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第一章
始まりの朝
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ある日の早朝、ドラムト村の掲示板に一枚の紙切れが貼り出されていた。
村の見回りをしていた老人はそれに気づき、紙切れに目を通す。そして僅かに目を瞠ると大きく頷いた。
「うむ…これはいい機会かもしれない」
そう呟くと、老人はとある一軒の家の方を見つめた。
***
ドンドンと乱暴に扉が叩かれ、シャーロットは目を覚ました。
首をめぐらせ壁の掛け時計を見ると、針はまだ五時を指している。シャーロットは気づかなかったふりをして再び布団に潜り込んだ。
しかし早朝の来客はおとなしく帰ってはくれなかった。再度扉を激しく叩き、寝かしてくれない。
「もう!まだ寝たいのに!」
シャーロットは文句を言いながら起き上がると、扉に向かって声をかけた。
「どちら様ですか?」
「おう!シャーティ!わしじゃ!」
「その声は…カイム村長?」
村長ーーすなわち、はた迷惑な来客はシャーロットが暮らすドラムト村の治安維持を委ねられた人物だ。
しかし彼はしょっちゅう厄介ごとを持ち込んでくるため、シャーロットの悩みの種でもある。
シャーロットは思い切り顔を顰めてため息をついた。
(また何か持ってきたのね…)
扉を開けると、半眼になりながら村長に尋ねた。
「…こんな朝早くに何の用ですか?」
「こら、そんな顔をするな。今回はおそらくおまえにとっても有益な仕事だ。うむ、間違いないぞ!」
…わたしがその台詞に何回騙されたと思ってるんですかあなたは。
カイムには今まで何度も様々なところへ稼ぎに出された。そしてその場所は、だいたいわけありの面倒な組織や貴族の屋敷だったのだ。
過去の仕事を思い出し、シャーロットは再びため息をつく。
「…そうなんですか。で、わたしにとっても有益というその仕事の内容は?人が気持ちよく寝ているのを邪魔してまで勧めてくるんですから、さぞ素晴らしい内容なんでしょうね」
そう言って冷ややかな視線を向ける。
カイムはシャーロットの言葉に棘を感じたのか一瞬表情を凍りつかせたが、こんなことで諦める村長ではない。
「う、うむ。よくぞ聞いてくれた。その内容とはずばり、使用人じゃ!」
高らかに言い放つカイムを見て、シャーロットは目を瞬いた。
「……使用人…?有益って言えますか、それ」
いつもと変わらないではないか、とシャーロットは内心で頭を抱える。
そんな彼女とは裏腹に、カイムはその言葉を待ってましたと言わんばかりにふっと笑った。
「まあ最後まで聞け。その使用人を求めているのがなんと、あの大組織・ヴェリスト家なんじゃ!稼げるぞ!」
カイムはどこからか一枚の紙切れを取り出すとシャーロットに突き付けた。
ーー住み込みの使用人求む ヴェリスト家
確かにそこには達筆でヴェリスト家の名が書かれていた。
ヴェリスト家とは世界でも有名な大組織である。表向きは様々な会社の援助、経営、設立などを行い、裏では何やら危険な仕事をしているらしい。
だが裏の仕事というのはあくまで噂に過ぎず表の活動の方が目立っているため、ヴェリスト家の地位は年々上がっているという。
「…稼ぐのが目的なら別にわたしじゃなくてもいいのでは?」
「いや、おまえにしかこの仕事は受けられん」
カイムはきっぱりと断言した。
「その紙をよーく読めばその理由がわかる」
シャーロットは嘆息すると、再び紙に目を通した。
「使用人希望者は三日以内に屋敷に手紙を送ること。条件、家事のできる女性」
女性。
いよいよ嫌な予感がしてきた。
「シャーティ、おまえもよく知ってる通り、この村にはおまえぐらいの歳の娘は他にいない。女はいるが、みな家庭を持っておる。おまえ以外に、村を出て住み込みで働くことができる者はおらんのじゃ」
カイムの言う通り、ドラムト村に同じ歳の娘はいない。そもそも村の住人の年齢層が少し高めで女性の数も明らかに少ないのである。
確かに他の人々が働きに出られないというのはわかるが、だからと言ってここで引くわけにはいかなかった。
「すみません村長、その話はなかったことに。今回こそ!わたしはこの村を出る気はありません」
