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第6話 衝動
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さっきまであんなに腹立たしかったのに…
葵は要に背を向け座り込み、ブラホックに手を回す。
微かに聞こえる和希の声、エレベーターの前にいるらしい。
(…それがなければ)
止まらない勢いだった。
葵は思い出し顔を熱くする。
指先がうまく動かなくてホックがかからない。
見兼ねた要の手が服の中に入り込む。
「そういう姿もそそられますね」
ホックを止めるついでのように、頸へキスをした。
「…あっ」
思わず声が出て葵は更に熱くなる頬に手を当てた。
「続きはあとで…とりあえず出ましょう」
小さく笑いながら要は立ち上がり、葵に手を差し伸べる。
この手を取ったら「続きはあとで」に同意したことになるのだろうか。
葵は一瞬そんなことを考えてから、要の手を掴んだ。
要は葵を立ち上がらせると、エレベーターの扉に手をつき数秒間、目を閉じた。
何かが這いずるような音が頭上から近づき、カゴの周囲を回っているように聞こえた。
その音が止まるのを待っていたかのように、要は一息ついてから扉をこじ開ける。
手伝おうかと葵は後ろでオロオロしたものの、扉はあっさり開いた。
「…あー、やっとかよ」
エレベーターの出入口、上から三分の一くらいの空間がぽっかりと空いていて、和希が覗きこんでいた。
三分の二はコンクリの壁だ。
「何階だ?」
「3階…てか、おせーよ。まず開けろよ、ココをっ」
「悪いな。立て込んでた」
「立て込んでた?」
和希が目を細め、葵を見やる。
葵はつい、目をそらした。
まだ胸の動悸がおさまらない。
触れられた部分が熱くて、切なくて、体が落ち着かない。
服の中に手を入れられたことは初めてではないけど、何だか今回は触れ方が違った気がする。
その先が確実にあるような、止めるつもりのない指先。
触れながら反応を見るのではない、欲情に任せた行為…すごく求められている感じがした。
「…葵さん」
「はいっ」
急に要に名前を呼ばれ、声が裏返る。
(ああ、もう…意識しないでいられない)
ジト目で上から眺めている和希の視線まで気になる。
「肩車で上から出てください」
「………はぃ?」
「和希は葵さんを連れてすぐにホテルを出てくれ」
きょとんとしている葵をよそに、要は和希に指示を出し、鍵を手渡す。
「駐車場にバイクがある。ナンバーはわかるな?」
「わかるわかる!やりぃー、バイク」
「安全運転で迅速に帰れよ」
はしゃぐ和希に釘を刺しながら要が振り返り…
「さぁ、葵さん」
葵に背を向けしゃがんだ。
(肩車って言ってた…肩車ってアレだよね?あの、肩に乗る…首にまたがるってこと?)
しかも今日に限って、短めのタイトスカートをはいてしまっている。
厚めのストッキングは履いているけど、太腿がダイレクトに当たる気がする。
「………」
距離を置いたまま戸惑う葵を肩越しに見やり、要は立ち上がった。
「…仕方ないですね」
そう言うと優しく微笑んで息を吐く。
「和希、このまま2階に落とすから、待機を」
「え?2階は目立たないか?」
「一瞬で出るから、開けとけ」
「…へーイ」
軽やかに走り去る和希の足を見送り、要は葵の手を取る。
「ちょっと衝撃がきますよ」
「…落とす?」
「ええ、さっき能力でカゴの周囲に水を纏わせました。非常止め装置が微妙だったので落下防止の為に」
能力、要には水を操る特殊能力がある。
天使を先祖とする天使えの一族は様々な特殊能力に恵まれていたと聞く。
それ故に、転生者の中には記憶だけでなく、特殊能力が覚醒する者もいるらしい。
要は少し違うケースだけに、かなり秀でた能力者である。
「なので、今は少しでも気を抜くと落ちる状態です」
「え?!」
葵はとっさに要の腕にすがりつく。
「いきますよ」
要が葵の頭を抱えこむ。
ガガガッ、と音を立てカゴが揺れながら落ちるが、最初に落ちた時よりも速度は遅く、衝撃も少ない。
要がしっかり能力をコントロールしているのがわかった。
「いいぞっ」
和希の合図で、要に手を引かれエレベーターを駆け出る。
振り返る間もなく非常階段へと走る。
エレベーターを降りて気がついた。
異常が起きていたのはエレベーターだけではないのだ。
