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少年は夢を見る

悪夢の正夢

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 目が覚めた時にはオレは全身から汗が吹き出していた。

「なんだよ今の…………」
 
 恐る恐る手を見た。

「え、何にもない」

 血の一滴もそこにはついていなかった。

「夢?でも、じゃあ湊は?」

 確かにあれは湊だった。苦悶する表情もはっきりと思い出せる。それに、首を絞めた感触も、皮膚を破いた感触も。飛び散る鮮血がも全てが鮮明に思い出せる。

「湊……!」 オレはすぐに携帯を手に取り湊に電話をかけた。

 ーーーー鳴り響く携帯の着信音。雨音の中で真っ赤に染まった部屋で携帯は鳴り続けていた。ベッドの上には無惨に首や手足を引き裂かれた胴体が横たわっている。フローリングも染めた血の海が部屋に満ちた。

 本棚の所にまで転がっていった頭部。うっ血して紫色になった顔面だったが、その表情は穏やかで。まるで母親に子守唄を歌ってもらいながら眠りについた赤子のように優しい顔をしていた。

「湊なんで出ないんだよ。くそっ」

 朝の7時。昨日からのどしゃ降りの雨はまだ続いていた。ダメだ、いったん冷静になろう。

「悪夢だ」

 そうだよ。あんなこと現実に起きるわけがないじゃないか。それにオレは湊の家も知らない。なにより、湊を殺す理由なんてオレには何もないじゃないか。

「ははっ。あー、ビビった」

 携帯が繋がらないのはまだ眠っているからだ。なんにせよ学校に行けば分かること。湊に会ったら「首しめられるから気を付けろよ」 って冗談で言ってやろう。

 湊のことだから本当に怖がって、「やめてよリっくん」 なんて困った顔で笑うのだろう。

 そうだよ。そうに決まっている。

「汗だくで気持ち悪い。シャワー浴びて用意するかな」

 不安も不愉快な感触も全てを流そうと無意識に思ったのもある。普段は勿体ないから朝にシャワーを浴びたりしないのだけれど、オレは汗を流すことにした。それと時を同じくして湊の家に救急車とパトカーが到着した。

 雨は依然として強く地面を叩き続けている。舗装路に水溜りが広がるほどの豪雨は今日の夕方まで続く見込みらしい。

「この雨じゃ傘と雨に隠れてどれが誰だか分かんねぇな」

 オレは昨日借りた透明なビニール傘を手に持って、自分の黒い傘を差している。一応借り物だし返さないとな。黒い雲から降る雨。視界が時折ぼやけているように見えて、その度にあの悪夢を思い出して背筋がぶるっと震えた。

 「大丈夫だ」 そう自分に何度も言い聞かせる。教室に着いたら湊はいつも通り笑っているさ。大丈夫。

 校門を抜け、靴箱の前で傘をたたんで雨粒をふりはらった。ビシャっと勢いよく跳ねた水滴が血飛沫と重なってオレは無意識に目をそらしていた。

「リム助、おはよー!って、顔色悪いぞ、大丈夫か?」
「・・・良太」 靴箱から上靴を取り出していた良太がオレを見つけて声をかけてきた。顔色・・・悪いのか?

「風邪?ってわけじゃなさそうだな。貧血か?」
「いや、大丈夫」

「そうか?しんどかったら保健室いけよな」
「ああ」

 傘立てに傘を挿して、濡れた靴を脱いだ。靴下にも雨がしみこんでいて気持ちが悪かった。上靴を取り出して足を入れると、濡れた靴下特有の不快な感触が足の指に伝わった。

「オレ、昨日借りた傘返してから行くわ」
「ああ、学校の?律儀だなぁ。じゃあ先に教室行ってるわー」 そう言って良太は教室へと向かっていった。

 オレは反対の職員室に向けて歩き出す。湊はもう来てるかな?あいつが遅刻したことなんて見たことないからきっともう教室にいるのだろう。早く会ってこの不安な気持ちを取り払いたいもんだ。