「…いや、しかし…三日以内に手紙を送れというから、うちの村の者を行かせると手紙を書いて送ってしまったんじゃ。あ、ついでに週三回来る郵便屋、しばらく休暇があるらしくてのぅ…次に来るのは一週間後と言っていた」
「そうですか…って……はい?」
とてつもなく長い沈黙がおりた。
それでは使用人希望破棄の手紙を送ろうとしても、郵便屋が来る一週間後まで不可能ということではないか。
さらに当然ながら、いざ郵便屋が来たときには三日という期限は過ぎてしまっている。
つまり。
「拒否権なしじゃ」
カイムが沈黙を破り、満面の笑みで言った。一方のシャーロットは顔を引きつらせながら、目の前にいる老人を凝視する。
忘れていた。
持ち込んでくるのは厄介ごとばかりだが、この人自体もかなり厄介だということを。
自らの意志に関係なく、ヴェリスト家行きが確定してしまった。
「というわけで諦めて行ってこい。船はもう手配しておるぞ。ここを出発するのは午前七時じゃ。港までは送ろう。まだ二時間ほどあるからな、ゆっくり準備するとよい」
カイムは人が黙っているのをいいことに言いたいことだけ言うと、足早に去っていった。
「ははは…」
シャーロットは乾いた笑い声を上げて虚空を見つめる。
あの村長にしてやられたのはこれで何度目だろうか。毎度毎度、拒否権は与えられない。
「あの人の周到さと自分勝手さは一種の才能ね…」
やり場のない呆れやら怒りやらを吐き出すかのように、今日何度目かわからないため息をつく。
「今まで色んなところに稼ぎに出されたけど、今回は相手が悪いよなぁ…」
シャーロットは手元にある紙切れに視線を落とす。
表と裏の両方を持つ組織。真偽は不明だが、大きな組織であることに変わりはない。
貧しいこの村との間に接点はないが、もし自分が向こうで問題を起こしてしまえば村に何か危害が及ぶかもしれない。
そのような恐ろしい事態は無いに越したことはないが、ヴェリスト家には一体どのような人がいるのだろう。上手くやっていけるだろうか。
考え出すと不安になり、シャーロットは良き相談相手の住む家へと向かった。
落ち着いた雰囲気の漂うその家は村の中でも大きく、村長の家に次いで広い。
家を囲む庭の草は無造作に伸びてきており、敷地一帯がまるで廃墟にでもなったかのような寂れた印象を受ける。
入り口に続く石畳の上を歩き、静かに引き戸を開けると、中に向かって声をかけた。
「お邪魔します」
耳を澄ましていると、少し遅れて、奥から返事があった。
「…その声、シャーティか」
シャーロットは中に入り、短い廊下の突き当たりに位置する部屋を覗き込むと、隅に置かれたベッドで一人の青年が横たわっていた。
静かにベッドに近づくと、天井を見つめたまま青年が微笑む。
「シャーティ、元気にしてるか?」
「うん…久しぶり、ラース」
「本当にな。こんな朝早くから見舞いか?」
シャーロットはベッドの横に備え付けられている小さな椅子に座る。
「…うん、大変って聞いてたから…調子はどう?」
「ん?んー…まあ相変わらず。けど、まったく、最近は目も見えなくなってきたよ」
ラースは苦笑を浮かべて言うと、ゆっくりと起き上がった。
彼は謎の病にかかっている。食欲があり、熱もないのに、常に身体が重いらしい。
さらに二週間ほど前から足の痺れを訴え始め、歩けなくなった。
そして今回は、目。
明らかに普通ではないが、それらの諸症状が当てはまる病は見つかっていない。
ドラムト村の近くに住む医者は、その病名も原因もわからないと口を揃えて言った。
「そう…無理しないで、寝てていいよ」
「みんなそう言うけど、ずっと寝てるのも疲れるんだよ。腰が痛い」
ラースは正面を向いたまま、左手で腰を押さえた。そして一言。
「で、どうかしたか?」
「……へ?」
いきなりの問いに、頓狂な声を上げてしまった。
「見えないけど、なんとなくおまえに元気がないのはわかる」
青年は首をめぐらせ、まるで見えているかのようにシャーロットの目を見つめて微笑んだ。
(話を聞いてもらいに来たことばれてる…)
シャーロットは躊躇いながらもゆっくりと話し始めた。
ヴェリスト家で住み込みの使用人になること、それに伴う不安。
村長への愚痴を含めたためーー実際ほとんどが愚痴だった…ーー少し長くなったが、話し終えるとすっきりした。
相槌を打ちつつ静かに聞いてくれる、聞き上手な彼のおかげかもしれない。
