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クリスマスパーティー
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「その、クリスマスなんだが」
最近じゃ昼飯を一緒に取ることも少なくなってしまった。その彼女を捕まえるのには苦労した。仕事上話すことはもちろんあるが、そこでの私語は憚られる。
さらに、内容が内容だ。下手に周りの人間に聞かれて、あることないこと吹聴されても困る。なんとか仕事を口実に相談室に安藤を招き入れて、ようやく私は話題を振ることに成功した。
「えっ?」
私と話すときは常にふてくされていた瞳が、大きく見開かれる。
「クリスマスなんて、ただの平日だから仕事してるんじゃなかったんですか」
返す言葉はとげとげしい。かわいげのないやつだ。精一杯の勇気を振り絞って声を掛けた私は、言葉を続けることに躊躇する。
「コホン」
そこで、白々しい咳が奥の方から聞こえた。
「ああ、もうこんな時間だな。入口のツリーの電飾を付けないと」
こんな棒読みで、本当に演劇部だったのだろうか。課長が私の脇をすり抜け、部屋を出ていく。去り際にウインクされたのは、気のせいではないだろう。あれで気を利かせたつもりなのだろうか。もっとやり方があったろうに。
「……私も、仕事があるんで戻りますね」
課長に変に気を遣われたことに気付いたのだろう、安藤までもが出て行こうとするので、思わずその手を引いた。
「ちょっと待ってくれ。その、確かに二十四と二十五は平日だ、けれどその前の日曜に、うちに来ないか?」
「え?」
振り向く安藤の顔には、期待の色が浮かんでいた。
「メリークリスマスっ!!」
年甲斐もなく大声で騒ぐのは加賀見先生だった。もしゃもしゃの髪に赤のサンタ帽をかぶり、勝手に持ち込んだクラッカーを一人で何個も鳴らしている。その隣で、げんなりした顔でシャンパンをあおっているのは安藤だ。
「期待した私が悪かったんです……」
「まあ、人数は多い方が楽しいじゃないか、こういうのは」
向けられる恨めしい視線には気付かぬふりをして、私は台所で切り分けたたくあんを食卓に置いた。
「それに、ぜんぜんクリスマスって感じじゃないし」
「そうか、ちゃんとシャンパンを買っただけ褒めてくれ」
「そんなの当たり前ですよ。てかなんで、たくあんなんて買ってきたんです」
「買ったんじゃない、ご近所さんがくれたんだ。うまいぞ?」
「はあ……」
渋々と安藤がたくあんにフォークを刺す。「それよりなんで、加賀見さんもいるんですか」
「それは、その」
そこで私は一度言葉を切り、安藤の耳元に顔を寄せると小声でささやいた。
「どうにも想い人がなびかなかったみたいで。クリスマスを一人で過ごすのは寂しいって」
「でもなにも私たちじゃなくても」
口をすぼめる安藤の言い分は尤もだ。
先生がまた失恋した、と言うのは嘘ではない。だが、寂しいから私たちと一緒に過ごしたい、と申し出たというのは嘘だ。むしろ誘ったのは私だ。いきなり安藤と二人きりは怖かった。
「けど、先生がいるほうが賑やかでいいだろ」
「騒がしい、の間違いじゃないですか」
「いやあ、今日はお招きいただきありがとう」
こそこそと話し合う私たちの間に、何個目かわからないクラッカーを鳴らしながら先生が割り込んできた。
「いやあ、皆で過ごすクリスマスのイブイブイブは楽しいな」
今日は十二月二十二日だ。
「加賀見さん、こないだ言ってた人はどうだったんですか」
馬鹿!そう止める暇もなく、傷をえぐりに行ったのは安藤だ。どうやら私と二人きりの予定をぶち壊されてご立腹らしい。けど、私と二人きりだなんて、大して楽しくないぞ。
「ふむ、彼女か。やはり忙しいようで、最近じゃ姿すら見かけない」
「お医者さんなら盆も正月もクリスマスも関係ないでしょうし」
慌ててフォローするが、先生はうつむいたままだ。
「いや、正確には彼女は私には眼中にないようだ」
「それって、フラれたってことですか?」
