【証拠はいらない】居場所が欲しい

Wataru

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【証拠はいらない】居場所が欲しい

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依頼人は、六十代の女性だった。

身なりはきちんとしている。
年季はあるが、だらしなさはない。
ただ、座ってからずっと、指先だけが忙しい。

「定年なんです」

「ご主人が?」

「いえ。私が」

小さく笑う。

「長いパートでしたけど」
「もう……ですよね」

「それで?」

「やめたい」

即答。

「でも、やめられない」

「金?」

「……はい」

視線が落ちる。

「年金じゃ不安で」
「貯金も、足りない気がして」

「実際は?」

「計算上は……大丈夫みたいです」

「“みたい”ね」

少し間。

「聞くぞ」
「明日、やめたら?」

「落ち着かないと思います」

「不安?」

「不安です」

「続けたら?」

「……疲れます」

「身体?」

「心」

俺は軽く頷いた。

「それでも、続ける理由は」

彼女は一拍置いた。

「主人も、定年で家にいるんです」

「ほう」

「朝からずっと」
「テレビ、新聞」

「嫌?」

「嫌じゃないです」

即答。

「でも」
「一緒にいると、息が詰まる」

「理由は」

彼女は、はっきり言った。

「言いたいことが、言えない」

「夫に?」

「はい」

「喧嘩したいわけでも」
「責めたいわけでもない」
「ただ――」

少し迷って、

「“今は一人でいたい”とか」
「“それは嫌だ”とか」

「言えない」

「言えません」

俺は肩をすくめた。

「で、仕事に行くと」

「はい」

「理由は」

「一緒にいなくて済むから」

静かになる。

「働いてれば」
「家にいなくていい理由がある」
「黙ってても、許される」

「なるほど」

俺は椅子にもたれた。

「それは、居場所じゃない」

彼女が顔を上げる。

「避難所だ」

しばらく沈黙。

「あんたは悪くない」
「壊れる前に逃げるのは、賢い」

彼女の肩が、少し下がる。

「でもな」

「……はい」

「逃げっぱなしは、つらくなる」

「じゃあ、どうすれば」

「減らせ」

「全部?」

「そんなこと誰も言ってない」

軽く笑う。

「一つでいい」
「飲み込まない言葉を、残せ」

「一つ……」

「“今は一人でいたい”」
「それで十分」

彼女は、長く息を吐いた。

「……証拠、いりませんでしたね」

「ああ」

「答えも?」

「最初から持ってた」

彼女は立ち上がる。

「まず、仕事を減らします」

「上出来だ」

「主人にも……言ってみます」

「それでいい」

ドアが閉まる。

相棒が言う。

「手厳しいのに、優しいわね」

「優しくするほど、長引くこともある」

静けさ。

仕事が好きだったんじゃない。
家から離れたかっただけだ。

気づいたなら、もう――
証拠はいらない。
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