「ははっ、村長は相変わらずだなぁ。確かこの前もおまえどこかの貴族の屋敷に送られてなかったか?」
「そうなの!最終的に村長が腰を痛めたからって呼び戻されたのよ」
ラースはまた笑った。
「さすが村長」
「本当に…もう怒り通り越して笑えてきちゃったんだから」
そう言ってシャーロットは遠い目をしながら苦笑を浮かべた。
ラースはただ微笑みながら、闇の中でシャーロットの姿を思い浮かべる。そして静かに口を開いた。
「…まあ、今回もおまえなら何とかできそうな気がするよ。何が何でも行きたくないってわけじゃないんだろう?」
確信を持ったような口調で尋ねられ、一瞬考えたが、すぐに頷いた。
「…うん。不安だけど、村のためになるなら頑張ろうかな、とも思ってる」
稼ぐこと。それが自分にできることで、貧しい村を救うことにも、目の前にいるラースの病を治すことにも役に立つかもしれない。
ならば、やらない理由はない。
「言うと思った、おまえらしいよ。ただヴェリスト家はおまえが…おそらく一番近づいてはならない組織だ。身をもって知ってるだろうが、金持ちは貧しい者を見下す。無理せず、いつでも戻ってくるといいから。たとえ逃げ帰ってきたとしても、村長を含めた誰も文句言わないだろう」
ラースの言わんとしていることを察し、シャーロットは僅かに笑った。
「…みんな優しいしね。村を潰されたら困るから、向こうで問題を起こさないように気をつけつつ、頑張ってきます」
「おう、行ってこい」
ラースはゆっくりと右手を伸ばし、シャーロットの頬や耳に触れ、やがて頭をぽんぽんと叩いた。
病気でも、痩せてしまっても、彼の優しさは変わらない。それがありがたくて、シャーロットは一人微笑む。
「じゃあ、そろそろ戻るね。七時出発らしいから」
「またそのうち、ヴェリスト家での話聞かせてくれ」
「わかった。話聞いてくれてありがとう。ラースこそ無理しないようにね」
シャーロットはそう言うと軽い足取りで外に向かい、一歩踏み出した。
太陽が昇り始め、人が少しずつ動き出した村を、冷たい風が吹き抜ける。
気合いを入れるために両頬を叩き、挑むように空を見上げた。
「よし、行こう」
今から心配してても仕方がない。行ってみないことには、わからないことだらけだ。
シャーロットは一つ頷くと大きく息を吸い込んだ。
村の見回りをしていた老人はそれに気づき、紙切れに目を通す。そして僅かに目を瞠ると大きく頷いた。
「うむ…これはいい機会かもしれない」
そう呟くと、老人はとある一軒の家の方を見つめた。
***
ドンドンと乱暴に扉が叩かれ、シャーロットは目を覚ました。
首をめぐらせ壁の掛け時計を見ると、針はまだ五時を指している。シャーロットは気づかなかったふりをして再び布団に潜り込んだ。
しかし早朝の来客はおとなしく帰ってはくれなかった。再度扉を激しく叩き、寝かしてくれない。
「もう!まだ寝たいのに!」
シャーロットは文句を言いながら起き上がると、扉に向かって声をかけた。
「どちら様ですか?」
「おう!シャーティ!わしじゃ!」
「その声は…カイム村長?」
村長ーーすなわち、はた迷惑な来客はシャーロットが暮らすドラムト村の治安維持を委ねられた人物だ。
しかし彼はしょっちゅう厄介ごとを持ち込んでくるため、シャーロットの悩みの種でもある。
シャーロットは思い切り顔を顰めてため息をついた。
(また何か持ってきたのね…)
扉を開けると、半眼になりながら村長に尋ねた。
「…こんな朝早くに何の用ですか?」
「こら、そんな顔をするな。今回はおそらくおまえにとっても有益な仕事だ。うむ、間違いないぞ!」
…わたしがその台詞に何回騙されたと思ってるんですかあなたは。
カイムには今まで何度も様々なところへ稼ぎに出された。そしてその場所は、だいたいわけありの面倒な組織や貴族の屋敷だったのだ。
過去の仕事を思い出し、シャーロットは再びため息をつく。
「…そうなんですか。で、わたしにとっても有益というその仕事の内容は?人が気持ちよく寝ているのを邪魔してまで勧めてくるんですから、さぞ素晴らしい内容なんでしょうね」
そう言って冷ややかな視線を向ける。
カイムはシャーロットの言葉に棘を感じたのか一瞬表情を凍りつかせたが、こんなことで諦める村長ではない。
「う、うむ。よくぞ聞いてくれた。その内容とはずばり、使用人じゃ!」
高らかに言い放つカイムを見て、シャーロットは目を瞬いた。
