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第1章 偽りの女神と加工された嘘
第4話 エンジン・スタート
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東京、西新宿。
超高層ホテルの最上階にあるラウンジバーは、下界の喧騒とは無縁の別世界だった。
落ちた照明、紫煙の香り、そしてクリスタルのグラスが触れ合う澄んだ音色。
成功者たちの欲望と、それを搾取しようとする者たちの思惑が交錯する場所。
「……うわ、なにここ。空気薄くない?」
田中襟華が、居心地の悪そうに肩をすくめた。
いつもの革ジャンではなく、佐藤に無理やり着せられた黒のワンピース姿だ。普段の生意気な表情はそのままに、慣れないヒールにふらついている。
「静かに。歩き方がゴリラみたいですよ、田中君」
佐藤任三郎は、完璧に着こなしたタキシード姿で、涼しい顔をして歩く。
彼はウェイターに目配せをし、奥のVIP席へと進んだ。
そこに、その女はいた。
夜景をバックに、深紅のドレスを纏った美女。
渡辺千尋。
彼女の向かいには、恰幅の良い初老の男が座っている。男はだらしなく頬を緩め、千尋の手を両手で包み込んでいた。
「いやあ、千尋さんのような知的な女性に会えて光栄だよ。今度、僕のクルーザーで……」
「まあ素敵。私、海が大好きなの」
千尋は鈴を転がすような声で答えながら、男のグラスにさりげなくシャンパンを注ぎ足す。
その瞳は笑っているが、奥底は氷のように冷めているのを、佐藤は見逃さなかった。彼女は男の自尊心をくすぐりながら、同時に腕時計の値段、靴のブランド、そして指輪の有無から資産状況と家庭環境をプロファイリングしているのだ。
「お楽しみ中、失礼します」
佐藤が二人のテーブルに近づき、静かに声をかけた。
男が不機嫌そうに振り返る。
「なんだ君は?」
「お連れ様のお迎えに上がりました。……社長、次のミーティングのお時間です」
佐藤は恭しく千尋に一礼する。
千尋は一瞬だけきょとんとしたが、すぐに状況を理解し、艶然と微笑んだ。
「あら、もうそんな時間? ごめんなさいね、私、仕事に戻らなくちゃ」
「えっ、あ、いや、しかし……」
名残惜しそうにする男の手を、千尋はするりと抜け出し、立ち上がった。
「続きはまた今度。……夢の海で会いましょう」
甘い言葉を残し、彼女は佐藤の方へ歩き出す。
ラウンジを出て、エレベーターホールへ向かう廊下。
千尋の表情から、瞬時に「営業用」の笑みが消えた。
「……タイミング最悪ね、サトウ。あのタヌキ親父、あと少しでインサイダー情報を吐きそうだったのに」
「あなたの小遣い稼ぎに付き合っている暇はありません。状況は伝えた通りです」
佐藤が歩きながら答える。
千尋はハンドバッグから煙草を取り出し、横を歩く少女――襟華に視線を流した。
値踏みするような、冷たい視線。
「で? その不機嫌なちんちくりんが、新しい相棒?」
「あ?」
襟華が眉を吊り上げる。
「誰がちんちくりんだよ、厚化粧オバサン。アンタこそ、香水の匂いがキツすぎて鼻曲がりそうなんだけど」
「あら、生意気な子猫ちゃん。マナー教室に通う月謝は持ってる?」
「アンタの整形代よりは安く済むけど?」
バチバチッ。
二人の間に、目に見えるような火花が散った。
千尋の「大人の余裕」という名のマウントと、襟華の「若さゆえの全能感」という名の牙が衝突する。
佐藤はため息をつき、エレベーターのボタンを押した。
「仕事です。個人的な喧嘩は、すべてが終わってからにしてください」
「私は別に喧嘩なんてしてないわよ」
千尋が肩をすくめる。
「ただ、プロの現場に『遠足気分のお子様』がいると、足手まといになるって忠告してるだけ」
「誰が足手まといだ! 私だって……!」
襟華が噛みつこうとしたその時、佐藤のスマホが震えた。
着信画面には、MIIKAの事務所周辺を監視させていた自動プログラムからの警告が表示されている。
「……動きましたね」
佐藤の表情が引き締まる。
「MIIKAが、シークレットパーティーの会場となるクラブへ移動を開始しました。下見か、あるいは裏取引か」
「チャンスじゃん」
