離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂

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それからのアルバートの行動は早かった。

シュベール侯爵が子爵の調査を進める一方で、彼は秘密裏にシュベール侯爵の動向を探った。

そしてあっという間に証拠を掴むと、侯爵を貴族裁判にかけ、余罪まで付けて勝訴した。

その並外れた疾走感に、エレノアはただただ愕然としていた。

夫の手腕を侮っていたわけではないが、公爵家当主が味方してくれるとここまで早く決着がつくものなのか。

小手先のテクニックで侯爵に立ち向かっていた過去の自分が間抜けに見えてくる。

シュベール侯爵は高位貴族ということもあり、処刑は免れたが国外追放を余儀なくされた。

その後侯爵位は息子が継ぎ、今後一切シュベール元侯爵と接触しないよう皇命が下された。


「すっきりしたね」

元侯爵のエリオットが国を追い出された日、アルバートは輝かしい笑顔でエレノアにそう言った。

いつもならこの屈託ない笑顔に絆される。

しかし、連日続いた怒涛の展開によってエレノアは疲労困憊だった。

査問機関による聴取に次ぐ聴取の後は、公爵邸で事件の後処理、雑事その他諸々に追われた。

極めつけは、異常なまでの夫の変貌だ。

エレノアはこれまで部屋で一人で食事をしていたのに、急にアルバートが部屋で一緒に食事をとるようになった。

彫像のように麗しい夫が正面に座っている状態で、落ち着いて食事など摂れるはずもない。

他にも彼が屋敷にいる時は必ずエレノアの帰宅を出迎えてくれたり、わざわざ就寝前の挨拶に来たり。

夫は忙しい合間を縫って、エレノアと会う時間を作っているように見えた。

夫が自身に関心を持ってくれるようになったことは、少しの戸惑いがありつつも素直に嬉しかった。

しかしふと、逃げ出したい衝動に駆られる時がある。

忙しさにかまけて希薄になっていたが、今エレノアには魔神信仰の疑いがかかっている。

もちろんエレノアは魔神信仰はおろか、魔神教徒と関わりを持ったことすらない。

だが、サミュエルから言われたあの言葉が頭から離れない。

『あなたから発せられる微弱な瘴気は、自身に実害はなくともいずれ周囲の者に悪影響を及ぼすでしょう』

自分のせいで大切な人に悪いことが起きるなんて考えたくもない。

(原因が解明されるまではアルバート様だけじゃなく、ルチアーナ様やルーカス様との接触は控えた方が良いわよね)

事件の後処理がようやく一段落した今日、エレノアは神殿を初めて訪問する予定だった。

しかし、時間が取れるようになったのはエレノアだけではない。

「せっかくだし、今日はルチアーナやルーカスも呼んでティータイムにしようか」

数日前よりエレノアに興味関心を持つようになった夫からの、魅力的な誘い。

反射的に頷いてしまいそうになったエレノアだったが、すぐに煩悩を振り払った。

「とても嬉しいお誘いですが、申し訳ございません。今日は外出する予定があるんです」

「そうだったんだ。じゃあ僕も行こう」

「え」

「ちょうど街に出たいと思ってたところなんだ。ルチアーナとルーカスも最近は屋敷から出られてなかったしね」

完全に一緒に出掛ける流れになってしまっている。

正直なところ、夫含め義理の弟妹たちと一緒に外出できるなんて願ってもないことだ。

しかし、今日はダメだ。

(今日どころか、しばらくはずっと……)

せっかく三人と距離が縮められる機会なのに。

自分の体内に巣食う瘴気を疎ましく思う。

「すみません。今日は……一人で出かけたいんです」

胸が苦しい。こんな風に夫や弟妹を拒否するのは初めてのことかもしれない。

彼の顔色を伺うように視線を上げると、面食らった表情で固まっていた。

「……そっか。うん。そうだよね。たまには一人で出かけたい時もあるよね」

そう言った彼の姿は、まるで自分に言い聞かせているようにも見える。

「本当にすみません」

「あぁ、いや、大丈夫だよ。ところで、ちょっと用事を思い出したから失礼するね」

そう言って彼は機敏な動きで部屋を出ていく。

部屋を出る時に、勢い余って扉に頭をぶつけていたが大丈夫だろうか。

もう彼の姿は見えなくなっているので、心配の声もかけられないが。

(せっかく誘ってくださったのに……)

