上 下
97 / 120
第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)

第零話 「プロローグ」

しおりを挟む


大人が100人程は入るであろう部屋を張り詰めた空気が支配する。


すり鉢状に凹んだこの部屋の中央には円卓が置かれており、それを4人のプレイヤーが囲む様に鎮座している。

周りにはその4人を静かに見守る観衆が猫一匹這い出る隙間もなく詰め寄っていた。


円卓の上にはおおよそ何に使うか分からない珍品とカードが並べられている。

そのカードを使った勝負は終盤に差し掛かり、次の瞬間にも決着がつこうとしていた。


恐らく誰かが栄光を掴み。

誰かが全てを奪われる。


この場にいる誰もがこの部屋で行われた物語の結果を望んだ。

ただ固唾を飲んで見守りながら。




話は数刻前に遡る……。



部屋の中央に備え付けられた円卓を見下ろすような形で燕尾服を纏った初老の男が手に持ったカードを切っている。


円卓に用意されたイスは四つ。


それぞれの席には、凡そ平民の手には入らないであろう高級な葉巻。しっかりと温度管理された紅茶、煌びやかな焼き菓子。そして並々と注がれたエールが並んでいた。



初老の男はカードを切る手を止め、懐へ忍ばせた懐中時計に目をやる。


目的地に辿り着いていない針に若干気を緩め、男は改めて円卓に並んだ四人プレイヤー達に目を向ける。



吸いつくした葉巻を無造作にテーブルで消し潰した男は“ヴィラン”と名乗った。


勝ち取ったコインをすくっては落とし、すくっては落としチャラチャラと音を鳴らす。


薄汚れたシルクハットの陰に隠れた表情からは不敵な笑みだけが垣間見えた。



そんな雑音さえ気にも留めず、静かに紅茶の香りを楽しんでいた麗人は“ライアー”と名乗った。


時より前髪を気にする様子を見せながら、男装の麗人はじっと目を閉じたまま、唯々紅茶を口に運ぶ。


温かさと香しさをそっと喉に流し込み、思わず漏れる溜息にその場にいた観衆は一瞬で心を奪われた。



そしてそれとは異なる甘い匂いをまき散らし、次々にお菓子を頬張る男は“クラウン”と名乗った。


絵本から飛び出してきたかの様な奇抜な格好と表情が読めないペイントの描かれた顔が次から次へとお菓子を頬張る。


何処を見ているのか、何を見ているのか、誰にも読めないその目線は時折ただ一点を見つめていた。



最後の円卓の主は豪快にエールを飲み干し片手で追加を指示した。その少女は“ドール”と名乗った。


先程まで男顔負けの飲みっぷりを見せつけた酒豪さとは裏腹に、幼さを残しつつも高貴さをも感じ取れる表情は眉一つ動かしていない。


時折周囲を見渡してはうつむく仕草は愛らしく、その度に空になるエールのジョッキが唯一違和感を残した。



初老の男は再び懐中時計に目をやる。


「お時間です。各々方ご準備はよろしいか?」


男の声に円卓のプレイヤーはそれぞれの時間を一旦止める。


「それではこれより最終ターンを行います。このゲームに賭けていただく物をテーブルへ」


四人は円卓の中央に設けられている更に一段高くなった円卓にそれぞれの持ち物を並べた。


ヴィランは羊皮紙を。

ライアーは動物の角を。

クラウンは小人の頭を。

ドールは水晶を。


それぞれ中央の円卓へ差し出した。


「これでベットは完了でございます。皆様ご依存はありませんかな?」


静かに、そして淡々と侵攻する男の言葉の後に、恐ろしく細長い手が宙を右から左に舞う。


「異議……というか質問」


クラウンと呼ばれた男は、相変わらず焦点の定まらない目で口だけをパクパクと動かしていた。


「ひとり……だけ……つりあわない……」


それまで、ただ甘いお菓子を頬張る事だけに使われた口が仕事をすると、それに真っ先に反応したのがヴィランだった。


「何だと小僧……俺の全財産が気に食わないとでも言うのかよ」


葉巻くさい手に握られた羊皮紙は男の全財産が記されていた。


土地や建物、商売の権利に人の名前。

とても真っ当な手段で手に入れたとは言えず、さらに手に入れた後も真っ当な手段では維持できそうにない物ばかりが書き連ねてある。ただ、それがとてつもない富であることは誰の目にも明らかであった。