襟華が目を輝かせる。
「今なら、あいつの護衛も手薄かも。私が現場に行って、侵入ルートを確認してくる」
「待ちなさい、田中君。君一人では……」
「大丈夫だって! オバサンに『お子様』扱いされたままじゃ腹の虫が収まらないんだよ!」
襟華はハイヒールを脱ぎ捨て、裸足になると、非常階段の方へ脱兎のごとく駆け出した。
「ちょ、待ち……!」
佐藤が呼び止める間もなく、彼女の姿は消えていた。
「……はあ」
佐藤は深く、重いため息をついた。
「だから言ったでしょ? ガキは感情で動くから嫌いなのよ」
千尋が呆れたように言う。
佐藤はスマホを取り出し、別の番号に発信した。
「……ええ、私です。緊急の配車を頼みます。場所は六本木のクラブ裏。……ええ、至急です」
★★★★★★★★★★★
六本木の裏路地。
冷たい雨がアスファルトを叩きつけている。
田中襟華は、息を潜めてビルの陰に隠れていた。
(……よし。裏口の警備は一人。カメラの死角もある)
彼女はMIIKAが入っていった会員制クラブの裏口を偵察していた。
名誉挽回。あのスカした女狐に一泡吹かせてやる。そんな焦りが、彼女の判断力を鈍らせていたのかもしれない。
彼女がさらに一歩、ゴミ箱の陰から踏み出した瞬間だった。
「おい。何コソコソしてんだ?」
背後から、ドスの利いた声がかかった。
心臓が跳ねる。
振り返ると、そこには黒いスーツを着た大男が二人、立っていた。耳にはインカム。ただのスタッフではない。半グレ上がりの用心棒だ。
「あ……えっと、道に迷っちゃって……」
襟華は咄嗟に「迷子の少女」を演じようとしたが、男の一人が彼女の腕を乱暴に掴んだ。
「嘘つけ。さっきからウチョロチョロしやがって。MIIKAちゃんのストーカーか?」
「痛っ……離せよ!」
襟華は男の腕に噛みつき、股間を蹴り上げた。
「グッ……! このクソガキ!」
男がうずくまる隙に逃げ出そうとするが、もう一人の男が立ち塞がる。さらに、裏口からも増援の男たちが出てきた。
――囲まれた。
路地裏の袋小路。
前方に男が三人。後方は壁。
「タダで帰れると思うなよ……?」
男たちがニヤニヤと笑いながら、指を鳴らして近づいてくる。
襟華は拳を握りしめた。護身術は心得ているが、体格差がありすぎる。
(くそっ……! やっぱ、一人じゃ無理だったか……?)
千尋の嘲笑う顔が脳裏をよぎる。
男の手が、襟華の襟首に伸びた――その時。
キキキキキキッ――!!!
鼓膜をつんざくようなスキール音と共に、路地裏に強烈なヘッドライトの光が差し込んだ。
漆黒のセダン。
それが物理法則を無視したような角度でドリフトしながら、狭い路地に滑り込んできたのだ。
「なっ!?」
男たちが驚いて振り返る。
車は襟華と男たちの間に割って入るようにスピンし、男の一人をバンパーで軽く弾き飛ばすと、ピタリと停止した。
水しぶきが舞い上がる。
センチメートル単位の精密な停車位置。あと数センチずれていれば、襟華も轢かれていた。
ガチャリ。
運転席のドアが開く。
降りてきたのは、長身の女性だった。
冷たい雨の中、傘も差さずに立っている。
プラチナブロンドのショートボブ。黒いタートルネックに、機能的なカーゴパンツ。そして手には革のドライビンググローブ。
まるで氷の彫像のような、無表情で美しい女性。
グレタ・ヴァイス。
「……積み荷の回収に来た」
グレタは抑揚のない日本語で言った。
「積み荷……だと?」
リーダー格の男が怒鳴る。
「テメェどこ見て運転してやがる! ここが誰のシマだか……」
男がグレタの肩を掴もうとした瞬間。
バシッ。
乾いた音が響いた。
次の瞬間には、男は地面に転がっていた。
あまりに速すぎて、襟華の目にも何が起きたか見えなかった。グレタはポケットから手も出していないように見えたが、一瞬の関節技で男を制圧したのだ。
「私の車に触るな。指紋がつく」
グレタは冷たく言い放つと、呆然としている襟華の方を見た。
「乗れ。3秒以内だ」
「え、あ、はい!」
襟華が慌てて後部座席に飛び込むと同時に、グレタも運転席に戻る。
エンジンが咆哮を上げる。
残りの男たちが怒声を上げて追いかけてくるが、車はロケットのような加速でバックし、路地を脱出。ハンドルを切り返し、夜の六本木の街へと消えていった。