瘴気のことさえなければ二つ返事で了承した。

唇を嚙みしめるエレノアは今、地団駄を踏みたい気分だった。

こうなればさっさと原因を見つけて、自由の身になるしかない。

愛しい夫からの誘いを何度も断るなんてエレノアの心が持たない。

エレノアは部屋を出ると執事長のベンヤミンに外出する旨を伝え、馬車を用意してもらった。

外出用のドレスに着替えて、神殿へ出発しようとした時。

「お姉様どこへ行くの!?」

エントランスでルチアーナに呼び止められた。

その後ろからルーカスとアルバートがついて来ている。

「出掛けるなら俺も行きたい!」

外出用の恰好をしたエレノアを見て、ルーカスが飛びついた。

エレノアがルーカスを受け止めてよろけると、アルバートががっしり肩を支えてくれる。

「ごめんねエレノア。二人にエレノアが外出することを話したら、ついて行きたいって聞かなくて……」

アルバートは困ったように首を振る。

興奮気味な双子の様子を見ると、確かに外出したがっていることがわかる。

だけど、なぜだろう。

外堀を埋められているような気持ちになるのは。

至近距離で見た眉目秀麗な夫の顔に、エレノアは思わず「それは仕方ないですね」と口走ってしまいそうになる。

しかし、すぐに己を律して頭を振った。

(このままじゃ勢いに負けて、彼らと出かけることになってしまうわ……!)

エレノアは「今日はランジェリーを買うので一人で出かけたいんです!」と言い放ち、彼らを振り返らずに屋敷を出た。

引き留める隙もなく、エントランスには三人がポツンと取り残される。

「俺らのミッション失敗?」

ルーカスが呆然と立ち尽くすアルバートに問いかけた。

双子の彼らは、兄に『エレノアと一緒に外出する許可をもらったら、何でも好きな物を買ってあげる』と言われていた。

しかし、思っていた以上にエレノアの意思は固く、彼女は結局一人で出掛けてしまった。

何だかんだ双子に甘い彼女なら、最終的には一緒に外出を許可するだろうとアルバートは思っていた。

そこから自然な流れで自分も彼女たちについて行こうと思っていたのに。

ランジェリー、という単語がアルバートの頭の中でこだましている。

(やめろ。変な想像をするな)

「お兄様。本当にお姉様の買い物に付き添おうとしてたの?」

ルチアーナの咎めるような声色に、アルバートはピクリと反応する。

事件があってからというもの、ルチアーナはアルバートよりもエレノア側に立つことが多くなった。

きっと今も、そうなのだろう。

「お兄様、しんしのかざかみにも置けないわね」

聡明な妹から辛辣な言葉が飛んでくる。

どこでそんな言葉を学んできたのか。

アルバートはがっくり項垂れる。

赤くなったり青くなったりする兄の珍しい表情を見て、ルーカスは思わず愉快になって大笑いした。



***



なんとかアルバートたちを撒いたエレノアは、その後無事に神殿に到着した。

「お待ちしておりました」

出迎えてくれたのは、以前公爵邸を訪問したサミュエルと、その他に数名の低位神官。

神殿内までエスコートしてくれるサミュエルの手を取り、馬車を降りる。

その後ろをついて行こうとした護衛の騎士が、低位神官によって制止された。

「本日はハリエの日です。限られた方しか神殿に入れません」

「私は奥様の護衛です、礼拝に来たわけではありません」

「そうであっても、お通しできかねます」

神殿の礼拝堂は基本的に一般開放されているが、月に数回、限られた者しか入場できないハリエと呼ばれる日がある。

それは、神官たちが女神アクアィヤに特別な祈りを捧げる日だ。

誕生したばかりの赤子が女神の祝福を受けるために催されることが多い。

だが、危険な任務に向かう討伐団への祈りや、憂き目にあった人を浄化するためにハリエが開かれることも多々ある。

エレノアが入場できるということは、今日のハリエは後者なのだろう。

(間の悪い日に来ちゃったわね)