廊下は薄暗く、煌びやかに照らしていた照明が一つもついていない。
足元を照らす非常灯だけが、ぼんやりとカーペットを照らす。
ホテル全体が停電しているのかもしれない。
呪縛が引き起こす惨事…今まで何度か呪縛により危ない状態に陥ってきたけれど、今回は被害が大きいのかもしれない。
「葵さん、あとで…」
非常階段で要の手がそっと放される。
「要くんは?」
「被害状況を確認してから戻ります。ここは西園寺系列のホテルなので…」
要はボディバッグからハンディライトを取り出し和希に放った。
「…そっか。気をつけてね」
「葵さんは和希とちゃんと真っ直ぐ帰ってくださいね」
要は笑顔だけれども、念を押す口調には棘を感じた。
和希の警護を巻いて勝手に行動したことをかなり根に持たれたらしい。
(…怒られて当たり前だけど)
「おい、行くぞー」
和希が「早く早く」と急かす。
なぜだろう…とても離れがたくて、放れた手のひらの温もりが恋しくて、不安になった。
気づいたら要の肩に手を回し、背伸びをしていた。
キスができる距離へ、自分から。
自分から触れた要の唇はいつもより冷たく感じる。
「…じゃあ、陽だまりで」
恥ずかしくて要とは目を合わせずに階段を下りた。
「…んでさ、いきなりブチュッと!」
和希がカウンターの中の満琉に向かいヘラヘラと笑う。
葵はカウンターに突っ伏して赤面する顔を隠した。
何で、和希の前で、あんなことをしてしまったのか…
今生の別れでもないのに、なぜあんな気持ちになったのか。
自分の行動が全くわからない。
「昨日なんかさ、オレにとんでもない相談してきて、処…」
「わああぁっ!」
葵は慌てて顔を上げ、和希の口を手のひらで塞いだ。
「葵ちゃんからって言うのは新しいパターンね」
満琉がくすくすと笑い声を上げる。
店の扉が開かれ鐘が鳴り、葵は和希から手を離した。
帽子を目深にかぶった要が顔を上げる。
「和希、バイクを店の前に停めたままにするんじゃない」
若干、機嫌が悪そうな声色と軽く乱れた息。
「…あー、忘れてた」
面倒臭そうに和希が立ち上がる。
要とすれ違い様、和希が「お疲れー」と肩を叩く。
入れ違いにカウンターに辿り着いた要から、葵は目をそらした。
何となく目が泳いでしまう。
「要くん、おかえりなさい」
「ただいま戻りました…」
帽子をとりながら要は隣に座る。
「ホテルの被害状況どうだったの?」
満琉が忙しく手元を動かしながら、顔も上げずに尋ねた。
要は疲れた面持ちでカウンターに肘をつく。
「明日の新聞には乗るでしょうね。原因不明の停電で、軽症者数名…平日だった事だけがせめてもの救いでした」
「さっき篠宮からの報告で、お嬢様は無事にご帰宅されたそうよ」
「でしょうね、部屋にいなかったので」
やっぱり怪我人が出たのか、と罪悪感に口を閉ざしていた葵は、要の言葉に引っかかる。
「部屋?…何で部屋に戻ったの?」
「確認と…」
「確認?!深鈴さんを見に行ったの?!」
「いちお、依頼人ですから」
しれっと言って退ける要に、妙に腹が立った。
あの光景が鮮明に過ぎる。
「…依頼人ならなんであんなことに」
ジリジリと胸が焼け付いて、言わなくてもいいことが口をついて出る。
「葵さんに見せてしまったことは謝りますが、必要なことだったんですよ」
「必要?!ベットに押し倒されることが必要って何??」
「ベットの件は予想外でしたが」
「予想外の事で何であそこまでになるの?」
「やましい事はありませんでしたよ」
「あの体勢がそもそもやましいのっ」
視線を感じて葵は我に帰る。
カウンターの中を見ると、満琉といつの間にか戻った和希が満面の笑みで眺めていた。
「珍しいもの見ちゃった」
「へー、ベットに押し倒されたんだ」
ニヤニヤしている和希がかなり鼻に付く。
多分これは要にとっても嫌な事態だろう。
恐る恐る隣を見やると、眉をしかめた要がイスを立つところだった。
これは確実に、見せてはいけないものを、見せてはいけない人に見せてしまった。
「葵さん、部屋に戻ってきちんと話し合いましょう」
「…う、うん」
このまま、ここにいるのも針のむしろなので、応じてイスは立ったものの…
(二人っきりになったら、またなし崩しになるような)
さっきも何故かそう言う方向にもっていかれ、快感に流されて怒りを忘れていた。
挙句、離れ難くて自分からキスまでして…
