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カンパニュラ
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私は目が覚めるとベッドの上にいた。知らない場所だ。四畳ぐらいの小さな部屋で木の机と椅子、本棚がある。なんだかとてもアンティークな部屋だ。私は立ち上がろうとすると何か引っ張るものがあって左腕を見た。左腕には針が刺さっていて、そのうえにテープが貼ってある。これはたぶん点滴だ。
なぜ私はこんなところで寝ているのだろう。そこで私はふと気が付いた。
そもそも私は誰だ?
名前もわからないし、今まで何をしてきたのかも覚えていない。思い出そうとしても頭の中が空っぽで何も出てこないし、ほんの少し胸が痛くなる。私の中に不安が押し寄せ、混乱していると外から部屋の鍵が解錠する音が聞こえた。
入ってきたのは、180センチくらいで、アッシュ色の短い髪に、ガラス玉のように無機質な目をした男だった。年は二十歳を超えているか超えていないかくらいだろう。
男は私が目覚めたのを確認すると、小さな三角錐のものを取り出した。そしてその頂点から垂れた糸を引っ張った。
パァン!
ものすごい音とともに、私の頭上にリボンやらカラフルなチリ紙がやらが降り注いだ。
「……は?」
私が混乱と驚きの中にいると、男はにこりとも笑わずに言った。
「おはよう」
「お、おはようございます……?」
「ん? なんだ畏まって。早くご飯にしよう。今回は自信作だ」
男はそう言うと、すぐに部屋に出て行った。あの男は私の同居人だろうか。とにかくあの男から私が何者か聞き出さなければ。
私は点滴の針を抜いて、ベッドから足を下ろした。床に立った途端、私の視界が揺れた。体に力が入らない。今まで点滴で生活していたからだろうか。
私が床にうずくまっていると、車いすを押した男が戻ってきた。
「大丈夫か。ベッドで待っていたら良かったのに」
男は私を軽々と持ち上げて車いすに乗せた。
「あ、あの」
私は男に記憶が無いことを言おうとしたが、男は私の言葉を遮った。
「今回のシチューは自信作なんだ。きっと君も喜ぶ」
男は無表情だが、ガラス玉の瞳が不安に揺れているような気がした。
私は今、食卓の前に座らされていた。男はキッチンで何か作っている。鍋から湯気がたち、香りが舞う。これはシチューの匂いだ。男は木の器にそれを装い、私の前に置いた。
「食べてくれ」
私はその有無を言わせない声に負けてそれを口にした。野菜は乱雑に切られているが、私はこれくらいが好きだ。味はなんだか普通のシチューと違って、さっぱりしているような気がする。なんだか懐かしいような気がするが、思い出せない。
「今回は牛乳ではなく、ヨーグルトを使ってみた。どうだろうか」
男が私の目の前に座った。ガラス玉の瞳がまっすぐとこちらを見据える。
「あ、あの。さっき言おうと思ってたんですけど私、何も覚えてなくて」
少しの間を置いてから、男はがばっと立ち上がった。
「了解した。では、博士に連絡しよう」
男は驚くわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々とした様子だった。私とはそこまで深い仲ではなかったのだろうか。男の表情は今までにないくらい無表情だった。
男の説明によると、私はどうやら記憶を消す薬の実験に協力していたらしい。その代り、私にはこれから新しい住処と名前を与えられ、新しい人生が始まるそうだ。そしてこの男は、私を世話するアンドロイドだそうだ。
私はすぐに研究所に来るように言われ、アンドロイドに案内してもらった。その時、履けと言われた靴はボロボロだったが、私の大切なものだったんだとか。その靴を履いた時、靴底の高さが左右で違っていて違和感を覚えたが、あまり気にしないでいた。
