離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂

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時は遡ること数日前。

女神の神器の封印が解かれた事実を知ったリアムは、同期のイーサンにひとしきり興奮をぶつけた後、すぐに大司教のもとへ走った。

そしてリアムの報告を受けた大司教は、すぐにハス樹林へ足を運んだ。

するとそこには報告通り、持ち主を今か今かと待ちながら輝く神器がある。

樹林の浄化が並外れた速度で行われており、神殿の中で最も神気と親和力が高い大司教でさえ、強すぎる力に圧倒された。

「このままではいかん。一般人は樹林に入ることすら出来なくなってしまう」

大司教はそう言って、神器周辺に神気を遮断する結界を張った。

それによってある程度の神気は抑えられたが、応急処置でしかないため、すぐに限界が来ることが見込まれる。

一刻も早く代理人を見つけ出し、神器を制御してもらう必要がある。

リアムはアスター探しに勢いよく手を上げたが、大司教は代理人を大々的に捜索することを渋った。

この時、ちょうど世間では、ゼレンハノン家が絡んだ魔神崇拝の話で持ち切りになっていた。

こんな状態で代理人が現れたことを公表すれば、世間はあっという間に不安に飲み込まれる。

女神の代理人が現れたということは、遅くとも十年以内には世界を揺るがす大きな戦争や事件が起きるということだから。

それに、信仰神の仇となるアスターを魔神教団が放っておくはずがない。

神殿側がアスターを見つけるよりも先に、彼らに討ち取られてしまう恐れもある。

代理人が現れたことを公表するのは、神殿で確実にその存在を保護してからが無難だ。

「今日、いや、ここ一週間、樹林を訪問した者たちを調べなさい。きっとその中にアスター様がいる」

大司教の言葉に、リアムを初めとする集められた精鋭の神官たちは力強く頷く。

秘密裏にアスターの捜索が開始した。

神器の封印が解かれる一週間前から神殿に訪れていた者たちは皆、要注意人物としてチェックされた。

要注意人物が再び神殿に姿を見せれば、神官同士で伝達が行われ、アスターか否かを判断する。

女神の代理人は桁違いの神気に満ちているため、もしアスターが目の前に現れれば、神官でも一目で判断がつく。

そうやって虱潰しに代理人の足跡を辿ったが、めぼしい人物は浮かび上がらなかった。

信心深いミラリィーの市民ならば、高頻度で神殿を訪れているためすぐにチェックが終わる。

だが、たまたまミラリィーを訪れた旅人等の場合、短期間で再び神殿を訪れるとは考えにくい。

恐らくそういった類の者たちの中に、アスターがいると考えられた。

やはり大々的に探さなければ女神の代理人を見つけることは不可能なのか。

そんな空気が捜索班の間で広がり始めた矢先のこと。

「頼む!治療をして欲しい人が居るんだ。金ならいくらでも出す!」

ある日の早朝、神殿が門を開いた直後に平民の男が飛び込んで来た。

受付にいた低位神官は彼の身なりを見てまともに取り合わず、邪険に扱った。

しかし平民の男はしつこく食い下がる。

そんなやり取りをする彼らの前を、ちょうど朝の礼拝から帰る途中だったリアムが通りかかった。

リアムは遠巻きに平民の男を見て、思わず瞳を輝かせる。

(神気に満ちてる……!)

