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第二章 はじめての仕事、新たな歌

第二話 ストフさんちの住人

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 ストフさんのお宅には、実はあとふたり、いや、正確に言えばひとりと一匹の存在がある。

 ひとりは、メイドのポーラさん。見た目は二十代前半くらいなんだけど、実年齢は謎。ストフさんのことを子どもの頃からお世話していたと言っていたので、それが本当なら少なくとも三十代後半は過ぎているはずなのに、まったくそうは見えない。仕事のできるクール美人。

 三人兄妹のお母さんがいなくなってしまってお世話が大変になり、ストフさんがポーラさんにヘルプを求めたのがきっかけで、この家で働くようになったそうだ。

 それまで何人も乳母候補の女性や使用人候補の男性を会わせてみたけれど、その度にルチアがギャン泣き、ブレントとエミールにも伝染して三人揃って大泣きという地獄絵図になってしまい、使用人を雇うことは難航していたらしい。

 子どもたちに一体どういうセンサーが内蔵されているのか謎だけど、例えその場にいなくても家の中で家族以外の人の気配がするだけでダメだったそうだ。

 そこでストフさんが頼ったのがポーラさん。やはり子どもたちには大泣きされてしまったので子守はできなかったそうだけど、なんとポーラさんは完全に気配を遮断できるという凄腕メイドだったのだ!

 あの技術は本当にすごい。私も何度気配なく背後を取られてビビったことか。意外とお茶目な性格のポーラさんは、分かっていて私を驚かせているときもあるんだけど、毎回新鮮に驚いてしまう。

 ポーラさんのお仕事は、とにかく子どもたちに気配を悟られずに家の中の掃除や食事の支度などをすること。子どもたちの機嫌や気分によって、外で遊ぶこともあれば家の中を走り回ることもあるし、日によって子どもたちが遊びたがる場所も違うので、彼らに見つからないで仕事をするというのは至難の業だ。でも、ポーラさんは毎日見事にやってのけている。

 何か打ち合わせが必要なときには、子どもたちが全員お昼寝したタイミングを見計らってささっと済ませるか、互いにダイニングテーブルの上に置手紙をすることでやり取りをしている。
 なお、私が子どもたち三人を見ているときにはストフさんとポーラさんは少し離れた執務室で会話をすることができるので、主従の連携は問題なく取れているらしい。私が来る前はそのチャンスすらなくて苦労していたそうで、ストフさんにもポーラさんにも何度もお礼を言われた。

 子どもたちには近づけないものの、ポーラさんは三人の性格や好みも熟知していて、私やストフさんにもいろいろアドバイスをくれる頼もしい味方だ。
 この数週間で私はポーラさんのことがすっかり大好きになってしまった。年齢不詳の敏腕美人メイドだなんて、アニメや漫画の中にしかいないと思ってたからね。異世界転移してきた私よりもよほどチートキャラだと思う。



 そしてもうひとり、じゃなくて、一匹。

「ウー、ワウワウ!」

「しーっ!ダメよウルフ、さっきルチアとブレントが眠ったばっかりなんだから!」

「キュウウウン…」

 ウルフという名前の犬。地球で言うところのゴールデンレトリバーのような犬種なんだけど、毛の色が紫がかった銀色で、初めて会ったときには「そういえばここは異世界だった!何あれカッコいい!」と内心では大興奮だった。

「チヨ、ウルフを怒らないであげて。ウルフ、あっちで遊ぼう!」

「ワウ!…キュウ」

 ウルフはエミールに対してつい元気よく返事をしてから、私を見て音量を下げて言い直した。人の言うことをよく理解してくれる賢い犬で非常に助かる。
 私はお昼寝中のルチアとブレントのそばにいる必要があるので、一緒には行けない。部屋を出て、庭に面したテラスからエミールを見守る。

「エミール、ウルフ、気を付けて遊んでね。私はここで見てるから、何かあったら呼ぶのよ。あまり遠くには行かないでね」

「うん!」
「ワウー!」

 エミールのくるくるふわふわの髪と、ウルフの少しゴワゴワとした毛を撫でてから、ふたりを見送る。
 ストフさんちのお庭はとても広くて、手作りのブランコと滑り台、それから大きな木の枝から吊り下げられたターザンロープまであり、日本だったら街中にある小さめの公園と同じくらいの規模だ。
 この庭を見ただけで、ストフさんご夫妻がどれほど子どもたちを愛し、彼らのためにこの環境を整えたのかが伝わってくる。


 ウルフはエミールの親友。最初に名前を聞いたときは、犬なのになんでウルフ?と思ったものだけど。「ウルフ」という言葉は、この世界でも普通は狼のことを指す。人名や動物の名前、野菜の名前等には地球と音が似ているものもあって、不思議だなとは思うけれど、覚えやすくて助かっている。

 ウルフは、エミールが生まれたときにストフさんが知り合いからもらってきて、遊び相手になるようにとプレゼントした犬なんだそうだ。
 エミールが生後一週間、ウルフが生後二か月のときのこと。ストフさんは自分が生まれたときにも同じように犬を与えられたからと、エミールにも同じようにと考えたらしいけれど、エミールのお母さんは烈火の如く怒ったそうだ。

 曰く、生まれたばかりの子どもの世話だけでも大変なのに、子犬の世話までしろとは何事かと。

 うん、それ、私も大正論だと思う。赤ちゃんの頃から兄弟のように動物と育つと情操教育に良いとかいろいろ聞くけど、実際にお世話をするお母さんからしたらたまったもんじゃないよね。
 ひとり目の子どもが生まれてすぐだとただでさえまだ赤ちゃんのお世話に不慣れだし、精神的な起伏も多い時期だって聞く。犬の成長は早いけれど、まだ子犬だったならしつけもそれなりに大変だったはずだ。

 それでも、エミールのお母さんは「せっかく知り合いのお宅から預かって来た大切な命を放り出すわけにはいかない」と言って、最終的には飼うことを許してくれたそうだ。
 その代わりに、“エミールを守る強い犬になりなさい”という思いを込めて、「ウルフ」と名付けたんだって。エミールたちのお母さん、すごく素敵な人だったんだろうなあ。


 そして今、庭で元気に遊びまわっているエミールとウルフは、本当に良いコンビだと思う。ウルフはブレントとルチアにも優しいけれど、エミールに対しては良い意味で遠慮がないというか、良い友達でありつつ、自分の主として認めているというのが見ていて分かる。

 幼い弟妹優先でなかなか人に甘えたり、思いっきりはしゃいだりするのが苦手なエミールをいつも笑顔にしてくれる存在で、私にとっても頼もしい味方だ。

 ウルフと一緒に庭を駆け回り、楽しそうに笑うエミールと、部屋の中の子ども用ベッドで気持ちよさそうに眠るブレントとルチア。少し秋めいてきた風が心地よく、のどかな午後だった。

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