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058 悪徳商人エティエンヌ・ゴー(etienne geau)

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さて、こうして俺とお市はコリニー邸の客となったわけだが、
セザンヌで拾ったヴァシーの虐殺の生き残りの娘達はというと、屋敷のメイドとして提督に雇われることになった。
彼女たちは生活の場が決まったこともあり、とりあえずはほっとしている。
そして、俺はというと、同行者のルイーズがホーエンツォレルン家との秘密同盟を取り纏めてきたということもあり、細部の詰めに付き合うことになった。
そんなわけで昼間は会合の連続である。
束の間の息抜きといえば、ユグノーの商人との商談くらいだろうか?


「これは素晴らしい」

漆器を手に取っコリニー提督が感嘆の声を上げる。

「日ノ本にあるウルシの樹液で作られた漆塗りにございます」

「このような器など見たことも聞いたこともございませんな」

如才なく答える俺に、商人の一人が講評を述べた。

「ウルシの木は東インドより以東にしかありませんので、珍しいと思います」

「そうですな……それにしても、これは軽い」

「まさに。これはまるで、鳥の羽根のようです」

商人たちは俺の出した漆器群を手にしてはその素晴らしさに舌を巻いている。
俺はその製法を軽く紹介した。

「木で薄い素地を作り、その上に漆を塗っては乾かすという工程を経て作られております。
 しかも、こうして金箔などによって絵も描かれていたり……」

「おおっ! これはまた一段と素晴らしいっ!!」

商人たちが心の中で算盤をはじいているのが良くわかる。
そういえば、算盤も売れそうだなと思いながら、俺は商談を続けた。

「ですが、残念ながら、今回持ってきた商品には限りがございます。
 これ以降も漆器を取り扱いたいのであれば、皆様方に船を出していただくよりほかにありません」

いかがでしょうか、という意味を込めて沈黙する。

「そうだ! 船を出そう! みんなで渡ればこわくない!」

誰かが思いついたように叫ぶと、釣られたように口々にそう叫ぶ声が増えていく。
コリニー提督もその意見に同意するかのように顎を動かしている。

……これで当座の目的は達成できたな。

そう思いつつも一つだけ懸念があった。
確か、ユグノーは敗者だったはず。
それを考えるとまだまだ予断を許さない状況ではある。
だから俺は一計を案じたのだが、その過程で予想外のトラブルに巻き込まれた。


「これは素晴らしい……」

「左様でございましょう? これほどの美形はそうそうは居りませぬゆえ」

揉み手で商人が高位貴族に商談を持ち掛ける。
呼び掛けられた貴族はというと、言葉とは裏腹に冷え冷えとした目で娘を見下ろしていた。

「よろしい。これならば新大陸でも高く売れるであろう。
 白人女に飢えているコンキスタドール共には大いに吹っ掛けるのだ」

「ええ、ええ、良く分かっておりますとも。
 ユグノーの娘どもを売った金でしっかりと武器を買い揃えておきまする」

「頼むぞ。エティ・ゴーよ。その方の働きはしっかりと殿に伝えておくゆえにな」

こう言われて、商人のエティエンヌ・ゴーは満面の笑みを浮かべた。

「ははぁっ。しかしお代官様も悪いお方でございますな。
 ユグノーの娘達を捕らえて、白人の女日照りに無く黄色いスペイン野郎どもに売りさばこうなどとはなかなか思いつきませぬ」

「これこれ、口を慎まんか。これも大事な政略の一つよ。
 娘どもを捕らえて新大陸に売り飛ばした利益でカトリック勢力の扶植に努めるのみならず、ユグノーの退潮を促すのだ。
 これはこれで立派なはかりごとよの」

「そういうことにしておきましょう。
 ……とはいえ、フランスの娘を売り飛ばすというのはどうなんでしょうなぁ?」

「ふ……。何を申すのかと思えばそんなことか。
 エティ・ゴーよ、お主も判っておろうに。ユグノーは我らと同じ『人』ではないのだよ」

「ははは……そうでございましたな。
 これは私としたことが一本取られました」

エティ・ゴーと代官はそんな会話を交わしながらも始終にこやかなものだ。
俺はそれに呆れながらも窓の外から聞き耳を立て続けた。

「では、お代官様。こちらが女奴隷の代金に御座います」

「こらこらエティ・ゴーや、女奴隷とは人聞きの悪いことを申すな。奴隷ではなく商品花嫁と言わぬか」

「そうでございましたなお代官様。あとこちらはお代官様の取り分となっております」

「おう。いつも済まぬな。しかしお主も相応に儲けているのであろう。お主も中々の悪よのぅ」

「いえいえ、私などはまだまだにございます。到底、お代官様にはかないません」

「そうであるか」

「はい。そうにございます」

「わっはっは」

「うっほっほっほ」

二人の快活な笑い声が室内に響いた。
俺はそれを聞いて舌打ちをしそうになる。

「では、商品花嫁は今宵のうちに移送します。三日後の船出の日までは例の場所に……」

「うむ。そうするがよい」

会談を終えた二人はシャンパンで乾杯してお開きとなった。
ギーズ公の代官はパリの豪商エティ・ゴーの屋敷を出てどこかへ向かう。
恐らくは主君のギーズ公の許へ向かうと思われた。
馬車を退く馬の蹄の音が宵闇に溶けて消えていく。


