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第2章:エルフの難民と温泉リゾート
第15話 マザーの排熱農法
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エルフたちが『シルバーストリーム・ハイツ』に入居してから数日が経過した。
拠点『テラ・テルマエ』は、今や小さな村のような活気を帯びている。
朝の澄んだ空気の中、小鳥のさえずりと共に、楽しげな笑い声が響いてくる。
「わんっ! わうっ!」
銀色の小さな影が、青々と茂る畑の畝の間を疾風のごとく駆け抜ける。
シルバーウルフの幼体、シロだ。
シロはすっかりエルフの子供たちのアイドルになっており、毎朝の「鬼ごっこ」が日課になっていた。
短い足を一生懸命動かして子供たちの周りをぐるぐると回り、捕まりそうになると「くぅ~ん」とあざとい声を出して相手を油断させ、その隙に股下をくぐり抜けて逃げるという高等テクニックを駆使している。
野生の狼としての本能なのか、それともマザーに甘やかされた結果なのか、実に賢い。
「こらシロ! トマトの苗を踏まないの!」
農作業をしていたエルフの女性に叱られると、シロは急ブレーキをかけてピタリと止まり、その場にちんまりとお座りをする。
そして、小首をかしげ、潤んだ瞳で上目遣い攻撃を仕掛ける。ピンと立った耳が、申し訳無さそうにペタリと垂れる演出付きだ。
「……うっ。まぁ、可愛いから許すけど……次は気をつけてね?」
「わふっ!」
チョロい。エルフも俺も、このモフモフ生物には勝てないのだ。
俺はそんな微笑ましい光景を眺めながら、農作業の指揮を執っていたリーリャに近づいた。
「おはよう、リーリャ。調子はどうだ?」
「ああ、アルド。おはよう」
リーリャは作業の手を止め、袖で額の汗を拭った。
土に汚れた作業着姿だが、それがかえって彼女の健康的な美しさを引き立てている。以前の張り詰めた表情はなく、今の彼女の瞳には充実した光が宿っていた。
「作物の成長は順調だ。あちらの『エーテル水』のおかげで、信じられない速度で育っている。昨日種を蒔いたはずのラディッシュが、もう収穫できそうだ」
「さすがだな。エルフの魔法も使ってるのか?」
「うむ。土壌の精霊に働きかけて、根の張りを良くしている。マザーの肥料と合わせれば、まさに鬼に金棒だ」
リーリャは誇らしげに胸を張ったが、ふと真剣な表情になり、空を見上げた。
「……だが、一つ懸念がある」
「懸念?」
「うむ。夜の冷え込みだ」
彼女の視線の先には、高く澄み渡った秋の空が広がっている。
ここは荒野だ。日中は日差しが強く暑いくらいだが、夜になると熱が逃げ、気温は氷点下近くまで下がることもある。典型的な内陸性気候だ。
「今はまだ大丈夫だが、これから冬に向かってさらに冷え込むだろう。エーテル水の力で成長は早まっているとはいえ、寒さに弱い作物――特にトマトや葉物野菜は、霜が降りれば一夜にして全滅する恐れがある」
「なるほど……。寒さ対策か」
確かにその通りだ。
俺たちはマザーの作った断熱完備の家に住んでいるから忘れていたが、植物たちは過酷な外気に晒されている。
せっかく育った作物を枯らすわけにはいかない。
『マスター、リーリャさんの懸念はもっともです』
タイミングよく、マザーの声が響いた。
彼女の本体は現在、拠点の北側で休止モードに入っているが、センサーは常に周囲を監視している。
『私も気象データを分析していましたが、今夜から寒波が来る予報が出ています。外気温はマイナス5度まで低下する見込みです。露地栽培の限界ですね』
「マジか。マイナス5度じゃ、防寒シートをかけたくらいじゃ防げないな。……どうする? 畑の周りで焚き火でも焚くか?」
『非効率的です。燃料となる薪が足りませんし、一酸化炭素中毒のリスクがあります。……そこで、私に提案があります』
マザーの単眼が、ウィンと回転した。
何か良いアイデアがある時の合図だ。
『私には、常時排出しなければならない「余剰エネルギー」があります。これを利用しましょう』
「余剰エネルギー?」
