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沖つ白波
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少将は呆然と、少女の頬に光る涙を見つめた。
「歌を喰らう、恐ろしい物の怪……」
「そうよ」
「歌を喰われると、姫君はどうなるんだ」
「わかりません。でも、姫さまの歌には、限りがあります。だって、姫さまは人なのですもの。何も知らない人たちが、姫さままで化け物のように言うけれど、姫さまはそんなんじゃないの!」
少女は声を絞り出し、一層強くしゃくり上げた。
少将は混乱する頭で考えた。
歌を喰らうという行為がどういうものなのかまるで想像できないが、もし、それが命を蝕むものだとしたら?
「姫さまを、助けて」
「えっ」
「貝合の時のように、助けてください。観音さま」
少女は熱の籠った瞳で訴えた。
「ど、どうやって?」
「物の怪を、やっつけてしまえばいいのよ」
「そんなこと言われたって、方法もわからないのに……」
少将は受け取った貝を見た。
姫君は私を遠ざけているのだ。
このままでは救うどころか、文を取り交わすことすらままならない。
姫君の愁いに満ちた横顔が脳裏に蘇る。
姫君は、少将の想像の中ですら、彼に微笑みを向けてはくれない。
けれども。
貝殻に、筆を走らせた。
「姫さま」
少女は息を弾ませて主人の寝所に馳せ参じた。
「ああ、戻ったのね。承香殿の御方はお元気だったの?」
姫君は無表情を崩さずに淡々と応じる。
「姫さま!」
「何よ、大きな声を出して」
苛立ったように言う姫君に、少女は毅然と向き合う。
「忘れ貝、受け取っていただけませんでした」
「あら、そう。諦めの悪い殿方ね」
「どうぞ」
差し出された貝を、姫君は渋々受け取った。
姫君の忘れ貝に書き付けられた一首は、さして美しくもない走り書きだった。
「……名乗るなと告げる渚に忘れじの心を君におきつ白波」
巧い歌かと問われれば、決してそうとも思えないのだが、舌に乗せると存外、心地の良い舌触りであった。
縁語が、巧みに選び抜かれたというよりは、詠み手の心の動きのままに配され、それが功を奏している。
姫君は瞠目した。
手蹟を目で追うだけでは見えなかった物語が、歌を口にすると、一瞬にして立ち現れることがある。
拾えば、想う人を忘れられるという忘れ貝。
渚に置かれた、忘れじのこころ――。
「姫さま、今日こそはお聞き入れ下さいませ」
少女の眼差しから伝わる強い思いは、勿論姫君に届いていた。
わかっている。誰にもわかってはもらえないのだと。
「……」
「あなたには、あなたの隣には、生きた殿方が相応しいの! 幻では駄目なんです」
「おかしなことを言うのね」
「おかしいのは姫さまの方ではございませんか!」
「私に相応しいかどうかは、私が決めること」
「どうしてわかっていただけないの? 姫さまの歌が、物の怪のために在るなんて、私には耐えられません。姫さまの素晴らしい歌はもっと――」
姫君は言い募る少女の言葉を遮った。
「違うわ」
「え」
「あの方がいなければ、私の歌など物の数には入らなかった。あの方の歌に触れなければ、私の歌に魂は宿らなかったの。ええ、おかしいわね、私は。でも私は、人ならぬあの方に教えられた」
「歌を喰らう、恐ろしい物の怪……」
「そうよ」
「歌を喰われると、姫君はどうなるんだ」
「わかりません。でも、姫さまの歌には、限りがあります。だって、姫さまは人なのですもの。何も知らない人たちが、姫さままで化け物のように言うけれど、姫さまはそんなんじゃないの!」
少女は声を絞り出し、一層強くしゃくり上げた。
少将は混乱する頭で考えた。
歌を喰らうという行為がどういうものなのかまるで想像できないが、もし、それが命を蝕むものだとしたら?
「姫さまを、助けて」
「えっ」
「貝合の時のように、助けてください。観音さま」
少女は熱の籠った瞳で訴えた。
「ど、どうやって?」
「物の怪を、やっつけてしまえばいいのよ」
「そんなこと言われたって、方法もわからないのに……」
少将は受け取った貝を見た。
姫君は私を遠ざけているのだ。
このままでは救うどころか、文を取り交わすことすらままならない。
姫君の愁いに満ちた横顔が脳裏に蘇る。
姫君は、少将の想像の中ですら、彼に微笑みを向けてはくれない。
けれども。
貝殻に、筆を走らせた。
「姫さま」
少女は息を弾ませて主人の寝所に馳せ参じた。
「ああ、戻ったのね。承香殿の御方はお元気だったの?」
姫君は無表情を崩さずに淡々と応じる。
「姫さま!」
「何よ、大きな声を出して」
苛立ったように言う姫君に、少女は毅然と向き合う。
「忘れ貝、受け取っていただけませんでした」
「あら、そう。諦めの悪い殿方ね」
「どうぞ」
差し出された貝を、姫君は渋々受け取った。
姫君の忘れ貝に書き付けられた一首は、さして美しくもない走り書きだった。
「……名乗るなと告げる渚に忘れじの心を君におきつ白波」
巧い歌かと問われれば、決してそうとも思えないのだが、舌に乗せると存外、心地の良い舌触りであった。
縁語が、巧みに選び抜かれたというよりは、詠み手の心の動きのままに配され、それが功を奏している。
姫君は瞠目した。
手蹟を目で追うだけでは見えなかった物語が、歌を口にすると、一瞬にして立ち現れることがある。
拾えば、想う人を忘れられるという忘れ貝。
渚に置かれた、忘れじのこころ――。
「姫さま、今日こそはお聞き入れ下さいませ」
少女の眼差しから伝わる強い思いは、勿論姫君に届いていた。
わかっている。誰にもわかってはもらえないのだと。
「……」
「あなたには、あなたの隣には、生きた殿方が相応しいの! 幻では駄目なんです」
「おかしなことを言うのね」
「おかしいのは姫さまの方ではございませんか!」
「私に相応しいかどうかは、私が決めること」
「どうしてわかっていただけないの? 姫さまの歌が、物の怪のために在るなんて、私には耐えられません。姫さまの素晴らしい歌はもっと――」
姫君は言い募る少女の言葉を遮った。
「違うわ」
「え」
「あの方がいなければ、私の歌など物の数には入らなかった。あの方の歌に触れなければ、私の歌に魂は宿らなかったの。ええ、おかしいわね、私は。でも私は、人ならぬあの方に教えられた」
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