「……使用人…?有益って言えますか、それ」
いつもと変わらないではないか、とシャーロットは内心で頭を抱える。
そんな彼女とは裏腹に、カイムはその言葉を待ってましたと言わんばかりにふっと笑った。
「まあ最後まで聞け。その使用人を求めているのがなんと、あの大組織・ヴェリスト家なんじゃ!稼げるぞ!」
カイムはどこからか一枚の紙切れを取り出すとシャーロットに突き付けた。
ーー住み込みの使用人求む ヴェリスト家
確かにそこには達筆でヴェリスト家の名が書かれていた。
ヴェリスト家とは世界でも有名な大組織である。表向きは様々な会社の援助、経営、設立などを行い、裏では何やら危険な仕事をしているらしい。
だが裏の仕事というのはあくまで噂に過ぎず表の活動の方が目立っているため、ヴェリスト家の地位は年々上がっているという。
「…稼ぐのが目的なら別にわたしじゃなくてもいいのでは?」
「いや、おまえにしかこの仕事は受けられん」
カイムはきっぱりと断言した。
「その紙をよーく読めばその理由がわかる」
シャーロットは嘆息すると、再び紙に目を通した。
「使用人希望者は三日以内に屋敷に手紙を送ること。条件、家事のできる女性」
女性。
いよいよ嫌な予感がしてきた。
「シャーティ、おまえもよく知ってる通り、この村にはおまえぐらいの歳の娘は他にいない。女はいるが、みな家庭を持っておる。おまえ以外に、村を出て住み込みで働くことができる者はおらんのじゃ」
カイムの言う通り、ドラムト村に同じ歳の娘はいない。そもそも村の住人の年齢層が少し高めで女性の数も明らかに少ないのである。
確かに他の人々が働きに出られないというのはわかるが、だからと言ってここで引くわけにはいかなかった。
「すみません村長、その話はなかったことに。今回こそ!わたしはこの村を出る気はありません」
「…いや、しかし…三日以内に手紙を送れというから、うちの村の者を行かせると手紙を書いて送ってしまったんじゃ。あ、ついでに週三回来る郵便屋、しばらく休暇があるらしくてのぅ…次に来るのは一週間後と言っていた」
「そうですか…って……はい?」
とてつもなく長い沈黙がおりた。
それでは使用人希望破棄の手紙を送ろうとしても、郵便屋が来る一週間後まで不可能ということではないか。
さらに当然ながら、いざ郵便屋が来たときには三日という期限は過ぎてしまっている。
つまり。
「拒否権なしじゃ」
カイムが沈黙を破り、満面の笑みで言った。一方のシャーロットは顔を引きつらせながら、目の前にいる老人を凝視する。
忘れていた。
持ち込んでくるのは厄介ごとばかりだが、この人自体もかなり厄介だということを。
自らの意志に関係なく、ヴェリスト家行きが確定してしまった。
「というわけで諦めて行ってこい。船はもう手配しておるぞ。ここを出発するのは午前七時じゃ。港までは送ろう。まだ二時間ほどあるからな、ゆっくり準備するとよい」
カイムは人が黙っているのをいいことに言いたいことだけ言うと、足早に去っていった。
「ははは…」
シャーロットは乾いた笑い声を上げて虚空を見つめる。
あの村長にしてやられたのはこれで何度目だろうか。毎度毎度、拒否権は与えられない。
「あの人の周到さと自分勝手さは一種の才能ね…」
やり場のない呆れやら怒りやらを吐き出すかのように、今日何度目かわからないため息をつく。
「今まで色んなところに稼ぎに出されたけど、今回は相手が悪いよなぁ…」
シャーロットは手元にある紙切れに視線を落とす。
表と裏の両方を持つ組織。真偽は不明だが、大きな組織であることに変わりはない。
貧しいこの村との間に接点はないが、もし自分が向こうで問題を起こしてしまえば村に何か危害が及ぶかもしれない。
そのような恐ろしい事態は無いに越したことはないが、ヴェリスト家には一体どのような人がいるのだろう。上手くやっていけるだろうか。
考え出すと不安になり、シャーロットは良き相談相手の住む家へと向かった。
落ち着いた雰囲気の漂うその家は村の中でも大きく、村長の家に次いで広い。
家を囲む庭の草は無造作に伸びてきており、敷地一帯がまるで廃墟にでもなったかのような寂れた印象を受ける。
入り口に続く石畳の上を歩き、静かに引き戸を開けると、中に向かって声をかけた。
「お邪魔します」
耳を澄ましていると、少し遅れて、奥から返事があった。
