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第一章

2-9 そして旅は再開された

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 ――俺は今、正座している。
 最前線で矢と魔法の雨を受けながらも脱出した俺は、体の数カ所に傷を負ったが、生き延びることに成功していた。
 そして喜ぶ同僚に迎え入れられ……となるはずだったのだが、誰もが口を閉じたまま、目だけを向けている。
 口を開くことが許されているのは、この場にただ一人だけだった。
 俺に回復魔法をかけながら、額に青筋を、顔に笑みを浮かべている少女が言う。

「仲間だ、って言ったわよね? 一緒に戦おうって約束したわよね? あれあれあれ? おかしいわねぇ? どうしてラックスさんだけ傷だらけで、コブリンと戦っていたのかしら?」
「あの」
「誰が口を開いていいと言ったの?」
「……」

 すんげぇガチギレですよ。勇者様がここまで怒ったのは本当に初めて見た。
 当分終わらなさそうなので『恐怖レベル』というものを、自分の中で設定してみよう。

 陛下の前に跪いたときが5。
 ベーヴェに殺されかけたときは8。
 オルベリアに右目抉るぞ宣言されたのが10。
 ……そして今は100くらいだ。オルベリアの十倍怖い。

 せめてその理由を述べさせてもらいたいのだが、勇者様は最初に「許可なく話すことを禁じるわ」と、満面の笑みで言っていた。思えばあの時点で手遅れだったのだろう。
 正座させられたまま治療と説教を受ける。普通は無さそうなシチュエーションで俯いていると、咳払いをした人物がいた。兵士長だ。

「勇者様」
「ごめんなさい、兵士長さん。今、わたしの仲間に治療を施しつつ話をしているので、その後でもいいかしら?」

 兵士長と目が合う。俺はウインクをして、お願い助けてと合図を送った。
 無事に伝わったのだろう。兵士長はウインクがうまくできないらしく、片目をギリギリ閉じているような、まるで怒った顔で答えてくれた。

「では、自分は事後処理もありますので。また後程!」
「えぇ、ごめんなさいね、兵士長さん」
「兵士長!?」
「ラックスさん」
「はい、黙ります」

 戦況が不利と察したのか、兵士長はあっさりと諦め、仕事に戻って行った。ひどいよね?
 ……いやぁ、勇者様が心配してくれていたのは分かるんだ。
 でも、俺にも理由があるわけでね? それくらいは言わせてもらいたいのだが、怒っているから素直に叱られておくべきかな、とも思う。

 まぁ見た感じ、勇者様が元気になっているからいいか。少し休んだだけで、失った魔力もだいぶ補充できたようだ。
 良かった良かったと思ってたら、勇者様がさらに怒り出した。

「わたしは怒っているのに、どうしてニヘラと笑ってるの!? しかもなぜか、わたしを見て嬉しそうに!」
「……」

 答えることが許されていないため、俯いてペコペコと頭を下げる。
 勇者様は頭を抱えて呻き声を上げた。

「どうして叱られた大型犬みたいになっているのよ! その頭をもしゃもしゃしてほしいの!? というか、していいかしら!?」

 話の主題がずれているようなので、首を横に振る。だが勇者様は躊躇わず、自分の少しだけ丸まっている癖のある髪を、もしゃもしゃと撫でまわしていた。
 羊の毛はもっと柔らかいのかしら、などとよく分からないことを述べつつ、勇者様は恍惚とした表情を浮かべる。今しかないだろう。

 機を得たと判断して、俺は勇者様に言ってやった。

「すみませんでした。ごめんなさい」
「……はっ! そ、そうね。わたしも言い過ぎたわ。倒れていたし、心配してくれていたのよね。本当は分かっていたんだけど、どうしても腹が立ってしまったのよ。ごめんなさい」

 先ほどまでの剣呑な空気が消え、少し気まずい感じになる。
 だが、互いを思っての行動だ。落ち着けばこんなものだろう。
 目が合えば、自分も勇者様も笑みを浮かべる。徐々に仲間らしくなれているかな、と思えた。

