羽化の囁き

神楽冬呼

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第2話 胎動

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人間関係って現世だけでも色々ある。
そこに前世においての人間関係が絡んでくると更に複雑になる。
現に葵はまだ祥吾と以前のように話せない。
前世にあったことを今になって責めることは間違っている。
わかっていても、前世の記憶、その意識がどうしても拭えない。
愛情も、憎しみも、悲しみも、記憶と共に連鎖する。
身を以て、良く知った。
沢山悩んで、沢山傷ついて、それでも互いを信じる強さがないと、前世を共有する仲間は一緒にはいられない。
その強さが欲しい。


カランカランと乾いた鐘の音が鳴る。
店の扉が開かれ、冷たい風が吹き込んだ。
黒髪を結い上げ、俯き加減に店に入ってきた和装の女。
たな引く袖は鮮やかな緋色、黒い帯はぬばたまの黒髪のようだ。
楚々とした足運びで、女はこちらに向き直ると、ゆっくりと顔を上げた。
「初めまして、堂形  深鈴とうがた みすずと申します」
優しく香るような柔らかい声が紅い唇から発せられる。
葵は思わず立ち上がった。
白く透き通るような白い肌に、大きな二重の瞳、その顔、その声…………
「…………そんな」
つい驚きが口をついて出て葵は口元に手を当てた。
見れば、満琉も祥吾も和希も茫然と女を見つめている。
間違いない…その女は、架南に瓜二つ。
葵の前世である、架南に…………
「本日はお時間を頂戴致しまして、ありがとうございます」
言い終えて、女は深々と頭を下げる。
そして、紅い唇が弧を描き、目元を綻ばせた。
違和感を覚える微笑み。
まるで、その場にいる者達が驚き戸惑っている現状を眺めて楽しむかのような、そんな微笑みだ。
葵はハッとして要を見やる。
要は手にしたカップを持ち上げたまま、微動だにせず女を見つめていた。
軽く開かれたままの唇、瞬きもなく見開かれる瞳、僅かに眉を曇らせ、明らかに驚いている。
…………見惚れている?
かつての恋人に生写しのその人に。



西園寺グループは日本屈指の巨大総合商社である。
そして西園寺の名ばかりの後継者が祥吾であり、表舞台に立ちたくない祥吾は総務二課を立ち上げ特殊な業務を『仕事』とした。
ハイツ・スローネは主にその『仕事』を請け負う場として、住人たちは『仕事』に従事する者として、西園寺に雇われている形態なのだ。
葵一人を除いては。


堂形 深鈴は西園寺グループ傘下、堂形美容外科クリニックの院長、堂形 昌也の令嬢であり、問題事に直面している依頼人だった。
葵はカウンターで食器を拭きながら、テーブル席に視線を投げる。
(綺麗な着物…………)
こっくりと深く朱い地に、松や枝垂れ桜に鳳凰が舞う振袖、その袖口から白く細い手首が伸びて、満琉が差し出したコーヒーカップを手にする。
テーブルについているのは要と満琉。
普段であれば裏の部屋で依頼人の対応をするのに、今回は要がここでいいと言い出した。
祥吾はソファ席に座り、和希はカウンターに残り、多分それぞれが聞き耳を立てている。
「なーなー…………」
和希がカウンターに身を乗り出す。
「いつまでソレ拭いてんの?」
葵の手の中の皿を指差した。
気づけば、5分近く同じ皿を拭いていた。
「気になるんだ?」
何も言わず皿を片付ける葵の背中に和希が投げかける。
「…………気には、なる」
窓側に堂形 深鈴が、向かい合って要と満琉が座っているので、要の背中しか見えない。
(どんな顔してるんだろう)
架南に生写しの人を前にして、要はどう思うのか、気になって心がザワザワする。
「偶然、似てるのかな?あんなに似てたら…………」
ふいに、堂形 深鈴がその視線を滑らせた。
目が合った瞬間、ふわりと笑う。
口元も目元も笑っているのに、その瞳の奥にある何かが違うのだ。
言葉を失い、凝視する葵に気づき和希が背後を振り返ると、堂形 深鈴が目を逸らすところだった。
「オレはあの顔、昔からキライ」
ムスッと口を曲げて和希はカウンターに頬杖をつく。
「整いすぎてんだよなー。人形みてぇ」
確かに、堂形 深鈴の顔は整いすぎて見える。
覚醒して見る前世は、夢で自分の視点の意識を観る。
録画された映像をランダムに再生し観ているので、自分は映らないのだ。
だから葵が前世である架南の顔を見たのは、二度だけ。
その時の架南の顔は整っていて綺麗だったけれど、堂形 深鈴よりは感情があったように思う。
たった一人への愛に満ちていたから…………