『はい。私の動力炉は超高出力型のため、アイドリング状態でも常に膨大な熱を発しています。通常は放熱フィンから大気中に捨てているのですが……これを捨てずに、熱交換器を通して循環させれば、大規模な「温水暖房システム」が構築可能です』
「なるほど! 排熱利用か!」
俺はポンと手を叩いた。
マザーの動力炉は、都市一つの電力を賄えるほどの出力がある。その排熱だけでも、巨大な銭湯を沸かし続けられるほどの熱量があるはずだ。それを畑の暖房に使えばいい。
『ついでに、畑全体を覆う「全天候型温室」を建設しましょう。私の工場で、透明度と断熱性に優れた強化樹脂フィルムを生成できます。これで畑を覆い、温水を循環させれば、外気温に関係なく、内部を常春の楽園に保てます』
「完璧だ。よし、リーリャ、聞いたか?」
俺が振り返ると、リーリャはポカンと口を開けていた。
「……ハイネツ? ジュシ・フィルム? ……よく分からぬが、マザーが『寒くない畑』を作ってくれるということか?」
「正解だ。しかも、ただ寒くないだけじゃない。成長速度がさらに上がるぞ」
善は急げだ。寒波が来るのは今夜だ。
マザーは直ちに「温室建設プロジェクト」を開始した。
まずは畑の周囲に、熱を運ぶためのパイプラインを敷設する。
マザーのサブアームが器用に地面を掘り起こし、断熱加工された銀色のパイプを埋め込んでいく。
パイプの中には、マザーの体内を循環する冷却液が流れ込み、熱を運ぶ仕組みだ。エルフたちも手伝い、パイプの埋設作業は驚くほどのスピードで進んでいく。
次に、骨組みの組み立てだ。
マザーの3Dプリンタから吐き出された、軽くて丈夫な合金製のフレームパーツ。
これをマザーのアームが拾い上げ、パズルを組むようにカシャン、カシャンと組み立てていく。
幾何学的なアーチが次々と立ち上がり、畑を覆う巨大なドームの骨格が出来上がっていく様は圧巻だ。
「わんっ! わんっ!」
シロはその作業音が面白いのか、動くアームを追いかけて走り回っていたが、マザーに『危ないですよ、シロちゃん』と優しくアームで持ち上げられ、安全地帯のクッションの上に置かれていた。不満そうに「きゅぅ」と鳴いてふて寝する姿もまた可愛い。
そして最後に、透明なフィルム展張だ。
マザーの腹部からロール状のシートが送り出され、フレームを覆っていく。
ガラスのように透明だが、ハンマーで叩いても破れない強度を持つ特殊素材だ。
太陽光を透過しつつ、熱を逃がさない魔法のような素材。
作業開始からわずか3時間。
日が傾きかけた頃には、荒野の中に巨大なドーム状の建造物が完成していた。
かまぼこ型の屋根が夕日を反射してオレンジ色に輝いている。
『完成です。『マザー式・ハイブリッド温室第一号棟』。内部容積は体育館2つ分。自動散水システム、温度・湿度管理システム完備です』
「すごいな……。これなら冬でもトマトが食える」
「中に入ってみてもいいか?」
リーリャが待ちきれない様子で言った。
「もちろんだ。入ろう」
エアロック式の二重扉を開け、中へと足を踏み入れる。
「…………わぁ」
リーリャから、感嘆の吐息が漏れた。
そこは、別世界だった。
外の乾燥した冷気とは無縁の、湿り気を帯びた温かい空気。
土と緑の匂いが濃厚に漂っている。
足元には温水パイプが通っており、ポカポカと温かい。床暖房付きの畑だ。
「温かい……。まるで、春の森のようだ」
エルフたちが次々と入ってきて、歓声を上げる。
中には、上着を脱いで薄手の肌着一枚になる者もいた。
『室温25度、湿度60%に設定してあります。植物にとって最も光合成効率が良い環境です。さらに、エーテル水の散布と、夜間はLED補光を行うことで、成長速度は通常の3倍以上を見込んでいます』
「3倍……!」
リーリャが驚愕に目を見開く。
ただでさえエーテル水で早まっていた成長が、さらに加速する。
これはもう、農業というより「工業」に近い生産体制だ。
「これなら、自分たちが食べる分だけじゃなくて、余った分を保存食にしたり、将来的に交易品として売ることもできるな」
俺は未来の展望を語った。
この荒野産の野菜は、味も栄養価も桁外れだ。外の世界に出せば、高値で取引されるだろう。それは、この領地の経済的な自立を意味する。