エレベーターホールへのドアを通る時に和希と目が合うと、愉しげに手を振っていた。
和希に見られたのは痛い。
エレベーターを前に葵は深々と溜息を吐く。
(なんだか、うまくいかない)
感情の起伏に左右されて、大切なものを見逃している気がする。
架南に生き写しの深鈴が現れてから、どんどん胸のざわつきが増す。
「葵さん…」
声をかけられ横を見上げると、要がボディバッグから何かを取り出すところだった。
「これを、部屋に取りに戻りました」
差し出されたのは眼鏡。
要が初めて助けてくれた時に落としていき、それからしばらく葵が持っていたものだ。
最近、それを要に返してからまたかけ始めていた。
「…その、外されてしまったので」
「はず………」
場面を想像しそうになり、葵は頭を振る。
「嫌な思いをさせて、すみません。だけど、本当に何もありませんでしたから」
眼鏡をかけながら要は力なくそう告げる。
落ち込んでいるように見える。
(責め…過ぎたかな)
要を信じてない訳ではないのに、嫉妬と独占欲が肥大して頭をもたげる。
堪らなく腹立たしいのに、とても愛おしい。
自分がこんな気持ちを抱くようになるなんて、思ってはいなかった。
恋って、そう言うものなのかな…
喜び、怒り、悲しみ、色々な感情がそれまでにないスケールで湧き上がる。
隠れていた自分が露わになって、抑制できない。
だから、形振り構わず恋をする事は勇気がいることなのだろう。
自分の卑屈さも、汚さも、弱さも見えてしまう。
それを受け入れて認める強さが欲しい。
架南にはその強さがあった…
恋に生きて、恋に死んだ。
生き急いだ短い人生で、命を懸けて恋をした人。
ただただ、彼だけが欲しかったんだ。
自分も今、しているんだ…
相手の全てが欲しくなる恋。
葵はそっと、要の手のひらに指を滑らせた。
目を見開いた要に、葵は微笑んだ。
葵は要に背を向け座り込み、ブラホックに手を回す。
微かに聞こえる和希の声、エレベーターの前にいるらしい。
(…それがなければ)
止まらない勢いだった。
葵は思い出し顔を熱くする。
指先がうまく動かなくてホックがかからない。
見兼ねた要の手が服の中に入り込む。
「そういう姿もそそられますね」
ホックを止めるついでのように、頸へキスをした。
「…あっ」
思わず声が出て葵は更に熱くなる頬に手を当てた。
「続きはあとで…とりあえず出ましょう」
小さく笑いながら要は立ち上がり、葵に手を差し伸べる。
この手を取ったら「続きはあとで」に同意したことになるのだろうか。
葵は一瞬そんなことを考えてから、要の手を掴んだ。
要は葵を立ち上がらせると、エレベーターの扉に手をつき数秒間、目を閉じた。
何かが這いずるような音が頭上から近づき、カゴの周囲を回っているように聞こえた。
その音が止まるのを待っていたかのように、要は一息ついてから扉をこじ開ける。
手伝おうかと葵は後ろでオロオロしたものの、扉はあっさり開いた。
「…あー、やっとかよ」
エレベーターの出入口、上から三分の一くらいの空間がぽっかりと空いていて、和希が覗きこんでいた。
三分の二はコンクリの壁だ。
「何階だ?」
「3階…てか、おせーよ。まず開けろよ、ココをっ」
「悪いな。立て込んでた」
「立て込んでた?」
和希が目を細め、葵を見やる。
葵はつい、目をそらした。
まだ胸の動悸がおさまらない。
触れられた部分が熱くて、切なくて、体が落ち着かない。
服の中に手を入れられたことは初めてではないけど、何だか今回は触れ方が違った気がする。
その先が確実にあるような、止めるつもりのない指先。
触れながら反応を見るのではない、欲情に任せた行為…すごく求められている感じがした。
「…葵さん」
「はいっ」
急に要に名前を呼ばれ、声が裏返る。
(ああ、もう…意識しないでいられない)
ジト目で上から眺めている和希の視線まで気になる。
「肩車で上から出てください」
「………はぃ?」
「和希は葵さんを連れてすぐにホテルを出てくれ」
きょとんとしている葵をよそに、要は和希に指示を出し、鍵を手渡す。
「駐車場にバイクがある。ナンバーはわかるな?」
「わかるわかる!やりぃー、バイク」
「安全運転で迅速に帰れよ」
はしゃぐ和希に釘を刺しながら要が振り返り…
「さぁ、葵さん」
葵に背を向けしゃがんだ。
(肩車って言ってた…肩車ってアレだよね?あの、肩に乗る…首にまたがるってこと?)
