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東の君と観音さま
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「東の方」
姫君がぼそりと呟いた。
東の方、は小柄な姫君だった。どうも貝合の相手の姫君らしい。
山吹、紅梅、薄朽葉など、色合いもめちゃくちゃに袿を重ね着していて、着ぶくれて見える。
髪は美しいが、背丈よりも少し短いのが惜しい。
何やら数人の女の童を従えていて、この女の童たちも思い思いに着飾ってはいたが、派手なだけで品がなく思えた。
東の姫君の目を盗んで弟君が男の童をつついた。
つつかれた男の童は慌てて隠れようとしたが、慌て過ぎてしまったのか、持っていた紫檀の小箱を取り落としてしまった。
貝が派手な音を立てて畳の上に散らばる。
「あらあら」
東の姫君は楽しげに唇を綻ばせて、貝を摘み上げた。
「人に貝を譲っていただくのはなしにしましょうと言ったのは、あなたではなかったかしら? 騙されて人に尋ねなかった私が馬鹿みたいじゃないの、悔しいこと! ねえ、ちょっと良さそうな貝を分けてもらいましょうよ」
東の姫君が大声で言うと、彼女に従っていた女の童たちは散らばった貝を全部拾い集めてしまった。
「何をなさる! あなたがよそに使いをやりまくっているから……」
「まあ、とんだ言いがかりね」
「そちらの女房方は必死で探していると、専らの噂ですよ」
「さあ、知らないわ。ただの噂でしょう?」
「もうおやめなさい」
姫君がおもむろに口を開く。
「姉上、悔しくないのですか!」
「恨むなら、あなたのお母上を恨むのね」
東の姫君は勝ち誇ったように言った。
弟君は怒りを通り越して、もう泣きそうになってしまっている。
「どうせなら かいがなくても 心ある 人に見せたい あきの白波」
東の姫君はぽかんと口を開けていたが、馬鹿にされたのに気付くと、みるみる顔が朱に染まる。
「何と仰いまして? 私が、風流をわかっていないとでも言いたいの?」
東の君は憤慨しているが、その着こなしで言われても説得力は皆無だ。
姫君は、『貝』と『甲斐』をかけ、『白波』で海の情景を連想させながら、『知らない』をかけて、あなたは『秋』にふさわしい装いも知らないのね、と揶揄したようだ。
『白波』には盗人という意味もあるので、貝を奪っていくことも非難している。
ひょっとすると『飽き』も知らず、事あるごとに私と張り合うのね、と呆れているのかもしれない。
少将は姫君の洒落っ気に拍手を送りたい気持ちだったが、やり込められた東の君は、明日の貝合で仕返しをして来るに違いない。
これは、ますますこちらの姫君に肩入れしたいところだ。
「いいわ、明日はこてんぱんにしてやるんだから!」
捨て台詞を吐いて去っていく東の君を、弟君たちは不安そうに見送ったが、相変わらず姫君はどこ吹く風、である。
さてここからどうしようかと思案しているうちに、今度は、あの女の童が仲間を引き連れて少将の隠れ場所に近づいてきた。
(おいおい、そ、それ以上近くに来られたら、ばれてしまうぞ)
少将は焦ったが、女の童の軍団は一斉に座り込み、何やら神妙な顔で祈り始める。
「お母さまがいつも読んでいらっしゃる観音経! ああ、観音さま、どうか私の姫さまを負けになさらないでね」
と、恐らく西方浄土に向かって祈っているのだろうが、それは丁度少将を拝んでいるような格好である。
少将は笑いを堪えつつも、いつ女の童が自分のことを口に出すかとびくびくした。
しかし彼女らは不意に立ち上がると、姫君の方へ走っていってしまった。
少将はほっとしたものの、ついつい小声で、
「かいなしと 何を嘆くか 白波も 君のかたには 心寄せよう」
と、観音さま気分で口ずさんだ。
貝がない、祈りも甲斐がないと何を嘆いておられるのか。
白波が潟に寄せるように、君の方に心を寄せよう、という歌である。
女の童たちは少将からは少し離れていたが、耳ざとく聞きつけ、騒ぎ始める。
「今の声、味方してくれるって! 聞こえた?」
「誰かしら」
「嬉しいわね! 姫さまに早くお伝えしないと」
そんなふうに盛り上がりながらも、やはり屏風の裏から声がしたのは怖かったのだろう。連れ立って奥へ入ってしまった。
余計なことを口走って、隠れ場所に気づかれたらどうしようとさすがにどきどきしたが、女の童たちは姫君に走り寄り、一人の子が、ただ、
「みんなでお祈りをしたら、観音さまが――」
と言って、少将の歌を諳んじただけだった。
しかし、胸を撫で下ろしたのも束の間、
「観音さまですって?」
姫君は訝しげな声で聞き返す。
「はい!」
女の童は元気に答えたが、姫君の眉間には皺が寄っている。
それでも美しいことに変わりはないのだが。
今度は弟君が、少し頬を紅潮させて言った。
「観音さまは『白波』の間から白馬の姿で現れると言います。きっと本物の観音さまですよ!」
「……まさか」
「じゃあ、姫さま。この天井からひょっこり貝が落ちてきたら、本物の観音さまだってことにしましょうよ」
「有り得ないわね」
「姉上……」
「さあ、姫さま。明日の衣の準備を致しましょう」
姫君より年上らしい少女がやって来た。弟君と女の童たちも立ち上がる。
姫君は遅れて膝を立てると、じっと屏風の方を見つめた。
可愛らしい顔立ちだが、何やら全て見透かされているようで、少将は生きた心地もしない。
はたして、姫君はそっと呟いた。