 職員室の前まで来ると、何だか中が騒がしかった。押し殺そうとしていた不安が、大きくなる鼓動と共に波の様に押し寄せてくる。

「なんかトラブルでもあったのか?」

 ノックをして扉を開ける。騒々しかった室内が一瞬にして凍りついたかのように静かになる。そして教師全員の目がこちらに向いて、オレはたじろぐ。

「・・・・・・2年の薬師か。なんだ?」 教育指導の関谷先生がまるで生徒を尋問するかのような声色でそう言った。

「あ、昨日借りた傘を返しに・・・」

 電話を持って通話口を塞いでいる先生。口論になっている先生もいるように見える。担任の若林はそこには居なかった。他の先生は校長先生以外そろっているのに不自然だ。

「分かった。傘はそこに置いておいていいから教室に向かいなさい」
「あ、はい。失礼します」

 扉を閉めた瞬間にまた室内がざわついた。

「何かおかしいだろ。なんだよこれ、湊!?」

 漠然としていた不安が再びあふれ出す。オレは一心不乱に教室を目指した。途中で人にぶつかったりもしたが、気にも留めずに教室へと駆けていく。

 そしてオレは教室の扉に手をかけた。ゆっくりと扉を開く。

「お、薬師おはよう」
 
 いつも通りの光景だ。委員長が丁寧に黒板を綺麗にしている。

「おはよ、委員長」

 クラスは他愛も無い話でグループ毎に盛り上がっている。真緒は佐々木さんと話しているし、良太はサッカー部の関根と話している。昨日と何も変わらないよ。良かった。

「あれ?委員長、湊は?」

 湊の席が空いていた。

「え、本田くんはまだ見てないな」

 湊が来てない?黒板の上にある時計を見ると登校時間の3分前だった。

「本田君はオレと同じくらいに登校してるイメージだから珍しいよな。昨日雨に濡れて風邪でも引いたのかな?」

 嘘だろ?まさか昨日のが現実になったんじゃ。

「薬師?どうした」

 オレは思い出して携帯を取り出した。湊からの折り返しの電話は・・・・ない。

「薬師?様子変だぞどうしたんだよ」

 その時、教室の扉が勢いよく開いた。全員の視線がそこに集中した。

「あ?何見てんだよ」 そこに居たのは本村だった。クラス全体にがんを飛ばして、一通り睨みつけてから自分の席に着く。わざとらしくドカっとカバンを床に叩きつけてふんぞり返るようにして座った。止まった会話が少しずつ戻るが、皆少なからず本村を意識しているのだろうさっきよりも声が小さい。

「薬師、本当に大丈夫か?」 委員長がそう言って歩み寄ってきた。

 登校時間まであと1分。

「ああ、大丈夫。ありがとう」

 少し眩暈がした。オレはゆっくりと席に着く。隣の空席に目を落としながら。

 それと同時に若林が教室へと入ってくるのだった。若林は教室に入るなり生徒が席に着くのも声をかけずに口を開いた。

「今から緊急の全校集会があります。すぐに体育館に向かってください」 それだけ言ってすぐに教室を出て行く。

 オレは一目散に若林に駆け寄っていた。

「先生!湊が来てないんです!湊は休みですか?」 オレの言葉に、違う「湊」 という言葉に若林ははっとしたような素振りを見せた。そして何かを隠すように表情を戻して小さく言う。

「今はとりあえず体育館に向かいなさい」

 手から力が抜けていった。若林の背中が少しずつ遠くなっていく。携帯に着信はない。ざわめいていた職員室。異例の全校集会。

「湊・・・」

 頭で何度も否定した。あり得ないことだと切り捨てた。だけど今目の前で起きている現実は、切り捨てた悪夢がただの夢ではなかったのではないかと思わせることばかりで、苦しいほどに不安が大きくなる。

「リム助大丈夫か?集会抜けて保健室行ったほうが」
「大丈夫・・・行くよ」 良太にそう声をかけられてようやく足が動き出した。

 急な集会でぶつぶつよ文句をいう生徒もいた。何かトラブルがあっての集会だろうと勘ぐる会話もあった。そのどれもがもうどうでも良くて。今はただ胸の内でざわつくこの不安を早く消すことだけを願っていた。

「今日は皆さんにとても残念なお知らせがあります・・・・・・」 その校長の重くゆったりとした一言から集会が始まった。その内容はできるだけ生徒の不安を煽らないように、ショックを与えないようにされていたが、受け止めたくない事実がはっきりと伝えられた。