しかも今日に限って、短めのタイトスカートをはいてしまっている。
厚めのストッキングは履いているけど、太腿がダイレクトに当たる気がする。
「………」
距離を置いたまま戸惑う葵を肩越しに見やり、要は立ち上がった。
「…仕方ないですね」
そう言うと優しく微笑んで息を吐く。
「和希、このまま2階に落とすから、待機を」
「え?2階は目立たないか?」
「一瞬で出るから、開けとけ」
「…へーイ」
軽やかに走り去る和希の足を見送り、要は葵の手を取る。
「ちょっと衝撃がきますよ」
「…落とす?」
「ええ、さっき能力でカゴの周囲に水を纏わせました。非常止め装置が微妙だったので落下防止の為に」
能力、要には水を操る特殊能力がある。
天使を先祖とする天使えの一族は様々な特殊能力に恵まれていたと聞く。
それ故に、転生者の中には記憶だけでなく、特殊能力が覚醒する者もいるらしい。
要は少し違うケースだけに、かなり秀でた能力者である。
「なので、今は少しでも気を抜くと落ちる状態です」
「え?!」
葵はとっさに要の腕にすがりつく。
「いきますよ」
要が葵の頭を抱えこむ。
ガガガッ、と音を立てカゴが揺れながら落ちるが、最初に落ちた時よりも速度は遅く、衝撃も少ない。
要がしっかり能力をコントロールしているのがわかった。
「いいぞっ」
和希の合図で、要に手を引かれエレベーターを駆け出る。
振り返る間もなく非常階段へと走る。
エレベーターを降りて気がついた。
異常が起きていたのはエレベーターだけではないのだ。
廊下は薄暗く、煌びやかに照らしていた照明が一つもついていない。
足元を照らす非常灯だけが、ぼんやりとカーペットを照らす。
ホテル全体が停電しているのかもしれない。
呪縛が引き起こす惨事…今まで何度か呪縛により危ない状態に陥ってきたけれど、今回は被害が大きいのかもしれない。
「葵さん、あとで…」
非常階段で要の手がそっと放される。
「要くんは?」
「被害状況を確認してから戻ります。ここは西園寺系列のホテルなので…」
要はボディバッグからハンディライトを取り出し和希に放った。
「…そっか。気をつけてね」
「葵さんは和希とちゃんと真っ直ぐ帰ってくださいね」
要は笑顔だけれども、念を押す口調には棘を感じた。
和希の警護を巻いて勝手に行動したことをかなり根に持たれたらしい。
(…怒られて当たり前だけど)
「おい、行くぞー」
和希が「早く早く」と急かす。
なぜだろう…とても離れがたくて、放れた手のひらの温もりが恋しくて、不安になった。
気づいたら要の肩に手を回し、背伸びをしていた。
キスができる距離へ、自分から。
自分から触れた要の唇はいつもより冷たく感じる。
「…じゃあ、陽だまりで」
恥ずかしくて要とは目を合わせずに階段を下りた。
「…んでさ、いきなりブチュッと!」
和希がカウンターの中の満琉に向かいヘラヘラと笑う。
葵はカウンターに突っ伏して赤面する顔を隠した。
何で、和希の前で、あんなことをしてしまったのか…
今生の別れでもないのに、なぜあんな気持ちになったのか。
自分の行動が全くわからない。
「昨日なんかさ、オレにとんでもない相談してきて、処…」
「わああぁっ!」
葵は慌てて顔を上げ、和希の口を手のひらで塞いだ。
「葵ちゃんからって言うのは新しいパターンね」
満琉がくすくすと笑い声を上げる。
店の扉が開かれ鐘が鳴り、葵は和希から手を離した。
帽子を目深にかぶった要が顔を上げる。
「和希、バイクを店の前に停めたままにするんじゃない」
若干、機嫌が悪そうな声色と軽く乱れた息。
「…あー、忘れてた」
面倒臭そうに和希が立ち上がる。
要とすれ違い様、和希が「お疲れー」と肩を叩く。
入れ違いにカウンターに辿り着いた要から、葵は目をそらした。
何となく目が泳いでしまう。
「要くん、おかえりなさい」
「ただいま戻りました…」
帽子をとりながら要は隣に座る。
「ホテルの被害状況どうだったの?」
