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第一章
01:転生先もブラックだった
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青木錬が最初に目に映したのは、雲一つない青空を飛ぶ一羽の鳥だった。
こめかみの疼きと土埃の匂いを感じながら、大の字で地面に横たわる。
周りにあるのは赤茶けた岩壁と、砂利に覆われた大地。道は舗装されておらず、凹凸の激しい斜面がうねっていた。
(なんで俺、こんなとこで寝てるんだっけ……?)
太陽の日差しを遮るように手をかざす。
その手指は見慣れたものより一回り小さく、細かな擦り傷が無数に付いていた。
成人して五年ほど過ぎた錬の手はゴツゴツして大きいはずだが、今の手はまるで子どものそれだ。
着ているものは麻で編まれたぼろ切れを紐で縛っただけの服一枚だ。革靴もネクタイも腕時計も何もない。
それどころか体つきも中性的でほっそりとした子どものものへと変わっている。
外見は十歳ちょっとくらいだろう。眼鏡がないとぼやけていた視界も、裸眼で遠くまでよく見える。
(さっきまで会社で泊まり込みの仕事をしていたはずだけど……)
業務用機器を設計・製造する中小企業、株式会社カノー電機の開発部で働く下っ端エンジニア。
それが錬の肩書きだ。
そのはずなのだが、なぜか見覚えのない場所で、見覚えのない体になっている。
まるで夢でも見ているようだった。
「いっつ……」
こめかみに手を当てると、ぬるりとした赤いものが指を濡らす。どうやら怪我をしているらしい。
誰かいないかと辺りを見回すと、肩を怒らせながら歩いて来る男がいた。
「おい貴様! 何を寝そべってやがる!」
「あ……怪我をして……」
「その程度の怪我で休んでいいと誰が言った! さっさと運べ、グズがっ!」
「ぎゃっ!」
いきなり木の棒で腕を打たれて錬は悶絶する。
「いってぇ……何すんだ!?」
「ああ? 奴隷の分際で口答えたぁ良い度胸してるじゃねぇか!」
「奴隷……? 何言ってんだあんた?」
たしかに奴隷みたいに働かされる零細ブラック企業の社畜だったが、本当に奴隷になった覚えはない。
「どうやら立場ってもんを教える必要がありそうだな……エルト・ラ・シュタル・ダート・ウィンダーレ!」
男が何事か叫んだ途端、棒の先から風の刃が放たれた。
「……っ!?」
頬に鋭い痛みが走り、温かい液体が頬を濡らす。触ってみると、指に赤い血が付いていた。
(何だ今の……? 刃物でも投げたのか!?)
「おっ、魔法を見るのは初めてって顔だな? じゃあその痛みもしっかり覚えとけや!」
男が再び呪文のような言葉をつぶやく。
とっさに身構えたが、しかし空気を裂く音とは裏腹に風の刃が錬の身を切る事はなかった。
薄目を開けると、錬を守るように誰かが覆い被さってるのが見えた。
胸元まである銀色の髪から熊のようなフサフサの丸い耳を生やし、痛みをこらえるように目を潤ませている。
錬と同じボロを着た少女だ。
「……すみません。この子はまだ新入りなので、どうか大目に見ていただけませんか?」
「大目に見ろだと? それで今日のノルマに届かなかったらどうすんだテメェ!」
「え、えへへ……この子の分も私が運びますよ。旦那様にご迷惑はかけませんので、そのお心の広さに免じてどうか……」
「当たり前だ! ったく、とっとと仕事に戻りやがれ」
男はつまらなさそうに鼻を鳴らし、踵を返して歩いて行く。
その背を見送り、姿が見えなくなったところで熊耳の少女は胸をなで下ろした。
「大丈夫?」
「……いや、それはこっちのセリフっていうか……」
彼女の手足にはところどころ小さな切り傷がある。あの男にやられたのだろう。
「あぁ、これくらいかすり傷だよ」
「……それ、本物?」
ヒクヒクと動く耳を見ていると、少女は不思議そうに首を傾げた。
「もしかして獣人と話した事ないの? こんな魔石鉱山で奴隷やってるのに?」
「獣人? 魔石鉱山……?」
「うん。ここは人手がいるから、人間も獣人も関係なく奴隷を集めて魔石採掘させられてるの。そう……説明されてないんだね」
少女は地面に散らばった紫色の鉱石を拾い集め、麻袋へ詰めながらニカッと笑う。
「私はジエット。白熊人族と人間のハーフだよ」
「白熊……」
言われて妙に納得する。
それほどに彼女は髪もまつげも銀白色なのだ。
「あなたの名前は?」
「俺は……青木錬です」
「アオキレン? ずいぶん変わった名前だね」
「あ、いえ……名前は錬です。青木は苗字でして」
「あなた、家名持ち? そっか……お気の毒に……」
ジエットの耳が力なく伏せた。
「お気の毒って、何がです?」
「それは、だって……家名持ちで奴隷になったって事は、親が死んじゃったんでしょ……?」
言われた意味が理解できず、錬は首をひねる。
両親は健在のはずだ。年齢はまだ還暦前で定年退職してもいない。
しかしそこまで考えて、それは本当に今の自身の両親なのだろうかという疑問が鎌首をもたげた。
錬は見知らぬ少年の姿になり、獣人などという存在があり、職業もサラリーマンから奴隷になっている。
改めて自分が置かれた状況を推測し、一つの結論に至った。
(これはもしや、生まれ変わりというやつじゃないか……?)
