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22. 愛しのエレアノール
しおりを挟む私が物思いにふけっていると、ノックスはハンカチに包まれた何かをポケットから取り出し、そっと差し出した。
「なあ、エレアノール。これなんだが……」
「それは……!」
ハンカチを開いて出てきたのは、レオパルド前国王の巨体に踏みつぶされて見るも無残な姿になった、サファイアの髪飾り。私が夢の中でセルヴィオからもらったプレゼントを、再現して作らせたものだ。
こんなに潰れてしまってショックは大きいけれど、やはり再現して所持していたことを知られたと思うと、どうにも恥ずかしい。
じわじわと顔が赤くなっていくのがわかり、頬を手で覆ってノックスをちらりと見上げる。
しかし、意外にも彼にからかうような色は一切見えず、ただただ痛みを堪えるような顔をしていた。
「この髪飾り、よかったら俺にくれないだろうか」
「え……えっ? それはいいけれど……どうして?」
「……これを見るたびに、自分が犯した間違いを思い出せるから」
強い光を宿した瞳に圧倒されて、思わず言葉をのみ込む。
ノックスが犯した間違いとは何なのだろう。
もしかして、私が怪我をしたから『必ず助けに行く』という約束を果たせなかったと思っているのだろうか。
ノックスが来てくれたから、私は殺されずに済んだというのに。
怪我をしたのだって笛を吹くのが遅かったからだ。ノックスに言われたとおり霧が出た時点ですぐに笛を吹けば、きっとその場でレオパルド王を捕まえて終わりだっただろう。
「踏み潰された髪飾りを見たとき、また君を失うのかと思って本当に怖かった」
ノックスは手のひらに乗せた髪飾りをじっと見つめ、震える指で縁をなぞっている。
それは彼が感じた恐怖を如実に物語っているようだった。
「それに、もしこれが隠し扉の前に落ちていなかったら、追跡できず本当に君を失っていたと思う。君を守りたくて時を戻したのに、俺は余計なことばかり考えて……実はルーカスにもラヴェル公爵にも、覚悟が足りないって叱られたんだ」
ノックスは暗い目をしていたけれど、ルーカスやお父様の話をするときだけは小さく笑った。
けれど笑みは一瞬だけで、また悔恨の表情を浮かべる。
「でも、俺の後悔はそれだけじゃないんだ。きっとエレアノールが必死に逃げなければ、俺は間に合わなかった。回帰前の君なら震えてうずくまり、あっけなく殺されていただろう。……今の君は自分の足で立ち、自分の足で歩んでいける女性だと思う」
その言葉を聞いた瞬間、世界がぐにゃりと歪み、足元から崩れ落ちそうな感覚に襲われる。
彼の口調は優しいけれど、これはつまり、私が彼の愛する『エレアノール』ではないという指摘だろうか。
回帰前との差異に幻滅されるという不安が、今まさに現実になろうとしていると思うと、ひどい耳鳴りがした。
私は、彼の愛する『エレアノール』にはなれない。それが許される人生ではなかった。
王妃教育は厳しく、マルセルのしつこい悪戯に笑って応える余裕がないときもたくさんあった。年上だから、優秀だからと王太子の仕事まで割り振られることも珍しくなかったし、幼い頃からいつも何かに追われていた。命を狙われたことだって一度や二度ではない。
それでも、私は自分の足で立てる自分を誇りに思っている。もし今、夢の中の私になれると言われても絶対にお断りだ。
でもそれは、ノックスとの決別を意味するのだろうか。
嗚咽が漏れるのを我慢できず、せめて涙を隠すように俯くと、ノックスは私の両肩を掴んで慌てた声を出した。
「な、なぜ泣いているんだ!? エレアノール、俺は何か君を傷つけるようなことを言っただろうか? もしそうなら謝るから教えてくれ!」
「そうじゃないわ。でも……私があなたの愛した『エレアノール』ではないという話でしょう? 気が強い私に幻滅したという……」
「幻滅!? ちがう、幻滅なんてまったくしていない! 俺はただ、俺が君の可能性を潰していたんだと思って!」
ノックスは繊細なガラス細工に触れるような慎重な手つきで、私をそっと抱き締めた。
ひくりと喉が鳴るけれど、幻滅していないという言葉に少しだけ落ち着きが戻ってくる。
ノックスは私の頭に頬を寄せると、ぽつりぽつりと話し始めた。
『エレアノール』を愛していたから、暗殺者はもちろん、ちょっとした嫌味を吐く者すら、すべて気づかれる前に排除していたこと。
幼い頃からすべての面倒を肩代わりして、『エレアノール』に割り振られた公務すら、できるものは自分がこなしていたこと。
その結果、純粋すぎて疑うことをしない世間知らずな女の子に育ったけれど、それでも自分が守ればいいと思っていたこと。
そして、今はそれが正しいおこないではなかったと後悔していること。
「だって、自分の足で立てる君は、こんなにも眩しく美しい」
彼は体を起こすと、私の手をそっと持ち上げて手のひらに口づけた。
状況を飲み込めないまま、陽の光を受けて鮮やかに煌めくサファイアブルーの瞳を呆然と見つめる。
「エレアノール、君が好きだよ」
その瞬間、まわりの音がすべて消え去った気がした。
呼吸も忘れて立ち尽くし、無意識に指先で彼の存在を確かめる。
やがて彼の言葉がじわじわと胸に染み渡ると、込み上げる愛しさが涙となってこぼれた。
「私もよ、ノックス。私も、あなたが好き」
私が震える声でそう言うと、ノックスは宝石のような瞳を少しだけ潤ませ、目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
私の涙を拭う彼の手は、少しだけ震えている。
慰めるように手のひらに頬をすり寄せながら微笑み返すと、彼は小さく私の名前を呼び、親指でそっと唇を撫でた。
――夢で何度も見た、彼がキスをする合図。
ゆっくり目を伏せると、彼の気配が近づいてくる。しかし、触れるか触れないかの距離でぴたりと止まったかと思うと、唇をくすぐるような囁きが落ちた。
「愛してる。回帰前の記憶がなかったとしても、きっと君を愛した」
はっとして目を見開いた瞬間、そっと唇を塞がれる。
サファイアブルーが瞼に隠れていくのを、胸が甘く締めつけられる心地で眺めながら、私もそっと目を閉じた。
ノックス、私はただ守られるだけの存在にはならないわ。
あなたが私を守ってくれるように、私もあなたを守ってみせる。
徐々に深くなっていくキスに置いていかれないよう彼の服を強く握り締めながら、私は静かにその誓いを胸に刻み込んだ。
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