「----湊が死んだ?」

 話を要約すると今朝両親が湊が死んでいるのを発見して警察に連絡した。学校ではいじめやトラブルなどは報告されていないが事件ではないということだった。

 オレは全身から力が抜けて、目の前が真っ白になった。

「リム助!?」
「リアム君!?」

 オレはショックから意識を失う。駆け寄ってくる良太と真緒の声が遠くから聞こえたまでは覚えているのだけれど、気がついた時には保健室のベッドの上だったんだ。

「あ、気がついたわね。気分はどう?」 保健室の湯沢先生の優しい声が聞こえた。湯沢先生は美人でスタイルも良くて愛想も良い人気の先生だ。先生と話すのを目的で元気な生徒も度々保健室を訪れることがあるほどらしい。

「頭がぼーっとします」
「貧血で倒れたからね。机にスポーツドリンクあるから飲めるだけ飲んでね」
「はい・・・」

 ゆっくりと身体を起こそうとすると、重りでも抱えているのかと思うほどに身体が重く感じた。ペットボトルを手にとって蓋を開ける。一口だけしか喉を通らなかった。

「先生」
「ん?なに?」

 開けっ放しのペットボトルの飲み口を見つめながらオレは最後の悪あがきをしようとしていた。

「さっきの集会での話って・・・・」

 お願いだよ先生。どうか否定してくれ。冗談であって欲しい。

「うん。本田君のことね・・・とても残念だったわね」 その言葉を聞いた瞬間に目の前に湊のあの苦しそうな最期の表情が浮かんだ。

「あなたも同じクラスだったし親交もあったのでしょうね。受け入れられないのも無理はないわ。
でもね。どんな理由があれども自分から死んでしまうのはダメよ」

「・・・がう」
「え?」

 違うオレが殺した。そう言いかけて口を閉じた。ベッドから降りる。

「まだ眠っててもいいのよ?」
「大丈夫です」

 ペットボトルを手にしてオレは保健室を後にした。ゆっくりと教室に戻る。雨音にイラついて窓を見ると、顔面蒼白な自分と目が合った。なんて顔だよ。そりゃ委員長も良太も心配するよな。

 そして振り返った時。目の前に若林を見つけた。オレは無意識に駆け寄っていた。若林は携帯で小さな声で話している。とても真剣な表情で。

「若林先生」 オレの声にはっとして振り返る若林。

「薬師・・・なんだ?電話中なのが分からないのか?」
「湊は殺されたんですよね?」
「お前・・・なんで」 なんで知っているんだ?と言いかけて先生は首を振った。

「集会の話にあっただろう自殺だよ。警察が今詳しく調べているところだが」
「違う。湊は殺されたんだ!あいつが自殺するわけがない。あいつはオレが・・・」
「・・・・・・分かった話は後で聞いてやる。だから身体がもう大丈夫ならもう教室に戻りなさい。いいね?」 そう言い残して若林は場所を変えて行ってしまった。残されたオレはしばらくそこに立ち尽くしていた。

 そして1時間目の終わりのチャイムが響き渡った。

 二時間目が始まる前の休み時間に教室に入ると良太と真緒が駆け寄ってきた。

「リアム君大丈夫なの!?」
「リム助、もう平気なのか?」

 教室の雰囲気は沈んでいた。同級生、それも昨日まで同じクラスで授業を受けていた友だちの突然の訃報を受け止められないのだろう。

「オレ、昨日最後まで湊と一緒にいて……あいついつもみたいに笑ってたし……好きなヤツもいるんだって……」 そう言って真緒を見てしまったけど、真緒は気づかない。

「おい、リム助。まさか、湊の気持ちに気づいてやれなかったとか責任感じてんじゃねぇだろうな?」

 良太はオレの頭をがっと掴んで真剣な表情でそう言った。

 違うんだ良太。気づいてやれなかったとかじゃないんだよ。オレが殺したかもしれないんだよ。

「湊が死んだのはお前のせいじゃない。誰のせいでも無いんだと思う。もし、誰かに責任があるのだとしたら、それこそ湊の気持ちに気づいてやれなかったオレ達皆の責任だよ」

 真っ直ぐな目で良太はオレを見ていた。もし、オレが湊を殺したのだと知ったらこいつはどんな顔をするんだろう。そんなオレに何て言うんだろう?