その日の夜。
夕食は、エルフたちが収穫した野菜をふんだんに使った「衣揚げ」だった。
マザーが精製した植物油で、水で溶いた小麦粉を纏わせた採れたてのナスやインゲン、大葉のような香草をカラリと揚げる。
サクサクの衣と、中から溢れ出す野菜の甘み。岩塩を少しつけて食べると、素材の味が引き立って最高だった。
エルフたちも「たっぷりの油で揚げる料理」は初めてだったようだが、その美味しさに目を丸くして喜んでいた。
食後、俺はマザーの定期メンテナンスを行っていた。
作業が一段落し、夜風に当たろうと外に出ると、温室の前に人影があった。
リーリャだ。
彼女は、暗闇の中で淡く発光する温室を、愛おしそうに見上げていた。
「こんばんは、リーリャ。眠れないのか?」
「あ、アルド……」
彼女は振り返り、少し恥ずかしそうに微笑んだ。月明かりに照らされたその笑顔に、俺は少しドキリとする。
「いや、あまりに嬉しくてな。つい、見に来てしまったのだ。……あの中に、私たちの未来があるような気がして」
「未来、か。大げさじゃないな。食料は命の源だから」
「ああ。……少し、中を歩かないか? 警備の点検も兼ねて」
それは、実質的なデートの誘いだった。
俺は心臓が少し早鐘を打つのを感じながら、「もちろん」と頷いた。
夜の温室は、昼間とはまた違った幻想的な雰囲気に包まれていた。
天井の補光ライトが、植物たちを淡い紫やピンク色の光で照らし出している。
静寂の中に、時折スプリンクラーの水音が響く。
湿り気を帯びた温かい空気が、二人の距離を縮めるような錯覚を覚える。
並んで歩く。
手が触れそうで触れない距離。
「……アルド、改めて礼を言う」
リーリャが静かに口を開いた。
「家を作り、畑を守り、私たちに生きる場所を与えてくれた。……お前は、本当に不思議な男だ」
「俺はただ、快適に暮らしたいだけだよ。それに、君たちがいてくれて助かってる。俺とマザーだけじゃ、味気ない生活だったからな」
「そうか? マザーは随分と賑やかな性格に見えるが」
「はは、確かに。でも、やっぱり『人』の温かさとは違うよ」
俺はリーリャを見た。
温室の淡い光に照らされた彼女の横顔は、神秘的で、吸い込まれそうなほど美しかった。
彼女も俺を見つめ返す。
褐色の肌が、少し上気しているように見えたのは、室温のせいだけではないだろう。
「アルド。私は……」
リーリャが一歩、俺に近づいた。
甘い花の香りがした。
「私は、お前の力になりたい。ただの労働力としてではなく……もっと、近くで」
その瞳は真剣で、揺るぎない意志が宿っていた。
かつて、故郷を追われた時に見せていた悲壮感はない。あるのは、新しい場所で生きていくという強い覚悟と、俺への信頼だ。
「……リーリャ」
俺が何か答えようとした、その時。
「わんっ! わんわんっ!」
足元から元気な声が割り込んだ。
見下ろすと、シロが尻尾をブンブン振って俺たちの間に入り込んでいた。
口には、どこからか拾ってきた木の枝をくわえている。
『遊んで! 今すぐ!』という強烈なアピールだ。
「……シロ、お前なぁ」
俺は脱力した。
いいムードが台無しだ。
リーリャも呆気にとられた後、クスクスと笑い出した。
「ふふっ、これには勝てないな。……どうやら、最強の邪魔者が現れたようだ」
「ああ、違いない」
俺はしゃがみ込み、シロの頭を撫で回した。
シロは嬉しそうに俺の手を舐め、次にリーリャの手も舐めた。
「こら、くすぐったいぞ」
リーリャも笑いながらシロを撫でる。
二人の手が、シロの背中の上で重なった。
温かい。
シロの体温と、リーリャの体温。
俺たちは顔を見合わせ、照れくさそうに、でも幸せそうに微笑み合った。
『まったく、シロちゃんもタイミングが悪いですねぇ。あと一押しだったのに』
温室のスピーカーから、マザーの呆れたような声が降ってくる。
『でも、まあいいでしょう。野菜も愛も、じっくり時間をかけて育てていくのが一番ですから』
「……マザー、聞いてたのか」
『全エリア常時モニタリング中ですから。温度管理も、ムード管理もお任せください。照明、少し落としましょうか?』
「余計なお世話だ!」
俺は苦笑いしながら立ち上がった。