たくあんをかじりながら安藤がシャンパンを飲み干す。早くも酔いが回り始めているのか、安藤の「口撃」は容赦ない。
「いや、それ以前だ」
「すぐそうやって諦める!小野さんの時もそうでしたけど、ほんと意気地なしですよね」
「けれど、そうは言っても」
珍しく先生が押されている。いつもはペラペラとよく回る舌も今日は休業中らしい。
「なんだって、相手にしてくれないような人を好きになったんです?」
気になって私は聞いた。安藤がちらとこちらを見たのは気のせいだろうか。
「……もともとは、彼女がいわれのない誹謗を受けているのがはじまりだった」
「もしかして、加賀見さんがそれを助けたんですか?」
「いや、具体的にどうこうしたわけではないんだが。結局相手が誰だかわからなかったからな」
気になって私は聞いた。「それってどう言う事ですか?」
「ふむ。去年の春先ぐらいだな、突然病院にFAXが来てな。彼女の名を指してやぶ医者だのなんだのと難癖付ける文面が送られてきたんだ」
「ひどい」
「だがまあ、そう言ったことは無くはないんだ。治療の甲斐も虚しく亡くなる人間はたくさんいる。けれどなぜ助けられなかったと憤る遺族は多い。気持ちは分からなくはないが、医師は神ではないのだ」
だがよくあることだ、と先生は続けた。
「気にするなと周りも励ましていたんだが、これがあまりに止まない。普通は一、二回そんなのが来るぐらいで、まあ遺族も冷静になるんだろうな。だがあんまりしつこいものだから、心配になって声を掛けたんだ」
大丈夫ですか、気にしないほうがいいですよ、と。
正直励ましにもならないセリフだな。私は思った。そんなことしか言えないなら、口などはさむべきではないだろうに。
「その時の彼女の微笑みが忘れられないんだ。なんというか、はかなげで」
「こんな状況なのに笑ってたんですか?その人」
「笑うって言っても、もちろん楽しくて笑ってるわけじゃないぞ。なんというか、気丈に振る舞う姿が美しくてだな」
「なんだ、結局はいつもの一目ぼれじゃないですか」
「恋のはじまりなんてそんなものだろう」
「で、結局その女医さんへの中傷はまだ続いてるんですか?」
だとしたらかれこれ半年以上嫌がらせを受けていることになる。それではいくら気丈とはいえ、相当参ってるに違いない。
「いや、夏ごろには止んだかな」
「それは良かったですね」
「ああ。だが今度はめっきり彼女の姿を見かけなくなってしまった」
「嫌がらせに遭って、仕事が嫌になっちゃったんじゃないんですか?」
「どうだろう。そんな人には見えなかった。ずいぶん熱心に働いていたように見えたが」
「仕方ありませんね、忙しいんでしょう」
どの病院も医師不足だと、どこかのニュースが騒いでいたような気がする。あるいは働き詰めて、先生の想い人は身体を壊してしまったのかもしれない。
「でも。そうやって最初から相手されないほうがいいかもしれませんね」
うつむきがちに安藤が言った。「変に気を持たせるより」
それは私に対しての嫌味か。私だって……別に気を持たせているつもりはない。
「だが、彼女が忙しいのは本当だ。普段は暇さえあればスマホを弄ってたようだが、最近じゃそれすらしていないようだ」
「先生、まさかその女医さんのストーカーしてないですよね」
「失礼な。何となく目が探してしまうくらい、誰にだってあるだろう。よくスマホでゲームをしていたようなんだが、最近はそれさえしない」
しょんぼりと先生がうなだれるが、私はなんだか引っ掛かりを覚えた。
「なんで、その女医さんが今、スマホのゲームをしてないってわかるんですか?」
最近じゃ姿すら見ないという人間が、何をしているかだなんてわかりようがないはずなのに。なぜ、そのゲームをしていない、と言うのが彼にはわかるのか。
私には一つだけ思い当たる節があった。
「……もしかして、同じゲームをしているんですか?」
ふと、ゲーム内で恋人と会っていた、というエーオースのことが頭に浮かんだ。
「まさか、ゲーム内でも彼女のことを追いかけてたんじゃ」
安藤が信じられない、といった顔で叫んだ。
「やだ、ほんとにストーカーじゃないですか!」
