【R18】死神閣下は契約妻をありったけの愛で幸せにしたい

宮永レン

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第2章 後悔してももう遅い

4.偽りの婚約者

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 カーテンの隙間から、わずかに差し込む朝の光が顔に当たり、エヴァンジェリンはゆっくりと目を開けた。天蓋の施された広々としたベッドの中でしばらくの間まどろみながら、ここが侯爵領の居城であることを思い出す。

(たしか今日はリシャール様が領地を案内して下さると……)
 起き上がって目を擦ると、ノックの音がしてお仕着せに身を包んだ侍女が姿を見せた。

「おはようございます、エヴァンジェリン様。よくお休みになれましたか?」
 侍女は微笑みながら、洗面器に温かな水を注ぎ、柔らかいリネンの布を添える。

「ええ、とてもよく眠れました。ええと……あなたのお名前はなんだったかしら?」

「はい、クラリスです。これからエヴァンジェリン様のお世話をさせていただきますね!」
 快活に答えた彼女は、エヴァンジェリンとそう年は変わらないように見えるが、てきぱきと朝の支度を手伝ってくれた。

「こちらこそ、ご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
 エヴァンジェリンはそう答えながら、寝間着の袖を少しまくり、顔を洗う。

「……あの、失礼を承知で申し上げますが……旦那様とは以前からお知り合いだったのでしょうか?」
 エヴァンジェリンから使い終わったリネンを受け取りながらクラリスが言いにくそうに口を開いた。

「いえ。戦勝を祝う夜会で初めてお会いました」

「初対面で結婚のお話を……?」
 クラリスは眉をひそめ、不安そうな顔をしている。

 エヴァンジェリンはなんと言えばいいのか、目を伏せて考え込んだ。

 契約結婚だということは話してもいいのだろうか。その辺りのことをリシャールに相談しなくてはと彼女は思った。

「リシャール様はご立派な方です。結婚の申し入れも、後日、誠実なお言葉で私を是非にと望んでいただきましたし、とても光栄なことだと思っています」
 特に間違ったことは言っていない、と彼女は自身の言葉を振り返りながら話す。

「それならいいのです。『血風の死神』なんて不名誉な渾名で呼ばれておりますが、領民思いの素晴らしいお方なのですよ」
 クラリスはほっとした様子にこりと笑った。

「普段はあまり笑わないですし、近寄りがたい雰囲気もあるので誤解されやすいですけど。でも、結婚なんて急だから、もしかして花嫁にする女性を無理やり連れてきたんじゃないかって、使用人の間では心配する声もあって」
 彼女は苦笑しながら、クローゼットの中からドレスを選んでいる。

「そ、そんなことはありません。妻に迎えたいと言われて嬉しかったです」
 エヴァンジェリンは慌てて首を横に振った。

 リシャールが『死神』と呼ばれていることは知っていたが、この領地でもやはり畏れられているのだろうか。

「ふふ、エヴァンジェリン様はお優しいのですね。旦那様が奥様にと望まれる理由がわかる気がします」
「い、いえ、私はただ思ったことを言っただけで……」
 エヴァンジェリンは、なんとなくくすぐったい気持ちになって微笑む。

「本日は体調がよろしければお二人でお出かけなさると、旦那様がおっしゃっておりましたが、大丈夫そうですか?」

「はい。久しぶりにぐっすり眠れましたから」

「では、お支度いたしましょう!」
 クラリスが淡いすみれ色のシンプルなデイドレスを手にしていたので、エヴァンジェリンはベッドから出て、寝衣を脱ぎ、ドレスに袖を通す。軽やかな生地がさらりと肌に馴染んだ。

「とてもお似合いですよ。それでは、お髪も整えますね」
 彼女はエヴァンジェリンの腰まで届く柔らかな金髪を丁寧に梳かし、ハーフアップにまとめる。ゆるやかなカールがかった髪が背中にふわりと流れ、繊細な髪飾りで留められる。

「これでよし、と……。隣の部屋で朝食の準備ができておりますので、どうぞ」

「ありがとうございます」
 その後、軽い朝食を摂り、身支度を整えてから階下へ向かうと、玄関の前でリシャールが待っていた。

 彼は深みのある濃灰色のフロックコートを纏い、下には刺繍のないシンプルなウエストコートと白いリンネルのシャツを合わせている。黒革の乗馬用の長靴が長い脚を際立たせていた。無駄を削ぎ落とした端正なものだったが、軍装とは異なり、少しだけ柔らかな印象を与えている。

 リシャールはエヴァンジェリンの姿を目にすると、すぐに目を逸らしてしまった。

「体は大丈夫なのか?」

「はい、ありがとうございます。おかげさまでゆっくり眠れましたので」
 エヴァンジェリンがにっこりと笑って答えると、リシャールはちらりとこちらを見て言葉もなく片手を差し出した。

 その大きな手を前に、彼女は一瞬だけ戸惑う。昨夜のことを思い出してしまうからだ。彼は余計な干渉はしないと言ったのに、こうして差し伸べられた手を取ってもいいのだろうか。

(私が転んだりしたら困るのはリシャール様だものね。そうならないために手を貸してくださるのだわ)
 彼に迷惑をかけないようにしなければと、エヴァンジェリンはおずおずと手を乗せた。

 剣を扱う手は武骨で大きく、ひやりとしていた。それでも、指先には確かな力がある。

 馬車へ向かう途中、リシャールは躊躇うように歩調を落とした。

「……寒くはないか?」
 その問いかけは、ややぎこちない口調だ。

 人の目があるところでは婚約者を大切にする姿を見せたいのかもしれない。エヴァンジェリンは馬車の扉を開けて待っている御者を見ながら、そう思った。

 たしかに契約結婚だと周囲に明かしてしまったら、どこからか国王の耳に届いてしまう簡しれない。エヴァンジェリンがお飾りの妻だとばれたらこの計画は元も子もない。

 ならば自分も周囲に怪しまれないように、人目のある所では彼の婚約者らしく振る舞うことが求められるだろう。

「ええ、大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」
 エヴァンジェリンは目元を和らげ、リシャールをまっすぐに見つめた。

 すると一瞬彼の指先に力が入る。

(これは……どういう合図かしら? あまりやりすぎるなということ? それとも、もっと別の言い方があったのかしら?)
 エヴァンジェリンが悩んでいると、リシャールは軽く咳払いをした。

「具合が悪くなったら我慢せずに言ってくれ」
 リシャールはエヴァンジェリンを馬車に乗せるとすぐに手を離し、しっかりと腕を組んで窓の外に視線を投げる。

 町へ着くまで会話はなかった。領地へ来るまでも同じような空気だったので、慣れていたつもりだった。

(誰も見ていない所では仲のいい婚約者を演じなくてもいいということね)
 それはもう納得したはずなのに、なんだか離された手の感触がまだ指先に残っているような気がして、不思議と胸が切なくなった。

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