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忘れ貝
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乱声が吹かれる。
高麗笛から始まり、途中から篳篥が付く――破の旋律と共に、二匹の龍が舞台に現れた。ゆったりとした所作で向かい合う。
納曾利は二匹の龍の戯れる様子を表した舞だという。
無造作に逆立ったような髪やぎょろりとした目玉。
おまけに牙まで生えた、少し恐ろし気な面をつけ、銀の桴を右手に、まるで双子の如く舞っていく。
寸分違わぬ動きで右下に目線を落とし、腰を落とし、両腕を振り上げた勢いのまま下ろし腰に当て、左足で地を踏む。
全ての動作が滑らかで、集まった聴衆から密やかなため息が漏れた。
唐渡りの曲とは違った高麗楽独特の笛の旋律に、絡み合う篳篥も相まって、場は異国風の情趣に酔いしれる。
やがて二匹の龍は膝を突き合わせて跪き、桴を地に突き立てた。
楽の音が鼓の合図で止まる。
急の演奏が始まると、桴を持った手を肩から大きく回し、双龍は立ち上がった。
距離をとって背中合わせになり、軽い足取りで舞台を巡る。
皆が双龍の一挙手一投足に注目していた。
少将にちらりとでも目を向ける者はいない。
兄たちの舞は続いていたが、少将は不意にいたたまれなくなり、宴席を離れた。
あてもなく歩いていると、微かな箏の音が耳に届き、少将は足を止めた。
(ここは……承香殿の御方のお住まいだが……)
まさか、女御自身が中宮主催の宴を無視して籠っているわけでもあるまい。
恐らく女房だろう。
少将は少しだけここで休もうと、濡れ縁に腰かけ、高欄に体を預けた。
何の曲を弾いているのか、と耳を澄ました少将が曲名に辿り着くのに時間はかからなかった。
催馬楽の、伊勢の海だ。
「伊勢の海の、清き渚で――あっ」
少将ははっとした。
姫君の書き付けは、伊勢の海の一節ではないか。
伊勢の海の清き渚で
潮が引いている間に「なのりそ」を摘もう
貝を拾おう 玉を拾おう
「なのりそ」とは藻の名前であるが、「名乗るな」という別の意味があるために和歌に織り込まれやすい語だった。
清らかな渚には何がある。
彼女が意図したのがなのりそだとすれば、「深い仲にはなりたくない」という意思がはっきりと示された文だったということだ。
少将はゆらりと立ち上がった。
気配を察したのか、箏の音が止まる。
「待って……待ってください!」
少将を呼び止めたのは、姫君の女の童の声だった。
格子を上げてみると、少女が鬼気迫る表情で佇んでいた。
「貝をお忘れになりませんでしたか?」
少女が差し出した貝殻は少将が州浜と共に手渡した貝の一つだ。
何も考えられず、差し出されるままに受け取ると、少女の顔は歪んだ。
「あなたも、姫さまをお見捨てになるのね」
「そ、そんなことは」
「なぜ、貝合をお助けになったの? こんなことなら、初めから捨て置いて下さった方がましだったのよ。そんな方だとは思わなかったわ!」
「お、落ち着いて」
「これが落ち着いていられる? 姫さまのことを何もご存じないから、そんな風に仰れるんだわ……ああ、お可哀想な姫さま……」
少女は少将を泣きそうな顔で睨み付ける。
「姫君は、私など望まれていない、ということだろう?」
ついに少女の目から滴が落ちた。
「それは……きっと、違うの」
「でも」
「姫さまは、諦めてしまっているから」
「何を?」
「普通に生きること、全部を」
高麗笛から始まり、途中から篳篥が付く――破の旋律と共に、二匹の龍が舞台に現れた。ゆったりとした所作で向かい合う。
納曾利は二匹の龍の戯れる様子を表した舞だという。
無造作に逆立ったような髪やぎょろりとした目玉。
おまけに牙まで生えた、少し恐ろし気な面をつけ、銀の桴を右手に、まるで双子の如く舞っていく。
寸分違わぬ動きで右下に目線を落とし、腰を落とし、両腕を振り上げた勢いのまま下ろし腰に当て、左足で地を踏む。
全ての動作が滑らかで、集まった聴衆から密やかなため息が漏れた。
唐渡りの曲とは違った高麗楽独特の笛の旋律に、絡み合う篳篥も相まって、場は異国風の情趣に酔いしれる。
やがて二匹の龍は膝を突き合わせて跪き、桴を地に突き立てた。
楽の音が鼓の合図で止まる。
急の演奏が始まると、桴を持った手を肩から大きく回し、双龍は立ち上がった。
距離をとって背中合わせになり、軽い足取りで舞台を巡る。
皆が双龍の一挙手一投足に注目していた。
少将にちらりとでも目を向ける者はいない。
兄たちの舞は続いていたが、少将は不意にいたたまれなくなり、宴席を離れた。
あてもなく歩いていると、微かな箏の音が耳に届き、少将は足を止めた。
(ここは……承香殿の御方のお住まいだが……)
まさか、女御自身が中宮主催の宴を無視して籠っているわけでもあるまい。
恐らく女房だろう。
少将は少しだけここで休もうと、濡れ縁に腰かけ、高欄に体を預けた。
何の曲を弾いているのか、と耳を澄ました少将が曲名に辿り着くのに時間はかからなかった。
催馬楽の、伊勢の海だ。
「伊勢の海の、清き渚で――あっ」
少将ははっとした。
姫君の書き付けは、伊勢の海の一節ではないか。
伊勢の海の清き渚で
潮が引いている間に「なのりそ」を摘もう
貝を拾おう 玉を拾おう
「なのりそ」とは藻の名前であるが、「名乗るな」という別の意味があるために和歌に織り込まれやすい語だった。
清らかな渚には何がある。
彼女が意図したのがなのりそだとすれば、「深い仲にはなりたくない」という意思がはっきりと示された文だったということだ。
少将はゆらりと立ち上がった。
気配を察したのか、箏の音が止まる。
「待って……待ってください!」
少将を呼び止めたのは、姫君の女の童の声だった。
格子を上げてみると、少女が鬼気迫る表情で佇んでいた。
「貝をお忘れになりませんでしたか?」
少女が差し出した貝殻は少将が州浜と共に手渡した貝の一つだ。
何も考えられず、差し出されるままに受け取ると、少女の顔は歪んだ。
「あなたも、姫さまをお見捨てになるのね」
「そ、そんなことは」
「なぜ、貝合をお助けになったの? こんなことなら、初めから捨て置いて下さった方がましだったのよ。そんな方だとは思わなかったわ!」
「お、落ち着いて」
「これが落ち着いていられる? 姫さまのことを何もご存じないから、そんな風に仰れるんだわ……ああ、お可哀想な姫さま……」
少女は少将を泣きそうな顔で睨み付ける。
「姫君は、私など望まれていない、ということだろう?」
ついに少女の目から滴が落ちた。
「それは……きっと、違うの」
「でも」
「姫さまは、諦めてしまっているから」
「何を?」
「普通に生きること、全部を」
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