しかもネット上でもだなんて、気持ち悪い!叫ぶ安藤の声に押されて、先生が必死に言い訳をしている。
「たまたまだ、たまたま!やたらとチカチカ光る画面を操作していたから、彼女が何をしていたのかが気になって、同じものを……」
「でも、よくあの広大な情報量の中で、その女医さんのアバターを見つけられましたね」
私のセリフを感心とでも捉えたのか、先生は妙に得意げに口を開いた。
「アカウント名を確認したからな」
「アカウント名……プレイヤーの名前ですか?」
「ああ。それと、キャラクターの見た目も記憶した。同名のキャラは数多いるが、サーバーも同じで、姿まで同じと言うのはあり得ないからな」
確かに、出来なくはないのだろう。私も現実のメリッサを特定しようといろいろな方法を試みた。だが私には出来なかった。技術的な面でだ。それをさらりとやってのけてしまう彼は、しかもそんな理由で行ってしまう彼は、天才を通り越して狂人だとしか思えなかった。
「でも先生、それって犯罪なんじゃ……」
他人の個人情報の特定。これはサイバー班に報告すべき案件だ。私がじろりと目線を向けたところで先生は分が悪くなったとでも感じたのか、
「まあ、私の話はこれくらいでいいだろう。つまみも無くなってしまった、そうだ何か私が用意しようじゃないか」
と頼んでもいないのに名乗り出た。
「しかしなかなかにうまかったな、たくあん。君が浸けたのか?」
「まさか。ご近所さんがくれたんですよ。ほら、ここよく蜂が出るでしょう?」
「ああ、恐ろしい場所だな」
冬以外は来れそうにないな。と先生が呟く。本当に虫は嫌いらしい。
「それがどうにも、この先の方で飼ってるやつみたいで」
安藤が驚いた様子で口を開く。「蜂をペットにしてるんですか?」
「まさか。蜂蜜を集めてるんだよ。それで、ご迷惑をおかけしてますって」
そこで思い出した。「そう言えば、私が疑っていたメリッサは、どうやらアリスタイオスに毒入りの蜂蜜を売ってしまったと告白しました」
「毒入りとは穏やかではないな」
「意図的にやったわけではない、と本人は言ってるんですが。どうにも蜂が、その……グラなんとかっていうのを含む花粉を集めてきちゃったみたいで」
「グラヤノトキシン」
「それです」
「そうか。運悪く、有害な植物が近くに生えていたのだな」
ふむ、ツイてないな。先生が憐れむように呟いた。
「園芸品種でも毒のある物はあるからな。人の家が近くにあるような所じゃ、いくら田舎とは言え養蜂など適していないと思うが」
なにより近隣住民に迷惑だ。先生が怒っている。
「へえ、じゃあ毒があるって知らないで、庭で育てたりしてるかもってことですよね」
「そうだ。きれいな花には棘どころか毒があるんだ。女性と同じだな」
自傷気味に先生が笑ったが、私と安藤はあいまいに笑い返すぐらいしかできなかった。その空気に気付いたのか、先生が立ち上がった。
「よし、せっかく呼んでくれた礼だ。今度こそ料理を振る舞おうじゃないか」
「え、何を作ってくれるんですか?」
「決まってるだろう、アヒージョだ」
先生が台所に消えてしまったので、居間には私と安藤が残された。覚悟はしていたが、気まずい。やたらとグラスの中身ばかりが減っていく。
「気がないなら、最初から誘わなければいいのに」
ぽつり、と安藤が漏らした。「期待するだけ無駄だって分かってるのに」
「その、今日誘ったのは、話があるからだ」
「じゃあなんで加賀見さんまで呼んだんです」
「……怖かったから」
私は大人しく白状することにした。
「怖い?」
「お前のことは好きだよ、安藤」
だがこれは、恐らく彼女の望む〈好き〉ではない。
「けれど、それでも俺はお前とそういう関係になれる自信がないんだ」
「自信?そんなもの必要なんですか?」
私はグラスのなかの気泡を見つめて言った。
「気持ちはありがたいが、俺には君はもったいない」
「そんな。ブス姫なんて言われてる女に対して、そんなに腰を低くしなくてもいいじゃないですか」
「言いたいやつには言わせておけ。俺には君がブスには到底見えない。まあちょっと痩せたほうが健康にはいいだろうと思うが」