「なぁ、良太。実はオレ……」

 目をつぶる度に湊の死に際がフラッシュバックしてくる。同時に手には感触がよみがえる。嫌だよ。こんな訳のわからない感覚。

「どうした?」
「オレが湊を……」 そう言いかけた時にチャイムが鳴った。

「おう、席つけー。日直、号令」 チャイムと同時に入った来た数学の金沢先生がそう言い放って教壇に立った。

「リム助、悪い話はまた後でな」

 良太はオレの肩を最後にポンと叩いて席についた。オレも席に着く。その日の授業の内容は1つも頭に入らなくて、ぽかりと空いてしまった隣の席を見つめているだけで涙が溢れそうになったんだ。

 放課後の教室でオレは呆然として終業のベルにも気付かずに座っていた。

 その時、がしゃん!と大きな音が教室に響いた。振り返ると、本村が倒れた机を睨み付けていた。

「久々に顔出してみたら湊が死んだ!!?ふざけんじゃねぇ!くそっ」

 乱暴にスクールバッグを担ぎ、怒りの中に確かに寂しさを含んだ言葉を吐き捨てて本村は教室を出て行った。本村の姿が見えなくなると、皆が口々に「驚いた」、「本当に乱暴なんだから」、「なんなんだよアイツ」 と文句を吐くのだった。

 そんな中で突然の物音にもクラスメイトの言葉にも反応せずに下を向いている人がいたことに気付いた。

「・・・誰だったっけ。えっと榎本さんだったかな?」

 榎本 あずき(えのもと あずき)さん。クラスではとても大人しくて目立たない。目にかかりそうな伸びた前髪で、いつも俯きがちだからしっかりと顔を見たことがないような気がする。

 そういえば、昨日のアレは何だったんだろう。まぁ、今はそんなことどうでも良いか・・・

「・・・え?」

 ずっと机に向かって俯いていた榎本さんがふと窓から雨の止んだ校庭を見た。今、何かを見つけたみたいだった。

「何も変なことはないけど・・・」

 オレもその方向に目を向けてみたが、帰宅する学生が校門に向かってバラバラと歩いている何の変哲も無い光景だった。

「あんな場所に、外国の人が立ってるわけないよね。でも、なんだかこっちを向いていたような気がしたけど・・・」

 外国の人?そんな人の姿はどこにも見えなかったけど、いったい何を言っているのだろうか。考えるのも面倒だな。今日は何だか身体が重い。

「帰って寝よう・・・」

 力なく席を立つ。するとパサリと4つ折になったメモ帳が床に落ちた。オレはゆっくりとそれを拾い上げて、開いた。

「ふっ」

 そこには良太と真緒からのメッセージが書かれていた。

「声をかけても全然反応がなかったから部活にいくね。今日は大変なことになったけど、リアム君は悪くない。悪くないから。真緒」
「人形みたいに動かなかったから顔に落書きでもしてやろうかと思ったけど真緒に止められた(笑) 明日もそんな顔でぼーっとしてたら今度はガチで書くからな!良太」

 心配してくれてたんだな2人とも。明日はこんな顔してられないよな。メモ帳をまた4つ折にしてバッグの中にそっと入れた。「よし」 と、そう一息ついてオレは帰路に立つのだった。

 家に着くと昨日の様に疲れがどっと押し寄せてきた。今日は湊のこともあったし余計に疲れが出ているのだろう。

「…………湊、何で」 小さな弱々しい呟きは誰に届くことも無く消えていく。こんな時に両親が居れば何か変わったのだろうか?もし、老夫婦がほんの少しでも愛情を注いでくれていたら何か変わったのだろうか?初めて、独りだけのこの部屋が寂しく思えて、オレはブレザー姿のままでベッドの上で体育座りをして顔を伏せた。

 自分のことを抱きしめるように優しく、けれど湧き出した別の思いが腕の力を強くしていく。湊を殺した自分を責めるように強く強く、この身体が夢の中の湊の様に引きちぎれてしまえば良いのになんて考えてしまっていたのかもしれない。

「明日、湊の家に行ってみようかな……若林は教えてくれないよな。誰か……知ってそうなやついねぇかな?」

 体勢はそのままに、オレは顔だけを少し前に向けた。まだ雨の蒸す臭いが残っている。蒸し蒸しと暑い。

 オレはローテーブルの上に置いていたミネラルウォーターを手にして、一気に流し込む。冷蔵庫に入れてなかったからぬるま湯になっていないか心配だったけれど、雨のおかげか気になるほど水温が上がっていなかった。ゴクゴクと音を立てて一気に半分くらい飲み込んだ。その時、あるクラスメイトの顔が浮かんだ。