★★★★★★★★★★★
車内は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
高級セダンの革シートの匂い。
襟華は荒い息を整えながら、バックミラー越しに運転手の目を見た。
青い瞳。佐藤と同じくらい、感情の色が見えない瞳だ。
「……助かった。ありがとう」
「礼には及ばない。私はサトウのオーダーを遂行しただけだ」
グレタは淡々と答え、ハンドルを切る。
車は、佐藤のオフィスビルの地下駐車場へと滑り込んだ。
そこで待っていたのは、佐藤と千尋だった。
車を降りた襟華は、バツが悪そうにうつむく。
「……ごめんなさい。しくじった」
素直に謝る襟華に、千尋は嫌味を言うのを止めたようで、ただ肩をすくめただけだった。
「無事で何よりよ。……で、そっちのサイボーグみたいな美人は?」
千尋がグレタを見る。
佐藤が一歩前に出て、紹介した。
「彼女はグレタ・ヴァイス。私の『足』であり、このチームの『盾』です」
「グレタだ」
グレタは短く名乗り、腕時計を確認した。
「到着予定時刻より12秒遅れた。……理由は、積み荷が動揺して乗車に手間取ったからだ」
「積み荷って言うな!」
襟華が抗議するが、グレタは無視して佐藤に向き直る。
「サトウ。車のサスペンションに若干の違和感がある。昨日の路面凍結の影響か、あるいは敵を弾いた際の衝撃か。……メンテナンスの時間を要求する」
「許可します。……ですがその前に」
佐藤は4人の顔を見渡した。
氷のように冷徹な指揮官、佐藤任三郎。
炎のように直情的な潜入者、田中襟華。
毒のように危険な交渉人、渡辺千尋。
そして、鋼鉄のように強固な執行者、グレタ・ヴァイス。
バラバラで、協調性など欠片もなく、全員がどこか社会から逸脱したアウトローたち。
だが、ピースは揃った。
「エンジン・スタートです」
佐藤は静かに宣言した。
「これより、MIIKAへの『処刑』作戦を開始します。……全員、配置については?」
「了解」
「オーケー」
「Ja」
雨音にかき消されるように、黒いセダンのエンジン音が低く唸った。
フォロワー100万人の虚構を暴く、最悪で最強の復讐劇が、今、幕を開ける。
超高層ホテルの最上階にあるラウンジバーは、下界の喧騒とは無縁の別世界だった。
落ちた照明、紫煙の香り、そしてクリスタルのグラスが触れ合う澄んだ音色。
成功者たちの欲望と、それを搾取しようとする者たちの思惑が交錯する場所。
「……うわ、なにここ。空気薄くない?」
田中襟華が、居心地の悪そうに肩をすくめた。
いつもの革ジャンではなく、佐藤に無理やり着せられた黒のワンピース姿だ。普段の生意気な表情はそのままに、慣れないヒールにふらついている。
「静かに。歩き方がゴリラみたいですよ、田中君」
佐藤任三郎は、完璧に着こなしたタキシード姿で、涼しい顔をして歩く。
彼はウェイターに目配せをし、奥のVIP席へと進んだ。
そこに、その女はいた。
夜景をバックに、深紅のドレスを纏った美女。
渡辺千尋。
彼女の向かいには、恰幅の良い初老の男が座っている。男はだらしなく頬を緩め、千尋の手を両手で包み込んでいた。
「いやあ、千尋さんのような知的な女性に会えて光栄だよ。今度、僕のクルーザーで……」
「まあ素敵。私、海が大好きなの」
千尋は鈴を転がすような声で答えながら、男のグラスにさりげなくシャンパンを注ぎ足す。
その瞳は笑っているが、奥底は氷のように冷めているのを、佐藤は見逃さなかった。彼女は男の自尊心をくすぐりながら、同時に腕時計の値段、靴のブランド、そして指輪の有無から資産状況と家庭環境をプロファイリングしているのだ。
「お楽しみ中、失礼します」
佐藤が二人のテーブルに近づき、静かに声をかけた。
男が不機嫌そうに振り返る。
「なんだ君は?」
「お連れ様のお迎えに上がりました。……社長、次のミーティングのお時間です」
佐藤は恭しく千尋に一礼する。
千尋は一瞬だけきょとんとしたが、すぐに状況を理解し、艶然と微笑んだ。
「あら、もうそんな時間? ごめんなさいね、私、仕事に戻らなくちゃ」
「えっ、あ、いや、しかし……」
名残惜しそうにする男の手を、千尋はするりと抜け出し、立ち上がった。