「一言多いですよ」
「すまない。その、かわいい後輩だとしか俺には見えないんだ」
「かわいい後輩と、よくあんなことしましたね」
そう本人に言われて、私は思わず赤面した。今の私はきっと、先生より赤い顔をしているに違いない。
「……怖かったんだ」
「だから、何が怖いって言うんです」
「あそこで断ったら、どうなるのか」
「……同情したってことですか」
「そうじゃない」
自分でも何を言いたいのかわからなくなってきた。私は頭を振ってうなだれる。
「ちがう、怖かったのは、たぶん自分だ。一度触れてしまったら、それに気づいてしまうんじゃないかって」
「それ、って」
なんですか。そう安藤が言い終えぬうちに、陽気な歌声と共に襖が開け放たれた。
「さて、待たせたな。特製アヒージョの出来上がりだ」
先生が小鍋を抱えてやってきた。今までの張りつめた空気を追い払うように、オリーブオイルの香りが部屋の中を占めていく。
「うん?なにか取り込み中だったか?」
「いえ、別に」
私は慌てて取り繕う。ひどく口が渇いている。グラスに口を付ければ、泡沫が私の身体の中に入ってきた。
「ならいいんだが。ほれ食べよう。ちゃんとケーキも買ってきてあるんだ」
「加賀見さん、そんなのまで用意してくれたんですか」
安藤が嬉しそうな声を上げた。その様子は、とても思いつめた表情をしていたあの女と同じとは思えなかった。
この豹変ぶりにも私は付いていけない。これが女と言うものなのだろうか。あるいは、女の仮面を被ったその下で、彼女は泣いているのか、本当に笑っているのか。
行き場のない感情をシャンパンで胃の中に押し戻す。大丈夫、そう言う事は慣れている。先生と安藤が賑やかに話している最中、私がひたすらにパンをちぎって口に放り込んでいると、安藤がなにやら炬燵の下で私の袖をつかんできた。そして小声でささやく。
「先輩。私もう少し、待ってますから」
私のことを待ってくれている。私は、彼女に待ってもらえるだけ価値のある人間なのだろうか。私は、誰だっていいのかもしれないのに。寂しさを紛らわせるためなら。
先生の歌うジングルベルが、虚しく鳴り響いていた。
最近じゃ昼飯を一緒に取ることも少なくなってしまった。その彼女を捕まえるのには苦労した。仕事上話すことはもちろんあるが、そこでの私語は憚られる。
さらに、内容が内容だ。下手に周りの人間に聞かれて、あることないこと吹聴されても困る。なんとか仕事を口実に相談室に安藤を招き入れて、ようやく私は話題を振ることに成功した。
「えっ?」
私と話すときは常にふてくされていた瞳が、大きく見開かれる。
「クリスマスなんて、ただの平日だから仕事してるんじゃなかったんですか」
返す言葉はとげとげしい。かわいげのないやつだ。精一杯の勇気を振り絞って声を掛けた私は、言葉を続けることに躊躇する。
「コホン」
そこで、白々しい咳が奥の方から聞こえた。
「ああ、もうこんな時間だな。入口のツリーの電飾を付けないと」
こんな棒読みで、本当に演劇部だったのだろうか。課長が私の脇をすり抜け、部屋を出ていく。去り際にウインクされたのは、気のせいではないだろう。あれで気を利かせたつもりなのだろうか。もっとやり方があったろうに。
「……私も、仕事があるんで戻りますね」
課長に変に気を遣われたことに気付いたのだろう、安藤までもが出て行こうとするので、思わずその手を引いた。
「ちょっと待ってくれ。その、確かに二十四と二十五は平日だ、けれどその前の日曜に、うちに来ないか?」
「え?」
振り向く安藤の顔には、期待の色が浮かんでいた。
「メリークリスマスっ!!」
年甲斐もなく大声で騒ぐのは加賀見先生だった。もしゃもしゃの髪に赤のサンタ帽をかぶり、勝手に持ち込んだクラッカーを一人で何個も鳴らしている。その隣で、げんなりした顔でシャンパンをあおっているのは安藤だ。
「期待した私が悪かったんです……」
「まあ、人数は多い方が楽しいじゃないか、こういうのは」
向けられる恨めしい視線には気付かぬふりをして、私は台所で切り分けたたくあんを食卓に置いた。
「それに、ぜんぜんクリスマスって感じじゃないし」
