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第二十七話 回想:ヘクターは恋を知り、夢を見つける

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 マグワート子爵家の三男として生を受けたオレは、生まれた瞬間から人生の道筋が決まっていた。マグワート子爵家は古くより王族との関わりが深く、ときには補佐役として、ときには従者や侍女として、代々王家に仕えてきた家柄であった。一応は子爵家として領地もあるので、長男は爵位と領地を継いで治めることも仕事ととなるが、他の息子や娘は王宮へ出仕するのが常であった。

 跡継ぎである長兄と、彼に万が一のことがあった場合のスペアとなるべき次兄もいたため、三男であるオレが領地を継ぐ可能性は低く、生まれたときから王家に仕えることが決まっていた。

 オレの将来が完全に確定したのは、二歳のときだった。国王夫妻に長男アルベールが誕生したからだ。彼より少し年上の自分は、彼の世話や補佐をするには打ってつけであり、また、将来の国王の片腕となれる可能性もあるだけに、両親はアルの誕生を大いに喜んだ。

 ちなみに、オレにはアルと同い年の妹がいる。幼い頃は理解していなかったが、両親は国王夫妻懐妊の報を受け、王子ではなく姫であったときに出仕させられる娘が欲しかったのだろう。生まれたアルが王子であり、また、二年後に生まれた国王夫妻の第二子も王子であったため、両親の妹への期待は薄く、彼女は伸び伸びと甘やかされて育った。さらに五年後には国王夫妻念願の王女が誕生したが、妹とはだいぶ歳も離れているため、傍仕えに選ばれることはなかった。

 幼い頃は自由な妹がうらやましくて仕方なかった。伸び伸びと育った彼女は、通常であれば王宮へ侍女として上がるのが常である我が家のしきたりからも外れ、魔術師を目指すと宣言し、王立学院ではなく魔術学院に進学した。相変わらず自由な妹に思うところもあったが、なんだかんだいって可愛い妹なので、自分の人生を楽しんでほしいと思う。また、今となっては魔術式の構築に優れた彼女を頼りにしている部分もあるため、よくぞ魔術学院に入ってくれたと思わないこともない。

 子どもの頃の二歳の年の差は大きいので、アルがある程度成長するまで、オレには束の間の自由があった。もちろん将来の第一王子側近候補として勉強はしていたし、月に数回程度アルの下へ面会に行き、少しずつ交流を持ってはいた。しかし本格的に王宮に住み込み、従者として働き始めるのは、アルが八歳、オレが十歳になってからと決められていた。


 あれはオレが間もなく十歳になる頃だった。オレにだいぶ懐いていた二歳年下のアルのことは、弟のように可愛いと思う気持ちはあったし、将来彼の側近となることにも異論はなかった。しかし、それを決めたのは大人たちで、自分で決めた未来ではないことが、なんとなく面白くなかった。オレがその役目に決められたのは、たまたまオレがマグワート子爵家の三男だったからという理由だけだ。何かオレに優れた要素があって選ばれたわけではない。

 また、第一王子付きの従者として家族の下を離れて王宮に住み込みになるというのは名誉なことではあったが、王宮の厳重な警備を知っているからこそ、オレにとっては自由を奪われ、閉じ込められるのだという気持ちが強く、憂鬱な気持ちでもあった。

 その頃の父は、領地の視察はもちろん、他の貴族の屋敷でのパーティーなどに、積極的にオレを連れ出していた。第一王子の側近となるオレの存在を周りにアピールしたかったのか、王宮に住み込みになる前に、オレに街や他の世界を見せてあげようという親心だったのかはよく分からない。当時の父の言動を振り返ると、その両方が正解だったような気もする。

 ある日、王都からほど近い街の男爵家のガーデンパーティーに父が招かれ、オレも同行させられた。子爵である父が男爵家のパーティーへ顔を出すということは珍しかったが、その家は男爵家とはいえ、貿易の成功で勢いのある家だったので、繋ぎを作りたかったのかもしれない。幼い頃のことだしそのあたりの経緯はよく理解していなかったが、オレはあの日、あの男爵家のパーティーへ連れて行ってくれた父には、一生頭が上がらない。それくらい、オレの人生が変わった日だった。

 その日のガーデンパーティーには同年代の子どもはほぼおらず、オレは間もなく十歳という幼くもない微妙な年齢だったため、社交も多少は必要だった。実際、王子の側近となったときに力になれるよう、貴族やその家族の顔や名前を頭に叩き込み、派閥情報などを入手することは欠かさず行っていた。しかし、幼い頃からそうするように教育されたオレの記憶力は結構なもので、その日も一度挨拶回りした時点で必要な情報は頭に入ったため、オレはすぐにそのパーティーに飽きていた。パーティーに関係なく遊びまわれるほど子どもではないし、真剣に社交し続けられるほど大人にもなれていなかったのだ。  
 