「それでは、こちらで少々お待ちください」
話が終わったようで、要がそう言って席を立った。
カウンターに真っ直ぐに歩いてくる。
終わるのを待ち望んだはずなのに、なぜか急に要と言葉を交わすのが不安になった。
葵は何もせずにいられなくて、必要がないがコーヒーミルを手にする。
目が合わないように目を手元に伏せる口実が欲しかった。
堂形 深鈴が店に入ってきた時に見せた、要の顔が脳裏から離れない。
要の気持ちを疑う訳ではないし、疑いたくない。
けれど、あそこまで似ている人が現れたら気持ちが揺れて当たり前だと思う。
そう思うのだけど、それは考えただけでとても不快で、胸が騒ついて、嫌になる。
自分でも自分の気持ちがわからない。
「…………葵さん?」
カウンターの中に入ってきた要がそっと背中に触れる。
「顔色が悪いですよ」
「あ…、そうかな」
顔に出てしまっていたのかと、葵は焦る。
それでも顔を向けようとしない葵の頬に要は手のひらを滑り込ませた。
体温の低い要の手のひらが冷たく感じるほど、葵は顔を赤らめる。
要のそう言ったスキンシップにはかなり慣れたはずなのに、やけに恥ずかしかった。
堂形 深鈴の視線を感じたのだ。
「大丈夫ですか?」
明らかに態度のおかしい葵に、要は眉を潜める。
「うん、平気…………」
そう言うと、要の手が頬から離れた。
その代わりのように、要は葵の左手を握る。
カウンターに隠れて見えない、その場所で。
不安を読み取ってくれているような、そんな優しい手のひらに、葵はやっと要を見上げた。
目を合わせると、要が柔らかく微笑んだ。
「…………あのさ、お取り込み中悪いけど」
和希が呆れたように溜息をつき、口を開く。
「オレ、なんか仕事すんの?」
要が「ああ…」と忘れていたと言わんばかりに息をつくと声を潜めた。
「和希、当面交代で彼女の警護につく、日中は篠宮さん、放課後から朝にかけてはオレとお前の交代で」
「ちょい待ち、葵の付き添いは?」
「日中は葵の警護、その後彼女の警護」
「なんっだよソレ!労働基準法違反してるだろっ」
声のボリュームを上げた和希に要が口元に指を立てる。
「大学行かずにフラフラしている居候が、偉そうな事を言うな」
「オレ、いつ寝るんだよ!」
「図書館で大概寝てるんだろ」
「ちげーよっ!アレは冥想!!こう、危険を察知するアンテナをだな、こう…………研ぎ澄ませてんだよっ!!」
「違うアンテナだろ…」
「え…………ナニ、なんか知ってたりすんの?」
和希が急に狼狽える。
図書館の仕事に復帰した葵に付き添い、和希が警護してくれているが、葵が仕事中は昼寝かナンパと和希なりに時間を潰している。
和希のナンパを目にし過ぎて、葵はすでに和希の好みのタイプがわかってきたくらいだ。
「手始めに、彼女を家まで送り届けて篠宮と交代だ」
「………りょーかい」
痛い腹をつかれたからか、和希が渋々了承する。
「それは、困りますわ」
いつの間にか和希の背後にいた堂形 深鈴が割って入ってきた。
その後ろで満琉が手を合わせ無言で謝っている。
テーブルに引き止めておくことができなかったらしい。
「別件で要様にお話があるとのことで、お連れするようにとお父様に言われてます」
堂形 深鈴の伏せ目がちの目が葵を見る。
まるで品定めをするかのような、嫌な目である。
「今ご一緒頂けるのは要様でなくては…先程はそう言う手筈になったはずですが」
「わかりました…………出かける準備をするので、お待ち頂けますか?」
「はい、わかりました」
堂形 深鈴は満面の笑みを浮かべ、テーブル席へと踵を返した。
ソファ席にいて素知らぬ顔の祥吾が、そんな堂形 深鈴を広げた新聞から目から上だけを覗かせ眺めている。
そして要が繋いだ手をそのままにエレベーターホールへの扉を開ける時、葵は祥吾と目が合った。
何か言いたげで気になる目をしていた。
気にはなるが、そのままに葵は要の手を握り廊下を歩く。
いつもの要と雰囲気が違う。
緊張しているのだろうか…
堂形 深鈴の口調から、要が自分を気遣い残ろうとしたのだ。
(…………足を引っ張るようなことしてる)
こんな事では、ここでは暮らせない。
仕事に協力できないなら、せめて邪魔をしないようにしないと。
「要くん、私は大丈夫だから」
エレベーターを待ちながら葵は要を見上げる。
「…………………」
何か考えこんでいるのか、返答のないままエレベーターに乗り込む。
ただしっかりと握られた手が何かを伝えようとしているように思えた。
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