一般開放時なら通常の礼拝を装い、用が済むまで護衛には外で待ってもらうつもりだった。

しかし、ハリエの日に入場したとなると、神殿と何かしらのやり取りがあったと勘繰られてしまう。

「以前、私の治療のために公爵邸に来て下さったから、改めてお礼がしたくて今日訪問したの」

だから大丈夫よ、と付け足して騎士に微笑む。

あくまで自分の意思で訪問したことを伝えれば、護衛の彼は不服そうにしながらも最後は引いてくれた。

護衛騎士は今日の出来事を主人に話すだろう。

(あれくらいで誤魔化せたわよね……)

サミュエルが公爵邸に訪問したのは事実だ。

エレノアに魔神教徒の疑いがかかっているから神殿に来た、なんてことは心でも読めない限りわからないはず。

「行きましょう」

サミュエルに促されて、神殿の奥へと進んでいく。

礼拝堂を通り過ぎて、普段から開放されていない祭殿に案内される。

ドーム型の天井には繊細な細工が施されており、女神アクアィヤとその神獣と思われる荘厳な絵が描かれていた。

「……すごいわね」

首が痛くなるほど高い天井を見上げながら呟く。

「女神様の左に描かれているのがヴォルフ。右側に並んでいるのがアウル鹿ディアです」

サミュエルの説明を聞きながら、エレノアは狼の姿をじっと見つめる。

その勇ましい姿は、どことなくゼレンハノン家の者たちと様相が似ている気がする。

(ゼレンハノン家はヴォルフの末裔なんだし、当然と言えば当然なのかしら)

