上 下
2 / 2
第一章:復讐の業火

栗色の髪の少女

しおりを挟む
 「・・・いやっ、怖い、怖いよ。誰かタスケ……」 色鮮やかな花をカゴに入れた少女の栗色の髪の毛が、恐怖で震える身体と共に揺れていた。その眼前には今まさに、少女を食べようと息巻く大きな影が迫ってきていたのだった。



 風の旅人がテット村の青バッタ駆除をしてから三日経ち、気のおもむくままに旅をしている彼は、とある観光地の手前の山にまで来ていた。王宮都市ラウフの南東にあるその観光地は、都市から荷馬車を使っても丸二日はかかるという立地条件にも関わらず、王族から行商人など様々な階級の人々が観光として訪れる場所であった。

「んー。良い眺めだなぁ」 そう言って風の旅人は辺りの景色をぐるっと見渡した。彼の居た山は連なる山脈の中でも頭一つ高い所にあり、視界を遮るものがなかった。登ってきた獣道、悠々と空を泳いでいく薄い白い雲、時折だが野生の鳥類が群れをなして飛んでいくのも見つけた。

「噂には聞いてたけど本当にこんな臭いがするんだなあ……次の目的地も近くなってきた」 山頂にいる旅人の鼻を刺激するのは、腐ってしまった卵の様な臭いにはなにツンとくる刺激臭を含んだようななんとも形容しがたい臭いだった。それが彼の目的地である温泉街「ユドコ村」に近づいている確かな証拠でもあった。

 旅人はテット村でもらった乾物の一つを口に含む。そして、それをかじりながら歩き出そうとしたその時だった。「----!?今、何か声がしたような」 物静かな山の山頂、そんな場所で急に聞こえた声。旅人は耳に手を当てて、周りの音、気配を探っている。

「……れか……けて!・・・いやーーーー!」 確かに聞こえた。恐らく場所は眼下にある山中の一角。その方向から少女の助けを求める声が確かに聞こえたのである。旅人はすぐさま、何の|躊躇|《ためら》いもなく山頂から跳び下りた。急速に落下していく彼の身体が、眩い光に覆われていくと、不思議なことに落下速度はことわりを破って減速した。さらさらと彼の髪の毛とローブが揺れていた。

 山中にふわりと着地した風の旅人は、落下の最中にしっかりと少女がいるであろう当たりをつけていた。山中の生い茂る木々の葉が、ある所だけポッカリと開いていた。そこには、山頂でかいだ臭いにも負けないフローラルな香りが漂っており、色とりどりの花が群生していることが分かるほどに色彩に溢れた場所だったからだ。

 追い風に吹かれ、旅人は森を突っ切り瞬く間にその場所に辿り着いく。「どこだ!?」 旅人はすぐさま色とりどりの花が咲くその場所から辺りを見渡した。すると、人口の切り開いた道であろう、この場所につながる道の奥で影が動くのを見つけた。

 そこにいたのは魔力に侵食しんしょくされた、今にもエサを捕食しようと大きな口を開けている
蛇の怪物が少女の目の前にいた。栗色の髪の毛が揺れ、、少女の手前には花を摘んでいたであろうカゴが無残にも蛇に踏みつぶされぺしゃんこになっていた。

 少女が突如現れた風の旅人の存在に気付く。すると「ぎしゃーーーーー!」 と咆哮し、よだれをまき散らしながら蛇の怪物が、大きく口を開けたまま一度首を後ろに目いっぱい下げ、その反動を利用した急激な加速と共に少女に襲い掛かった。少女の口が「た・す・け・て」 と動いたのを旅人ははっきりと見ていた。

「メキィ!メキメキィィィッ!!」 少女がいた真後ろの大木をも一緒くたにして蛇の怪物は、その強靭なアゴで、そこにあったものをかみ砕いた。すさまじい音を立てながら噛みちぎられた大木が倒れていく。

「・・・シャアッ?」 蛇の怪物は困惑している。それもそのはずだ、エサだと認識していた人間を噛みちぎった感覚はなく、ただ固い大木を砕いた感覚しかなかったのだから。蛇の怪物は首を激しく揺らしながら、木々の破片を吐き出している。その後ろでは、風の旅人が栗色の髪の少女を抱きかかえ怪物をにらみつけていた。