……さて、どうするか。

俺はその馬車を見送りながら考えた。
ギーズ公の所に忍び込むべきだろうか?
貴族の屋敷に忍び込むこと自体はケーキの一かけらのように容易い。
何しろこちらは魔王城にも忍び込んで悪戯しまくったクチだからな。
だが、ここで新大陸に事実上の性奴隷として売られていくユグノーの身の上を傍観するのは、
信条的にも政治的にもこちらにとっての良い結果は生み出さないだろう。

こういった具合に打算を働かせた俺は娘たちを救出することにした。
頃合いを見計らい、窓際から離れて壁に同化する。
そして待つことしばし、体感時間では一時間ほどだろうか、エティ・ゴーの屋敷から四頭立ての荷馬車が出ていった。
念のために中を赤外線で確認すると、車内には非武装の人間がぎっしりと詰め込まれているのがわかる。
多分、これが奴隷運搬用の荷馬車なのだろう。
しばらく待っていたが、屋敷を出たのはこの一台だけだった。
俺は発信機付きのダートを馬車に向かって投擲する。
音もなく馬車に突き立った矢を確認して俺はその場を離れた。



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日がとっぷりと暮れた頃に、安倍あべの太郎たろうがコリニー邸を出ていくのをラヴィニアは目撃していた。
彼が宵闇の中に消えていくのを確認して、ラヴィニアは物陰から忍び出てそっと屋敷を抜け出していく。
誰にも見られてはいないことは確認済みだ。帰りのこともちゃんと計算してある。
そうして彼女はフード付きのローブを目深に被り、性別を悟られないように気を配りつつパリの夜道に溶け込んでいった。
彼女が向かう先は、慈善家としても名高い豪商、パリの大立者エティエンヌ・ゴーの屋敷である。

「やはりギーズ公の息がかかっていたか」

外から屋敷を見張るラヴィニアは代官が乗った馬車が彼女の目の前を通り過ぎていくのを現認する。
馬車にはギーズ家の紋章が掲げられていたのを見て彼女は情報の正しさを認識した。

……篤志家として名高いエティエンヌ・ゴーの屋敷へギーズ家の使いが訪れたとしても不審がられることはない、か。

彼女はそう心の中でつぶやいた。

……名声は悪名を隠すということか。だが、エティ・ゴーの正体は闇の商人。それを私は知っている。ユグノーへの弾圧の裏で新教徒の娘を新大陸に嫁と称して売っている鬼畜外道が!!

ラヴィニアはローブの下でレイピアをぎゅっと握りしめる。

なぜ彼女はパリ市民の間で名高い豪商にして慈善家でもあるエティエンヌ・ゴーの正体を知っているのであろうか?
その秘密は彼女が街道上で待ち受ける奴隷商人を殲滅した時点にまで遡る。
彼女がその自慢の剣技で皆殺しにした人さらいどもはエティエンヌ・ゴー配下の奴隷商人であった。
人さらいの中で一番身なりの良さそうな死体をまさぐるとエティ・ゴーからの性奴隷調達指示書と割符がある。
すでに心は死人と化していたラヴィニアに、人間の死体への忌避感はなかった。
一人残らず隅から隅まで死体を検分していく。
その様子を、攫われた娘たちが恐々と見詰めていた。
一つ一つ、念入りに事切れた死体をまさぐる。
結果、ラヴィニアは宗教戦争の影に隠れた奴隷ビジネスの全容を知った。

「許せない」

それが現在の彼女を突き動かしている原動力である。
忍耐強く張り込みを続けていると、門が開くのが見えた。
奥から馬車がゆっくりと現れる。
夜の気配に紛れて馬車の方から声が流れてくるのがわかった。
ラヴィニアはそれに耳を澄ます。

「では、頼むぞ」

「はい」

呼び掛けた身なりの良い男はエティ・ゴーであろうか。
エティゴーに声を掛けられた御者が馬車を走らせるのを見届けた男は門を閉めるよう指示をする。
ややあって門は仕舞った。
人気が絶えたのを確認してラヴィニアは動き出す。

音を立てぬようにゆっくりと走る馬車の後を追うのは、ラヴィニアにとっては容易いことだった。
彼女は騎士階級の家に生まれた一人娘である。
他にも兄弟姉妹はいたのだが、彼女以外は生まれてすぐに亡くなっていた。
それがため、両親の彼女にかける期待は大きく、騎士の妻に相応しい娘に育てようとする。
ラヴィニアの父母が信条としたのは――筋肉は裏切らない。
だから彼女にとって長距離走は剣術と並んでさほど苦ではなかった。
なので、どこまでも追いかける。
あれはユグノーの姉妹を乗せているに違いない。

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