 オレは父に断りを入れ、パーティー会場である本庭ではなく、薔薇園があるという裏庭へ散策に行った。実際は散策という名目で、少し隠れて休憩しようと思っていた。

 よく手入れされた薔薇の生垣から少し外れた場所にちょうど良さそうな木陰を見つけ、オレは休むことにした。春の終わりのポカポカと暖かい日で、気疲れしていたオレはうっかり木陰でうたたねをしてしまった。どれくらいの間そうしていたのかは定かでないが、ふと自分の顔に影が差したような気がして少しだけ目を開くと、クリクリとした大きな瞳がオレの視界に飛び込んでくる。驚いて今度はしっかりと目を開けると、オレより少し年下くらいの幼い少女がオレの顔を覗き込んでいた。この家の使用人の娘だろうか。可愛らしいエプロンドレスに、大きなからのバスケットを両手で抱えている。

「………っわあ!」

 うたた寝でボーっとしているときに、突然目の前に女の子が現れ、オレは驚いた。その子は変な場所で寝ているオレに気付いて様子を見に来たらしい。

「あなた、つかれているの?…じゃなかった。しつれいいたしました。お客さま、ぐあいがわるいのですか?やしきの者につたえてお医者さまをおよびしましょうか?」

 女の子は、最初は純粋に疑問に思ったことをそのまま口に出したが、オレの身なりを見て今日のパーティーの客だと判断し、すぐに敬語に切り替えた。平民の子どもだというのにしっかりしていて感心してしまう。

「いや、ちょっと疲れていて木陰で休んでいたら、気持ちが良くて寝ちゃったみたいだ。大丈夫だよ」

「さようでございますか。それなら、よろしゅうございました」

 彼女はにっこり笑ってそう言った。見た目はどう見てもオレより年下の少女なのに、言葉遣いだけがやけに大人びていて、オレは思わず笑ってしまった。

「ふ、ふふふ…!キミはこの家の使用人のお嬢さんなのかな?そんなに丁寧に喋らなくても良いんだよ。オレも今度から、従者として働くんだ。立場は同じようなものだよ」

 男爵家の使用人の娘(仮)と、子爵家出身で第一王子の従者になるオレの立場は実際にはだいぶ違うが、可愛らしい彼女に普通に喋ってほしかったので、少しだけ嘘を交えてそう言った。

「そうなんだ!あなたはもうおつかえするご主人さまをきめたのね!」

 オレの言葉を聞いた女の子は、素直に言葉を崩し、焦げ茶色の瞳をキラキラと輝かせて話しかけてきた。

「決めたというか、決められたというか、…決まっていたんだよね」

 オレは、少し言葉のトーンを落とし、苦笑いしながらそう答えた。彼女はキョトンとして答えた。

「あなたは、あなたのご主人さまになる方が、すきじゃないの?」

「好きか嫌いかと言ったら、もちろん好きだよ。まだ幼いところはあるけれど、これから立派な方になると思う」

「その方のこと、そんけいできる?」

「難しい言葉を知っているんだね。そうだね、オレの方が年上だから、今は尊敬という感じではないけど、きっといつかそうなるんじゃないかな」

 少女はオレの返事を聞いて、大きく頷いた。そして、またも瞳をキラキラとさせて答える。

「じゃあ、かんたんだよ!あなたが選ぶがわになればいいのよ!」

「オレが、選ぶ側になる?」

 意味が分からず質問すると、彼女は体全体を使って身振り手振りで一生懸命説明してくれる。

「いまは、あながた自分できめていないから、ちょっとだけ、いやな気もちになっているんじゃない?あなたがこれからなんでもできるすごーーーいじゅうしゃになったら、たくさんの方があなたにつかえてほしいっていうわ。そのときに、いまのご主人さまがそんけいできるすばらしい方になっていたら、そのままおつかえすればいいよ。もっともっとそんけいできる方にであったら、こんどはその方につかえたらいいの。ゆうしゅうな人なら、もっといい仕事をあたえられてとうぜんだもの!あなたがすごーーーーい人になって、ほかの人にきめられるんじゃなくて、じぶんで選ぶの!」

 彼女の言葉に、オレは雷が落ちたような衝撃を受けた。その言葉はたどたどしいものであったが、言いたいことは理解できた。「マグワート子爵家の三男だから」という理由で王子の側近となる将来を決められたけれど、彼女はオレがまず優秀な従者になって、他からも声がかかるくらいの人材になれと言ったのだ。

 実際には第一王子の側近を引き抜くとなったら大変なことだが、確かに考えてみれば生きる道は王子の従者だけではない。オレが従者になるのは、オレが大人たちに「従者になるべき・従者にしかなれない」と思われているからだ。
 仮にオレが飛びぬけた魔術の才能を持っていたとしたら、王子の従者ではなく魔術師として働くべきと誰もが言うだろう。その方が有益だからだ。将来の王の側近として生きるとしても、細々と気が利くのであれば身の回りの世話や人脈を繋ぐのに向いているだろうし、優秀な頭脳を持っていれば政務の補佐や大きな仕事だって任されるだろう。それはオレの能力とこれからの努力次第で、いくらだって道が変えられるということだ。