錬が覚えている限りでは、会社で泊まりの残業をしていた時が最後の記憶だ。
雪が積もるほどの真冬で、暖房が効いているはずなのに社内は寒くて震えが止まらなかった。
連日のデスマーチで体を壊したか、エアコンが壊れたか。
いずれにせよ、死んでもおかしくないかもと思えるくらいには悪辣な労働環境だった気がする。
(ブラック企業で働き詰めの末に死んで転生した先が奴隷だとしたら、何とも笑えない話ではあるが……)
そういえば転生後の自分はどんな人物だったのだろうかと錬は自身を観察する。
見た目は小学校高学年か中学生くらいだろう。ここまで成長したからには人格もあったと思うが、名前や生い立ちなどの記憶はきれいさっぱり消えて、今は前世の自分の事しかわからない。
しかし自分がしゃべっている言葉が日本語ではないとわかる。習得した言語は覚えているのに、記憶だけがない状態だ。
「どうしてこんな事に……」
錬のつぶやきを、けれどジエットは違う意味で捉えたようだ。
「まぁ……大変な事はいっぱいあるけど、生きてれば良い事もきっとあるよ!」
「……どうも」
「よし! 全部拾い終えた。じゃあこれ運んだら一旦小屋へ手当てしに行こう」
華奢な見た目に似合わず、ジエットは力持ちで世話焼きな人物だった。
奴隷小屋で頭部の負傷を手当てした後、暗くなるまで錬の分も魔石運びをこなし、仕事終わりには配給の食事まで運んでくれるのだ。
「レン、ごはん持ってきたよ」
木を削った器と麻袋が床に置かれる。テーブルや椅子の類いはない。他の奴隷達も小屋の中であぐらをかいて食事をしている。
どうやら今日の夕食はゆでた芋一個と具のない塩スープのようだ。
おおよそまともな食事とは思えないし、芋は痛みかけでひどい味だが、ジエットも周りの奴隷達も不平を漏らさず食べている。
「あの……なんかすみません」
「気にしなくていいよ。私も先輩奴隷のおじさん達からずいぶんお世話になったし。受けた恩は倍にして他の誰かへ返せって昔教わったんだ」
「なるほど、良い考え方ですね」
「でしょ? 特にスロウっていう人間のお爺さんには色々助けてもらってね……。私がまだ新入りの頃、奴隷使いに怒られた時よく庇ってくれたんだ」
ジエットは遠い目をして過去を思い出すように話す。その時に受けた恩を人間の錬へ返したという事なのだろう。
「もう一度会いたいなぁ……スロウ爺さん……」
「……良い人だったんですね」
「うん……すごく感謝してる。レンが困ってるのを見て、その時に受けた恩を返さなきゃって……ね」
「なら、俺も感謝しなきゃいけないですね。その亡くなったお爺さんに」
「……おい、クソガキども」
近くで芋をかじっていた体格の良い白髪の老人が睨み付けてくる。
「えっと……こちらの方は?」
「スロウ爺さんだよ」
「生きてたのかよ……!?」
「あっはっは!」
錬の反応を見て、ジエットは腹を抱えて大笑いする。わざと紛らわしく言っていたようだ。
「今の話し方が素のレンかな? 敬語は似合わないよ」
「似合わないって……はぁ、わかったよ。気を遣って損した」
「ごめんごめん。でもあの頃のスロウ爺さんに会いたいのは本当だよ。最近はとんと無愛想になっちゃったしね」
「ふん……」
スロウ爺さんは不機嫌そうに具なしスープをすすった。
「まぁ今じゃ無愛想なだけの偏屈爺さんだけど、昔は面倒見が良くてさ。失敗しても奴隷使いがそれ以上怒らない方法を教えてくれたんだぁ」
「それって今日の?」
「そうそう。媚びへつらってヨイショすれば、奴隷使いも無茶はしないって。頭良いよね」
「……褒めても飯はやらんぞ?」
「あはは、たかったりしないってば」
ジエットは耳をピコピコ動かして楽しそうに笑う。
繊細そうな見た目に反してフランクな少女だなと、錬は芋をかじりながら思った。
「そんな事よりレン、魔石の爆発には気を付けるんだよ?」
「魔石って、今日運んでたあの紫色の石? 爆発するのか?」
「するする。普段は蹴っても叩いてもビクともしないけど、火炎石が混ざってるとたまにドカンといくの」