続けてアウル鹿ディアに目を向ければ、時を遡る前に出席したパーティーで幾度か見た顔を思い出す。

アウルの末裔のエヴリオ家と、鹿ディアの末裔のアーグノア家の者たちだ。

ゼレンハノン家を含めたその両家は、女神の神獣の末裔として、帝国で三大公爵家と呼ばれている。

ふと、絵画の中で、ヴォルフが他の神獣と違って高い位置に描かれているのが目についた。

おそらく、ヴォルフは女神の神獣の中でも特別な立ち位置だからだろう。

「『狼は女神アクアィヤが生み出したのではなく、娘である彼女を守るために創造神ロベリトスが与えた神獣である』」

回帰前に自習で学んだ本の一文を思い出し、声に出す。

アクアィヤが魔神との戦で消耗した後、創造神ロベリトスが現れ、娘が守ろうとした人間たちを保護した。

そして、ロベリトスから特別に加護を授かり人々の統治を任されたのが、今の皇家の先祖だ。

創造神から生を授かったヴォルフはともかく、アウル鹿ディアが忠誠を誓ったのは女神である。

そのため、皇家を大々的に支持するゼレンハノン家とは反対に、エブリオ家とアーグノア家は中立の姿勢を保っている。

「とても尊い血筋ですよね」

隣に立つサミュエルが微笑んだ。

「……そうですね」

だからこそ、女神を信仰するべき三大公爵家から魔神崇拝者が出たりすれば、世間は騒ぎ立てるはずだ。

エレノアが存在しているだけで、再びゼレンハノン家を窮地に立たせてしまう恐れがある。

「どうか、よろしくお願いします」

エレノアはサミュエルに深々と頭を下げた。

ゼレンハノン家の人たちにこれ以上迷惑をかけないためにも、一刻も早く原因を見つけたい。

「全力を尽くします」

サミュエルはそう言って頷く。

ある程度の説明を受けた後、エレノアは床に大きく描かれた魔法陣のような紋様の真ん中に立たされた。

さっそく浄化が始まるらしい。

まずはエレノアの心臓を覆っている瘴気を取り除き、そこから原因について探るようだ。

エレノアの周りを囲うように神官が立ち、彼らは祝詞のようなものを口々に呟き始めた。

紋様が青く光り、エレノアを包む。

その瞬間、エレノアの心臓は無数の針で突き刺されたように痛み出した。

うめき声を上げ、思わず崩れ落ちそうになる。

しかし、浄化が始まる前にサミュエルから言われた「その場を動いてはならない」という言葉を思い出し、なんとか堪える。

時間にして言えばきっと5分ほどだっただろう。

しかし、強烈な心臓の痛みに耐えながら立ち尽くす5分間はまるで永遠のように感じられた。

「お疲れ様です。エレノア様」

浄化が終わると同時に、エレノアはその場に崩れ落ちた。

「これで……私の中の瘴気は取り除けたんでしょうか」

息を荒くしながらサミュエルを見上げると、彼はゆっくり首を振った。

「エレノア様の心臓に宿る瘴気は、思っていた以上に奥深くまで根を張っていました」

日を置いてさっきのような浄化をあと5、6回は行わなければならないらしい。

エレノアは絶望感に襲われた。

(たった1回でもあれほどまでに苦しかったのに、あれをあと5回以上も……?)

そんな彼女の暗い表情に気づいたのか、サミュエルが「やめますか?」と問いかけてきた。

その瞬間に浮かぶのは、愛しい夫の顔。そして、ルチアーナとルーカスの無邪気な笑顔。

「いいえ」

反射的に、力強い声で答えていた。

サミュエルも覚悟を決めた様子で頷き、エレノアに手を差し伸べた。

その手を借りて、エレノアは立ち上がる。

「また来週、こちらへ来てください。恐らく長期戦になるでしょう」

「……それじゃあ、毎回誤魔化して外出するのは無理がありますね」

「そうですね。こっそり屋敷を抜け出すか、本当のことを話すかになるのではないでしょうか」

サミュエルの言葉にエレノアは俯いた。

正直言って、このことをアルバートに話せる勇気はまだない。

魔神信仰は大罪だ。

事件の後からいくら友好的になったとはいえ、そんな疑いが自身にかかっていることを話せば、今度こそ本当に離縁を突き付けられてしまう気がする。

「私、自分のことばっかりです」

本当にゼレンハノン家のことを思うなら、何も言わずに公爵家を去るのが一番だろう。

それなのに、まだ夫に愛されたいという願望が、そしてゼレンハノン家の一員になりたいという思いが、その場に踏みとどまらせている。

「本当に自分本位な者は、きっと今日ここにすら来ませんでしたよ」

サミュエルの慰めの言葉に、エレノアは顔を上げる。

「体内に定着した瘴気は、周囲に影響は与えてもその人自身には害がありませんから。最悪あなたさえ良ければ放置したって構わなかったのです」

「そんなわけには……!」

慄いたエレノアに、サミュエルがにっこり笑う。

「ほら。あなたは自分本位なんかではありませんよ」

先ほど引っ張り上げてもらって繋いだままだった手が、ギュッと握られる。

冷たいけれどそこから伝わる人肌の感触に、エレノアは思わず視界が歪んだ。

「ありがとうございます。サミュエル様」

「とんでもありません。また来週、神殿でお待ちしております」

瞬きで涙を落ち着かせると、エレノアはサミュエルに別れの挨拶を告げた。

神殿の外に出ると、待ってくれていた護衛と御者に声をかけて馬車に乗る。

サミュエルは馬車が出発するまでエレノアを見送ってくれた。

(浄化の儀式は辛かったけれど、きっと乗り越えられるわ)

車窓から見えるサミュエルに心強さを感じながら、馬車は公爵邸へ出発した。

そんな彼女の去り際にサミュエルが不敵に笑ったことを、すでに走り出した馬車に乗るエレノアは知る由もなかった。
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