「続きはまた今度。……夢の海で会いましょう」
甘い言葉を残し、彼女は佐藤の方へ歩き出す。
ラウンジを出て、エレベーターホールへ向かう廊下。
千尋の表情から、瞬時に「営業用」の笑みが消えた。
「……タイミング最悪ね、サトウ。あのタヌキ親父、あと少しでインサイダー情報を吐きそうだったのに」
「あなたの小遣い稼ぎに付き合っている暇はありません。状況は伝えた通りです」
佐藤が歩きながら答える。
千尋はハンドバッグから煙草を取り出し、横を歩く少女――襟華に視線を流した。
値踏みするような、冷たい視線。
「で? その不機嫌なちんちくりんが、新しい相棒?」
「あ?」
襟華が眉を吊り上げる。
「誰がちんちくりんだよ、厚化粧オバサン。アンタこそ、香水の匂いがキツすぎて鼻曲がりそうなんだけど」
「あら、生意気な子猫ちゃん。マナー教室に通う月謝は持ってる?」
「アンタの整形代よりは安く済むけど?」
バチバチッ。
二人の間に、目に見えるような火花が散った。
千尋の「大人の余裕」という名のマウントと、襟華の「若さゆえの全能感」という名の牙が衝突する。
佐藤はため息をつき、エレベーターのボタンを押した。
「仕事です。個人的な喧嘩は、すべてが終わってからにしてください」
「私は別に喧嘩なんてしてないわよ」
千尋が肩をすくめる。
「ただ、プロの現場に『遠足気分のお子様』がいると、足手まといになるって忠告してるだけ」
「誰が足手まといだ! 私だって……!」
襟華が噛みつこうとしたその時、佐藤のスマホが震えた。
着信画面には、MIIKAの事務所周辺を監視させていた自動プログラムからの警告が表示されている。
「……動きましたね」
佐藤の表情が引き締まる。
「MIIKAが、シークレットパーティーの会場となるクラブへ移動を開始しました。下見か、あるいは裏取引か」
「チャンスじゃん」
襟華が目を輝かせる。
「今なら、あいつの護衛も手薄かも。私が現場に行って、侵入ルートを確認してくる」
「待ちなさい、田中君。君一人では……」
「大丈夫だって! オバサンに『お子様』扱いされたままじゃ腹の虫が収まらないんだよ!」
襟華はハイヒールを脱ぎ捨て、裸足になると、非常階段の方へ脱兎のごとく駆け出した。
「ちょ、待ち……!」
佐藤が呼び止める間もなく、彼女の姿は消えていた。
「……はあ」
佐藤は深く、重いため息をついた。
「だから言ったでしょ? ガキは感情で動くから嫌いなのよ」
千尋が呆れたように言う。
佐藤はスマホを取り出し、別の番号に発信した。
「……ええ、私です。緊急の配車を頼みます。場所は六本木のクラブ裏。……ええ、至急です」
★★★★★★★★★★★
六本木の裏路地。
冷たい雨がアスファルトを叩きつけている。
田中襟華は、息を潜めてビルの陰に隠れていた。
(……よし。裏口の警備は一人。カメラの死角もある)
彼女はMIIKAが入っていった会員制クラブの裏口を偵察していた。
名誉挽回。あのスカした女狐に一泡吹かせてやる。そんな焦りが、彼女の判断力を鈍らせていたのかもしれない。
彼女がさらに一歩、ゴミ箱の陰から踏み出した瞬間だった。
「おい。何コソコソしてんだ?」
背後から、ドスの利いた声がかかった。
心臓が跳ねる。
振り返ると、そこには黒いスーツを着た大男が二人、立っていた。耳にはインカム。ただのスタッフではない。半グレ上がりの用心棒だ。
「あ……えっと、道に迷っちゃって……」
襟華は咄嗟に「迷子の少女」を演じようとしたが、男の一人が彼女の腕を乱暴に掴んだ。
「嘘つけ。さっきからウチョロチョロしやがって。MIIKAちゃんのストーカーか?」
「痛っ……離せよ!」
襟華は男の腕に噛みつき、股間を蹴り上げた。
「グッ……! このクソガキ!」
男がうずくまる隙に逃げ出そうとするが、もう一人の男が立ち塞がる。さらに、裏口からも増援の男たちが出てきた。
――囲まれた。
路地裏の袋小路。
前方に男が三人。後方は壁。
「タダで帰れると思うなよ……?」
男たちがニヤニヤと笑いながら、指を鳴らして近づいてくる。
襟華は拳を握りしめた。護身術は心得ているが、体格差がありすぎる。
(くそっ……! やっぱ、一人じゃ無理だったか……?)