でも、マザーの言う通りかもしれない。
焦ることはない。
この温室の野菜たちのように、俺たちの関係も、ゆっくりと、でも確実に育っていけばいい。
「戻ろうか、リーリャ。シロも眠そうだ」
「ああ。……おやすみ、アルド」
リーリャの「おやすみ」は、今まで聞いたどんな言葉よりも優しく響いた。
温室を出ると、外は満天の星空だった。予報通り気温は下がっているが、火照った頬には心地よかった。
シロを抱きかかえ、俺たちはそれぞれの部屋へと帰っていく。
明日もまた、忙しく、そして楽しい一日が待っている。
マザーの排熱農法は、野菜だけでなく、俺たちの絆も温めてくれたようだった。
拠点『テラ・テルマエ』は、今や小さな村のような活気を帯びている。
朝の澄んだ空気の中、小鳥のさえずりと共に、楽しげな笑い声が響いてくる。
「わんっ! わうっ!」
銀色の小さな影が、青々と茂る畑の畝の間を疾風のごとく駆け抜ける。
シルバーウルフの幼体、シロだ。
シロはすっかりエルフの子供たちのアイドルになっており、毎朝の「鬼ごっこ」が日課になっていた。
短い足を一生懸命動かして子供たちの周りをぐるぐると回り、捕まりそうになると「くぅ~ん」とあざとい声を出して相手を油断させ、その隙に股下をくぐり抜けて逃げるという高等テクニックを駆使している。
野生の狼としての本能なのか、それともマザーに甘やかされた結果なのか、実に賢い。
「こらシロ! トマトの苗を踏まないの!」
農作業をしていたエルフの女性に叱られると、シロは急ブレーキをかけてピタリと止まり、その場にちんまりとお座りをする。
そして、小首をかしげ、潤んだ瞳で上目遣い攻撃を仕掛ける。ピンと立った耳が、申し訳無さそうにペタリと垂れる演出付きだ。
「……うっ。まぁ、可愛いから許すけど……次は気をつけてね?」
「わふっ!」
チョロい。エルフも俺も、このモフモフ生物には勝てないのだ。
俺はそんな微笑ましい光景を眺めながら、農作業の指揮を執っていたリーリャに近づいた。
「おはよう、リーリャ。調子はどうだ?」
「ああ、アルド。おはよう」
リーリャは作業の手を止め、袖で額の汗を拭った。
土に汚れた作業着姿だが、それがかえって彼女の健康的な美しさを引き立てている。以前の張り詰めた表情はなく、今の彼女の瞳には充実した光が宿っていた。
「作物の成長は順調だ。あちらの『エーテル水』のおかげで、信じられない速度で育っている。昨日種を蒔いたはずのラディッシュが、もう収穫できそうだ」
「さすがだな。エルフの魔法も使ってるのか?」
「うむ。土壌の精霊に働きかけて、根の張りを良くしている。マザーの肥料と合わせれば、まさに鬼に金棒だ」
リーリャは誇らしげに胸を張ったが、ふと真剣な表情になり、空を見上げた。
「……だが、一つ懸念がある」
「懸念?」
「うむ。夜の冷え込みだ」
彼女の視線の先には、高く澄み渡った秋の空が広がっている。
ここは荒野だ。日中は日差しが強く暑いくらいだが、夜になると熱が逃げ、気温は氷点下近くまで下がることもある。典型的な内陸性気候だ。
「今はまだ大丈夫だが、これから冬に向かってさらに冷え込むだろう。エーテル水の力で成長は早まっているとはいえ、寒さに弱い作物――特にトマトや葉物野菜は、霜が降りれば一夜にして全滅する恐れがある」
「なるほど……。寒さ対策か」
確かにその通りだ。
俺たちはマザーの作った断熱完備の家に住んでいるから忘れていたが、植物たちは過酷な外気に晒されている。
せっかく育った作物を枯らすわけにはいかない。
『マスター、リーリャさんの懸念はもっともです』
タイミングよく、マザーの声が響いた。
彼女の本体は現在、拠点の北側で休止モードに入っているが、センサーは常に周囲を監視している。
『私も気象データを分析していましたが、今夜から寒波が来る予報が出ています。外気温はマイナス5度まで低下する見込みです。露地栽培の限界ですね』
「マジか。マイナス5度じゃ、防寒シートをかけたくらいじゃ防げないな。……どうする? 畑の周りで焚き火でも焚くか?」
『非効率的です。燃料となる薪が足りませんし、一酸化炭素中毒のリスクがあります。……そこで、私に提案があります』