「いやー。やっと効果がでてよかったよ。それに常識的なことは覚えているみたいだし、やっと成功だ。前の人は、すべて忘れちゃって赤ちゃん状態だったもんで大変だったよー」
この男はアンドロイドから「父さん」と呼ばれ、この研究の中心的な人物だ。年は四十代後半ばほどで、顔立ちはアンドロイドと少し似ていて、若いころはさぞかしかっこよかったことだろう。
「それにしても、記憶が無くなるとこんなに性格が変わるんだね。前はもっとこう、きつい性格だったのに。僕のことも異常者だって非難してきたんだよ」
感じの良い笑顔で博士が笑う。
「す、すみません」
覚えていないけれど一応謝っておいた。前の私はどんなだったのだろうか。それももう、思い出すことはできないのだろうけど。
それから博士は私にどこまで覚えているのか、体の異常などが無いかを三日にわたって調べた。その間、あのアンドロイドと会うことはなかった。
「体に異常もなかったし、君には約束通り新しい人生を歩んでもらう。住むところも名前ももう決まってるよ」
博士は荷物の入ったカバンと列車のチケットを渡してきた。
「えぇ? ちょっと急すぎません?」
すると博士から笑みが消えた。
「君について調べることももうないし、薬は完成したんだ。君だってここに留まる理由はもうないだろう。この研究所は私一人とアンドロイド数十体しかいないんだ。研究は他にもある。それにもう少しで完成しそうなんだ! 君には早く出て行ってもらった方が助かるんだが」
まくしたてるように話す博士は狂気に満ちていて、恐怖すらも感じる。
私は博士からチケットを受け取り、荷物を持った。これ以上博士の圧力には耐えられなかったのだ。
「列車まで送ろう」
博士に穏やかな笑みが戻っていた。
駅に着くと、博士は私に私の家に着くまでの地図と通帳を渡した。通帳には一生遊べるほどのお金が入っていた。あの小さな研究所のどこにこんなお金があるんだか。
それは聞かないでおこう。
「そうそう。君の新しい名前はカンパニュラだ。その名で戸籍もあるよ」
「わかりました。それで、あの。アンドロイドの彼はどこに?」
ずっとこのことが気になっていた。なぜだかあのアンドロイドの顔をみると胸がざわざわするのだ。
「ああ。あの子なら今検査中だよ。彼も私の研究の一つだからね」
「そう、ですか……」
「じゃあ。幸せにね、カンパニュラ」
私は列車に乗り込んだ。木の長椅子に座ると、荷物の重みでぎしぎしと音が鳴った。列車が動き出す。窓の外の気味の悪い博士の笑顔が一瞬にして通り過ぎてゆく。
そこで私は靴を脱いだ。そういえばこの靴底は高さが違っていたことを思い出す。中を覗くと右の靴には、中敷きが入っていた。私は何かに導かれるようにその中敷きを取り外した。中には、小さな手帳が入っていた。
手帳を開くと、最初は空白だった。パラパラめくっていくと、殴り書きの文字が書いてあるページがあった。
――忘れたくない この生活も アングレカムも
アングレカム……。この文字の上に水の玉が落ちて、滲んでいく。きっとわたしは忘れたくなかったのだ。頭で忘れいても心では覚えている。私は原因不明の心の痛みを抱えて、後悔の念に苛まれた。
なぜ私はこんなところで寝ているのだろう。そこで私はふと気が付いた。
そもそも私は誰だ?
名前もわからないし、今まで何をしてきたのかも覚えていない。思い出そうとしても頭の中が空っぽで何も出てこないし、ほんの少し胸が痛くなる。私の中に不安が押し寄せ、混乱していると外から部屋の鍵が解錠する音が聞こえた。
入ってきたのは、180センチくらいで、アッシュ色の短い髪に、ガラス玉のように無機質な目をした男だった。年は二十歳を超えているか超えていないかくらいだろう。
男は私が目覚めたのを確認すると、小さな三角錐のものを取り出した。そしてその頂点から垂れた糸を引っ張った。
パァン!
