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第五章
89:寸隙
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「してやられたな……」
錬は眉をひそめた。
砦の監視塔から遠目に見えるのは、二匹の地竜と大勢の獣人部隊だ。
「あの旗の紋章、見覚えがあるな。たしか魔石鉱山のどこかで見たんだったか?」
「あれはバエナルド伯爵家の旗ですね」
「なるほど、あのオヤジの軍って事か……」
獣人兵は武器らしい物は何も持たず、ぼろ切れ一枚を身にまとっている。
鎧はおろか盾すらないので、地竜と共に行進してなければ難民と勘違いしたかもしれない。
「あんなのはもう兵士じゃない……ただの肉の盾だよ」
「許せねぇ、獣人を何だと思ってんだ……!」
ジエットとパムが表情を歪める。
「あの人が指揮官でしょうか?」
ノーラが単眼鏡を覗きながら言った。
裸眼では小さすぎてよくわからないが、部隊の中心に騎竜に乗った者が数名いるのだけはわかる。その事を言っているのだろう。
「見せてもらってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
単眼鏡を受け取り、錬も覗く。
そしてノーラが見ていた辺りにレンズを向けると、獣人兵と地竜に守られるようにして騎竜にまたがるひげ面の男が見えた。
数少ない竜騎兵の中でも一際立派な鎧を着ている事から、指揮官で間違いないだろう。
敵の指揮官は奴隷兵と地竜に守られ、悠々と進軍してくる。
下手に魔法を撃てば奴隷兵に当たるかもしれないし、地上から攻めるにしても奴隷兵を倒さなければ指揮官を倒せない。
「よくもまぁこんな卑劣な手を使ってきたもんだな……」
「これは戦いだからね。卑劣でも何でも、やられたら対処しなきゃ」
ジエットは悔しげに拳を握り締める。
「でも対処たってどうすんだ!?」
言われて錬は手元に目を落とした。
両手の平に乗るくらいの長さの単眼鏡だ。木製の筒に磨いた対物レンズと接眼レンズをはめ込んだものである。
もう一度レンズを覗けば、敵の指揮官の顔が視界に入った。どことなくバエナルド伯爵の面影がある。
(……これ、狙撃できるんじゃないか?)
魔石銃と単眼鏡を組み合わせれば、狙撃銃として使えるはずだ。しかも既にある物を組み合わせるだけでいいとなればやらない手はない。
「ノーラさん、これちょっと借りてもいいかな?」
「え? それはまぁ……どうするんです?」
「相手の指揮官連中だけを仕留める!」
***
「止まれぇ!」
獣人部隊の副官の男が鞭を打つと、獣人達が怯えたように立ち止まった。
砦は戦いの跡が生々しく、崩落した壁の一部が木材で封鎖されている。これなら地竜がいれば突破するのは難しくないだろう。
「そろそろ魔法の射程に入ったはずですが、どうやら敵軍は攻撃して来ないようですな、隊長殿」
騎竜に乗る隊長へ声をかけると、彼は静かにうなずいた。
この部隊の隊長を務めるのはバエナルド伯爵家の長男である。
いずれ家督を継ぐであろう彼がここにいるという事は、つまり勝ち戦という事だ。伯爵は自分の息子に箔を付けるために指揮官を任せたのだろう。
「彼奴らは奴隷解放を訴えて立ち上がった者達。ここで三千もの奴隷どもを虐殺するわけにもいかんのだろう」
「いやはやまったく。弱点を自らさらけ出すとは愚かな連中ですな」
「うむ。しかし防御魔法があるとはいえ、壁が薄くて少し不安だな。もっと分厚くした方が万一の事故を防げるのではないか?」
「隊長殿のお言葉を聞いたか貴様ら! もっと密集しろ! 我らの肉壁になるのだ!」
副官は再び鞭を振るう。
そうして前列に獣人達を隙間なく並べ、それに隠れるようにして地竜を配置する。
砦にいる敵兵士は右往左往するばかりで、一向に魔法を放つ気配はない。
「はは、これで敵はもはや手が出せんな。さすがは父上の策だ」
「ええ、仰る通りです。対する我が方は地竜の変異種がブレスを吐き放題。これでは負ける方がおかし――」
「かはっ……」
突然、上から光の粒子が舞った。
見上げれば、先ほどまで会話していた隊長が騎竜の背で力なく仰け反っている。
「隊長殿!?」
慌てて副官が周囲を見渡すも、獣人兵ばかりで敵の姿は見えない。
「お、おのれ……一体どこから!?」
「ぐあっ!?」
そばにいた竜騎兵が飛んだ。
獣人兵を壁にしてなお、魔法を撃ってくる。鎧に付与した障壁魔法を一撃で貫くその威力に、部隊にどよめきが走った。
「バカな……!?」
「奴隷どもへの誤射を恐れていないのか!?」
「副官殿! 今はともかく地竜で攻撃を――がぁっ!!」
一人、また一人と仲間の竜騎兵が倒れていく。獣人兵には誰一人当てる事なく、精確に騎竜に乗った兵だけを狙って来る。
やがて二匹の地竜にも魔弾の雨が降り注ぎ、断末魔の咆哮を上げた。
「変異種の地竜まで倒しただと……!?」
もはや継戦は不可能だ。ならばすべき事はただ一つ。
「まずい……退却だ! 退却せよ!」
「副官殿、獣人兵どもはどうされるのです!?」