「寄る辺もないかたに、どうやって寄られるおつもり?」
姫君がぼそりと呟いた。
東の方、は小柄な姫君だった。どうも貝合の相手の姫君らしい。
山吹、紅梅、薄朽葉など、色合いもめちゃくちゃに袿を重ね着していて、着ぶくれて見える。
髪は美しいが、背丈よりも少し短いのが惜しい。
何やら数人の女の童を従えていて、この女の童たちも思い思いに着飾ってはいたが、派手なだけで品がなく思えた。
東の姫君の目を盗んで弟君が男の童をつついた。
つつかれた男の童は慌てて隠れようとしたが、慌て過ぎてしまったのか、持っていた紫檀の小箱を取り落としてしまった。
貝が派手な音を立てて畳の上に散らばる。
「あらあら」
東の姫君は楽しげに唇を綻ばせて、貝を摘み上げた。
「人に貝を譲っていただくのはなしにしましょうと言ったのは、あなたではなかったかしら? 騙されて人に尋ねなかった私が馬鹿みたいじゃないの、悔しいこと! ねえ、ちょっと良さそうな貝を分けてもらいましょうよ」
東の姫君が大声で言うと、彼女に従っていた女の童たちは散らばった貝を全部拾い集めてしまった。
「何をなさる! あなたがよそに使いをやりまくっているから……」
「まあ、とんだ言いがかりね」
「そちらの女房方は必死で探していると、専らの噂ですよ」
「さあ、知らないわ。ただの噂でしょう?」
「もうおやめなさい」
姫君がおもむろに口を開く。
「姉上、悔しくないのですか!」
「恨むなら、あなたのお母上を恨むのね」
東の姫君は勝ち誇ったように言った。
弟君は怒りを通り越して、もう泣きそうになってしまっている。
「どうせなら かいがなくても 心ある 人に見せたい あきの白波」
東の姫君はぽかんと口を開けていたが、馬鹿にされたのに気付くと、みるみる顔が朱に染まる。
「何と仰いまして? 私が、風流をわかっていないとでも言いたいの?」
東の君は憤慨しているが、その着こなしで言われても説得力は皆無だ。
姫君は、『貝』と『甲斐』をかけ、『白波』で海の情景を連想させながら、『知らない』をかけて、あなたは『秋』にふさわしい装いも知らないのね、と揶揄したようだ。
『白波』には盗人という意味もあるので、貝を奪っていくことも非難している。
ひょっとすると『飽き』も知らず、事あるごとに私と張り合うのね、と呆れているのかもしれない。
少将は姫君の洒落っ気に拍手を送りたい気持ちだったが、やり込められた東の君は、明日の貝合で仕返しをして来るに違いない。
これは、ますますこちらの姫君に肩入れしたいところだ。
「いいわ、明日はこてんぱんにしてやるんだから!」
捨て台詞を吐いて去っていく東の君を、弟君たちは不安そうに見送ったが、相変わらず姫君はどこ吹く風、である。
さてここからどうしようかと思案しているうちに、今度は、あの女の童が仲間を引き連れて少将の隠れ場所に近づいてきた。
(おいおい、そ、それ以上近くに来られたら、ばれてしまうぞ)
少将は焦ったが、女の童の軍団は一斉に座り込み、何やら神妙な顔で祈り始める。
「お母さまがいつも読んでいらっしゃる観音経! ああ、観音さま、どうか私の姫さまを負けになさらないでね」
と、恐らく西方浄土に向かって祈っているのだろうが、それは丁度少将を拝んでいるような格好である。
少将は笑いを堪えつつも、いつ女の童が自分のことを口に出すかとびくびくした。
しかし彼女らは不意に立ち上がると、姫君の方へ走っていってしまった。
少将はほっとしたものの、ついつい小声で、
「かいなしと 何を嘆くか 白波も 君のかたには 心寄せよう」
と、観音さま気分で口ずさんだ。
貝がない、祈りも甲斐がないと何を嘆いておられるのか。
白波が潟に寄せるように、君の方に心を寄せよう、という歌である。
女の童たちは少将からは少し離れていたが、耳ざとく聞きつけ、騒ぎ始める。
「今の声、味方してくれるって! 聞こえた?」
「誰かしら」
「嬉しいわね! 姫さまに早くお伝えしないと」
そんなふうに盛り上がりながらも、やはり屏風の裏から声がしたのは怖かったのだろう。連れ立って奥へ入ってしまった。
余計なことを口走って、隠れ場所に気づかれたらどうしようとさすがにどきどきしたが、女の童たちは姫君に走り寄り、一人の子が、ただ、
「みんなでお祈りをしたら、観音さまが――」
と言って、少将の歌を諳んじただけだった。
しかし、胸を撫で下ろしたのも束の間、
「観音さまですって?」
姫君は訝しげな声で聞き返す。
「はい!」
女の童は元気に答えたが、姫君の眉間には皺が寄っている。
それでも美しいことに変わりはないのだが。
今度は弟君が、少し頬を紅潮させて言った。
「観音さまは『白波』の間から白馬の姿で現れると言います。きっと本物の観音さまですよ!」
「……まさか」
「じゃあ、姫さま。この天井からひょっこり貝が落ちてきたら、本物の観音さまだってことにしましょうよ」
「有り得ないわね」
「姉上……」
「さあ、姫さま。明日の衣の準備を致しましょう」
姫君より年上らしい少女がやって来た。弟君と女の童たちも立ち上がる。
姫君は遅れて膝を立てると、じっと屏風の方を見つめた。
可愛らしい顔立ちだが、何やら全て見透かされているようで、少将は生きた心地もしない。
はたして、姫君はそっと呟いた。
「寄る辺もないかたに、どうやって寄られるおつもり?」
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