ものすごい音とともに、私の頭上にリボンやらカラフルなチリ紙がやらが降り注いだ。
「……は?」
私が混乱と驚きの中にいると、男はにこりとも笑わずに言った。
「おはよう」
「お、おはようございます……?」
「ん? なんだ畏まって。早くご飯にしよう。今回は自信作だ」
男はそう言うと、すぐに部屋に出て行った。あの男は私の同居人だろうか。とにかくあの男から私が何者か聞き出さなければ。
私は点滴の針を抜いて、ベッドから足を下ろした。床に立った途端、私の視界が揺れた。体に力が入らない。今まで点滴で生活していたからだろうか。
私が床にうずくまっていると、車いすを押した男が戻ってきた。
「大丈夫か。ベッドで待っていたら良かったのに」
男は私を軽々と持ち上げて車いすに乗せた。
「あ、あの」
私は男に記憶が無いことを言おうとしたが、男は私の言葉を遮った。
「今回のシチューは自信作なんだ。きっと君も喜ぶ」
男は無表情だが、ガラス玉の瞳が不安に揺れているような気がした。
私は今、食卓の前に座らされていた。男はキッチンで何か作っている。鍋から湯気がたち、香りが舞う。これはシチューの匂いだ。男は木の器にそれを装い、私の前に置いた。
「食べてくれ」
私はその有無を言わせない声に負けてそれを口にした。野菜は乱雑に切られているが、私はこれくらいが好きだ。味はなんだか普通のシチューと違って、さっぱりしているような気がする。なんだか懐かしいような気がするが、思い出せない。
「今回は牛乳ではなく、ヨーグルトを使ってみた。どうだろうか」
男が私の目の前に座った。ガラス玉の瞳がまっすぐとこちらを見据える。
「あ、あの。さっき言おうと思ってたんですけど私、何も覚えてなくて」
少しの間を置いてから、男はがばっと立ち上がった。
「了解した。では、博士に連絡しよう」
男は驚くわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々とした様子だった。私とはそこまで深い仲ではなかったのだろうか。男の表情は今までにないくらい無表情だった。
男の説明によると、私はどうやら記憶を消す薬の実験に協力していたらしい。その代り、私にはこれから新しい住処と名前を与えられ、新しい人生が始まるそうだ。そしてこの男は、私を世話するアンドロイドだそうだ。
私はすぐに研究所に来るように言われ、アンドロイドに案内してもらった。その時、履けと言われた靴はボロボロだったが、私の大切なものだったんだとか。その靴を履いた時、靴底の高さが左右で違っていて違和感を覚えたが、あまり気にしないでいた。
「いやー。やっと効果がでてよかったよ。それに常識的なことは覚えているみたいだし、やっと成功だ。前の人は、すべて忘れちゃって赤ちゃん状態だったもんで大変だったよー」
この男はアンドロイドから「父さん」と呼ばれ、この研究の中心的な人物だ。年は四十代後半ばほどで、顔立ちはアンドロイドと少し似ていて、若いころはさぞかしかっこよかったことだろう。
「それにしても、記憶が無くなるとこんなに性格が変わるんだね。前はもっとこう、きつい性格だったのに。僕のことも異常者だって非難してきたんだよ」
感じの良い笑顔で博士が笑う。
「す、すみません」
覚えていないけれど一応謝っておいた。前の私はどんなだったのだろうか。それももう、思い出すことはできないのだろうけど。
それから博士は私にどこまで覚えているのか、体の異常などが無いかを三日にわたって調べた。その間、あのアンドロイドと会うことはなかった。
「体に異常もなかったし、君には約束通り新しい人生を歩んでもらう。住むところも名前ももう決まってるよ」
博士は荷物の入ったカバンと列車のチケットを渡してきた。
「えぇ? ちょっと急すぎません?」
すると博士から笑みが消えた。
「君について調べることももうないし、薬は完成したんだ。君だってここに留まる理由はもうないだろう。この研究所は私一人とアンドロイド数十体しかいないんだ。研究は他にもある。それにもう少しで完成しそうなんだ! 君には早く出て行ってもらった方が助かるんだが」
まくしたてるように話す博士は狂気に満ちていて、恐怖すらも感じる。
私は博士からチケットを受け取り、荷物を持った。これ以上博士の圧力には耐えられなかったのだ。
「列車まで送ろう」
博士に穏やかな笑みが戻っていた。
駅に着くと、博士は私に私の家に着くまでの地図と通帳を渡した。通帳には一生遊べるほどのお金が入っていた。あの小さな研究所のどこにこんなお金があるんだか。
それは聞かないでおこう。
「そうそう。君の新しい名前はカンパニュラだ。その名で戸籍もあるよ」
「わかりました。それで、あの。アンドロイドの彼はどこに?」
ずっとこのことが気になっていた。なぜだかあのアンドロイドの顔をみると胸がざわざわするのだ。
「ああ。あの子なら今検査中だよ。彼も私の研究の一つだからね」
「そう、ですか……」
「じゃあ。幸せにね、カンパニュラ」
私は列車に乗り込んだ。木の長椅子に座ると、荷物の重みでぎしぎしと音が鳴った。列車が動き出す。窓の外の気味の悪い博士の笑顔が一瞬にして通り過ぎてゆく。
そこで私は靴を脱いだ。そういえばこの靴底は高さが違っていたことを思い出す。中を覗くと右の靴には、中敷きが入っていた。私は何かに導かれるようにその中敷きを取り外した。中には、小さな手帳が入っていた。
手帳を開くと、最初は空白だった。パラパラめくっていくと、殴り書きの文字が書いてあるページがあった。
――忘れたくない この生活も アングレカムも
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