1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.8.17 北千住 3

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「そう言えば、お嬢さんに連れまわされて東京駅に行ったんだ」
 そうだ、彼らに言わなければならないことがある。英紀は思い出して口を開いた。
「東京駅?」
「ああ、新幹線を見に行きたいと彼女が言うものだから」
 苦虫を噛み潰したかのような声で大月が呻いた。「そのお嬢様とやらにもずいぶん気に入られたようで何よりだよ。まるで子守じゃないか」
「子守か、まあそうかもしれないな。社長に言われたんだ。娘とデートするようにって、業務指示を出されたんだ。とはいえ初めて新幹線を見たものだから、楽しかったには楽しかったよ」
「新幹線ねぇ」
 東京駅は栄二の職場の一つだ。阿呆みたいに電車を眺めている人々は格好のカモだった。
「なにかいい収穫でもあったのか」
 そう言って、大月は親指と人差し指をくっつけて丸を作った。
「馬鹿言え。そんなこと今はしないさ。まさか、お前はまだやってるのか?」
 英紀は大月を軽く睨む。孤児だった頃、こいつにやり方を教わって、大人から金目の物をくすめていた。でも、あれは仕方がなかったからだ。英紀は自分に言い聞かせる。
「まあな。おっと、そう睨むなよ。別に狙ってやってるわけじゃないんだ、手癖ってのは怖いもんでね、気付くと財布が手にあるんだよ」
「もうそんなことするのはやめろよ」
「俺だってやめたいんだがね、うっかりお宝を引き当てちまうんだな、これが」
 にんまりと大月が笑う。「何を盗ったか知りたいか?実はな、かなり貴重なチケットを」
「そんなのはどうだっていい」
 英紀は強い口調で遮った。「それより、そこでも大変なことがあったんだ」
 調子よく話していたところを遮られ、不満そうに大月が返す。
「なんだ、お嬢さんが迷子にでもなったのか」
「いくらなんでもそこまで子供じゃないさ。ホームに停車した車両から突然火の手が上がってね。恐らく架線がショートして、そこから火が上がったんだとは思うんだが」
「そりゃあ大変だったな」
「ああ、その爆発にお嬢様が巻き込まれて、吹き飛んだんだ」
「吹き飛んだ?」
 何をこいつは呑気に言っているのだろう。開けた口がふさがらず、大月は思わず聞き返した。「それで、お嬢さんは大丈夫だったのか?」
 その爆発とやらがどのくらいの勢いだったのかはわからない。けれど吹き飛ばされるほどなのだ。例え命は助かったとしても、怪我や火傷をしてしまっているかもしれない。女の子の身でそれはかわいそうに、と大月は思った。だというのに目の前の男は、それを気にしている様子もない。そこでふと、大月はあることに思い至った。
「お前、まさか力を使ったのか?」
「仕方ないだろう、彼女だけじゃなくて、他の乗客らも危なかったんだ」
 驚きのあまり、大月は咥えた煙草を落としそうになった。
「俺たち以外のやつの前で使うなって言っただろ」
「仕方がなかったんだ、あのままじゃ彼女は大けがだ」
「そりゃあ、そうだろうが……。お嬢様の口止めはしたのか?」
「ああ、指切りしてきたよ」
「指きりって、子供じゃあるまいし」
 呆れた声で大月が言った。
「どうするんだ、そのお嬢様の気が変わったら。変に吹聴されて困るのはお前だぞ」
「命の恩人との約束を破るようなことはしないと彼女は言ってくれたんだ、それを信じるしかないだろう」
「なんだよ、やっぱりずいぶんお嬢様に入れ込んでるみたいじゃないか」
「そんなんじゃないさ。彼女は……僕みたいなのとは違う人間だ」
 真理亜は悪い子ではないだろう。英紀は真理亜のまっすぐな青い瞳を思い出していた。嘘をつくような人間には思えなかった。もし妹が生きていたならば、彼女のように育っただろうか。
 けれど彼女の周りはすべてが清らかな世界だ。虫の一匹も入る隙間もない。だから彼女には汚いものの存在が理解できない。銀座で浮浪者を見かけたときの真理亜のあの反応。見てはいけないものを見てしまったかのようだった。彼女の世界には、薄汚れた老人は存在してはいけないのだ。
    ならば自分は?英紀は自問する。果たして自分が孤児で、一歩間違えれば自分だってあの浮浪者と似たような運命を辿っていたかもしれないと、彼女に告げたらどうなる?
 惨めで哀れだわ。真理亜の声が頭に響いた。そんなこと、言える気がしなかった。あの綺麗な目で冷たく見られるのは嫌だった。
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