「火炎石って?」
「鉱山で取れる石だよ。ほら、こういうやつ」
ジエットは腰にぶら下げていた麻袋の一つから親指くらいの石を取り出した。
黒い石の中に、金属光沢のある赤い鉱物が埋まっている。
「……それ、持ってきていいのか?」
「大丈夫だよ。どうせ価値のないものだし。ちなみに魔石もあるよ」
もう一つの麻袋から紫色の小さな石を取り出し、錬の前に置く。
「それこそくすねちゃダメなやつじゃ……」
「大丈夫だってば。こんな小さいクズ魔石、そこらにいっぱい転がってるし。価値があるのは明るくて大きいやつだけ」
「ならなんでそんなゴミを持ち歩いてるんだ?」
「あは、なんでだろ?」
ごまかすようにジエットは笑う。
薄汚れてはいるが、愛らしいその顔に錬は思わずドキリとした。
「とにかく。今日はあの程度で済んだからいいものの、下手すれば死んじゃうよ」
「俺達、そんな危険物を運ばされてたのか……」
「そう。だからこれと見比べて、あなたが運ぶ袋に火炎石が混じってないか確認するんだよ」
言われて錬は気付いた。
ジエットが無価値な石ころをわざわざ拾って持っていたのは、実物を見せて錬に注意喚起するためだったのだ。
最初は親切な行動にも裏があるのではと少し疑っていたが、屈託なく笑う彼女の表情を見ているとそんな疑念は霧散してしまう。
種族的には人間ではないようだが、人間である奴隷使いよりもずっと人間らしいではないか。
ジエットは錬の肩を優しくポンと叩いた。
「魔力なしの私達なんて、怪我しても助けてくれない。だから本当に気を付けないとダメだよ。この国は魔力至上主義なんだからね」
「魔力至上主義?」
「それも知らないの? んー……誰も教えてくれないって事もあるのかなぁ?」
困ったように小首を傾げるジエット。
その様子を見ていたスロウ爺さんが眉間にシワを寄せながら口を開いた。
「……この世には、生まれもって魔法が使える魔力持ちと、魔法が使えない魔力なしの二種類がいる」
「魔法って、奴隷使いがやったみたいな?」
「そうだ。魔法ってのは、詠唱する事で何もないところから火を出したり、水や風を操ったり、手も触れずに土塊をこねられる力だ。そんな奇跡を起こせる魔力持ちが『人間様』で、魔力なしは劣等種の『亜人』って寸法さ。ワシらは後者も後者、最下層の鉱山奴隷だ」
「そういう事。魔石は魔法を強力にするために使う道具らしいけど、魔力なしの『亜人』には利用できないから、反乱に使われる心配もなくてちょうどいいんだってさ」
ジエットはおどけたように肩をすくめる。
「獣人には元々魔力持ちなんていないから、亜人ってのはわかるんだけどね。人間も魔力がなければ一緒くたに全部亜人っていうのは、さすがにむちゃくちゃな理屈だと思うなぁ」
「魔力なしの人間は、若い世代にはほとんどいないらしいがな……。ボウズは珍しい部類だ」
二人の話で大体の状況がつかめてきた。
ここは魔法があり、人間と獣人が共存する異世界のようだ。そして錬は魔法の使えない魔力なしで、魔石鉱山で働く最底辺の少年奴隷である。
(奴隷……か)
空になったスープの器へ目を落とす。成長期の体にこの食事量は全然足りず、空腹感は未だ衰えない。
こんな痛んだ芋と塩味しかしない具なしスープで朝から晩まで働き、給料も保障も何もなし。
前世の勤め先も大概だったが、この世界の奴隷はそれ以上にブラックだ。
すきま風の吹く粗末な小屋の中には十数人の奴隷がおり、同じような小屋がざっと数えて十以上ある。それだけの人数をこんな悪辣な環境で労働させている。
魔石とやらにどれほどの価値があるのかは知らないが、少なくともこの世界の人々の基準では奴隷の命より上なのだろう。
(ひどい世界に転生したもんだな……)
錬は深々とため息を漏らし、小屋の入り口へ目を向けた。
割れた食器や折れた木材、破れた麻布に壊れた荷車などなど。奴隷生活で使われたであろう様々なゴミがうずたかく積み上げられている。
(あの雑多な廃棄物と同じく、利用された果てに捨てられてゴミとなるのか?)
