羽化の囁き

神楽冬呼

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第10話 羽化

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天使えの一族はこのまま緩やかにその血を消していくだろう。
ここ20年近く、転生者は急激に数を減らした。
転生できる器がないのだ。
西園寺グループの中で、それを危惧するメンバーがいる事も知ってはいた。
その一人が、堂形昌也、深鈴の父親だ。

要は病室の扉をノックする。
「どうぞ」と応える、低い男の声。
病室の中には、未だ意識が戻らない深鈴が横たわり、そのベットの傍に堂形昌也がいた。
闇は祓えたものの、深鈴は意識を失ったまま入院している。
闇を祓われた人間は大概数日昏睡する。
想定内ではあるが、気持ちは重い。
「すまないね、こんなところで」
堂形昌也に連絡したところ、ここに呼び出されたのだ。
「いいえ、構いませんよ」
花束を渡し、要は深鈴の顔を見やる。
「顔色がいいですね」
「ああ、感謝するよ。明日には意識も戻りそうだ」
「それは、良かった…」
堂形昌也は非の打ち所のない笑顔を向けてくる。
「ところで、確認なのだがね」
イスを勧めながら堂形昌也が窓際のイスへと腰掛ける。
「今すぐでなくても構わないのだよ。深鈴との縁談を考えて欲しくてね」
要はイスには座らず、窓際まで歩を進める。
堂形昌也の横に立ち、外を眺めた。
「恐縮ですが、その件を考える機会が訪れることはありません」
「日向  葵さん、でしたか…婚約者の方は」
堂形昌也は妙な間を空け、葵の名を口にする。
「架南様の生まれ変わりの方でしょうが、孤児院育ちとのこと、血筋は辿れない…」
「それが、何か?」
要は顔も向けず、細めた目だけを横に投げた。
堂形昌也と目が合い、逸らされた。
「要様、貴方は一族の生きた宝だ。一族再興にはなくてはならない…その貴方が、家柄のない娘と婚姻となれば、反対する声が…」
「申し訳ないが、堂形さん」
堂形昌也の言葉を遮り、要は腕を組む。
「一族再興にオレは関わるつもりはない」
「なんだって?!」
堂形昌也が勢いよく立ち上がり、イスが倒れる。
「天使えの象徴とも言うべき存在だ!何より、一族再興の為に存在しているはずだっ」
「今更、再興させてどうするんですか?」
動じずに淡々と口を開く要に、堂形昌也は気圧された。
「堂形さん、娘の、何がしたいんですか?」
口調だけではない。
要の黒く深い眼光の鋭さが、堂形昌也を貫き、堂形昌也は答えることができず、唇を噛んだ。
「一族は遠い昔にすでに滅んだ。西園寺グループを作ったのは、再興の為ではない」
事実、西園寺グループは力をつけ過ぎている。
更に権力を求める者が現れても、仕方のないことではあるが、それは人が人として行うべきだ。
堂形昌也の狙いは、再興にこじつけた特殊能力者の育成だろう。
より深い血族による転生者の能力覚醒。
黙り込む堂形昌也の横から要は離れ、ベットの横で足を止める。
「言っておきますが…」
口を開き、要は深鈴に目を落とす。
「日向  葵に余計な手出しをしたら」
堂形昌也が固唾を飲んで要を見た。
その視線を受け止め、要は眉を寄せる。
「一族再興どころか、西園寺グループが滅びますよ」
要は冷涼さを浮き立たせ、凛とした気迫を堂形昌也に植え付ける。
「では、これで失礼します」
深鈴を一瞥し、要は病室を出る。
深鈴は言わば、父親から植え付けられた思想の被害者だ。
多分、これでは終わらない。