「そうか、ちゃんとシャンパンを買っただけ褒めてくれ」
「そんなの当たり前ですよ。てかなんで、たくあんなんて買ってきたんです」
「買ったんじゃない、ご近所さんがくれたんだ。うまいぞ?」
「はあ……」
渋々と安藤がたくあんにフォークを刺す。「それよりなんで、加賀見さんもいるんですか」
「それは、その」
そこで私は一度言葉を切り、安藤の耳元に顔を寄せると小声でささやいた。
「どうにも想い人がなびかなかったみたいで。クリスマスを一人で過ごすのは寂しいって」
「でもなにも私たちじゃなくても」
口をすぼめる安藤の言い分は尤もだ。
先生がまた失恋した、と言うのは嘘ではない。だが、寂しいから私たちと一緒に過ごしたい、と申し出たというのは嘘だ。むしろ誘ったのは私だ。いきなり安藤と二人きりは怖かった。
「けど、先生がいるほうが賑やかでいいだろ」
「騒がしい、の間違いじゃないですか」
「いやあ、今日はお招きいただきありがとう」
こそこそと話し合う私たちの間に、何個目かわからないクラッカーを鳴らしながら先生が割り込んできた。
「いやあ、皆で過ごすクリスマスのイブイブイブは楽しいな」
今日は十二月二十二日だ。
「加賀見さん、こないだ言ってた人はどうだったんですか」
馬鹿!そう止める暇もなく、傷をえぐりに行ったのは安藤だ。どうやら私と二人きりの予定をぶち壊されてご立腹らしい。けど、私と二人きりだなんて、大して楽しくないぞ。
「ふむ、彼女か。やはり忙しいようで、最近じゃ姿すら見かけない」
「お医者さんなら盆も正月もクリスマスも関係ないでしょうし」
慌ててフォローするが、先生はうつむいたままだ。
「いや、正確には彼女は私には眼中にないようだ」
「それって、フラれたってことですか?」
たくあんをかじりながら安藤がシャンパンを飲み干す。早くも酔いが回り始めているのか、安藤の「口撃」は容赦ない。
「いや、それ以前だ」
「すぐそうやって諦める!小野さんの時もそうでしたけど、ほんと意気地なしですよね」
「けれど、そうは言っても」
珍しく先生が押されている。いつもはペラペラとよく回る舌も今日は休業中らしい。
「なんだって、相手にしてくれないような人を好きになったんです?」
気になって私は聞いた。安藤がちらとこちらを見たのは気のせいだろうか。
「……もともとは、彼女がいわれのない誹謗を受けているのがはじまりだった」
「もしかして、加賀見さんがそれを助けたんですか?」
「いや、具体的にどうこうしたわけではないんだが。結局相手が誰だかわからなかったからな」
気になって私は聞いた。「それってどう言う事ですか?」
「ふむ。去年の春先ぐらいだな、突然病院にFAXが来てな。彼女の名を指してやぶ医者だのなんだのと難癖付ける文面が送られてきたんだ」
「ひどい」
「だがまあ、そう言ったことは無くはないんだ。治療の甲斐も虚しく亡くなる人間はたくさんいる。けれどなぜ助けられなかったと憤る遺族は多い。気持ちは分からなくはないが、医師は神ではないのだ」
だがよくあることだ、と先生は続けた。
「気にするなと周りも励ましていたんだが、これがあまりに止まない。普通は一、二回そんなのが来るぐらいで、まあ遺族も冷静になるんだろうな。だがあんまりしつこいものだから、心配になって声を掛けたんだ」
大丈夫ですか、気にしないほうがいいですよ、と。
正直励ましにもならないセリフだな。私は思った。そんなことしか言えないなら、口などはさむべきではないだろうに。
「その時の彼女の微笑みが忘れられないんだ。なんというか、はかなげで」
「こんな状況なのに笑ってたんですか?その人」
「笑うって言っても、もちろん楽しくて笑ってるわけじゃないぞ。なんというか、気丈に振る舞う姿が美しくてだな」
「なんだ、結局はいつもの一目ぼれじゃないですか」
「恋のはじまりなんてそんなものだろう」
「で、結局その女医さんへの中傷はまだ続いてるんですか?」
だとしたらかれこれ半年以上嫌がらせを受けていることになる。それではいくら気丈とはいえ、相当参ってるに違いない。
「いや、夏ごろには止んだかな」