マザーの単眼が、ウィンと回転した。
何か良いアイデアがある時の合図だ。
『私には、常時排出しなければならない「余剰エネルギー」があります。これを利用しましょう』
「余剰エネルギー?」
『はい。私の動力炉は超高出力型のため、アイドリング状態でも常に膨大な熱を発しています。通常は放熱フィンから大気中に捨てているのですが……これを捨てずに、熱交換器を通して循環させれば、大規模な「温水暖房システム」が構築可能です』
「なるほど! 排熱利用か!」
俺はポンと手を叩いた。
マザーの動力炉は、都市一つの電力を賄えるほどの出力がある。その排熱だけでも、巨大な銭湯を沸かし続けられるほどの熱量があるはずだ。それを畑の暖房に使えばいい。
『ついでに、畑全体を覆う「全天候型温室」を建設しましょう。私の工場で、透明度と断熱性に優れた強化樹脂フィルムを生成できます。これで畑を覆い、温水を循環させれば、外気温に関係なく、内部を常春の楽園に保てます』
「完璧だ。よし、リーリャ、聞いたか?」
俺が振り返ると、リーリャはポカンと口を開けていた。
「……ハイネツ? ジュシ・フィルム? ……よく分からぬが、マザーが『寒くない畑』を作ってくれるということか?」
「正解だ。しかも、ただ寒くないだけじゃない。成長速度がさらに上がるぞ」
善は急げだ。寒波が来るのは今夜だ。
マザーは直ちに「温室建設プロジェクト」を開始した。
まずは畑の周囲に、熱を運ぶためのパイプラインを敷設する。
マザーのサブアームが器用に地面を掘り起こし、断熱加工された銀色のパイプを埋め込んでいく。
パイプの中には、マザーの体内を循環する冷却液が流れ込み、熱を運ぶ仕組みだ。エルフたちも手伝い、パイプの埋設作業は驚くほどのスピードで進んでいく。
次に、骨組みの組み立てだ。
マザーの3Dプリンタから吐き出された、軽くて丈夫な合金製のフレームパーツ。
これをマザーのアームが拾い上げ、パズルを組むようにカシャン、カシャンと組み立てていく。
幾何学的なアーチが次々と立ち上がり、畑を覆う巨大なドームの骨格が出来上がっていく様は圧巻だ。
「わんっ! わんっ!」
シロはその作業音が面白いのか、動くアームを追いかけて走り回っていたが、マザーに『危ないですよ、シロちゃん』と優しくアームで持ち上げられ、安全地帯のクッションの上に置かれていた。不満そうに「きゅぅ」と鳴いてふて寝する姿もまた可愛い。
そして最後に、透明なフィルム展張だ。
マザーの腹部からロール状のシートが送り出され、フレームを覆っていく。
ガラスのように透明だが、ハンマーで叩いても破れない強度を持つ特殊素材だ。
太陽光を透過しつつ、熱を逃がさない魔法のような素材。
作業開始からわずか3時間。
日が傾きかけた頃には、荒野の中に巨大なドーム状の建造物が完成していた。
かまぼこ型の屋根が夕日を反射してオレンジ色に輝いている。
『完成です。『マザー式・ハイブリッド温室第一号棟』。内部容積は体育館2つ分。自動散水システム、温度・湿度管理システム完備です』
「すごいな……。これなら冬でもトマトが食える」
「中に入ってみてもいいか?」
リーリャが待ちきれない様子で言った。
「もちろんだ。入ろう」
エアロック式の二重扉を開け、中へと足を踏み入れる。
「…………わぁ」
リーリャから、感嘆の吐息が漏れた。
そこは、別世界だった。
外の乾燥した冷気とは無縁の、湿り気を帯びた温かい空気。
土と緑の匂いが濃厚に漂っている。
足元には温水パイプが通っており、ポカポカと温かい。床暖房付きの畑だ。
「温かい……。まるで、春の森のようだ」
エルフたちが次々と入ってきて、歓声を上げる。
中には、上着を脱いで薄手の肌着一枚になる者もいた。
『室温25度、湿度60%に設定してあります。植物にとって最も光合成効率が良い環境です。さらに、エーテル水の散布と、夜間はLED補光を行うことで、成長速度は通常の3倍以上を見込んでいます』
「3倍……!」
リーリャが驚愕に目を見開く。
ただでさえエーテル水で早まっていた成長が、さらに加速する。
これはもう、農業というより「工業」に近い生産体制だ。