前世ではまさにそうして使い潰されたわけだが、果たしてそんな人生に意味はあるだろうか?
会社員だった頃は、疑問を持つ暇もなくただひたすら目の前の納期と戦っていた。
だが今は少し思考がクリアになった気がする。
肉体年齢が若返ったからか、前世の生き方を反省したか。あるいは久しぶりに他人の親切に触れたおかげというのもあるかもしれない。
(労働とは、生きるためにするものだ。その労働で命を粗末にするなんて本末転倒じゃないか。なら……どうする?)
金はない。地位もない。魔力もチートも人権すらもない。ないない尽くしだ。それでも生きる以上は快適に過ごしたい。
だったらまずは労働環境を改善しよう。前世で学んだエンジニアの知識を活かすのだ。
錬は決意を胸に立ち上がった。
「どこ行くの?」
「ちょっとやってみたい事ができた」
「やってみたい事って?」
「魔石でエンジンを作れないかと思ってね」
ジエットからもらったクズ魔石と火炎石を握り締め、錬は夜空の月を仰いで笑う。
「さぁ――楽しい残業の始まりだ」
こめかみの疼きと土埃の匂いを感じながら、大の字で地面に横たわる。
周りにあるのは赤茶けた岩壁と、砂利に覆われた大地。道は舗装されておらず、凹凸の激しい斜面がうねっていた。
(なんで俺、こんなとこで寝てるんだっけ……?)
太陽の日差しを遮るように手をかざす。
その手指は見慣れたものより一回り小さく、細かな擦り傷が無数に付いていた。
成人して五年ほど過ぎた錬の手はゴツゴツして大きいはずだが、今の手はまるで子どものそれだ。
着ているものは麻で編まれたぼろ切れを紐で縛っただけの服一枚だ。革靴もネクタイも腕時計も何もない。
それどころか体つきも中性的でほっそりとした子どものものへと変わっている。
外見は十歳ちょっとくらいだろう。眼鏡がないとぼやけていた視界も、裸眼で遠くまでよく見える。
(さっきまで会社で泊まり込みの仕事をしていたはずだけど……)
業務用機器を設計・製造する中小企業、株式会社カノー電機の開発部で働く下っ端エンジニア。
それが錬の肩書きだ。
そのはずなのだが、なぜか見覚えのない場所で、見覚えのない体になっている。
まるで夢でも見ているようだった。
「いっつ……」
こめかみに手を当てると、ぬるりとした赤いものが指を濡らす。どうやら怪我をしているらしい。
誰かいないかと辺りを見回すと、肩を怒らせながら歩いて来る男がいた。
「おい貴様! 何を寝そべってやがる!」
「あ……怪我をして……」
「その程度の怪我で休んでいいと誰が言った! さっさと運べ、グズがっ!」
「ぎゃっ!」
いきなり木の棒で腕を打たれて錬は悶絶する。
「いってぇ……何すんだ!?」
「ああ? 奴隷の分際で口答えたぁ良い度胸してるじゃねぇか!」
「奴隷……? 何言ってんだあんた?」
たしかに奴隷みたいに働かされる零細ブラック企業の社畜だったが、本当に奴隷になった覚えはない。
「どうやら立場ってもんを教える必要がありそうだな……エルト・ラ・シュタル・ダート・ウィンダーレ!」
男が何事か叫んだ途端、棒の先から風の刃が放たれた。
「……っ!?」
頬に鋭い痛みが走り、温かい液体が頬を濡らす。触ってみると、指に赤い血が付いていた。
(何だ今の……? 刃物でも投げたのか!?)
