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夢の中

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 端的に言えば、王への反逆を企んでいるのではないかとの嫌疑だった。マティアスに釈明を求めているという。直ぐにでも王都へ参上せよとの勅旨だった。
 
 外野がやかましいなと悪態を付きながら、マティアスは支度を命じた。自分が留守の間は居候の子爵に代理でも任せて、さっさと行ってさっさと戻ろうと思っていた。
 家令がやって来る。奥さまが来られておりますと。マティアスは直ぐに通すように言った。
 エリシアもこの騒ぎを聞きつけてやって来たらしい。とんでもない事を言い出した。
「使者の方が私の元へお見えになりました」
「聞いてないぞ」
 マティアスは家令に咎めるように言った。家令は恐縮しながら弁解した。
「奥さまが本当にご病気なのか直接確かめに来られました。勅旨まで出されては、私どもは逆らえません」
「…ここは俺の屋敷だぞ!」
 柄になく声を荒立てるマティアスに、エリシアは直ぐに口を挟んだ。
「家令を責めないでください。陛下の命令は絶対です。誰も逆らえません」
 使者はエリシアが健康なのを確かめると、今度の式典の招待状を渡してきた。公式文書の証である王家の紋章を入れる念の入れようだ。これではどうやってもエリシアも参加せざるを得ない。マティアスは握りつぶした。
「マティアス様…!」
「直ぐにここを発て。国外に出さえすれば陛下も追及しない。必要な物は後から届けさせる」
「いけません。ますます陛下から疑われてしまいます」
「それはそちらには関係のないことだ」
 エリシアは傷ついたような顔を一瞬だけ見せて、それから険しい表情になった。
「…反逆罪に問われたら領民はどうなりますか!?貴方だけの国ではないのですよ!」
「そうならないようにする。実際に叛心はんしんは無い」
「そこに労を使うより、私がお供した方が何倍も楽です」
「王に謁見したら、顔を覚えられてしまう」
「構いません」
「逃げられなくなるんだぞ」
「私より、私達より、大事なのは領民ではないでしょうか」
 諭されて、マティアスは強く目を閉じた。しばらく考え込んで、静かに目を開けた。
 マティアスは握り潰した紙を見下ろしていた。ゆっくりに広げて、机の上に置いた。くしゃくしゃの招待状は、暖炉から流れる暖気でゆらゆら揺れていた。

 エリシアと共に王都へ。二人は王に拝謁した。陛下におかれましてはご機嫌麗しゅうなどと常套句を述べると、側近が面を上げるようと言った。
 エリシアはマティアスの少し後ろに控えていた。マティアスに倣って顔を上げる。王座に座っているのはこの国を統べる王。精悍な顔つきと、たくましい体躯、きらびやかな衣装と王冠は見るものを圧倒させた。エリシアは威厳が有りすぎて目がくらんだ。王がまだ三十だと思えない貫禄があった。
「マクナイト伯、貴公の働きは我が国に多大なる繁栄をもたらした。ほとんどそなた一人で戦争に勝ってしまった。戦後処理まで任せたかったが、手柄を独り占めされると他の貴族がやかましくてな。それで別の者に当たってもらったが、お陰でこんなに長引いてしまった」
 マティアスは慣れたものらしい。陛下の差配に間違いはございませんと、サラリと答えた。
「陛下の御威光あってこその働きです。エッジワーズ伯にも大いに助けられました」
 王はうんうんと頷いた。なのに突然、持っていた王笏を勢いよく床に打ち付けた。エリシアはその大きな音に驚いて身体を震わせた。場が一気に凍りついた。
「そのエッジワーズ伯爵令嬢と婚姻を結んでいないのはどういう了見だね」
 王の言葉を受けて、側近はこれが証拠とばかりに紙を掲げた。それは、教会にあるはずの、エリシアのサインだけが入った婚姻文書だった。エリシアは、あ、と思った。マティアスを見る。彼の表情は変わらない。まるで他人事のようにその紙を一瞥すると、口を開いた。
「踊り子の娘だからです」
 マティアスははっきりそう言った。
「陛下こそ、どういう了見で?私は正式な伯爵令嬢との婚姻を望んでいます」
「余がそういえばそうなるのだ」
「保証がない。陛下次第でどうとでもなる」
 マティアスは乱暴に言った。王は立ち上がった。兵たちも動いて甲冑の音がカチャカチャと鳴り出した。
「マクナイト伯…この無礼者め。誰か、この者を捕えよ」
 兵がマティアスを拘束する。エリシアは慌てて王の前に跪いた。
「お、お待ち下さい!マティアス様を領民は慕っております。どうかお許しください!」
 しかし王に無視される。エリシアは尚も訴えた。
「マティアス様に二心はありません!この国を守るために戦った英雄です!そんなお方に踊り子の娘をあてがうのはあんまりです!」
「エリシア!」
 叫んだのはマティアスだった。彼は苦しそうな顔をしていた。
「…貴女までそれを言う必要はない」
「マティアス様…」
 マティアスは拘束され引きずられるように連れて行かれた。エリシアだけが残る。動悸がして、胸が苦しかった。場が静まり返ると、王は大儀そうに座り直した。
「エリシア嬢、伯を庇うのかね」
 先程とは打って変わって優しい声音だった。だからと言って落ち着けるわけが無い。エリシアは声を絞り出して必死に訴えた。
「お優しいお方です…私だけでなく、誰もが口を揃えてそう言います」
「では何故、夫婦とならない」
「…………」
「そなたの心中しんちゅうを知りたい。伯の処遇は、今やそなたにかかっておるぞ」
「本当は…お慕いしております」
 エリシアは告白した。
「でも、私の出自は、マクナイト領の足枷になりますし…お父さまは、妹を嫁がせたいようです」
「ならば余計さっさと式を挙げるべきだ」
「え?で、でも」
「式の用意をさせる。余が直々に立会人になろう。余が認めた婚姻に誰が文句を言えようか。言う輩がいたら直ぐにその首、はねてやる」
 余りに突然の事に、エリシアは思考が抜けて、ぽかんとしてしまった。遅れて意味を理解して、慌てた。
「だ、駄目です。だって、マティアス様のお気持ちは」
「お気持ちだと?そんなの決まっておろう」
「望んでおりませんでしょうに…」
 途端、王は大笑いしだした。王とは思えないゲラゲラした笑い方にエリシアは面食らった。
「あれは昔から寡黙でな。その分、目で物を言うのだ。早く貴女と結婚したいとな」
 エリシアは冗談だと思った。本気でそう思った。
「式は速やかにつつがなく行われるであろう。これは王命である。部屋を用意させる。直ぐに支度を整えるように」
 側近が扉へ促す。エリシアはぎこちなく礼を取り、つまずきそうになりながら下がった。クラクラとした思考の中、夢の中にいるような気がした。

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