千尋の嘲笑う顔が脳裏をよぎる。
男の手が、襟華の襟首に伸びた――その時。
キキキキキキッ――!!!
鼓膜をつんざくようなスキール音と共に、路地裏に強烈なヘッドライトの光が差し込んだ。
漆黒のセダン。
それが物理法則を無視したような角度でドリフトしながら、狭い路地に滑り込んできたのだ。
「なっ!?」
男たちが驚いて振り返る。
車は襟華と男たちの間に割って入るようにスピンし、男の一人をバンパーで軽く弾き飛ばすと、ピタリと停止した。
水しぶきが舞い上がる。
センチメートル単位の精密な停車位置。あと数センチずれていれば、襟華も轢かれていた。
ガチャリ。
運転席のドアが開く。
降りてきたのは、長身の女性だった。
冷たい雨の中、傘も差さずに立っている。
プラチナブロンドのショートボブ。黒いタートルネックに、機能的なカーゴパンツ。そして手には革のドライビンググローブ。
まるで氷の彫像のような、無表情で美しい女性。
グレタ・ヴァイス。
「……積み荷の回収に来た」
グレタは抑揚のない日本語で言った。
「積み荷……だと?」
リーダー格の男が怒鳴る。
「テメェどこ見て運転してやがる! ここが誰のシマだか……」
男がグレタの肩を掴もうとした瞬間。
バシッ。
乾いた音が響いた。
次の瞬間には、男は地面に転がっていた。
あまりに速すぎて、襟華の目にも何が起きたか見えなかった。グレタはポケットから手も出していないように見えたが、一瞬の関節技で男を制圧したのだ。
「私の車に触るな。指紋がつく」
グレタは冷たく言い放つと、呆然としている襟華の方を見た。
「乗れ。3秒以内だ」
「え、あ、はい!」
襟華が慌てて後部座席に飛び込むと同時に、グレタも運転席に戻る。
エンジンが咆哮を上げる。
残りの男たちが怒声を上げて追いかけてくるが、車はロケットのような加速でバックし、路地を脱出。ハンドルを切り返し、夜の六本木の街へと消えていった。
★★★★★★★★★★★
車内は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
高級セダンの革シートの匂い。
襟華は荒い息を整えながら、バックミラー越しに運転手の目を見た。
青い瞳。佐藤と同じくらい、感情の色が見えない瞳だ。
「……助かった。ありがとう」
「礼には及ばない。私はサトウのオーダーを遂行しただけだ」
グレタは淡々と答え、ハンドルを切る。
車は、佐藤のオフィスビルの地下駐車場へと滑り込んだ。
そこで待っていたのは、佐藤と千尋だった。
車を降りた襟華は、バツが悪そうにうつむく。
「……ごめんなさい。しくじった」
素直に謝る襟華に、千尋は嫌味を言うのを止めたようで、ただ肩をすくめただけだった。
「無事で何よりよ。……で、そっちのサイボーグみたいな美人は?」
千尋がグレタを見る。
佐藤が一歩前に出て、紹介した。
「彼女はグレタ・ヴァイス。私の『足』であり、このチームの『盾』です」
「グレタだ」
グレタは短く名乗り、腕時計を確認した。
「到着予定時刻より12秒遅れた。……理由は、積み荷が動揺して乗車に手間取ったからだ」
「積み荷って言うな!」
襟華が抗議するが、グレタは無視して佐藤に向き直る。
「サトウ。車のサスペンションに若干の違和感がある。昨日の路面凍結の影響か、あるいは敵を弾いた際の衝撃か。……メンテナンスの時間を要求する」
「許可します。……ですがその前に」
佐藤は4人の顔を見渡した。
氷のように冷徹な指揮官、佐藤任三郎。
炎のように直情的な潜入者、田中襟華。
毒のように危険な交渉人、渡辺千尋。
そして、鋼鉄のように強固な執行者、グレタ・ヴァイス。
バラバラで、協調性など欠片もなく、全員がどこか社会から逸脱したアウトローたち。
だが、ピースは揃った。
「エンジン・スタートです」
佐藤は静かに宣言した。
「これより、MIIKAへの『処刑』作戦を開始します。……全員、配置については?」
「了解」
「オーケー」
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