「それは良かったですね」
「ああ。だが今度はめっきり彼女の姿を見かけなくなってしまった」
「嫌がらせに遭って、仕事が嫌になっちゃったんじゃないんですか?」
「どうだろう。そんな人には見えなかった。ずいぶん熱心に働いていたように見えたが」
「仕方ありませんね、忙しいんでしょう」
どの病院も医師不足だと、どこかのニュースが騒いでいたような気がする。あるいは働き詰めて、先生の想い人は身体を壊してしまったのかもしれない。
「でも。そうやって最初から相手されないほうがいいかもしれませんね」
うつむきがちに安藤が言った。「変に気を持たせるより」
それは私に対しての嫌味か。私だって……別に気を持たせているつもりはない。
「だが、彼女が忙しいのは本当だ。普段は暇さえあればスマホを弄ってたようだが、最近じゃそれすらしていないようだ」
「先生、まさかその女医さんのストーカーしてないですよね」
「失礼な。何となく目が探してしまうくらい、誰にだってあるだろう。よくスマホでゲームをしていたようなんだが、最近はそれさえしない」
しょんぼりと先生がうなだれるが、私はなんだか引っ掛かりを覚えた。
「なんで、その女医さんが今、スマホのゲームをしてないってわかるんですか?」
最近じゃ姿すら見ないという人間が、何をしているかだなんてわかりようがないはずなのに。なぜ、そのゲームをしていない、と言うのが彼にはわかるのか。
私には一つだけ思い当たる節があった。
「……もしかして、同じゲームをしているんですか?」
ふと、ゲーム内で恋人と会っていた、というエーオースのことが頭に浮かんだ。
「まさか、ゲーム内でも彼女のことを追いかけてたんじゃ」
安藤が信じられない、といった顔で叫んだ。
「やだ、ほんとにストーカーじゃないですか!」
しかもネット上でもだなんて、気持ち悪い!叫ぶ安藤の声に押されて、先生が必死に言い訳をしている。
「たまたまだ、たまたま!やたらとチカチカ光る画面を操作していたから、彼女が何をしていたのかが気になって、同じものを……」
「でも、よくあの広大な情報量の中で、その女医さんのアバターを見つけられましたね」
私のセリフを感心とでも捉えたのか、先生は妙に得意げに口を開いた。
「アカウント名を確認したからな」
「アカウント名……プレイヤーの名前ですか?」
「ああ。それと、キャラクターの見た目も記憶した。同名のキャラは数多いるが、サーバーも同じで、姿まで同じと言うのはあり得ないからな」
確かに、出来なくはないのだろう。私も現実のメリッサを特定しようといろいろな方法を試みた。だが私には出来なかった。技術的な面でだ。それをさらりとやってのけてしまう彼は、しかもそんな理由で行ってしまう彼は、天才を通り越して狂人だとしか思えなかった。
「でも先生、それって犯罪なんじゃ……」
他人の個人情報の特定。これはサイバー班に報告すべき案件だ。私がじろりと目線を向けたところで先生は分が悪くなったとでも感じたのか、
「まあ、私の話はこれくらいでいいだろう。つまみも無くなってしまった、そうだ何か私が用意しようじゃないか」
と頼んでもいないのに名乗り出た。
「しかしなかなかにうまかったな、たくあん。君が浸けたのか?」
「まさか。ご近所さんがくれたんですよ。ほら、ここよく蜂が出るでしょう?」
「ああ、恐ろしい場所だな」
冬以外は来れそうにないな。と先生が呟く。本当に虫は嫌いらしい。
「それがどうにも、この先の方で飼ってるやつみたいで」
安藤が驚いた様子で口を開く。「蜂をペットにしてるんですか?」
「まさか。蜂蜜を集めてるんだよ。それで、ご迷惑をおかけしてますって」
そこで思い出した。「そう言えば、私が疑っていたメリッサは、どうやらアリスタイオスに毒入りの蜂蜜を売ってしまったと告白しました」
「毒入りとは穏やかではないな」
「意図的にやったわけではない、と本人は言ってるんですが。どうにも蜂が、その……グラなんとかっていうのを含む花粉を集めてきちゃったみたいで」
「グラヤノトキシン」
「それです」
「そうか。運悪く、有害な植物が近くに生えていたのだな」