「おっ、魔法を見るのは初めてって顔だな? じゃあその痛みもしっかり覚えとけや!」
男が再び呪文のような言葉をつぶやく。
とっさに身構えたが、しかし空気を裂く音とは裏腹に風の刃が錬の身を切る事はなかった。
薄目を開けると、錬を守るように誰かが覆い被さってるのが見えた。
胸元まである銀色の髪から熊のようなフサフサの丸い耳を生やし、痛みをこらえるように目を潤ませている。
錬と同じボロを着た少女だ。
「……すみません。この子はまだ新入りなので、どうか大目に見ていただけませんか?」
「大目に見ろだと? それで今日のノルマに届かなかったらどうすんだテメェ!」
「え、えへへ……この子の分も私が運びますよ。旦那様にご迷惑はかけませんので、そのお心の広さに免じてどうか……」
「当たり前だ! ったく、とっとと仕事に戻りやがれ」
男はつまらなさそうに鼻を鳴らし、踵を返して歩いて行く。
その背を見送り、姿が見えなくなったところで熊耳の少女は胸をなで下ろした。
「大丈夫?」
「……いや、それはこっちのセリフっていうか……」
彼女の手足にはところどころ小さな切り傷がある。あの男にやられたのだろう。
「あぁ、これくらいかすり傷だよ」
「……それ、本物?」
ヒクヒクと動く耳を見ていると、少女は不思議そうに首を傾げた。
「もしかして獣人と話した事ないの? こんな魔石鉱山で奴隷やってるのに?」
「獣人? 魔石鉱山……?」
「うん。ここは人手がいるから、人間も獣人も関係なく奴隷を集めて魔石採掘させられてるの。そう……説明されてないんだね」
少女は地面に散らばった紫色の鉱石を拾い集め、麻袋へ詰めながらニカッと笑う。
「私はジエット。白熊人族と人間のハーフだよ」
「白熊……」
言われて妙に納得する。
それほどに彼女は髪もまつげも銀白色なのだ。
「あなたの名前は?」
「俺は……青木錬です」
「アオキレン? ずいぶん変わった名前だね」
「あ、いえ……名前は錬です。青木は苗字でして」
「あなた、家名持ち? そっか……お気の毒に……」
ジエットの耳が力なく伏せた。
「お気の毒って、何がです?」
「それは、だって……家名持ちで奴隷になったって事は、親が死んじゃったんでしょ……?」
言われた意味が理解できず、錬は首をひねる。
両親は健在のはずだ。年齢はまだ還暦前で定年退職してもいない。
しかしそこまで考えて、それは本当に今の自身の両親なのだろうかという疑問が鎌首をもたげた。
錬は見知らぬ少年の姿になり、獣人などという存在があり、職業もサラリーマンから奴隷になっている。
改めて自分が置かれた状況を推測し、一つの結論に至った。
(これはもしや、生まれ変わりというやつじゃないか……?)