「……そうだ、本村。本村なら湊の家の場所知っているかもしれない」

 クラスが一緒でも本村とはまだ一言も話したことがない様な気もするな。なんて切り出そうか……

「明日会ってみて考えるしかねぇよな。正直どんなやつなのかも知らないし。でも、あの湊が優しいと言っていたから話せばわかるやつなのかもしれない」

 よし、明日は本村に湊の家を聞こう。まぁ、そもそも帰りにあんな態度をしていた本村がまた登校してくるのかも分からないから、どこまでも行き当たりばったりな予定なんだけど。

「……けど」

 もし、もしも本村に湊の家を聞くことが出来たとして、オレは何をするつもりなのか?「もしかしたら湊は自殺ではないかもしれません」  なんて言うのか?ただの悪夢かも知れないのに「もしかしたら湊を殺したのはオレかもしれません」  なんて伝えるのか?

 そんなことして誰が何を得るんだろう。湊はああ言っていたけれど新しい母親だってショックを受けているのかもしれない。実の父親は嘆き悲しみ、そんなことを伝えられたら激怒して殴りかかってくるかもしれない。ただ、オレが自己満足をしたいだけ。

 きっと今考えていることは正解ではない。間違っているのかは分からないけど、その選択は正解でないことだけはハッキリしていた。そうこう考えている内に空腹に耐えかねて、オレは少し前に買っておいたチルド食品のチャーハンをレンジで温めて食べた。

 そして、湯船につかる気にはならなかったから汗を流すだけにしてシャワーを浴びた。再びベッドに戻った時にはもう九時を少し回っていた。

「疲れたな。眠い……」

 子どもじゃないんだから、こんな早く寝るなんてそうそうないんだけど今日はもう眠ろう。あまりにショックなことが起きすぎた。悲しみと疲労が眠気をより強くする。瞼が落ちそうになってきたから、朝の目覚まし設定をしようと携帯に手を伸ばす。すると、メールの受信を伝えるランプが点灯していた。

「誰だ?こんなときに……」

 2つ折りの携帯をゆっくりと開くと、メールが2件入っていた。1つはオレの様子を心配した真緒からで、もう1つの受信履歴を見てオレは飛び起きるように身体を起こした。

「なんで?湊からメールが来てるんだよ……?」

 件名はない。開かなければ内容は分からない。いったいなんで?湊はもう居ないのに、日付指定のメール?それとも家族の誰かが湊の携帯から連絡先にある人にメッセージを送ってきたとか?

「そうだよ。きっと湊の家族からの一斉送信に違いない」

 オレはゆっくりと大きく息を吐き、そのメールを開いた。

「……白紙のメール?いや」

 件名も本文にも何も書かれていないメール。けれど、そのメールには添付ファイルが1つ残っていた。動画や画像のアイコンじゃないな音声ファイル?覗いてはいけないものを見るような恐怖を感じて、夏なのに身震いがした。オレは添付されていたその音声ファイルを開いた。

『…………』

 録音ミス?何も聞こえない。音声ファイルの長さは1分ちょうど。オレは再生音を最大にして耳を済ました。すると、雨粒が天井を叩く音が微かに聞こえる様な気がした。

『…………』

 半分再生しても未だに雨粒の様な音が遠くに聞こえるだけ。このまま何もなかったらいったいこのメールはなんの為のものだったのか分からない。再生し始めてから35秒が経った時だった。

「----はっ!聞こえる」

 オレは雨粒の音とは違う、何か布が擦れる様な音が近づいてくる音を必死で拾おうとしていた。微かにしか聞こえないのだけれど、確かにその音は近づいてきている。

「……音が止まった?いや」
『……んっ。ううっ。はっ、あっ、、、げぇっ』
「湊!?確かに湊の声だ!」

 携帯が再生しているのは確かに湊の声そのものだった。すごく苦しそうな、辛そうな声をしている。

『……あっ、止め。リッ……な、んで?いっ、あっ』

 あと数秒でファイルが終わる。その時、オレははっきりとその声を思い出した。これってまさか。

「これってオレが湊を殺した時の音声?!」
『ブチッ。。。ビチャ、ピチャ。
ブチブチブチ……バキィ、ゴトン、、、ゴロゴロ、ゴッ』

 首を引きちぎり、両腕を両足を引き裂いて投げ飛ばした。その一部始終が再生されていた。オレは恐怖から携帯を投げ飛ばした。そして最後に残されたのは、不快な音でも悲痛な叫びでもなく、優しい女性の声だった。