「これなら、自分たちが食べる分だけじゃなくて、余った分を保存食にしたり、将来的に交易品として売ることもできるな」
俺は未来の展望を語った。
この荒野産の野菜は、味も栄養価も桁外れだ。外の世界に出せば、高値で取引されるだろう。それは、この領地の経済的な自立を意味する。
その日の夜。
夕食は、エルフたちが収穫した野菜をふんだんに使った「衣揚げ」だった。
マザーが精製した植物油で、水で溶いた小麦粉を纏わせた採れたてのナスやインゲン、大葉のような香草をカラリと揚げる。
サクサクの衣と、中から溢れ出す野菜の甘み。岩塩を少しつけて食べると、素材の味が引き立って最高だった。
エルフたちも「たっぷりの油で揚げる料理」は初めてだったようだが、その美味しさに目を丸くして喜んでいた。
食後、俺はマザーの定期メンテナンスを行っていた。
作業が一段落し、夜風に当たろうと外に出ると、温室の前に人影があった。
リーリャだ。
彼女は、暗闇の中で淡く発光する温室を、愛おしそうに見上げていた。
「こんばんは、リーリャ。眠れないのか?」
「あ、アルド……」
彼女は振り返り、少し恥ずかしそうに微笑んだ。月明かりに照らされたその笑顔に、俺は少しドキリとする。
「いや、あまりに嬉しくてな。つい、見に来てしまったのだ。……あの中に、私たちの未来があるような気がして」
「未来、か。大げさじゃないな。食料は命の源だから」
「ああ。……少し、中を歩かないか? 警備の点検も兼ねて」
それは、実質的なデートの誘いだった。
俺は心臓が少し早鐘を打つのを感じながら、「もちろん」と頷いた。
夜の温室は、昼間とはまた違った幻想的な雰囲気に包まれていた。
天井の補光ライトが、植物たちを淡い紫やピンク色の光で照らし出している。
静寂の中に、時折スプリンクラーの水音が響く。
湿り気を帯びた温かい空気が、二人の距離を縮めるような錯覚を覚える。
並んで歩く。
手が触れそうで触れない距離。
「……アルド、改めて礼を言う」
リーリャが静かに口を開いた。
「家を作り、畑を守り、私たちに生きる場所を与えてくれた。……お前は、本当に不思議な男だ」
「俺はただ、快適に暮らしたいだけだよ。それに、君たちがいてくれて助かってる。俺とマザーだけじゃ、味気ない生活だったからな」
「そうか? マザーは随分と賑やかな性格に見えるが」
「はは、確かに。でも、やっぱり『人』の温かさとは違うよ」
俺はリーリャを見た。
温室の淡い光に照らされた彼女の横顔は、神秘的で、吸い込まれそうなほど美しかった。
彼女も俺を見つめ返す。
褐色の肌が、少し上気しているように見えたのは、室温のせいだけではないだろう。
「アルド。私は……」
リーリャが一歩、俺に近づいた。
甘い花の香りがした。
「私は、お前の力になりたい。ただの労働力としてではなく……もっと、近くで」
その瞳は真剣で、揺るぎない意志が宿っていた。
かつて、故郷を追われた時に見せていた悲壮感はない。あるのは、新しい場所で生きていくという強い覚悟と、俺への信頼だ。
「……リーリャ」
俺が何か答えようとした、その時。
「わんっ! わんわんっ!」
足元から元気な声が割り込んだ。
見下ろすと、シロが尻尾をブンブン振って俺たちの間に入り込んでいた。
口には、どこからか拾ってきた木の枝をくわえている。
『遊んで! 今すぐ!』という強烈なアピールだ。
「……シロ、お前なぁ」
俺は脱力した。
いいムードが台無しだ。
リーリャも呆気にとられた後、クスクスと笑い出した。
「ふふっ、これには勝てないな。……どうやら、最強の邪魔者が現れたようだ」
「ああ、違いない」
俺はしゃがみ込み、シロの頭を撫で回した。
シロは嬉しそうに俺の手を舐め、次にリーリャの手も舐めた。
「こら、くすぐったいぞ」
リーリャも笑いながらシロを撫でる。
二人の手が、シロの背中の上で重なった。
温かい。
シロの体温と、リーリャの体温。
俺たちは顔を見合わせ、照れくさそうに、でも幸せそうに微笑み合った。
『まったく、シロちゃんもタイミングが悪いですねぇ。あと一押しだったのに』
温室のスピーカーから、マザーの呆れたような声が降ってくる。
『でも、まあいいでしょう。野菜も愛も、じっくり時間をかけて育てていくのが一番ですから』