「それに、ラックスさんは約束を守ってくれたものね」
「はい、もちろんです。……はい、もちろんです」
「どうして二度言ったの?」
「特に意味はありません」

 うまく誤魔化しているが、内心では焦っていた。……約束ってなんだ!?
 今の言い方からして、あなたを守る、と約束したことではないだろう。

 では、一体なんのことを差しているのか? ニコニコと笑いながら、頭を悩ませる。
 完全に機嫌が直った勇者様は、うふふと笑いながら言う。

「いつかまた共に旅を、なんて遺言みたいなことを残したから、我慢できずに怒っちゃったのよね。でも怪我の感じから、多少は治療に時間がかかっても、すぐに合流するつもりだったと分かったわ。もう、わたしったらそそっかしいわね」

 すみません、勇者様。自分としては、もし死んで生まれ変わったとしても、またあなたと共に旅を、というつもりで言いました。完全に遺言です。
 しかし、勇者様が気付いていないのならいいだろう! ……などと思える性格ならば良かったのだが、残念ながらそうではない。
 流れるように両手を地面につけ、スレスレまで額を近づけた。

「申し訳ありません、勇者様!」
「え? ラ、ラックスさん?」
「完全に! 遺言のつもりでした! 生きて帰るつもりではありましたが! 可能性は低かったと判断しておりました! まっこっとっにっ! 申し訳ありません!」

 この手のことで嘘を吐くのは良くない。だからこそ、素直に謝罪をした。
 そして、誠意とは通じるものだ。恐る恐る顔を上げると、勇者様がぷるぷると震えていた。通じなかった気がする。

「ラックスさんの……」
「申し訳ない! 誠に申し訳ない!」
「バカアアアアアアアアアアアア!」
「ふごああああああああああああ!?」

 炎の球が見事な爆発を見せ、体が宙を舞う。
やりましたね、勇者様。早々と中級魔法である《フレイムバースト》を取得したようではないですか。
 大地へ落下した俺は、「ご、ごめんなしゃい」と残して、そのまま気を失った。


 ――草原だ。
 青々とした葦の短い草が敷き詰められており、まるで緑色の絨毯のようだった。
 空は目が眩むほどの晴天で、思わず目の上に手を置いてしまう。

 周囲を見回すと、少し先に花畑が広がっている。木造の小屋も見えており、誰かいるかもしれないと足を進ませた。
 整えられた花園の道を抜け、小屋の前に辿り着く。

 キィキィと音を立てるロッキングチェアに腰かけているのは、美しい銀色の髪をしている、麦わら帽子を被った軽装の少女だった。背には黒い一対の翼。歳は七、八歳に見える。
 恐らくだが、花園の手入れをしているのは彼女なのだろう。農作業をするのだから、汚れてもいい格好をすることは至極当然である。
 どこかボンヤリとしたまま近づき、声をかけた。

「こんにちは?」
「うむ、こんにちは」

 少女が麦わら帽子のつばを押し上げ、その顔が露わになる。
 ――どこかで見たことがあるような、紫色の瞳に吸い込まれる錯覚を覚えた。

「座らぬのか?」

 声を掛けられたことでハッと意識を取り戻し、近くの椅子へ腰かける。だが目では少女を見ており、その視線を外すことができなかった。
 知っている、だが思い出せない。その違和感から脱することができず、頭は靄がかかっているように重かった。

「まだそのときではない。だが、こうして話せるようになっただけでも、かなり順調に物事が進んでいる証拠だろう」
「順調ですか」
「あぁ、順調だな。吾の努力と、お主の魔力あってこそのことだ。不便だろうが許せ」
「しょうがないですね」
「そう言ってくれると助かる」

 言葉が耳から入り、頭の上から抜けていく。一度は通って留まるはずのものが、そのまま去って行くのだ。妙だと思うのは当然のことだろう。

「あの、よく分からないですけど、綺麗な目ですね。俺は好きです」
「……畏怖した者の方が多かったがな。しかし、お主にそう言ってもらえるのは悪くないものだ。少し照れ臭さを覚える」
「喜んでもらえたのなら良かったです。それと、あの花園も綺麗ですね。あなたが作ったんですか?」
「あぁ、そうだ。しかし、あなたとは他人行儀だな。エルでいい。敬語もいらん」
「なら、自分もラックスでいい」
「うむ、そうさせてもらおう」