 そして本当に有能な者となったなら、今度は自分が選択する側の人間となる。そのまま主に仕えることもできれば、仕え方の形を変えて政務官や、果ては宰相を目指す道だってあるかもしれない。万が一この国に愛想をつかすようなことがあれば、他国へ渡ることだって悪くない。マグワート子爵家の人間として誠意を見せて仕えた上での選択ならば、周囲を説得することも出来るはずだ。

 そうだ、オレの道は決められてなんていなかった。チャンスは与えられたが、これからの道は自分で切り拓くことができる。オレはそんな事実に初めて気づいたのであった。

 幼いながらに自分の持っていない視点で物事を見ている彼女に驚き、オレはそのあとも時間が許す限り彼女に質問をした。
 彼女はオレより二歳年下で、アルと同い年の八歳であった。彼女の将来の夢は、よく分からないが「ばあやになること」なのだと言う。そして彼女曰く、ばあやになるためにはその過程として優秀なメイドや侍女にならなければいけないので、今はなんでもできるようになるために様々なことに挑戦しているのだそうだ。

 最初は、実家のパン屋の手伝いから始めて、新しいパンの提案や販売を行ったこと。家で学べることが大方なくなったので、次は家の隣にあったカフェで皿洗いや掃除等の下働きをしたこと。そのカフェのテーブルクロスを作ったお針子に刺繍やレース編みを習っていること、また、カフェに野菜を卸している農家での手伝いもしていること。今日この男爵家の屋敷に来たのも、農家で採れた野菜を届けに来た帰りなのだという。

 先ほどオレに話してくれた「選ぶ側になれ」というのは、彼女自身の考えから来ているのだという。彼女は将来尊敬する主を見つけ、その方とその一家のために一生尽くすのが夢なのだそうだ。まだ見ぬ将来の主がどんな人物か分からないので、その人物まで手が届くことのできる自分になるために、また、主がどんな要望を出したとしても百パーセント叶えられるようになるために、どんな些細なことでも学び、身に着けたいのだと話してくれた。

 剣術も極めたいし、幻の花も咲かせたい。漁に出て魚を釣ることや、大工仕事も出来るようになりたい。とにかくなんでも自分でこなせるようになりたいのだと、彼女の夢は尽きない。その中にはオレからすると謎な技術や本当に必要なのか疑問になる項目も多かったが、彼女にとってそのすべては、「ばあやになる」という最終目標に繋がっているのだ。

 まだ八歳という年齢の、それも平民の少女が、これほどまでに自分の将来を本気で考え、努力する姿に、オレは打ちのめされた。子爵家に生まれたというだけで、自分自身は大した努力をすることもなく王族に仕える機会を与えられていながら、自身の境遇を嘆いてばかりだった。自分の甘さを痛感し、あまりにも情けなくて涙が出そうだった。そしてそんな自分のダメな部分を気付かせてくれた彼女に、どうしようもなく憧れ、惹かれていた。

「キミなら、将来きっと王妃様の侍女にだってなれるよ」

 オレの言葉を聞いた彼女は、「そんけいできるすばらしい王妃さまなら、それもいいわね!」と屈託なく笑った。彼女は本気で、例え王妃であろうと「尊敬できる素晴らしい」存在でなければ仕えたくないと思っているのだろう。そんな考え方ができる者が、世の中にどれほどいるだろうか。

 何気なく口にした言葉だったが、そんな日が来れば良いと、オレは本気で願っていた。彼女が未来の王妃のそばに上がるときに、未来の王の陰にはきっとオレがいるのだから。あれほど第一王子の側近として王宮に上がることを憂いていた気持ちは都合よくどこかへ捨て去り、オレの気持ちは真っ直ぐに未来を見据え始めていた。なんとしてもアルが立派な国王になるよう支え、彼女が仕えたくなるような素晴らしい妃を娶ってもらわねばならない。

 もっと彼女と喋っていたかったが、彼女は農家の手伝いへ戻ると言うし、オレもさすがにそろそろパーティーに戻らなくてはならない。名残惜しかったオレは、男爵家の使用人が使う裏口の木戸まで彼女を送っていった。
 別れの挨拶をしたものの、彼女の背中を見送るのが寂しくて見つめていると、大切なことを聞くのを忘れていたことに気付く。子どもらしく、すでに駆け出して二十歩ほど離れてしまった彼女に慌てて声を掛ける。

「ねえ!名前!教えて!」

 くるりと振り向いた彼女の薄い青紫色のエプロンドレスの裾と、ふわふわのピンクブラウンの髪が揺れる。

「ターニャだよ!またね!」

 彼女はオレの返事は待たず、笑顔だけ残して走り去っていった。根拠もなく「また」と言えるのは子どもの特権だ。

「…うん、ターニャ。

 すでに角を曲がって見えなくなってしまった彼女の背中に、ポツリと返事を返した。

 これから王宮に上がるオレが、彼女と再会できるのはいつのことだろう。まずはその日までに、彼女に胸を張って名乗れる自分になろう。

 それは、十歳のオレが、初めて自分の夢を見つけた瞬間だった。

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