「…その声、シャーティか」
シャーロットは中に入り、短い廊下の突き当たりに位置する部屋を覗き込むと、隅に置かれたベッドで一人の青年が横たわっていた。
静かにベッドに近づくと、天井を見つめたまま青年が微笑む。
「シャーティ、元気にしてるか?」
「うん…久しぶり、ラース」
「本当にな。こんな朝早くから見舞いか?」
シャーロットはベッドの横に備え付けられている小さな椅子に座る。
「…うん、大変って聞いてたから…調子はどう?」
「ん?んー…まあ相変わらず。けど、まったく、最近は目も見えなくなってきたよ」
ラースは苦笑を浮かべて言うと、ゆっくりと起き上がった。
彼は謎の病にかかっている。食欲があり、熱もないのに、常に身体が重いらしい。
さらに二週間ほど前から足の痺れを訴え始め、歩けなくなった。
そして今回は、目。
明らかに普通ではないが、それらの諸症状が当てはまる病は見つかっていない。
ドラムト村の近くに住む医者は、その病名も原因もわからないと口を揃えて言った。
「そう…無理しないで、寝てていいよ」
「みんなそう言うけど、ずっと寝てるのも疲れるんだよ。腰が痛い」
ラースは正面を向いたまま、左手で腰を押さえた。そして一言。
「で、どうかしたか?」
「……へ?」
いきなりの問いに、頓狂な声を上げてしまった。
「見えないけど、なんとなくおまえに元気がないのはわかる」
青年は首をめぐらせ、まるで見えているかのようにシャーロットの目を見つめて微笑んだ。
(話を聞いてもらいに来たことばれてる…)
シャーロットは躊躇いながらもゆっくりと話し始めた。
ヴェリスト家で住み込みの使用人になること、それに伴う不安。
村長への愚痴を含めたためーー実際ほとんどが愚痴だった…ーー少し長くなったが、話し終えるとすっきりした。
相槌を打ちつつ静かに聞いてくれる、聞き上手な彼のおかげかもしれない。
「ははっ、村長は相変わらずだなぁ。確かこの前もおまえどこかの貴族の屋敷に送られてなかったか?」
「そうなの!最終的に村長が腰を痛めたからって呼び戻されたのよ」
ラースはまた笑った。
「さすが村長」
「本当に…もう怒り通り越して笑えてきちゃったんだから」
そう言ってシャーロットは遠い目をしながら苦笑を浮かべた。
ラースはただ微笑みながら、闇の中でシャーロットの姿を思い浮かべる。そして静かに口を開いた。
「…まあ、今回もおまえなら何とかできそうな気がするよ。何が何でも行きたくないってわけじゃないんだろう?」
確信を持ったような口調で尋ねられ、一瞬考えたが、すぐに頷いた。
「…うん。不安だけど、村のためになるなら頑張ろうかな、とも思ってる」
稼ぐこと。それが自分にできることで、貧しい村を救うことにも、目の前にいるラースの病を治すことにも役に立つかもしれない。
ならば、やらない理由はない。
「言うと思った、おまえらしいよ。ただヴェリスト家はおまえが…おそらく一番近づいてはならない組織だ。身をもって知ってるだろうが、金持ちは貧しい者を見下す。無理せず、いつでも戻ってくるといいから。たとえ逃げ帰ってきたとしても、村長を含めた誰も文句言わないだろう」
ラースの言わんとしていることを察し、シャーロットは僅かに笑った。
「…みんな優しいしね。村を潰されたら困るから、向こうで問題を起こさないように気をつけつつ、頑張ってきます」
「おう、行ってこい」
ラースはゆっくりと右手を伸ばし、シャーロットの頬や耳に触れ、やがて頭をぽんぽんと叩いた。
病気でも、痩せてしまっても、彼の優しさは変わらない。それがありがたくて、シャーロットは一人微笑む。
「じゃあ、そろそろ戻るね。七時出発らしいから」
「またそのうち、ヴェリスト家での話聞かせてくれ」
「わかった。話聞いてくれてありがとう。ラースこそ無理しないようにね」
シャーロットはそう言うと軽い足取りで外に向かい、一歩踏み出した。
太陽が昇り始め、人が少しずつ動き出した村を、冷たい風が吹き抜ける。
気合いを入れるために両頬を叩き、挑むように空を見上げた。
「よし、行こう」
今から心配してても仕方がない。行ってみないことには、わからないことだらけだ。
シャーロットは一つ頷くと大きく息を吸い込んだ。
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