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テオは剣を収めた。アンを抱き起こす。
「…王宮に戻るぞ。シュミット伯は、おって沙汰を下す」
固い表情だった。テオは背を向けると部屋を出ていった。アンはシュミットを振り返る。彼は何も言わず、ただ頭を振った。
テオの歩調について行けず、小走りで追いかける。王宮に着く頃には、息が上がっていた。
テオは一度も振り返らずに部屋に入った。アンも入って扉が閉まった途端、大きな割れる音がした。
テオが壺を割った音だった。飾ってあった花ごと地に落とされて無惨だった。
アンは声をかけられず、立ち尽くした。テオの怒りは最もだった。突然、王族でない事実を告げられて、冷静でいられるわけがない。
アンの時もそうだった。自分がテレンスと双子だと聞かされた時の、崩れ落ちるような感覚は忘れられない。
それで、母があんなに自分に冷たい理由を知った。王族などとは言えないから、父はきっと、他所で作った子供だと言ったのだろう。自分がいるせいで悲劇が続いた。
テオの怒りはあれきりだった。じっと割れた壺を見下ろしていた。
「テレンスはよく癇癪を起こしては物を壊していたな。…物に八つ当たりするなんぞ碌でもないヤツだと思っていたら、まさか自分がするとはな」
テオは自嘲した。
「陛下…」
「スッキリしたよ。爽快感がある。王妃も今度、試してみるといい」
「…はい。そうしてみます」
彼の苦しみがよく分かった。肩を震わせて、必死に押し殺している姿を見るのが辛かった。
「陛下…これで私の秘密は全てでございます。どうか、シュミット伯は」
「分かっている。無罪放免だ。彼が有能なのは私も知るところだ。失うのは惜しい。これからも働いてもらわねばならない」
「…ありがとうございます」
「君にも怖い思いをさせた。すまない。こんな大事を抱えて…貴女のような人にはさぞ重荷だったろう」
「私のことなど…陛下に比べたら…」
テオはふっと笑った。
「やめようか。お互い辛くなる。私と君は王と王妃の関係。このままで何の問題もない」
お互い。でも、以前のようにはいかないかもしれない。
不安が伝わったのだろう。テオはアンの顔を両手で挟んだ。額が合わさる。
「そんな顔するな」
「すみません…」
「私たちは共犯者だ。そうだろう?」
「陛下を煩わせたくありません。陛下が望まれるなら、どうか」
口が合わさる。舌を絡めあって、短く終わる。テオのまつげが震えていた。静かなひととき。これから冬になる。もっとこの部屋は静まり返るだろう。ぎこちなく体を離す。指だけ絡めて、関節で引っかかって、少し痛かった。
「アン、君を離したくない。君さえ良ければ、君の夫でいたい」
優しい声音だった。思わぬ真実を知ったのに、それでも彼は優しい。壺を割っただけで、割り切ってしまえる。彼の強さが羨ましかった。
この日何度目かになる大きなため息に、宰相バーニンは耐えられず訊ねる。
「陛下…何か心配事でも?」
「いや?どうした急に」
「先ほどから凄いため息してますよ」
王は目を通していた書類を置いて、体を伸ばした。ゴキゴキと骨の音がした。顔色が悪いように見えた。
「慣れない机仕事でお疲れでしょう。休みますか?」
「こんなの仕事のうちに入らん」
ほとんど決まった決裁にサインするだけ。確かに、仕事のうちには入らないかもしれない。
「バーニン、お前、妻とは仲良いのか?」
「は…?まぁ、普通です」
「もし妻が落ち込んでたら、どう慰める」
王のこういった質問は今までもあった。どれも王妃に関する突拍子もない問いで、まともに答えられたことなどない。なのに懲りずに聞いてくるのは、本当に他に聞く相手がいないのだろう。
バーニンはそれなりに考えた。五才年上の妻は、底抜けに明るい人で、落ち込んでいる姿など見たことがない。自分が余り感情を見せないから、彼女の明るさに助けられている自覚があった。
「…慰めるより、慰められています。落ち込んでいても、妻の笑顔を見ると癒やされます」
「笑顔…」
「陛下の笑顔はお世辞にも良い顔とは言えませんから、参考になさらない方がいいですよ」
王は手を完全に止めて黙り込んでしまった。どうしたものかと悩んでいるのだろう。
バーニンなりに王妃の性格を考えてみる。大人しく、心優しい方だと、誰もが口を揃えて言う。控えめな性格をしているが、優れた容姿が王宮だけでなく民衆をも魅了し、非常に人気がある。派手を好まず、常に質素なドレスを纏っているのも、好感を持たれる一つの理由だった。
「慎ましいお方です。過度にパーティーなどで騒ぐよりも、静かに共にお過ごしになられたほうが、王妃様も慰められるのでは?」
「お前…」王が顔を上げる。「初めてまともなアドバイスしたな」
「恐縮です」
王はペンを走らせた。さっさとサインをして終わらせるつもりらしい。宰相も全力でサポートした。
バーニンは思った。国を背負う王は、愛する妻の前では、まだまだ新米の夫なのだ。
「若いですねぇ」
「あ?」
「新婚なのですから、旅行か静養などなされてはいかがです?ここは寒いですから少し南になど行かれては?」
「どうした今日は。冴えてるな」
「恐れ入ります」
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