満琉が忙しく手元を動かしながら、顔も上げずに尋ねた。
要は疲れた面持ちでカウンターに肘をつく。
「明日の新聞には乗るでしょうね。原因不明の停電で、軽症者数名…平日だった事だけがせめてもの救いでした」
「さっき篠宮からの報告で、お嬢様は無事にご帰宅されたそうよ」
「でしょうね、部屋にいなかったので」
やっぱり怪我人が出たのか、と罪悪感に口を閉ざしていた葵は、要の言葉に引っかかる。
「部屋?…何で部屋に戻ったの?」
「確認と…」
「確認?!深鈴さんを見に行ったの?!」
「いちお、依頼人ですから」
しれっと言って退ける要に、妙に腹が立った。
あの光景が鮮明に過ぎる。
「…依頼人ならなんであんなことに」
ジリジリと胸が焼け付いて、言わなくてもいいことが口をついて出る。
「葵さんに見せてしまったことは謝りますが、必要なことだったんですよ」
「必要?!ベットに押し倒されることが必要って何??」
「ベットの件は予想外でしたが」
「予想外の事で何であそこまでになるの?」
「やましい事はありませんでしたよ」
「あの体勢がそもそもやましいのっ」
視線を感じて葵は我に帰る。
カウンターの中を見ると、満琉といつの間にか戻った和希が満面の笑みで眺めていた。
「珍しいもの見ちゃった」
「へー、ベットに押し倒されたんだ」
ニヤニヤしている和希がかなり鼻に付く。
多分これは要にとっても嫌な事態だろう。
恐る恐る隣を見やると、眉をしかめた要がイスを立つところだった。
これは確実に、見せてはいけないものを、見せてはいけない人に見せてしまった。
「葵さん、部屋に戻ってきちんと話し合いましょう」
「…う、うん」
このまま、ここにいるのも針のむしろなので、応じてイスは立ったものの…
(二人っきりになったら、またなし崩しになるような)
さっきも何故かそう言う方向にもっていかれ、快感に流されて怒りを忘れていた。
挙句、離れ難くて自分からキスまでして…
エレベーターホールへのドアを通る時に和希と目が合うと、愉しげに手を振っていた。
和希に見られたのは痛い。
エレベーターを前に葵は深々と溜息を吐く。
(なんだか、うまくいかない)
感情の起伏に左右されて、大切なものを見逃している気がする。
架南に生き写しの深鈴が現れてから、どんどん胸のざわつきが増す。
「葵さん…」
声をかけられ横を見上げると、要がボディバッグから何かを取り出すところだった。
「これを、部屋に取りに戻りました」
差し出されたのは眼鏡。
要が初めて助けてくれた時に落としていき、それからしばらく葵が持っていたものだ。
最近、それを要に返してからまたかけ始めていた。
「…その、外されてしまったので」
「はず………」
場面を想像しそうになり、葵は頭を振る。
「嫌な思いをさせて、すみません。だけど、本当に何もありませんでしたから」
眼鏡をかけながら要は力なくそう告げる。
落ち込んでいるように見える。
(責め…過ぎたかな)
要を信じてない訳ではないのに、嫉妬と独占欲が肥大して頭をもたげる。
堪らなく腹立たしいのに、とても愛おしい。
自分がこんな気持ちを抱くようになるなんて、思ってはいなかった。
恋って、そう言うものなのかな…
喜び、怒り、悲しみ、色々な感情がそれまでにないスケールで湧き上がる。
隠れていた自分が露わになって、抑制できない。
だから、形振り構わず恋をする事は勇気がいることなのだろう。
自分の卑屈さも、汚さも、弱さも見えてしまう。
それを受け入れて認める強さが欲しい。
架南にはその強さがあった…
恋に生きて、恋に死んだ。
生き急いだ短い人生で、命を懸けて恋をした人。
ただただ、彼だけが欲しかったんだ。
自分も今、しているんだ…
相手の全てが欲しくなる恋。
葵はそっと、要の手のひらに指を滑らせた。
目を見開いた要に、葵は微笑んだ。
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