 ポツリポツリと、他愛もない話をするも、やはり記憶に留まらず抜けていく。
 しかし、不快には思わない。自分と彼女は、なにか深いところで繋がっているような気がした。不快じゃないけど深い仲ってね。

「あまり面白くないぞ?」
「会心の出来じゃないか?」
「センスが皆無だと気付いたほうがいい」

 旅芸人の一座にも入れるんじゃないか!? と自負していたのだが、もしかしたら勘違いだったのかもしれない。
 頬を掻きながら溜息を吐く。エルもそんな俺を見て、くっくっくっと笑っていた。
 笑いのセンスを磨きたいなぁ、などと考えながら、そういえば、と気になっていたことを問う。

「なぁ、エル」
「なんだ?」
「お前の正体、ってさ」
「あぁ、気付いていたか。まぁそうだろうな。うむ、しょうがないことだ」
「そっか、やっぱりか……」

 本人が否定しないということは、もう確定だろう。エルは少し困った顔をしているが、照れ隠しかもしれない。

「そう、ラックスの考えている通り、吾の正体は――」
「妖精さんだったんだな。いつも助けてくれてありがとう」
「――って、おぉい!?」

 バシーンとツッコミを入れられる。頭の上に疑問符を浮かべていると、エルが俺の両肩を掴んで揺らし始めた。

「本当に、お主はバカなのか? そうか、バカだな。うむ、知っていた。だが妖精さんって、あれは本気で言っていたのか? よし、やはりバカではない。大バカだ!」
「す、すまん」

 怒涛の勢いで言われ、完全に自分が悪いようでもあったので、謝罪を口にしてしまう。
 エルは苛立たし気に頭を抱えて呻いていたが、ピタリと止まって空を見た。

「ん、残念ながら時間切れだな」
「時間切れ……?」
「どうせ忘れてしまうが、これだけはなんとしても忘れずに戻れ。妖精ではない、妖精ではないぞ! ちゃんと吾の正体について考えるのだ!」
「妖精じゃない、俺、覚えた」
「全然信用できんが大丈夫か!? 頼むぞラ――」

「――ックスさん起きてー! ごめんなさい、うまく手加減ができなかったの! 死なないでー!」
「……おはようございます、勇者様」
「ラックスさん!?」

 わーっと周囲で歓声が上がる。
 なにごとかと思えば、どうやら死にかけていたというか、死んでいたらしい。かなりヤバかったみたいだ。

 だが、そんな話を聞かされても、不思議と気分がいい。なにか良い夢を見た後のような、そんな心地よさがある。
 どんな夢だったのか。首を傾げつつ思い出そうとしていたら、勇者様が言った。

「そういえばラックスさん。息が戻ってから、妖精さんが……妖精さん……って呟いていたわよ?」

 そうだ、そうだった。忘れるなと言われたのだ。
 俺は勇者様に対し、思い出したことを告げた。

「勇者様! 妖精さんは本当にいたんです! 結構可愛かったと思います! 顔は忘れましたが!」

 勇者様が慈愛に満ちた笑みを浮かべる。

「……ラックスさん、今日はゆっくり休みましょうね」
「まるで信じてもらえていない!?」

 その日は軍に囲まれながらゆっくりと眠り、次の日はテトラの村まで送ってもらう。至れり尽くせりってやつだ。


 テトラの町へ到着したのは昼過ぎ。今日はこのまま宿泊すると思っていたのだが、勇者様は言った。

「じゃあ、行きましょうか」
「すぐに夜となってしまいますよ?」
「そうね。でも、今日は進みたい気分なのよ」

 なんとなくだが、その気持ちは分かる。だから迷う必要もなく、俺も同意した。

「お供します、勇者様」
「えぇ、またよろしくね、ラックスさん!」

 別に急ぐ旅では無い。だが、旅立つ機というものもある。
 俺たちはまた二人となり、旅を再開したのであった。
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