「そんなもの捨て置け! 奴らで時間稼ぎをしている間に逃げるのだ!」
副官は倒れる仲間に振り返る事もなく、一目散に森の中を駆け出した。
錬は眉をひそめた。
砦の監視塔から遠目に見えるのは、二匹の地竜と大勢の獣人部隊だ。
「あの旗の紋章、見覚えがあるな。たしか魔石鉱山のどこかで見たんだったか?」
「あれはバエナルド伯爵家の旗ですね」
「なるほど、あのオヤジの軍って事か……」
獣人兵は武器らしい物は何も持たず、ぼろ切れ一枚を身にまとっている。
鎧はおろか盾すらないので、地竜と共に行進してなければ難民と勘違いしたかもしれない。
「あんなのはもう兵士じゃない……ただの肉の盾だよ」
「許せねぇ、獣人を何だと思ってんだ……!」
ジエットとパムが表情を歪める。
「あの人が指揮官でしょうか?」
ノーラが単眼鏡を覗きながら言った。
裸眼では小さすぎてよくわからないが、部隊の中心に騎竜に乗った者が数名いるのだけはわかる。その事を言っているのだろう。
「見せてもらってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
単眼鏡を受け取り、錬も覗く。
そしてノーラが見ていた辺りにレンズを向けると、獣人兵と地竜に守られるようにして騎竜にまたがるひげ面の男が見えた。
数少ない竜騎兵の中でも一際立派な鎧を着ている事から、指揮官で間違いないだろう。
敵の指揮官は奴隷兵と地竜に守られ、悠々と進軍してくる。
下手に魔法を撃てば奴隷兵に当たるかもしれないし、地上から攻めるにしても奴隷兵を倒さなければ指揮官を倒せない。
「よくもまぁこんな卑劣な手を使ってきたもんだな……」
「これは戦いだからね。卑劣でも何でも、やられたら対処しなきゃ」
ジエットは悔しげに拳を握り締める。
「でも対処たってどうすんだ!?」
言われて錬は手元に目を落とした。
両手の平に乗るくらいの長さの単眼鏡だ。木製の筒に磨いた対物レンズと接眼レンズをはめ込んだものである。
もう一度レンズを覗けば、敵の指揮官の顔が視界に入った。どことなくバエナルド伯爵の面影がある。
(……これ、狙撃できるんじゃないか?)
魔石銃と単眼鏡を組み合わせれば、狙撃銃として使えるはずだ。しかも既にある物を組み合わせるだけでいいとなればやらない手はない。
「ノーラさん、これちょっと借りてもいいかな?」
「え? それはまぁ……どうするんです?」
「相手の指揮官連中だけを仕留める!」
***
「止まれぇ!」
獣人部隊の副官の男が鞭を打つと、獣人達が怯えたように立ち止まった。
砦は戦いの跡が生々しく、崩落した壁の一部が木材で封鎖されている。これなら地竜がいれば突破するのは難しくないだろう。
「そろそろ魔法の射程に入ったはずですが、どうやら敵軍は攻撃して来ないようですな、隊長殿」
騎竜に乗る隊長へ声をかけると、彼は静かにうなずいた。
この部隊の隊長を務めるのはバエナルド伯爵家の長男である。
いずれ家督を継ぐであろう彼がここにいるという事は、つまり勝ち戦という事だ。伯爵は自分の息子に箔を付けるために指揮官を任せたのだろう。
「彼奴らは奴隷解放を訴えて立ち上がった者達。ここで三千もの奴隷どもを虐殺するわけにもいかんのだろう」
「いやはやまったく。弱点を自らさらけ出すとは愚かな連中ですな」
「うむ。しかし防御魔法があるとはいえ、壁が薄くて少し不安だな。もっと分厚くした方が万一の事故を防げるのではないか?」
「隊長殿のお言葉を聞いたか貴様ら! もっと密集しろ! 我らの肉壁になるのだ!」
副官は再び鞭を振るう。
そうして前列に獣人達を隙間なく並べ、それに隠れるようにして地竜を配置する。
砦にいる敵兵士は右往左往するばかりで、一向に魔法を放つ気配はない。
「はは、これで敵はもはや手が出せんな。さすがは父上の策だ」
「ええ、仰る通りです。対する我が方は地竜の変異種がブレスを吐き放題。これでは負ける方がおかし――」
「かはっ……」
突然、上から光の粒子が舞った。
見上げれば、先ほどまで会話していた隊長が騎竜の背で力なく仰け反っている。
「隊長殿!?」
慌てて副官が周囲を見渡すも、獣人兵ばかりで敵の姿は見えない。
「お、おのれ……一体どこから!?」
「ぐあっ!?」
そばにいた竜騎兵が飛んだ。
獣人兵を壁にしてなお、魔法を撃ってくる。鎧に付与した障壁魔法を一撃で貫くその威力に、部隊にどよめきが走った。
「バカな……!?」
「奴隷どもへの誤射を恐れていないのか!?」
「副官殿! 今はともかく地竜で攻撃を――がぁっ!!」
一人、また一人と仲間の竜騎兵が倒れていく。獣人兵には誰一人当てる事なく、精確に騎竜に乗った兵だけを狙って来る。
やがて二匹の地竜にも魔弾の雨が降り注ぎ、断末魔の咆哮を上げた。
「変異種の地竜まで倒しただと……!?」
もはや継戦は不可能だ。ならばすべき事はただ一つ。
「まずい……退却だ! 退却せよ!」
「副官殿、獣人兵どもはどうされるのです!?」
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