ふむ、ツイてないな。先生が憐れむように呟いた。
「園芸品種でも毒のある物はあるからな。人の家が近くにあるような所じゃ、いくら田舎とは言え養蜂など適していないと思うが」
なにより近隣住民に迷惑だ。先生が怒っている。
「へえ、じゃあ毒があるって知らないで、庭で育てたりしてるかもってことですよね」
「そうだ。きれいな花には棘どころか毒があるんだ。女性と同じだな」
自傷気味に先生が笑ったが、私と安藤はあいまいに笑い返すぐらいしかできなかった。その空気に気付いたのか、先生が立ち上がった。
「よし、せっかく呼んでくれた礼だ。今度こそ料理を振る舞おうじゃないか」
「え、何を作ってくれるんですか?」
「決まってるだろう、アヒージョだ」
先生が台所に消えてしまったので、居間には私と安藤が残された。覚悟はしていたが、気まずい。やたらとグラスの中身ばかりが減っていく。
「気がないなら、最初から誘わなければいいのに」
ぽつり、と安藤が漏らした。「期待するだけ無駄だって分かってるのに」
「その、今日誘ったのは、話があるからだ」
「じゃあなんで加賀見さんまで呼んだんです」
「……怖かったから」
私は大人しく白状することにした。
「怖い?」
「お前のことは好きだよ、安藤」
だがこれは、恐らく彼女の望む〈好き〉ではない。
「けれど、それでも俺はお前とそういう関係になれる自信がないんだ」
「自信?そんなもの必要なんですか?」
私はグラスのなかの気泡を見つめて言った。
「気持ちはありがたいが、俺には君はもったいない」
「そんな。ブス姫なんて言われてる女に対して、そんなに腰を低くしなくてもいいじゃないですか」
「言いたいやつには言わせておけ。俺には君がブスには到底見えない。まあちょっと痩せたほうが健康にはいいだろうと思うが」
「一言多いですよ」
「すまない。その、かわいい後輩だとしか俺には見えないんだ」
「かわいい後輩と、よくあんなことしましたね」
そう本人に言われて、私は思わず赤面した。今の私はきっと、先生より赤い顔をしているに違いない。
「……怖かったんだ」
「だから、何が怖いって言うんです」
「あそこで断ったら、どうなるのか」
「……同情したってことですか」
「そうじゃない」
自分でも何を言いたいのかわからなくなってきた。私は頭を振ってうなだれる。
「ちがう、怖かったのは、たぶん自分だ。一度触れてしまったら、それに気づいてしまうんじゃないかって」
「それ、って」
なんですか。そう安藤が言い終えぬうちに、陽気な歌声と共に襖が開け放たれた。
「さて、待たせたな。特製アヒージョの出来上がりだ」
先生が小鍋を抱えてやってきた。今までの張りつめた空気を追い払うように、オリーブオイルの香りが部屋の中を占めていく。
「うん?なにか取り込み中だったか?」
「いえ、別に」
私は慌てて取り繕う。ひどく口が渇いている。グラスに口を付ければ、泡沫が私の身体の中に入ってきた。
「ならいいんだが。ほれ食べよう。ちゃんとケーキも買ってきてあるんだ」
「加賀見さん、そんなのまで用意してくれたんですか」
安藤が嬉しそうな声を上げた。その様子は、とても思いつめた表情をしていたあの女と同じとは思えなかった。
この豹変ぶりにも私は付いていけない。これが女と言うものなのだろうか。あるいは、女の仮面を被ったその下で、彼女は泣いているのか、本当に笑っているのか。
行き場のない感情をシャンパンで胃の中に押し戻す。大丈夫、そう言う事は慣れている。先生と安藤が賑やかに話している最中、私がひたすらにパンをちぎって口に放り込んでいると、安藤がなにやら炬燵の下で私の袖をつかんできた。そして小声でささやく。
「先輩。私もう少し、待ってますから」
私のことを待ってくれている。私は、彼女に待ってもらえるだけ価値のある人間なのだろうか。私は、誰だっていいのかもしれないのに。寂しさを紛らわせるためなら。
先生の歌うジングルベルが、虚しく鳴り響いていた。
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