『GoodNightBaby.(おやすみなさい、ぼうや)』

 ファイルがすべて再生され、閉じられた。せっかくシャワーを浴びたというのに、またオレは冷や汗で全身が濡れていた。ガタガタと震える身体をなんとか動かして、オレはゆっくりと携帯を拾い上げた。その瞬間だった。オレは携帯を拾い上げただけで文字盤やカーソルボタンには一切触れていないのに、画面に「選択したメールを削除しますか?」  と映し出された。

「ちょっと待てよ。何勝手に……!」

 リセットボタンを連打しているけれど操作ができない。携帯は1人でに動き続け、リセットボタンを連打するオレなど居ないかのように振る舞いながら「はい」  を選択した。そしてゴミ箱フォルダへと画面が切り替わり、迷惑メールの1番上に表示された湊からのそのメールを選択して「このメールを完全に消去しますか?」 と画面にテロップが出た。

「やめろ。消すな、待てよ!そうだ……電源切っちまえば」

 オレは必死で電源ボタンを長押しした。メールが完全に消される前に電源を落としてしまえば、残るかもしれない。間に合え、ゴミ箱にさえあれば復元はできるんだから。間に合え。間に合え。間に合え!

「嘘だろ……?」

 必死に電源ボタンを押していた親指の爪は真っ白で、どれだけ強く押し続けていたのかが分かるほどだった。だけど、そんな行動も虚しく、画面にテロップが表示された。「メールを1件完全に削除しました」  オレはがくっと膝が折れてその場に座り込んだのだった。

 全身から力が抜けて、さっきより全然比較にならないほど弱く押した戻るのボタンが正常に作動して、ゴミ箱フォルダからメール一覧へと画面が切り替わった。

「なんだよ?…………なんだったんだよいったい!?」

 携帯のトップ画面に表示されたデジタル時計は、ファイルを再生してからちょうど1分後を示している。幻覚でもなんでもない。今のは現実に起きたことなのだ。

「死んだはずの湊からメールが来て、湊が死んだ時の音声ファイルだけが添付されて、再生を終えたら1人でにファイルごとメールを消去した?」

 たった1分と少しの間のことを振り返っただけなのに、オレは何もかもを認めることができなかった。

「そんなわけあるか!!あんな……湊、あんな苦しそうに死んだのか?あいつ確かに言ってた「止めて」 って。聞き間違いなんかじゃない。それなのに、それなのにオレは!!」

 また湊を殺した時の感触が蘇ってきた。そして今しがた聞いたばかりの音声が相まって、より鮮明に、より生々しい感覚でオレが湊を殺したことを物語っていた。

「やっぱり、オレが……オレが湊を殺したんだ」

 オレは笑っていた。狂ったように声を上げながら、壊れたように涙を流しながら大声で叫ぶように笑った。そしてオレは気を失うかのようにいつの間にか眠りについていた。

 ーーーーまた、あの歌声が聞こえている。だけど、いつもよりも遠くにその人がいる気がした。オレは夢の中でその声の聞こえる方向へと進んでいく。ああまた、あの地面と並行に動いていく気色の悪い感覚だ。歌声が消えないように急ぐと、景色だけが早く流れていく。そして、ふとどこかの部屋へとたどり着くのだった。

「テディベア?それに、なんかピンクとか花柄とか可愛い感じの物が多いな」

 その部屋はオレのアパートの部屋より少し大きいくらいの部屋で、家具は多くないがテーブルの上やベッドの上にはたくさんのぬいぐるみが置いてあった。今、流行ってるゆる可愛いキャラクターのものが多いな。

