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その三
♪♪
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思わず目を見開く俺に、大石さんが吹き出す。たぶん、目がぎょろっとしておかしかったんだろう。
「やだ、言葉が古かった?」
「いえ、俺変わったヤツとは言われても、硬派だなんて言われたことなかったんで……」
大石さんは微笑んだまま、興味津々というか、大人の女の余裕というか、そんな表情で俺を見る。
「ねえ、村上君。晴輝や、晴輝の音楽を好きになってくれとは言わない。晴輝をちゃんと見てやって」
ものすごい拍手と歓声がステージの方から聞こえた。大石さんはそれを気にして、ちらっとドアの方に目をやってから、
「この仕事に誇りを持って欲しいの」
と言うと、まっすぐに俺を見つめた。
俺はうつむき、テーブルの上で組んだ、自分の指をぼんやり見る。
「さ、そろそろアンコールかな。晴輝を迎えに行かなきゃ」
大石さんが立ち上がる。すぐには動かず、俺がなにか言うのを待っているように見えた。でも、俺に返せるような言葉はない。
俺達の間の沈黙を埋める拍手が鳴りやまない。晴輝の名を叫ぶ声もする。キュッ、と大石さんのスニーカーが鳴った。
「今日もおいしく飲もうね」
ドアを閉める直前にそう言い残して、大石さんは出て行く。大きなため息と共に、俺は思わず天井をあおいだ。
まずった。見破られた。そう思った。
とりあえず仕事は仕事として、それなりにやる。いや、それなりにしかやらない。晴輝をちゃんと見てやって、っていうのは、たぶん俺のそういうところを、大石さんは見抜いたんだろう。自分の言葉が原因なのは分かってないだろうけど、確かに仕事に身が入ってるとは言えない。
いったい大石さんは、俺になにを求めてるんだ? 完璧な仕事は求めてないんだよな? 今のがその答えか?
でも俺は思うんだけど、この仕事に誇りを持つってことは、晴輝を誇りに思うってこととイコールなんじゃないだろうか。そして誇りに思うには、最低でもその人のことを好きじゃなきゃいけないよな。
さっきよりもすごい拍手と歓声が、あたりを揺らす。やっと静まったと思ったら、演奏が始まった。アンコールだ。
「ちゃんと見て、か……」
俺はぼんやりつぶやいて、アンコールの熱気の中歌う晴輝の姿を思い浮かべた。
福岡では繁華街のど真ん中にある、こぎれいなホテルに泊まっていた。ライブハウスでの二日間の公演を終えた、福岡最後の夜。
メンバーやスタッフ何人かで食事の後、晴輝をホテルの部屋に送り、自分の部屋に帰って一人になる。シャワーで汗を流して、ぼんやり風呂上がりのビールを飲んで、寝る。
そんな日々を旅先で繰り返していた俺だったけど、今日はビールを飲む気になれなかった。食事の時の酒も断った。
福岡ライブ最終日、いつにもまして盛り上がっているのをいつものようにスタッフ控え室で聞きながら、俺はいらだっていた。
自分に。
晴輝へのいらだちは消えつつある。その分が、俺自身へのものに変わってきてる。
行き場のない、もやもやしたいらだち。後悔に似た、感情。
きっかけは、大石さんの言葉だった。
オフだった昨日、初めて来た福岡の街をランニングする間、俺は大石さんの言葉の意味を考えた。時間が経つにつれ、大石さんの言葉が俺の中で重みを増してきた。
晴輝をちゃんと見てやって、と大石さんは言う。
ちゃんと見るって、どういうことだろう。それがこの仕事への誇りにも繋がるんだろうな、ってことはなんとなく分かるけど……。
ため息をついて、立ち上がる。窓に近づいてカーテンを開けた。
ここは三階で、窓は広くても眺めはよくない。べったり窓に額を預ける。煮詰まってきた自分を感じて、ますますいらだってくる。こんなことは初めてで、俺は俺自身を持てあましていた。よく壁にぶつかるとか言うけど、まさにあれだ。