継承の儀を行うことで一族総帥となり、『結界』の能力を発動できることとなる。
継承の儀を受ける為に必要な『証』が葵に現れた。
全くの想定外。
彼女を抱いた事は、時期尚早だったか。
(だが、あんな顔されたら…)
要は綻ぶ表情を抑えながら、フルフェイスのヘルメットを外す。
今まで抑制が効いていたのは、葵がそう言うことには及び腰だったからだ。
キス一つに狼狽えて、慣れる気配もなく無垢なまま…
一度一線を越えると止め処なく求めてしまいそうだし、入籍するまで待とうとも思っていた。
それが嫉妬であそこまで変わるとは。
深鈴の登場で動揺はしても、あそこまでの嫉妬を受けるとは思っていなかった。
葵には時々、驚かされる。
駐輪場からの角を曲がり、顔を上げると陽だまりの店先に人影が二つ。
塵取りを持ちしゃがむ和希と、ほうきを持った葵だ。
和希がこちらに気づき、葵が振り返る。
手を振る姿が愛らしい。
「要くん、おかえりなさい」
頬を桜色に染めた満面の笑み。
穢されたくないと思う。
「…ただいま、葵さん」
要は、その体を腕の中へ抱き寄せる。
何があろうと護らなくては…
絶対に失いたくない。
「か、要くん…ちょっと」
葵があたふたと腕の中で慌てている。
「恥ずかしいよ…」
「キスでもしますか?」
「…意地悪」
小さく呟き頬を染める顔がたまらない。
「おい、コラ、バカップル」
顔をしかめた和希が睨みつけてきた。
「なんだ、いたのか」
「さっきからいただろ!」
葵の手からほうきを取り、要は和希に押し付ける。
「葵に話があるから、あとはやっておけ」
「ああ?話じゃねーだろ…イチャつくだけだろーがっ」
ぶつぶつ言いながらも和希が掃除を続ける。
要は葵の肩に手を回し、店へと入った。
「おかえりなさい」
カウンターの中の満琉が物言いたげな笑みを浮かべている。
「仲良しはいいけど、やりすぎないでね」
満琉の言葉に葵が耳まで赤くする。
満琉に何か勘付かれているのだろうか。
葵が何か言ったとは思えないし、証が見える訳がないし、あとは…
思い当たり、要はそのままエレベーターホールへの扉を開ける。
「葵さんとに行ってきますね」
「…あら、そう」
心配そうに眉を寄せる満琉の顔が見えたが、要は構わず廊下に出た。


(下ってどこだろう?)
葵は廊下に出て立ち止まる要を見上げる。
ほんの半日離れただけなのに、とても長く離れていた気がしてしまう。
立ち止まったのは、倉庫にしている部屋の前。
食材や用品のストックを置いてあるから何度か入ったことがある。
要はその戸を開き、葵を中へと招き入れた。
「葵さん、体は大丈夫ですか?」
中に入ると要が気遣うように首を傾げ、覗きこむ。
「少し、歩き方が…」
クスッと、要が笑った。
「内股になってますよ」
「……っ!」
何を言われているのかわかり、葵は太腿に手を当てる。
「少し無理をさせましたね、すみません」
改めて言われると、恥ずかしくて堪らない。
筋肉痛になるくらい、あんなに快感に溺れるなんて凄くはしたない気がする。
しかも、まだ体がそれを覚えていてフワフワする。
「まだ痛むんですか?」
声を潜める要の声色さえ、艶めかしく聞こえてしまう。
キスが欲しいと、思ってしまう。
「…大丈夫」
葵は思わず要から目を逸らした。
目が合うと見透かされそうで怖くなった。
「少し長い階段なので、辛かったら言ってください」
要が倉庫の奥に進み、ブレーカーパネルに手をかける。
薄暗くて良く見えないが、パネルの中にある何かに要が触れると、目の前の壁がスライドして開いた。
「秘密基地見たい…」
「そう、この下に聖域のがあります」
要が指差す奥には、地下への階段。
真っ暗で底が見えない階段から、ヒューヒューと音を立てて冷たい空気が足元に吹き上がった。
要が一歩踏み入れると壁の照明が階段を照らす。
「気をつけて…」
差し出す要の手をとり、階段を降りる。
カビと埃が混じったような匂いが鼻をついた。
階段を降りる二人の足音だけが響き、不思議な緊張感が漂う。
要の背中からも緊張が伝わってきた。
階段の終わりにはまた扉があり、指紋認証式のプレートがあった。
そして扉は無機質な剛鉄性、厳重なセキュリティが更に緊張を高める。
葵の緊張が伝わったのか、要が肩越しに振り返る。
心配そうに曇る瞳に、葵は小さく頷いた。
扉が鈍い嫌な音を立てスライドする。
中はほんのりと青白い光で照らされ、震えるほどの冷気が立ち込めていた。
細い通路の先に広がった空間があり、そこに光の源があるようだ。
ユラユラと漂う青白い光の片鱗が通路を漂い、溶けるように消える。
幻想的な空間がコンクリの壁に囲まれ、閉じ込められていた。
通路が終わり、広い空間に足を踏み入れ葵は息を飲んだ。
瞬きを忘れ、それを凝視する。