「ん?あの傘どこかで見たことがあるような……」

 机の上、カバンの横に置いてあったカバーのかけられた折り畳み傘。可愛らしい柄のそれをオレはどこかで確かに見たことがあった。けれど、こんな部屋は知らない。

「ん?これ、オレの写真?」

 机の前の部分には何枚かの写真が飾られていて、その中の1枚はオレが去年の体育祭でリレーに参加した時のものだった。オレは1枚も購入しなかったのだけれど、体育祭が終わった後に写真が掲示されて購入できるようになっていたな。その中の写真の1枚だったような気がする。

「あれ?歌声が……」

 いつの間にかあの歌声は聞こえなくなっていた。そして、今度は無意識に、というか何かに無理やり首を横に回されたかのように視線が横に動いた。その先にはベッドがあり、部屋にたくさんあったキャラクターのカバーがかけてある可愛い布団が目に入った。

 オレは背筋が凍りつく。まただ。またオレの意志とは関係ない所で視界の端から自分の両手が出てきた。手はどんどんそのベッドで寝息を立てる人の元へと伸びていき、横向けに眠っていたその人の首に手をかけた。その時にはもうオレは声を出せなくなっていた。

 やめろ!やめろよ!なんでまたこんなこと。

 湊よりも細い首にオレの手が回っていく。長い髪も一緒に巻き込んで、その手に力が入り始めた。気持ち悪いほどにリアルな感触だけをオレに伝えながら、気味が悪い程にオレの意思とは反対に力が強くなっていく。

「いやっ……だ、あっ。----えっ!?」

 ベッドの上でオレが首を絞めていたのは女の子だった。苦しさで目を覚まし、そして目の前のモノを見て驚愕したかのように目を見開いた。

 この子は確か、一昨日に湊を待っている時に話しかけてきた同じクラスの、確か……榎本さん?なんで、オレ榎本さんの部屋にいるんだよ。なんでオレ、ろくに話したこともない榎本さんのことを殺そうとしているんだよ?

「止めて……おね、がっ……」

 榎本さんの目に涙が溢れ出した。苦しさに目を瞑ると大粒の涙が真横に落ちた。それでもオレの両手はどんどん力を込めていき、皮膚が破れる音がこだました。

 涙は少しずつ赤く染っていき、榎本さんは白目を剥きながら真っ赤な涙をダラダラと零していく。バキッと首の太い骨が折れる音がして、首は転がり落ちてテーブルの下に入ってしまった。

 湊の時と同じように、左腕を引きちぎり、関節でバラバラにして愛しいそれらを投げ捨てる。捨てられた左手首がカバンで跳ねて、机の前に飾られたオレの写真が鮮血で染まった。

 どんどんどんどん慈しみながら、愛でながらオレは榎本さんの身体をバラバラに引き裂いては投げ捨て、可愛らしいその部屋は一変して真っ赤な血に染まるおぞましい部屋へと変貌した。布団カバーのゆる可愛いキャラクターも赤く染まっていた。

 そして----『GoodNightBaby.』 優しいその声が頭の中に響いて、オレはハッと悪夢から覚めるのであった。

「あぁ……あああ」

 オレは自分の顔を両手で覆って、そして冷や汗で全身がびしょ濡れになっていることに気がついた。また、まただ。またオレは人を、湊だけじゃなくて榎本さんのことを殺した。

「うわぁぁぁぁあっ!!」

 オレは布団も枕も目覚まし時計も、振り回した手に触れたものを弾き飛ばして暴れ回った。そうでもしなければ狂ってしまう。人を殺した。人をあんなに楽しそうに殺した。

 すると、急に壊れかけのインターホンが鳴り響いた。

「……誰だ?まさか警察?」

 肩で息をしながら、よろめく足を引きずってオレは玄関へと歩いていく。身体が重い。意識は混濁していた。玄関の靴箱の上にある鏡に写ったオレはやつれきっていて、真っ青な顔をしていた。それはもう、自分でも情けなくなってしまうほどに。

 覗き孔もない玄関の扉をゆっくりと開ける。そこに居たのは予想もしていない人物だった。

「おっすリム助!」
「リアムくんおはよう」

 そこには真緒と良太が立っていた。

「良太、真緒……警察は?」  弱々しいオレの言葉をなんとか聞き取ったらしい2人は顔を見合わせていた。そして、二人同時に振り返って、全く同じセリフを同時に言うのだった。

「「そんなことより、何があったの!?」」
「リム助、お前その顔色尋常じゃないぞ?病院行くか?」
「昨日もしんどそうだったから良太と来てみたけど良かった。すごい心配したし、今も……」