もちろん女神の代理人とは程遠いが、ハス樹林を長時間散策した人と同じレベルだ。

通常時でここまで神気に満ちている人間は珍しい。

アスターの捜索が手詰まりになっている今、どんな些細なことでも情報が欲しい。

もしかすると彼は代理人と何かしら関わりがあるかもしれないと思い、リアムは彼の話を聞いてみることにした。

俗物の低位神官を押し退け、平民の男にどうしたのか問う。

そして男の口から語られた内容は、寝込んでいる怪我人を治療するため神官に宿屋まで来て欲しいというものだった。

患者が神殿にやって来て治療を受けるのと、神官が治療のために患者の元へ訪問するのでは訳が違う。

たとえ低位神官でもその派遣費用は高額になる。

しかし、平民の男はお金に糸目はつけないとのことだった。

どこからそのお金が湧いて来るのかはわからないが、リアムはとりあえず彼についていってみることにした。

もし土壇場でお金を用意できないと言われても、アスターの手がかりについて情報提供を仰げば採算は取れなくもない。

「部屋の前に着いたら、少し待ってて欲しいんだ」

宿屋へ向う途中、男はそんなことを言った。

部屋の中が荒れているから片付ける時間でも欲しいのだろうか、と考えたリアムは特に怪しんだりもせずに頷いた。

しかし、道中で交わされたその口約束は、リアムが宿屋の前に到着した途端、破られることになる。

尋常じゃない程に宿屋から神気が溢れていたのだ。

ここがハス樹林の一角だと言われても不思議ではないほどに。

リアムは、ここに女神の代理人がいる、と直感した。

気づけば宿屋に入り、神気の発生源であろう場所へ走り出していた。

その後を平民の男が慌てて追いかけて来る。

何か乱暴な言葉を喋っているが、リアムの耳には届いていなかった。

ただ、リアムが向かっている部屋こそが、男が治療して欲しい人がいる部屋ということはなんとなくわかった。

部屋の前に到着した直後、男から鍵を強奪して豪快に扉を開け放つ。

狭い部屋の中、驚いた様子でベッドに腰掛けている一人の女性がいる。

リアムは一目見てわかった。

間違いなく彼女が女神の代理人だと。

しかし、リアムはその女性の顔に見覚えがあった。

最近、帝国全土に配られた反逆者の似顔絵、エレノア・ウィルズととてもよく似ているのだ。

というより、必要以上に焦っている後ろの男と、青ざめた彼女の表情から、本人なのではないか、という可能性が浮上した。

しかし、リアムにとってそんなことはどうだっていい。

もし彼女がエレノア・ウィルズだったとしても、女神の代理人である彼女が魔神崇拝者なわけがない。

きっと何かしらの理由があり、あらぬ疑いをかけられているのだろう。

リアムはただ、アスターの目の前の彼女の神々しさに脱帽し、自然と跪いた。

アスターをその目に映した時、太陽がそこに腰掛けているのかと思った。

それくらいに彼女の存在は眩しく、一等輝いている。

彼女の傍に居るだけで体が軽くなり、呼吸は安らかに深まる。

リアムは、長年自身の中に欠けていた大きなピースが、彼女と会ったことでぴったりと埋まる感覚がした。

「何百年もお待ち申しておりました。我らが女神の代理人・導く者アスターよ」

リアムが心からの敬意を表し、恍惚とした表情でアスターを見つめてしまうのは必然と言えた。



***



『アスターとは、女神の意思によって選出される女神の代理人のことである。代理人の出現は、世界的に大きな事件や戦争が起こる前兆だと言われている』

エレノアは、過去に自習して学んだアスターの概要を思い出していた。

「アス……ター?」

「はい」

戸惑うエレノアに対し、ウェーブがかかった水色の短髪の青年は嬉しそうに頷く。

リアムという名の彼は高位神官らしいが、もう一度きちんと審査を受けた方が良い気がする。

魔神崇拝の疑いがかかっている人間を女神の代理人と判断するなんて、誰が聞いてもおかしいと思うだろう。

いや、そもそも彼は目の前の女が反逆者であることに気づいていないのだろうか。

それならば好都合だ。

ここは彼の世迷言を受け流して、さっさと逃走するにかぎる。

「えっと何を仰っているのかわかりませんが……」

エレノアが愛想笑いを浮かべると、「エレ……エリー!」と、ジルがこちらへ駆けてきた。

「お前起き上がって大丈夫なのか?怪我は?」

心配した様子でエレノアの体を色んな角度から見るジル。

そんな彼を見て、もしかすると治療のために神官を呼んできてくれたのかもしれないと思い至った。

(神官を治療のために呼ぶのはとても高額なのに……)

ジルの思いやりに胸の奥が温かくなり、エレノアは破顔する。

「私なら大丈夫よ。起きた時には傷が……」

そこまで言って、先程見下ろした自身の体を思い出し、エレノアは思考を巡らせた。

「あの、リアム様」

「はい。様は不要ですよ。アスター様」

強烈な違和感しかない呼ばれ方にエレノアは苦笑するが、「ひとつ聞きたいのですが」と言葉を続けた。

「女神の代理人というのは、自己治癒力が高かったりするんでしょうか」

「それはもちろんです。女神様の代理人なのですから。ご自身の傷どころか、傍に居る方の治癒力も上げられます。アスター様はそこに存在するだけで、神聖力を使わずとも浄化が行える素晴らしいお方なのですよ」

