出航、前夜

生津直

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31 乗船

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 大晦日の空は、朝から気持ちよく晴れ渡っていた。私は長めの二度寝を経て昼近くに起き出し、寒波対策を整えて夕方に家を出た。

 クルーズの受付は九時半からだから、それまでに少し歩き回って久しぶりの横浜の雰囲気を楽しむことができた。夜のみなとみらい地区は、クルーズ以外にもカウントダウンイベントがあちこちで行われるせいもあって、カップルや家族連れなどで賑わっている。

 このエリアの風景自体はある程度見慣れていた。両親と来たこともあるし、友達と来たこともあるし、デートで来たこともあったから。でも、船に乗るのは初めてだ。しかも夜。まるで旅行みたいな、外国にでも来たみたいなテンションになる。

 クルーズ自体は夜十時半から一時半までの三時間。帰りの電車は終夜運転があるから、それを使えばいい。

 十時前には、指定された場所で乗船手続きを済ませた。受付カウンターの傍では、中国人らしき団体がべちゃくちゃと大声でおしゃべりしている。

 こんなとこまでこいつらかよ……。

 思いっ切り白い目で見てやると、彼らの手に、私が今受け取ったのと同じものらしきチケットが見える。

 えっ、この人たち……まさか私の船に乗る気?

 その、まさかが的中。乗船時刻を迎えたクルーズ船の入口には、我先にと殺到する彼らの姿があった。総勢二十名ほどだろうか。

 うわあ、最悪!

 しかし私も、今日はここまで来てこんな奴らのせいで引き返すほど甘い覚悟で来ているわけではない。負けてたまるか。

 なるべく距離を置き、お行儀の良い日本人の群れに防御を求めるようにして船に乗る。船は二階建てになっていて、下がビュッフェのある船室、上が屋外デッキ。そのどちらにもドリンクセクションがあり、座れるスペースが用意されていた。

 いざ出港してみると、海の上は思った以上に非日常だった。潮風はそこそこ冷たいけれど、エンジン音と水音が勇ましくそれを蹴散らし、水面に映ったビルや観覧車の明かりが華やかに夜をいろどる。ああ、やっぱり一人でも来てよかった。

 今年はいろいろあったけれど、良い年越しができそうな気がしてきた。今日は好きなものをしっかり食べよう。それで、ほろ酔いぐらいになって、いい気分で新年を迎えよう。

 幸い、小さな子供が走り回るというような事態は起きず、安堵した。子供OKのクルーズではあったが、小学校高学年ぐらいの子を一人見かけたぐらいで、家族連れといってももっと上の層が多いし、大半は大人ばかりのグループだ。

 立食形式のビュッフェは、なかなか豪勢だった。チケット自体が一万五千円だから、まあそれなりに……とは期待していたが、ローストビーフにフライドチキン、生ハムやチーズなどの前菜各種、フィンガーフード各種、魚介のパスタ、キノコのオムレツ、新鮮なサラダにフルーツ、プチケーキと、充実している。

 問題は、客の品位。大多数は普通の常識的な日本人のようなのだけれど、何しろ特殊な二十人が幅をかせまくっていて、そのインパクトがすごい。これでもかと山盛りに料理を盛るのはまあ勝手だが、動線の逆流から割り込みまで、とにかく急いで確保せんとばかりに何でもあり。その様子を見かねてか、アナウンスが入った。

「お料理、お飲み物は皆様にお召し上がりいただけますよう補充分も含めて十分ご用意しておりますので、どうぞご安心くださいませ」

 しかし彼らはおそらく、日本語を理解していないのではないか。その時、パンパン、と手を叩く音。見ると、一人の中年男性が手を上げて注意を喚起し、中国語らしき言葉で何かを言い始めた。彼がそれを言い終えると、皆少しおとなしくなり、いくらか落ち着いた様子で料理を取り始めた。さっきのアナウンスを通訳してくれたのかもしれない。

 五十代ぐらいに見えるその人物は、顔付きこそ中華風だが、ヨーロッパブランドっぽい感じの上等そうなジャケットを着て、他の中国人たちとは一線をかくしている雰囲気だ。添乗員さんか何かだろうか。何にせよ、お陰で助かった。
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