錬が覚えている限りでは、会社で泊まりの残業をしていた時が最後の記憶だ。
雪が積もるほどの真冬で、暖房が効いているはずなのに社内は寒くて震えが止まらなかった。
連日のデスマーチで体を壊したか、エアコンが壊れたか。
いずれにせよ、死んでもおかしくないかもと思えるくらいには悪辣な労働環境だった気がする。
(ブラック企業で働き詰めの末に死んで転生した先が奴隷だとしたら、何とも笑えない話ではあるが……)
そういえば転生後の自分はどんな人物だったのだろうかと錬は自身を観察する。
見た目は小学校高学年か中学生くらいだろう。ここまで成長したからには人格もあったと思うが、名前や生い立ちなどの記憶はきれいさっぱり消えて、今は前世の自分の事しかわからない。
しかし自分がしゃべっている言葉が日本語ではないとわかる。習得した言語は覚えているのに、記憶だけがない状態だ。
「どうしてこんな事に……」
錬のつぶやきを、けれどジエットは違う意味で捉えたようだ。
「まぁ……大変な事はいっぱいあるけど、生きてれば良い事もきっとあるよ!」
「……どうも」
「よし! 全部拾い終えた。じゃあこれ運んだら一旦小屋へ手当てしに行こう」
華奢な見た目に似合わず、ジエットは力持ちで世話焼きな人物だった。
奴隷小屋で頭部の負傷を手当てした後、暗くなるまで錬の分も魔石運びをこなし、仕事終わりには配給の食事まで運んでくれるのだ。
「レン、ごはん持ってきたよ」
木を削った器と麻袋が床に置かれる。テーブルや椅子の類いはない。他の奴隷達も小屋の中であぐらをかいて食事をしている。
どうやら今日の夕食はゆでた芋一個と具のない塩スープのようだ。
おおよそまともな食事とは思えないし、芋は痛みかけでひどい味だが、ジエットも周りの奴隷達も不平を漏らさず食べている。
「あの……なんかすみません」
「気にしなくていいよ。私も先輩奴隷のおじさん達からずいぶんお世話になったし。受けた恩は倍にして他の誰かへ返せって昔教わったんだ」
「なるほど、良い考え方ですね」
「でしょ? 特にスロウっていう人間のお爺さんには色々助けてもらってね……。私がまだ新入りの頃、奴隷使いに怒られた時よく庇ってくれたんだ」
ジエットは遠い目をして過去を思い出すように話す。その時に受けた恩を人間の錬へ返したという事なのだろう。
「もう一度会いたいなぁ……スロウ爺さん……」
「……良い人だったんですね」
「うん……すごく感謝してる。レンが困ってるのを見て、その時に受けた恩を返さなきゃって……ね」
「なら、俺も感謝しなきゃいけないですね。その亡くなったお爺さんに」
「……おい、クソガキども」
近くで芋をかじっていた体格の良い白髪の老人が睨み付けてくる。
「えっと……こちらの方は?」
「スロウ爺さんだよ」
「生きてたのかよ……!?」
「あっはっは!」
錬の反応を見て、ジエットは腹を抱えて大笑いする。わざと紛らわしく言っていたようだ。
「今の話し方が素のレンかな? 敬語は似合わないよ」
「似合わないって……はぁ、わかったよ。気を遣って損した」
「ごめんごめん。でもあの頃のスロウ爺さんに会いたいのは本当だよ。最近はとんと無愛想になっちゃったしね」
「ふん……」
スロウ爺さんは不機嫌そうに具なしスープをすすった。
「まぁ今じゃ無愛想なだけの偏屈爺さんだけど、昔は面倒見が良くてさ。失敗しても奴隷使いがそれ以上怒らない方法を教えてくれたんだぁ」
「それって今日の?」
「そうそう。媚びへつらってヨイショすれば、奴隷使いも無茶はしないって。頭良いよね」
「……褒めても飯はやらんぞ?」
「あはは、たかったりしないってば」
ジエットは耳をピコピコ動かして楽しそうに笑う。
繊細そうな見た目に反してフランクな少女だなと、錬は芋をかじりながら思った。
「そんな事よりレン、魔石の爆発には気を付けるんだよ?」
「魔石って、今日運んでたあの紫色の石? 爆発するのか?」
「するする。普段は蹴っても叩いてもビクともしないけど、火炎石が混ざってるとたまにドカンといくの」
「火炎石って?」
「鉱山で取れる石だよ。ほら、こういうやつ」
ジエットは腰にぶら下げていた麻袋の一つから親指くらいの石を取り出した。
黒い石の中に、金属光沢のある赤い鉱物が埋まっている。
「……それ、持ってきていいのか?」
「大丈夫だよ。どうせ価値のないものだし。ちなみに魔石もあるよ」
もう一つの麻袋から紫色の小さな石を取り出し、錬の前に置く。
「それこそくすねちゃダメなやつじゃ……」
「大丈夫だってば。こんな小さいクズ魔石、そこらにいっぱい転がってるし。価値があるのは明るくて大きいやつだけ」
「ならなんでそんなゴミを持ち歩いてるんだ?」
「あは、なんでだろ?」
ごまかすようにジエットは笑う。
薄汚れてはいるが、愛らしいその顔に錬は思わずドキリとした。
「とにかく。今日はあの程度で済んだからいいものの、下手すれば死んじゃうよ」
「俺達、そんな危険物を運ばされてたのか……」
「そう。だからこれと見比べて、あなたが運ぶ袋に火炎石が混じってないか確認するんだよ」
言われて錬は気付いた。
ジエットが無価値な石ころをわざわざ拾って持っていたのは、実物を見せて錬に注意喚起するためだったのだ。
最初は親切な行動にも裏があるのではと少し疑っていたが、屈託なく笑う彼女の表情を見ているとそんな疑念は霧散してしまう。
