。まさかライツが少年だとは思わなかったトゥーラは怒りに任せて喚き散らしていた。ライツもむきになってそんなトゥーラにいちいち言い返す。閑散とした通行人の少ない道ではあるが、たまに通りかかる人が何事かと二人を不思議そうに見ては過ぎる。だがトゥーラの目にはそんな通行人の好奇の視線はまったく入っていなかった。

「最低ねっ。男の癖にベッドに入ってくるなんて!」
「待ってよ! あれはトゥーラが無理やり僕を引っ張り込んだんだろ!?」

 いつの間にかライツはトゥーラを呼び捨てにしていた。だがそんなことがまるで気にならないくらいにトゥーラは怒っていた。同時に強い恥ずかしさと嫌悪がこみ上げる。

「言いがかりはよしてちょうだい! 男だと知っていたら誘ったりなんかしなかったわ!」
「ほら! やっぱりそうだ! 自分から誘ったって認めてるじゃないか! 矛盾してるんだよっ」

 煩いわね、と喚いてからトゥーラは意識してライツから離れた。道の端に寄って近づくなとライツに忠告する。ライツもトゥーラに負けじと誰が近づくもんか、と舌を出す。さっきまでは可憐な花のようにも思えたライツの表情は、今は小憎らしいとしか思えない。

 昨日の夜に落ち込んで泣いたのが急に馬鹿馬鹿しくなってくる。トゥーラは道の真ん中を歩いていたライツを睨みつけた。

「もっと離れなさいよ!」
「なに、その偉そうな態度は」

 嫌そうに顔をしかめつつも何故かライツは素直に道の反対側に寄った。トゥーラは満足をこめて頷いてからふと違和感に気付いた。ライツは大声で口喧嘩の応戦はしているのだが、無遠慮に近づいたり、ましてやつかみかかったりはしない。勿論、何らかの魔術を用いてトゥーラを痛めつけようという意図もないらしい。ライツの魔力は流れが落ち着いている。

 トゥーラは怒鳴るのを止めて口をつぐんだ。不自然に道の端と端に離れて歩きながらトゥーラはちらりとライツを横目に見た。ライツはふて腐れて唇を尖らせている。

 考えてみれば妙な話だ。これまでどれほど苛められても相手を無視してきたのに、何故ライツを相手にすると苛立ちや怒りを直にぶつけたくなるのだろう。感情を隠さずに怒鳴りあっていたからなのか、怒りはあっても気分は不思議と悪くない。トゥーラは眉間に深く皺を刻んでため息を吐いた。

「喧嘩、なのかしら。今の」
「他の何だって言うのさ。全く口の減らない女だね、トゥーラは」

 どっちが、と憎まれ口を叩いてからトゥーラは少しだけ笑った。

「そういえば喧嘩なんてもうずっとしてなかったわ」

 幼い頃は友達と時には喧嘩をしていたような気がする。原因は些細なことが多かったが、感情を剥き出しにして相手と言い合いをすることも少なくなかった。喧嘩の後の仲直りが妙に気恥ずかしかったことを覚えている。

 個を殺して駒の一つに徹するためにこれまでずっと学んできた。それと同時に他人を避けていたために、トゥーラは喧嘩らしいものをしなくなった。苛めにしても一方的に相手が突っかかってくるだけで、トゥーラはそんな誰かのことをきっぱりと無視していた。

「ふうん。僕は師匠ともよく喧嘩するけど」

 相変わらずトゥーラの言った通りに道の端を歩きながらライツが言う。確かにあの男相手なら喧嘩くらいにはなりそうかも、とトゥーラは思ったままの感想を口にした。するとライツもそうなんだよ、と少しだけ表情を緩める。

「師匠はとにかく女癖が悪いんだよ。弟子に手を出さないだけましだけど、何人の女性と関係してるんだか」

 どうやら何事かを思い出したらしい。疲れた顔でライツがため息を吐く。なるほど、とトゥーラは複雑な表情で頷いた。道理で、と呟いてしまってから慌てて口を手で覆い隠す。だがライツはさして気にも留めなかったのだろう。横目にトゥーラを眺めるだけで話を続けた。

「うちの塔の入門しょっぱなの講義なんて趣味丸出しだもん。淫魔作成術だよ? 信じられる?」

 力なく笑いながらライツが言った事にトゥーラは目を見張った。話には聞いたことがある。非常に複雑な魔術のため、使える人間は数少ないという。基本的には攻撃魔術しか教えないゼクーの塔では誰も知らない魔術だ。

 淫魔には人の性的な欲求を吸収するという性質があるという。いつだったか話に聞いたことを思い出してトゥーラは身震いした。

「なんて汚らわしい」
「……何となく判ってたけど、トゥーラって性的なことで過去に特に嫌な目にあったりしてるでしょ。あぁ、この間のもそうなのか」

 指摘された途端、忌まわしい記憶がトゥーラの脳裏に蘇った。今なら両親の行為にどういう意味があったのかが判る。だが判ったとしても受けた衝撃は消える訳ではない。

「ああ、いいから、別に言わなくても。でもね、淫魔作成術というか、使い魔作成術を初期に教えるというのは実は理にかなっている面もあるんだ」

 苦悶の表情を浮かべていたトゥーラにさらりと断りを入れてライツは頷いた。過去に受けた衝撃について説明すべきなのかどうか迷っていたトゥーラはそのことにほっと息を吐いた。だがライツの言った理にかなっているという意味が判らない。魔術について何も知らない入門したての者にそんなことを教えても無意味なのではないか。
しおりを挟む

処理中です...