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アルファーワン

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邂逅

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 「そういえばさ、昨日バイト先でさ~。」
「そうそう凄い嫌な奴でさ~。」
僕は今、誰か決まった個人に話しかけている訳ではない。
かといって誰にも話しかけず、独り言を延々ディスプレイに向かって投げかけている危ない人物な訳ではない・・・・とも言い切れないが、いや危ない人物な訳ではない、と少し話が逸れてしまった。僕が危ないか危なくないかは置いておくとして、今僕が誰に話しかけているかというと、まあディスプレイに話しかけているのは間違いないのだが、ディスプレイの奥にいる人達に話しかけている、というのがよくある表現だろうか。
要は配信をしているということだ。画面越しに数百人、数千人、多ければ数万人規模の人達に同時に語り掛けるのだ。とは言っても僕のようなうだつの上がらない配信者には、数万人どころか数百人ですら遠い夢のような話だ。
しかしそんな僕にでもいつも配信に来てくれる、いわば常連のような人たちがいる。その人達さえいれば、僕は楽しく配信が出来るので、充分に満足している。おっと、少し話しすぎてしまった。
「ごめん!この後予定あるの忘れてた!配信閉じるね!来てくれた人たちありがとう!それじゃ、またね!」
忙しく配信を切り、バイトの準備をする。そういえば、配信を切る直前に誰かが来てたな・・・っと、本当に急がなければ。
 
 「ありがとうございましたー」
「ふぅ・・・疲れたぁ~。」
「こら弟くん、勤務中にその態度はちょっといただけないよ?」
「あ、店長。すみません。」
この人はくれ・・・秋代さん。幼馴染で同じ大学の秋代美雪の姉であり、僕が働いている喫茶メープルの店主でもある。
「いや、驚かせてごめんよ。そんな顔しないで。冗談だから。」
「特に今日は休む暇もないくらいに忙しかったからね。本当にご苦労様、ありがとうね。」
「え、あ、はい。ありがとうございます。」
少々いたずら好きではあるのだが、普段は良いお姉さんだし、こうして労ってもくれる。友人というのは少し違うが、確実にいい上司ではある。
「それと弟くん?お姉さん、もしくはさんって呼んでくれてもいいんだよ?」
「いや・・・あの・・・えっと・・・今は勤務中なので・・・」
「それはつまり、勤務中以外なら呼んでくれるって受け取ってもいいのかな?」
「あ、いや、そういう訳では・・・」
「ふふ、弟くんは相変わらず面白いね。」
「あまりからかわないでくださいよ・・・」
「君の反応が可愛くてつい、ね。」
さっきの言葉、すべて撤回した方がいいだろうか・・・
「あ、そういえば弟くん。今日はもう上がっていいよ。」
「え?でもまだシフトは一時間位残ってますよ?」
「実はもう少しで強めの雨が降りだすみたいでね。店を早めに閉めようと思って。」
「伝えるのが遅くなってごめんよ、弟くん。」
「いえいえ全然。大丈夫です。そういうことなら店じまいの準備手伝いますよ。」
「大丈夫だよ弟くん。君は雨が降り出す前に帰った方がいい。」
「急な予報だったし、傘も持ってきていないでしょう?」
「それに、君に風邪を引かれてしまうとに怒られてしまうからね。」
「だから・・・そうだね。私のためと思って雨が降り出す前に家に帰ってくれないかな。」
うぐっ・・・相変わらずこの人は口が上手い・・・それに優しい。
美雪の事は冗談にしても、僕の体を気遣ってくれているのは本当なんだろう。
 その証拠に僕がメープルで働き始めてすぐの頃、体調を崩してしまい仕事を休ませて欲しいと電話すると、「欲しい物はないかい?」「側に誰かいるかい?」と聞かれて、普段ならすぐに断る所なのだが、体調不良というのは恐ろしいもので咄嗟に「誰も居ません」と答えてしまった。そこで突然電話が切れたのだが、思ったより体が疲れていたらしく眠りに落ちてしまった。
それから・・・どのくらいだっただろうか・・・たしか十数分だったはず。
そのくらい経ってから、突然ドアホンが鳴った。夢か現実か分からずに数分布団から動けないでいると、玄関のドアが少し迷った末にガチャリと開いた。これは流石にまずいと思い立ち上がろうとしたその時、秋代さんが息を切らして部屋に入ってきた。
後から思った、というか気付いたのだが、あの時以上に焦っている秋代さんを見たことがない。なんなら息を荒げているところすら見たことがない。話が少し逸れてしまったが、息を切らして部屋に入ってきた秋代さんが、その勢いのまま僕の下に詰め寄り、「寝てなきゃダメじゃない!」と、これまた聞いたことがない声量で怒られてしまった。
そこからは早かった。僕のことを寝かせ、秋代さんは台所へ。十分と少しで薬とお粥の乗ったお盆を持った秋代さんが寝室に入ってきた。机にお盆を置きながら「これを食べたら薬を飲んで、また少し休んでね。私は少し電話してくるから。」
このお粥がまた凄く美味しかった。
あまり肥えた舌をしているわけではない僕でも分かるほどの他とは格の違う美味しさだった。
 美味しさと一緒に暖かさが内からじんわりと染みてきたのと同時に、涙がこぼれたのを覚えている。涙を拭うのも忘れお粥を食べていると、部屋に紅葉さんが入ってきて少し驚きながらもハンカチを取り出し、涙を拭いてくれた。
あの時何故涙が出てきたのか、はっきりとは分からないが無性に懐かしかったのはよく覚えている。涙が止まると、お代わりの水とスポーツドリンク、氷枕を持ってきてくれた。
お盆に乗っていた薬を口に含み、水で一気に流し込む。熱でぼうっとしていた頭が少しだけすっきりした。まだ少し体はだるいが、取り敢えず諸々のお礼を伝えようと紅葉さんの方を見る。
「お粥とか色々ありがとうございます。」
「いいんだよ、気にしなくて。私にはこれくらいしか出来ないから。」
「むしろいきなり押しかけてごめんね?」



あとがき
続き思い付き次第投稿します
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