種族的には人間ではないようだが、人間である奴隷使いよりもずっと人間らしいではないか。
ジエットは錬の肩を優しくポンと叩いた。
「魔力なしの私達なんて、怪我しても助けてくれない。だから本当に気を付けないとダメだよ。この国は魔力至上主義なんだからね」
「魔力至上主義?」
「それも知らないの? んー……誰も教えてくれないって事もあるのかなぁ?」
困ったように小首を傾げるジエット。
その様子を見ていたスロウ爺さんが眉間にシワを寄せながら口を開いた。
「……この世には、生まれもって魔法が使える魔力持ちと、魔法が使えない魔力なしの二種類がいる」
「魔法って、奴隷使いがやったみたいな?」
「そうだ。魔法ってのは、詠唱する事で何もないところから火を出したり、水や風を操ったり、手も触れずに土塊をこねられる力だ。そんな奇跡を起こせる魔力持ちが『人間様』で、魔力なしは劣等種の『亜人』って寸法さ。ワシらは後者も後者、最下層の鉱山奴隷だ」
「そういう事。魔石は魔法を強力にするために使う道具らしいけど、魔力なしの『亜人』には利用できないから、反乱に使われる心配もなくてちょうどいいんだってさ」
ジエットはおどけたように肩をすくめる。
「獣人には元々魔力持ちなんていないから、亜人ってのはわかるんだけどね。人間も魔力がなければ一緒くたに全部亜人っていうのは、さすがにむちゃくちゃな理屈だと思うなぁ」
「魔力なしの人間は、若い世代にはほとんどいないらしいがな……。ボウズは珍しい部類だ」
二人の話で大体の状況がつかめてきた。
ここは魔法があり、人間と獣人が共存する異世界のようだ。そして錬は魔法の使えない魔力なしで、魔石鉱山で働く最底辺の少年奴隷である。
(奴隷……か)
空になったスープの器へ目を落とす。成長期の体にこの食事量は全然足りず、空腹感は未だ衰えない。
こんな痛んだ芋と塩味しかしない具なしスープで朝から晩まで働き、給料も保障も何もなし。
前世の勤め先も大概だったが、この世界の奴隷はそれ以上にブラックだ。
すきま風の吹く粗末な小屋の中には十数人の奴隷がおり、同じような小屋がざっと数えて十以上ある。それだけの人数をこんな悪辣な環境で労働させている。
魔石とやらにどれほどの価値があるのかは知らないが、少なくともこの世界の人々の基準では奴隷の命より上なのだろう。
(ひどい世界に転生したもんだな……)
錬は深々とため息を漏らし、小屋の入り口へ目を向けた。
割れた食器や折れた木材、破れた麻布に壊れた荷車などなど。奴隷生活で使われたであろう様々なゴミがうずたかく積み上げられている。
(あの雑多な廃棄物と同じく、利用された果てに捨てられてゴミとなるのか?)
前世ではまさにそうして使い潰されたわけだが、果たしてそんな人生に意味はあるだろうか?
会社員だった頃は、疑問を持つ暇もなくただひたすら目の前の納期と戦っていた。
だが今は少し思考がクリアになった気がする。
肉体年齢が若返ったからか、前世の生き方を反省したか。あるいは久しぶりに他人の親切に触れたおかげというのもあるかもしれない。
(労働とは、生きるためにするものだ。その労働で命を粗末にするなんて本末転倒じゃないか。なら……どうする?)
金はない。地位もない。魔力もチートも人権すらもない。ないない尽くしだ。それでも生きる以上は快適に過ごしたい。
だったらまずは労働環境を改善しよう。前世で学んだエンジニアの知識を活かすのだ。
錬は決意を胸に立ち上がった。
「どこ行くの?」
「ちょっとやってみたい事ができた」
「やってみたい事って?」
「魔石でエンジンを作れないかと思ってね」
ジエットからもらったクズ魔石と火炎石を握り締め、錬は夜空の月を仰いで笑う。
「さぁ――楽しい残業の始まりだ」
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おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
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パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
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彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
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彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
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精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
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これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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