リアムは興奮気味にアスターという存在の素晴らしさについて力説する。

だがエレノアは、聞けば聞くほど自分とは正反対な人物像な気がしてきた。

知らぬ間に深い傷が完治していたことは事実だが、自分が本当に周囲を浄化できたなら今ここには居ない。

公爵邸を出ずに、ゼレンハノン家の夫人として毎日を過ごしていただろう。

「……ごめんなさい。やっぱり人違いだと思うのですが」

エレノアは神官を追い返すため、わかりやすく突き放した。

「いいえ。人違いなわけがありません」

リアムは身を乗り出して瞳をギラつかせる。

「えっと……」

「あなた様は間違いなく代理人でいらっしゃいます。お望みならば、今すぐにでも魔神崇拝の疑いを晴らすことができるでしょう」

彼の断言に、エレノアとジルは硬直した。

「わかって、いらしたんですね。なら余計に……」

「魔神を信仰しているというのは疑いでしかありません。私はこの目で見たものを信じます」

あなた様はアスターです。

リアムが確信を持って告げているというのは、エレノアもジルもわかった。

射抜かれるような彼の真っ直ぐな瞳を見て、エレノアは観念することにした。

「わかりました。ですが私が本当にアスターだったとしても、わからない部分や矛盾している部分が多すぎます」

「何についてお知りになりたいですか?アスター様のためならば、神殿は総力を挙げてその謎を解明致します」

心から忠誠を誓ったような彼の言動に、エレノアは戸惑う。

彼の話を一旦受け止めることにはしたが、突然自分が神殿に重宝されるような人間になったとはどうしても思えない。

それもそのはずだ。つい先ほどまで帝国の反逆者として追われていた身なのだから。

そんなエレノアの葛藤を読み取ったのか、リアムは「まずは神殿に向かいましょう」と手を差し伸べて来た。

「神殿でエレノア様のお話をお伺いすれば、いくつかはすぐに答えがご用意できるかもしれません」

エレノアはその手を取ることを躊躇った。

「あの……私が神殿に行けば、訪問客や、神官の皆様の迷惑になりませんか?」

突然、魔神崇拝者が現れたとしてミラリィーに混乱を生んでしまうのではないか心配だ。

「ありえません!」

部屋中に響いたリアムの声に、ジルとエレノアの鼓膜がビリビリと震える。

「あ……申し訳ございません。ですが、そうですね。もしエレノア様が今は身を潜めたいのであれば、私共はその意思を尊重致します」

エレノアとしても、ここまでずっとついて回ってきた謎については知りたいと思っている。

だから神殿でその不可解な点が解明されるのなら、是非ともお願いしたい。

だが、結局サミュエルの時も同じことを考えてこんなことになった。

もう誰を信じれば良いのかわからず、不安がずっと胸に巣食っている。

リアムの誘いを受けるか否か悩んでいたその時、エレノアの肩を誰かが強く抱いた。

見上げると、そこにはジルがいる。

もし何かあれば俺がいる。

何も言っていないはずのに、彼の瞳がそう語ってくれているような気がした。

彼は出会ってからずっと、エレノアの傍に居て支え続けてくれていた。

心強い彼の存在を信じ、エレノアは一歩踏み出してみることにする。

「身分や外見を隠した状態でも構わないなら、神殿に向かいたいです」

「承知しました。では神殿の隠し通路を使用いたしましょう」

リアムはエレノアの決断に異を唱えることなく受け入れ、踵を翻した。



***



エレノアとジルは、神殿の奥にある特別面会室へ通された。

そこで待ち受けていたのは、ミラリィー神殿のトップである大司教だった。

整えられた長く白い髪に同じ色の髭を携えた、温厚そうな老人だ。

彼は秘密通路を抜けてきたエレノアを見るや否や、その細い目をカッと見開いた。

そのあまりの迫力に、エレノアは思わず慄く。

そして彼は瞳を潤ませたかと思うと、リアムと同じようにその場で跪いた。

「あぁ……まさか今生でお会いできるとは思っておりませんでした。女神の代理人・アスター様よ」

彼のその恭しい態度に、エレノアはいよいよ言い逃れができない気がしてきた。

大司教まで引っ張り出して、自分を祭り上げてやろうなんて手の込んだことはしないだろう。

それに、まだ不安は多く残るが、この大司教ならエレノアが疑問に思っていることを解決してくれるかもしれない。

エレノアは僅かな希望を抱き、用意された席に彼らと向き合って座る。

「あの、ご存じかもしれませんが……私には今、魔神崇拝の疑いがかかっています」

そしてじきに、死亡の記事が出回るだろう。

「魔神崇拝の疑いがかかったのには、それ相応の訳があるのです。だからこそ、私は自分がアスターであることがにわかには信じられません」

大司教とリアムは、エレノアの話に黙って相槌を打ち、傾聴してくれている。

エレノアは公爵邸で起こった出来事、そしてサミュエルが居た首都の神殿での出来事を話した。

一通り話し終えた後、大司教は難しい顔をして黙り込んでしまう。

そして席を立ちあがったかと思うと、棚にある本を一冊引っ張り出し、あるページを開いた。

「アスター様が首都の神殿で見た術式というのは、もしやこれでしょうか?」

大司教が指さした図を、エレノアとジルは覗き込む。

その図を見た途端、エレノアは祭殿の床に描かれていた術式が鮮明に思い出された。

「……間違いありません。これです!」

記憶の中で完全に一致したそれを興奮気味に伝えれば、大司教とリアムの顔色が変わる。

途端にヒリついた周囲の空気にエレノアが戸惑えば、大司教は苦々しい顔で「そうですか」と呟いた。

「あの、この術式は一体何なのでしょう?」

エレノアが遠慮がちに問いかけると、リアムは言いづらそうに口を開く。

「これは……」

水を打ったように静かな面会室で、四人の息遣いと衣擦れの音が嫌に響く。

エレノアは二人の様子を見ながら、何となく嫌な予感がしていた。

そしてリアムの口から告げられたのは、思いもよらない言葉だった。

「これは、魔神の依代を作る際に使われる術式です」
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