~魂鎮メノ弔イ歌~

宵空希

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第一章 弔イ歌

二十話 さよなら

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『――楓。……楓、敵が憎いですか?』

何処からともなく聞こえて来るその声は、間違いなく影のものだろう。
楓は浮遊感を感じながら、その声に耳を澄ませていた。

『あの異形は、あなたの大切な人を殺めました。もう一度訊きます。楓、敵が憎いですか?』

――憎い……?
楓は思う。
これまでどんな境遇であっても、誰かを憎むなんて事はしなかった。
母は母なりに苦しんだ結果だったであろうし、学校の同級生たちは仲間外れになりたくなかっただけ。
そう自分に言い聞かせて過ごしてきたのだ。
人は脆い生き物であり、誰かを攻撃しなければ自分の立ち位置を守れない人だっている。
ならば、楓一人が少し辛い思いをするだけで周りが救われるというのならば、それでも構わないと。
そう、言い聞かせ続けてきた。

『楓。死んだ人間はもう戻りません。あなたは大切な人を守れなかった。それはあなたが人を憎む事を恐れたからです。時に憎しみは人を強くし、這い上がらせる切っ掛けを与えます。楓、あなたは酷く弱い。人が傷付く様に目を向けられない、憐れな臆病者です』

――私は……臆病。
楓は自分の中で目覚める何かを感じ取っていた。
ずっと触れてはならないと思い続けてきた、負の感情。
強引に蓋をして見て見ぬフリをしてきた、恨み辛み。
崩れ落ちた勇太を目の当たりにした事によって。
その蓋が、開いてしまう。

『いいですか楓、あの時の言葉をもう一度言います。あなたは黒羽根神楽くろばねかぐら。これからあなたは神楽として、私と共に真実へと向き合うのです。神楽と私に刻まれた……この恨みを、晴らす為に――』




あれは一体、誰なのか。
それが芽唯の最初に思った事だ。
夜御坂楓であった者は、もう夜御坂楓ではない。
そんな筈はないのだが、そう思わせる何かが今の彼女にはあった。

「夜御坂さん、だよね……?」

「・・・・・・」

返事も反応もない。
髪が真っ白に染まり、深紅の色をその瞳に宿し。
もはや和装ではない、文字通り焔で燃え滾った純黒のドレスを纏う彼女は一体誰だ。
表情一つ変えない彼女を、楓だと認識する方が難しい。
ころころと表情を変えるのが、芽唯の知っている夜御坂楓なのだ。

そんな楓は芽唯を、勇太を通り過ぎて異形へと足を向ける。
深紅の色をした刀はいつの間にか、真っ黒な刃に赤い線が刻まれた剣へと姿を変えていた。
その切っ先を異形に向けて、楓は呟くように力を行使する。

「『八熱地獄はちねつじごく』第一層――灰神楽はいかぐら

突如、響いた爆発音。
するとその前方一体が一瞬で焦土と化し、黒く焼け焦げた地面からは灰が舞い上がっていた。
余りの展開の速さに着いて行けない芽唯、今ここで一体何が起きているのかがまるで分からない。
そんな周囲を置き去りにして、楓は続けざまに剣を振るう。

「『八熱地獄』第二層――断罪だんざい

余りにも高温の焔は目に映らないのだろうか、芽唯には剣の周囲に靄が掛かって見えるだけだった。
真っ直ぐに振り下ろしたその剣が、ズンッ!!と地面を大きく切り裂き、直線状の全てを焼き消した。
建物はおろか地面も、ひいてはそこにいた怨霊までもが綺麗さっぱりいなくなっている。
芽唯は理解すると共にゾッとした。
あれは浄化などではない。
ただ霊魂を無に帰しているだけだ、消し去ってしまっているのだ。
輪廻転生はおろか、成仏なんて生易しさもそこには微塵もない。
これがあの夜御坂楓のする事だろうか。
最早別人格と言っても過言ではないと芽唯は思う。

「『八熱地獄』第三層――黒死万象こくしばんしょう

天に翳した漆黒の剣は真っ黒な焔の球体を作り出し、それが高々と天に昇る。
そんな突如出現した黒い太陽からは黒焔の雨が降り注ぎ、ズドン、ズドン!!と周囲一変を黒に染め上げた。
崩壊して真っ黒な焔に燃え上がる建物の数々、地面に出来た幾つもの巨大なクレーター。
芽唯たちには間一髪で当たらなかったけれど、恐怖を覚えざるを得ない。
だが、それ以上に。

「『八熱地獄』第四――」

「もうやめて!!夜御坂さん、正気に戻って!!」

芽唯は楓の身体を後ろから抱きしめた。
楓の纏う焔に焼かれようとも構わない。
抱きしめて、しがみついて、必死に懇願するようにその名を呼んだ。

「夜御坂さん、やだよ私……。いつもの夜御坂さんに、戻ってよ……」

「・・・・・・」

するとその言葉が届いたのか、楓は剣を下ろして動きを止めた。
同時に纏っていた焔も収まっていく。
既に存在している怨霊もおらず、異形ですら最初の一撃で消滅していた。
辺りはまるで戦場跡地のような風景となり、未だ鎮火されぬままぷすぷすと火の粉を上げている。
楓の力の壮絶さを物語っているのは風景だけではない、あの尋常じゃない殺気は異形のそれと変わらなかった。
そう思った芽唯は恐る恐る楓に声を掛ける。

「……夜御坂さん、一緒に帰ろ?」

この時、こんなセリフが自分の口から出ていた事に動揺する芽唯。
薄々は分かっていたのだ、楓が次に何を言うのかなんて。

「……白百合さん。私はもう、帰れません」

「……何で?帰ろうよ、ね?またお寿司でも何でも食べ行こ?みんなでまた、あの家でさ」

「……すみません」

「そんな事言わないでよ!謝ったりなんか、しないでよ……」

声を荒げる芽唯。
だが楓は振り向きもせず、頑なに拒むだけであった。
芽唯は楓を強く抱きしめるのだが、ゆっくりと楓はそれを振り払った。
芽唯は涙を堪えながら楓の後姿を見つめる事しか出来なくて。
そして楓はそのまま前だけを見据えて、最後にそっと言う。

「……今まで、ありがとうございました。……さよなら――」

「行かないでよ!!夜御坂さん!!……楓――っ!!!」

そこからはもう、芽唯もよく覚えていない。
遠ざかる楓をこれ以上引き留める事も出来なくて、気付けば船の上で呆然としていて。
結局楓は島に一人で残り、勇太は意識不明の重体。
何とか渚の呪いは解けていたようで、楓が異形を滅した事が原因かもしれなかった。

後日。
人気絶頂のトップアイドルグループ「LOVE※」不動のセンターを誇っていたリーダー、白百合芽唯の突然の芸能界引退が発表された――。



第一章 弔イ歌 完
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