「左様、我のユニコーンの角にしても同様じゃ。不老不死、最強の武具、どれに使うても伝説の一端になり得ようぞ。お主の持つ小人の頭蓋と同様にな」


すでに半分以上を飲み干した紅茶をソーサーに戻し、男装の麗人は表情を変えることなく自らと相手の品を見定める。


「それは分かってるよ。僕のだって“未来を視る”小人の頭だ。二人のベットに異議はない。ただ……」


三人の目が同時にある少女へ向けられる。


すでにいくつかの杯を空けた少女の目は一切の酔いもなく、真っ直ぐに3人を見つめ返す。



「まあ、確かに多少の説明は必要であろうな」

ライアーはその洗練された美しく細い指先でユニコーンの角を転がして見せる。


「そうでしょ?この場所にこれだけの観客もいて、石ころ一つ出されてもさ……」

クラウンは淡々と呟きながらも視線はその石から一瞬も離さなかった。


ヴィランはただニヤニヤと少女を見つめていた。


あまりにもこの場に不釣り合いな黒地のメイド服。

動くたびにヒラヒラと舞うレースと美しい銀髪の髪。

幼さの中に色気が混じる顔立ちの少女は、その化粧を必要としない天然の潤いと紅玉を秘めた唇を開く。


「エール……おかわり」


しばらくの沈黙の後ヴィランの高笑いが聞こえる。


ライアーは目を丸くし、クラウンは変わらず石だけを見ていた。


「あのさ……そのクソ度胸は認めるけどさ……それじゃあ答えになっていないよ」


ドールと名乗る少女は、ようやく運ばれてきたエールを一口飲むと、しょうがないとばかりに説明を始めた。


「私は水晶占い師です。この水晶は仕事道具であると同時に私自身です。つまりこれは私自身をベットしたも同じこと。この中の誰かが勝利したのであれば私を自由にしていただいて結構です」


そこで初めてクラウンの視線が少女の顔に移される。


空になったショットグラスが円卓にたたきつけられる。


「いいじゃねーか!嬢ちゃんが体張ろうってんだろ?おれは構わないぜ?」


ヴィランは相変わらずのにやけ顔で周囲を見渡す。


「まあ、いいだろう。要は勝つか負けるかだからの」


軽く溜息をつきながらライアーも承諾する。


ここで一転自分に視線が集まっていることに気付いたクラウンは、それでも視線を宙へと泳がせながら淡々と呟く。


「まあ……みんながいいなら……別にいいよ。確かに目当ては……このテーブルのどれでもなく、アレだからね」


グリンと急な角度に傾いたクラウンの首が向く方向には、一つの本が祭壇に飾られていた。


ヴィランが呟く

「この世の全てを手に入れる本」


ライアーが呟く

「この世の物ではない全ての本」


クラウンが呟く

「この世の果てを知るための本」


そして最後に目を細めドールが呟く

「グリモワール……」


《パチン》


初老の男が持つ懐中時計が金属音を立てて扉を閉める。


「では、ゲームを始めましょう」


それまで沈黙を保っていた観衆が声を張り上げ、その勢いはゲームの開始をこの部屋以外のにも告げる程になった。


割れんばかりの歓声の中、ドールと名乗った少女はぽつりと呟いた。



「タロ様……私が必ず戻してみせます……」



メイド服に銀髪の美少女は若干の不安をエールで流し込み、じっと祭壇に飾られた本を見つめている。


そこには、いつも傍らにいた黒猫の姿はなかった。
しおりを挟む

処理中です...