「少しここで待っててね」 そう言って旅人は優しく少女に微笑んだ。涙で顔がくしゃくしゃになっている少女は、コクリと頷く。少女は見ていた。いや、実際にはその戦いのスピードをどこまで認識していたのかは定かではないが、旅人と怪物との一連のやり取りに、風の旅人の不思議な力に魅入ってしまったいたのだ。

 勝負は一瞬でついたのだった。風の旅人が蛇の怪物の後ろに移動をすると、野性の勘からかすぐに対象を目視し、長く太いその身体をひねって旅人を眼下におさめた。旅人の身体を覆っていた緑に輝く光は右手に集束していき、その手を怪物に向ける。またもや野生動物のそれで身の危険を察知した怪物ではあったが、敏感になっていた知覚によってこの後に起こることを回避することは不可能だと判断し、先ほどよりも速く、そして鋭く目の前の人間を噛み砕こうと向かっていった。

「少しお痛が過ぎちゃったね。これからは人を襲っちゃダメだよーー『荒ぶ風の槍トルネイド』!!」

生み出された風は、向かってくる蛇の怪物の胴を見事に捉えながら、渦巻き、収束し、より複雑な乱回転を発生させながら、その人の5,6倍はあろう巨躯を軽々と押し運んでいく。いつの間にか乱気流に飲み込まれた怪物は自身の身体さえも複雑な風に巻き込まれ、目を回しながら十数本の大木を一瞬にしてなぎ倒していった。

 怪物が吹き飛ばされた軌跡には濃い土煙が立ち上っていて、怪物の姿を視認することができないが、あれほどの暴風に巻き込まれ大木に打ち付けられては無事なはずもないだろう。風の旅人はゆっくりと、へたりこんでいる少女に近寄り、手を差し伸べた。少女はにこりと笑いながら「ありがとう」 と手を取り、立ち上がった。

「本当にありがとうございます。えっと・・・・・・」 少女は深々と頭を下げ、風の旅人を見つめた。旅人はにっこりと笑って、少女が口に出せなかった質問に答える。

「僕は風の旅人。名前は分からないんだけど、皆はそうやって僕のことを呼んでくれる。君は?」

「風の旅人さん……旅人さんて呼びますね。私はユドコ村の旅館の娘でエリスと言います。危ない所を援けていただいて本当にありがとうございました」

 エリスは丁寧にお礼を言うと、バラバラに踏みつぶされてしまった花の花弁をかき集め、近くの大木の根元に集めた。

「私この場所が好きで、嫌なこととかあるとよくここに来るんです。そのついでに花を摘んで旅館で飾るのですが、今日はこんなことになってしまって……お花に申し訳ないです」

「じゃあ、今日も嫌なことでもあったのかい?」 そう旅人が聞くと、エリスは「半分正解です」 と微笑みながら答えた。

「旅人さんは私と同じ歳くらいに見えるのですが、この周辺には最近怪物も多く見られるようになったのに勇敢ですね」

「あ、えっとね。僕の年齢は・・・」 そう言って旅人はエリスに耳打ちをした。

「ええええええっ!?そんな、いくら知らなかったとはいえ私なんて失礼なことを。本当にすみませんでした」 旅人の実年齢を知ったエリスは慌てて旅人に謝罪をした。このやり取りはもう慣れっこだったので旅人は笑って「気にしてないよ」 と言うのだった。

「この近くを旅していたということはやっぱり観光ですか?もし、まだ宿が決まっていないのでしたらうちの宿に来ませんか?先ほどのお礼もしたいですしパパやママも喜ぶと思うので」

 エリスの言葉は合っていて、気の赴くままに旅をしている風の旅人が宿を予め手配しているわけなどなく旅人にとっても良い話だった。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。そうだ、お腹空いてないかい?」 そう言って旅人は、テット村でもらった袋の中身を見せた。色とりどりの乾物にエリスは目をキラキラとさせている。

「ドライフルーツだぁ!ありがとうございます、頂きます」 そう言って、エリスは袋の中から赤い木の実を手に取って、口に放り込んだ。「んんんっ、甘くて美味しいぃ」 そう言いながらほっぺを両手で押さえる姿が可愛らしくて旅人は笑った。

 そして旅人はエリスに道案内をしてもらいながら、ユドコ村へと向かっていくのであった。そんな二人の姿を木陰から見つめる人物がいたことにエリスも、そして風の旅人でさえもその時には気づいていなかったのであった。



 


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...