 2人の顔を見て声を聞いて、緊張していた身体から力が抜けて、オレはその場でへたりこんでしまった。良太が大慌てでオレの肩を掴んで担ぎあげて、2人がオレをベッドまで運んでくれた。

 さっき暴れた惨状のままだったから、2人は少し動揺をしていたけれど、真緒がベッドを元に戻してくれて、その間良太は1人で、力の抜けたオレを支え続けてくれた。ゆっくりとベッドに寝かされて、2人が心配そうにオレの顔を覗き込む。

「何かあったんだろ?オレらに話せないか?」
「私たちリアムくんの力になりたい。リアムくんが苦しんでいるのなら一緒に……力を貸すから!」

 2人の言葉は真っ直ぐで、温かくて、色んな感情が涙になって溢れ出した。高校2年の男が友達の前で泣き崩れるって、どんな状況だよ?でもなんだろう、恥ずかしいとかそんな気持ちはなくて、本当にただ2人の気持ちが嬉しかったんだ。でも、だからこそオレはこの2人にだけは湊のことも、榎本さんのことも言うことはできない。

「少しは落ち着いたか?ほら」 良太はそう言いながらアパートから少し離れた自販機でスポーツドリンクを買ってきてくれた。オレは返事もせずにそれを受け取った。そして一口、口にした瞬間。

「・・・・・・うっ、おぇえ」 
「リアムくん!大丈夫!?」 胃液を吐き出すオレの背中を真緒が優しくさすってくれていた。あまりの顔色の悪さに、あらかじめ用意してくれていたレジ袋にトイレットペーパーが敷き詰められた洗面器。そこにオレは全てを吐き出した。

「・・・・・・」

 二人は目を合わせて、心配そうに深く息を吐いた。

「なあ、リム助。昨日の湊のこともあるし、今日は無理に学校行かなくても良いんじゃないかな?」
「そうよ。また放課後に私達が様子見に来るから今日は休もう?」

 家族の愛情を知らないオレだけど、深い友情を感じて本当に感謝しか出てこない。でもだからこそやっぱり、ここで休むわけにはいかないよな。逃げたらダメなんだ、湊のことも、榎本さんのことも・・・・・・

「真緒ってさ、榎本さんと仲良いのか?」 唐突に出された名前に少し真緒は驚いているようにも見えた。
「榎本さんって・・・・・・あずきちゃん?特別仲が良いかって言われるとアレだけど、普通に話したりはするよ。なんで?」
「連絡先って知ってる?今、連絡とって見てくれないかな?」

 自分の体調もままならないのに急に何を言っているんだろう?って顔している。そりゃそうだよな。でも、真緒はオレの真剣な表情を見て、良太とアイコンタクトを取ってスマホを取り出した。

「・・・・・・頼む。・・・・・・生きててくれ。・・・・・・夢であってくれ」 口を手で覆いながらオレは何かをぶつぶつと呟いていた。昨日のあの感触がまた戻ってくる様な気がした。そんなオレの冷たくなった身体を良太が支えてくれていた。

「・・・・・・出ない。もう登校時間過ぎてるし、携帯は触れないのかも」
「違う!触れないんじゃない!!榎本さんは・・・・・・!!」 オレは無意識に真緒の肩を強く掴んでいた。

「痛い・・・・・・痛いよリアムくん」

 やっぱり榎本さんは死んでいるのか?話した事だって、多分あの一回しかない。ましてや家なんてどこあるのか知らないし、勿論部屋になんて入ったことはない。

「離してリアムくん、良太」
「リム助、やめろ!」 良太に引き離されてようやくオレは真緒が痛みに顔を歪ませていたことに気が付いて、自分自身で驚いてしまった。

「ごめん真緒・・・・・・オレ」
「大丈夫だよ。深刻な顔し過ぎだって」 そう言って笑ってくれた真緒の肩から首にかけて、僅かに赤くオレの手形がついていたことにオレは見てみぬフリをした。

「そんなに心配だったら、あずきちゃん家に寄ってから学校行く?そんなに学校から遠くないし」 真緒のその提案にオレは内心は恐怖におびえながら、のることにした。良太は少しいぶかしげにオレのことを見ていた。さっきの真緒への態度を気にしているのだろうな。

「・・・・・・行こう」
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