「……マザー、聞いてたのか」
『全エリア常時モニタリング中ですから。温度管理も、ムード管理もお任せください。照明、少し落としましょうか?』
「余計なお世話だ!」
俺は苦笑いしながら立ち上がった。
でも、マザーの言う通りかもしれない。
焦ることはない。
この温室の野菜たちのように、俺たちの関係も、ゆっくりと、でも確実に育っていけばいい。
「戻ろうか、リーリャ。シロも眠そうだ」
「ああ。……おやすみ、アルド」
リーリャの「おやすみ」は、今まで聞いたどんな言葉よりも優しく響いた。
温室を出ると、外は満天の星空だった。予報通り気温は下がっているが、火照った頬には心地よかった。
シロを抱きかかえ、俺たちはそれぞれの部屋へと帰っていく。
明日もまた、忙しく、そして楽しい一日が待っている。
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国内最大のギルド『栄光の剣』で、底辺の付与術師として働いていたアルスは、ある日突然、強欲なギルドマスターから追放を言い渡される。
しかし、彼らは知らなかった。ギルドの武器の自動修復、物流の最適化、資金管理に至るまで、すべてアルスの固有スキル【全自動化(ワークフロー構築)】によって完璧にシステム化され、回っていたことを。
「俺がいなくなったら、あの自動化システム、全部止まるけど……まあいいか」
管理権限を解除し、辺境へと旅立ったアルス。彼は自身のスキルを使って、圧倒的な耐久力を誇る銀色の四輪型重装ゴーレムを作り出し、気ままな行商を始める。
一度構築すれば無限に富を生み出す「全自動」のチートスキルで、アルスの商会は瞬く間に世界規模へとスケールしていく!
一方、すべてを失ったギルドは、生産ラインが崩壊し、絶望のどん底へと突き落とされていくのだった……。
ザコ魔法使いの僕がダンジョンで1人ぼっち!魔獣に襲われても石化した僕は無敵状態!経験値が溜まり続けて気づいた時には最強魔導士に!?
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僕はスキルレベル1のザコ魔法使いだ。
そんな僕がある日、ダンジョン攻略に向かう戦士団に入ることに……
パーティに置いていかれ僕は1人ダンジョンに取り残される。
全身ケガだらけでもう助からないだろう……
諦めたその時、手に入れた宝を装備すると無敵の石化状態に!?
頑張って攻撃してくる魔獣には申し訳ないがダメージは皆無。経験値だけが溜まっていく。
気づけば全魔法がレベル100!?
そろそろ反撃開始してもいいですか?
内気な最強魔法使いの僕が美女たちと冒険しながら人助け!
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最上級のパーティで最底辺の扱いを受けていたDランク錬金術師は新パーティで成り上がるようです(完)
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【完結】まもの牧場へようこそ!~転移先は魔物牧場でした ~-ドラゴンの子育てから始める異世界田舎暮らし-
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彼らを「処分すべき危険種」と呼ぶ声が、王都や冒険者から届く。
けれど正人は誓う。
――この子たちは、ただの“危険”なんかじゃない。
――ここは、家族の居場所だ。
癒やしのスキル【癒やしの手】を頼りに、
命を守り、日々を紡ぎ、
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◇
🐉 癒やしと涙と、もふもふと。
――これは、小さな牧場から始まる大きな物語。
――世界に抗いながら、共に暮らすことを選んだ者たちの、優しい日常譚。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
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