皓々と光を放つ球体の中に、白い装束の女が浮かんでいた。
豊かな黒髪、青白い肌、長い手足を折り畳み身を縮めるその姿は…

珠妃たまきさん…」
天使え一族最後の総帥、珠妃。
「これが聖域の秘密にして、墓守が守り続けたもの…御神体」
要が降り注ぐ青白い光に目を細める。
「死の間際、珠妃が自らを結界で封じ込めたものです。御神体がある場所が聖域となる」
「…死んでるのよね」
「ええ、『結界』の能力が誰かに引き継がれた時、肉体が崩壊し塵と化します」
要は葵を見やり、左手を伸ばす。
細く長い指が、葵の胸元を指した。
「『証』を持ち、継承の儀を受けた者に『結界』は引き継がれる」
そう告げる要の目はどこか不安を帯びた切ないもので、葵は胸を締め付けられる。
「…すみません。『証』が現れた事で、色々と問題が生じることになります」
「なぜ、要くんが謝るの? 」
「想定しても良かった事態なのに、うっかりしてたんですよ…今回の一件で、色々なものが羽化しうまれたことがわかっていながら、その…」
要が言いにくそうに言葉を濁し、目をそらすと口元に手を当てる。
「…自制できず」
そんな要の横顔を見上げ、葵はジッと見つめた。
(…照れてる?)
初めて見る表情だった。
「要くんは悪くないよ?証が出たのを見てびっくりはしたけど、床入りで出るかもって私は知っていたもの」
葵は珠妃へと視線を流し、その姿を目に焼き付ける。
「ごめんね。証が出る事で色々どうなるとかわからずにいたから安易だったかも」
「葵さん…」
ぎゅ、と繋いだ手を強く握る。
どちらからそうしたのか、わからない。
だけどきっと思うことは同じだった。

欲しかった、その温もりが。
確かめたかった、その想いを。
繋がりたかった、心も体も。

「私は要くんとそうなれて良かったよ」

多分、要は色々なものが見えてしまって、先々の危惧があるのだと思う。
この先、色々とあるのかもしれない。
要の瞳を不安で曇らせるほどの何かが、動き出しているのだろう。
「私たちにも羽化しうまれたよね?新しい何かが。証もその一つだから、私は嬉しいよ」
要がいれば、何だって乗り越えていける気がする。
要を見上げ微笑むと、力強い腕が回され抱き締められた。
葵の言葉を噛み締めるような、身動きできないほどの深い抱擁。
「…ぐっときました」
要が囁く。
「何があっても、貴女を護る…愛してます」
少し震えた声が鼓膜をくすぐる。
「私はその何倍も愛してる」


胸の『証』が囁く…
愛の証なんだと。
葵は確かにを、聞いた。
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