丸藤さんは推理したい

鷲野ユキ

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帰る道

帰る道-14

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これが、一番わからないことだった。アイツに罰を与えてくれたのはありがたい。けれど、僕たちのために、彼が何か犯罪めいたことをする必要なんてこれっぽっちもない。

「そんなのどうだっていいだろ、君の依頼はもう完了したんだから」
けれど丸藤さんはひどくそっけなく、ソファに身体をゆだねて悪態をついている。さっき見た笑顔は、わたしの幻覚だったんじゃないかと疑うほどの態度。

「男だろうが女だろうが、しつこい奴は嫌われるぞ」
「別に、教えてあげてもいいんだけどぉ」
不機嫌な丸藤さんの声を遮ったのはミサキだった。
「ランちゃんは嘘をつくのが下手だから、どうせバレるだろうし」
バレる?ということは、やっぱり何かトリックがあったということだ。僕は背を伸ばし、彼らのやり取りに耳を澄ませる。
「おい、勝手なことは」
ソファからガバリと身を起こし、慌てた様子で探偵が騒ぐ。
「いいじゃない、別に減るもんじゃないし。それより」
満面の笑みをミサキが浮かべた。まるで、とっておきのいたずらを思いついた子供のような表情。
「そうだ、その代わり。相談料払ってくれる?」
「うぐ」

思わず僕は声を上げた。相談料。そりゃあ、一応僕が望んだとおり、犯人は特定できた、のだけれど。
「お金はあった方がいいでしょう?」
丸藤さんに向かってミサキが唇の端を持ち上げた。それに対し少し悩んでから、探偵は勝手にしろと言わんばかりにそっぽを向く。
「……わかりました」

僕は、財布の入ったトートバックを握りしめる。もちろん、ある程度は予測していた。からくりはわからないけれど、あれ以来祖母の家に不審な影は現れないし、僕の後をつける怪しい影もなかった。それもそうだ。犯人は、今罰を受けている真っ最中なのだから。
ということは、事件は一応の解決をしたということだ。いくら無料相談受付中と謳っていても、最終的に費用が掛かるのは僕にだってわかる。というか、下手にタダでやってもって、あとからいろいろ言われる方が困る。
だから、ありったけのお金を集めてきた。といっても、学生に用意できる額などたかが知れている。いざとなったら分割払いにさせてもらって。
早く、バイトを見つけなきゃ。前にこの前を通りかかったのは、アルバイト先を探していたからだったんだけど。

「じゃあ、五百万」

教育番組のお姉さんのような、屈託のない笑顔を浮かべてミサキが提案したのは、とんでもない額だった。
「は?」
僕は思わず聞き返す。今、いくらって?

「おい、いくらなんでもそれは」
探偵さえもが驚いた様子をしていたので、通常の相場よりずいぶん吊り上げた様子。ということは、聞き間違えではないのだ。
五百万。

「そんなの、無理ですよ!」
僕は思わず叫んだ。そんなの、高校生のアルバイトで返せるわけがない!
「そお?じゃあ、身体で返してもらおうかしら」
僕の悲鳴を受けて、ミサキがニヤリと笑った。
「あなたそんなカッコしてるけど、まあ手入れすればなんとかかわいくなりそうだし……」
「いやいやいや」じりじりと、ミサキが不穏な笑みを浮かべてにじり寄る。僕は慌ててソファから立ち上がり逃げ惑う。
けれどさして広くもない室内で、彼の魔の手に捕まるのは時間の問題だった。壁に追いやられ、逃げ場を塞がれて。
ドン、と僕の顔の横に、大きな手を突く。ミサキは腰を落とし、僕に顏を近づける。
そして、ゆっくりと唇を開いた。
「ランちゃんの助手、やってあげてくれないかしら?」
と。

「はあ?」
「だってアタシだって忙しいのよ」
一度彼は僕から身を離すと、怒涛の如くまくし立てる。
「なのにいいように使われてたまったもんじゃないったら。こないだだって連れまわされて、しまいにゃ盗撮、ああ、ナオちゃんの父親が勝手に家に入って来たときね、を撮るようにまで言われるし。しんどかったのよ、ずっと外で張ってるの」
カメラ代だって立て替えたままだし、徹夜で働いたからお肌は荒れるし、とひとしきりぎゃあぎゃあと騒いだ挙句、
「ちゃんとバイト代から相談料は天引くから。ええと、時給2000円として、そこから800円差し引て……」
とどこからか電卓を取り出し、勝手に計算し始めた。
借金分を差し引いて、高校生バイトで1200円ももらえるのはありがたい。けれど。

「いやいや、それじゃあ返すのに何年かかると思ってるんですか」
「ええと、一日3時間毎日働いたとして、5、6年ってとこ?」
あっという間に返せるじゃない、とミサキは飛び跳ねる。いや、6年ってけっこうある気がするけれど。
「あら、そうだったわ。だめねえ時間の感覚が狂っちゃって」
悪びれた様子もなく、ミサキはぺろりと舌を出す。
「でもどっちにしろバイト、探してたんでしょう?」
ずい、とミサキが僕を見る。それはそうなんだけど。
「ナオちゃん、こんな地方都市で、しかも高校生がバイトなんて、時給の相場知ってるの?」
「うう」

知っている。だから、困っている。確かにこっちは東京よりは物価が安い気もする。家賃だってそうだ。けれど、1200円はひどく魅力的だった。
まあ、高校卒業したら働こうと思っていたから、残った借金はそれから返せばいいかもだし。
そう計算して、僕はちらりと丸藤さんを盗み見た。勝手に話を進めるミサキに眉をひそめているものの、止めないあたり案外、実際人手が足りていないのかもしれない。あまり儲かってなさそうだなんて思ってしまったけれど、いちおう腕は確かなようだし。

それに、やっぱりどんな方法で、あんなことをしたのか気になって仕方がない。どうにも、ただの人ではない気がする。最初からそんな気はしていた。
知らないほうがいいことは、この世にたくさんあるって知ってるけれど。
それでも、この人のことを知りたいと、思ってしまった。

「どうする?バイトしてくれない?」
ミサキの甘い声に、僕はゆっくりとうなずいた。変わらず丸藤さんは好きにしろとばかりにそっぽを向いている。
「ほんと、素直じゃないんだから。正直に喜びなさいよ」
「別に嬉しくなんかない。人なんか増やしても、金がかかって困るだけだ」

ほんと、わかりやすい奴だわ。そう小声で言って、ミサキが奥のデスクから紙を取り出す。普通のコピー用紙だ。そのことになぜか安堵する。パソコンで打たれた文字がきれいに並んでいて、きっとこれは仕事をするに際しての、契約書みたいなものなんだろう、と思った。

「ごめんね、いちいち細かくて。でも仕事柄、お客さんの情報とか、いろいろ知っちゃうこともあるから。そういうのはほかの人に言っちゃだめよ、っていう約束ね」
確かに、探偵業なんてそうなのかもしれない。案外しっかりしているようで僕は安心する。そういうの、情報の授業でやった気もするし。個人情報は守らないと、僕らみたいに困る人がいる。
ペンを渡されて、迷うことなく僕は署名した。いつもは優柔不断な僕にしては、やけに即決が早かった。まるで、見えない何かに急かされたように。

「ようこそ、アタシたちの世界へ」
名前を書き終えるのを待って、ミサキがにっこりと笑った。あの、教育番組のお姉さんのような、不自然な笑顔。

とたん、見える世界が変わってしまった。
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