いても立ってもいられず、Tシャツをバッグから引っぱり出して着た。カードキーとスマホと財布だけ持って、部屋を出る。ずんずん廊下を歩いてる自分に気づいて歩調を緩めた。エレベーターの前で、力が入ってしまってた肩をごまかすように上下に動かす。最上階にあるバーからの眺めがいいって聞いたのを思い出して、行ってみることにした。
最上階でエレベーターを降りた途端、バーの入り口越しの夜景。闇に色とりどりの光で描かれた絵。吸いこまれそうだ。
川がネオンに彩られた街を分けている。川には橋がいくつもかかっていて、車の光が流れていく。左へと目を向けるとその先は港、広がる漆黒は海。
視線を足元の方へと戻せば、ホテルはいろいろな色の光に優しく包まれている。川沿いに並ぶ屋台の、ささやかなのにしっかりした存在感を放つ光も見える。
一気にいらだちが引いていくような気がした。本当にきれいだ。
すっきりした気持ちで、俺は大きく息を吐いた。なにか飲もうかな、と思って振り返る。
「やだ、言葉が古かった?」
「いえ、俺変わったヤツとは言われても、硬派だなんて言われたことなかったんで……」
大石さんは微笑んだまま、興味津々というか、大人の女の余裕というか、そんな表情で俺を見る。
「ねえ、村上君。晴輝や、晴輝の音楽を好きになってくれとは言わない。晴輝をちゃんと見てやって」
ものすごい拍手と歓声がステージの方から聞こえた。大石さんはそれを気にして、ちらっとドアの方に目をやってから、
「この仕事に誇りを持って欲しいの」
と言うと、まっすぐに俺を見つめた。
俺はうつむき、テーブルの上で組んだ、自分の指をぼんやり見る。
「さ、そろそろアンコールかな。晴輝を迎えに行かなきゃ」
大石さんが立ち上がる。すぐには動かず、俺がなにか言うのを待っているように見えた。でも、俺に返せるような言葉はない。
俺達の間の沈黙を埋める拍手が鳴りやまない。晴輝の名を叫ぶ声もする。キュッ、と大石さんのスニーカーが鳴った。
「今日もおいしく飲もうね」
ドアを閉める直前にそう言い残して、大石さんは出て行く。大きなため息と共に、俺は思わず天井をあおいだ。
まずった。見破られた。そう思った。
とりあえず仕事は仕事として、それなりにやる。いや、それなりにしかやらない。晴輝をちゃんと見てやって、っていうのは、たぶん俺のそういうところを、大石さんは見抜いたんだろう。自分の言葉が原因なのは分かってないだろうけど、確かに仕事に身が入ってるとは言えない。
いったい大石さんは、俺になにを求めてるんだ? 完璧な仕事は求めてないんだよな? 今のがその答えか?
でも俺は思うんだけど、この仕事に誇りを持つってことは、晴輝を誇りに思うってこととイコールなんじゃないだろうか。そして誇りに思うには、最低でもその人のことを好きじゃなきゃいけないよな。
さっきよりもすごい拍手と歓声が、あたりを揺らす。やっと静まったと思ったら、演奏が始まった。アンコールだ。
「ちゃんと見て、か……」
俺はぼんやりつぶやいて、アンコールの熱気の中歌う晴輝の姿を思い浮かべた。
福岡では繁華街のど真ん中にある、こぎれいなホテルに泊まっていた。ライブハウスでの二日間の公演を終えた、福岡最後の夜。
メンバーやスタッフ何人かで食事の後、晴輝をホテルの部屋に送り、自分の部屋に帰って一人になる。シャワーで汗を流して、ぼんやり風呂上がりのビールを飲んで、寝る。
そんな日々を旅先で繰り返していた俺だったけど、今日はビールを飲む気になれなかった。食事の時の酒も断った。
福岡ライブ最終日、いつにもまして盛り上がっているのをいつものようにスタッフ控え室で聞きながら、俺はいらだっていた。
自分に。
晴輝へのいらだちは消えつつある。その分が、俺自身へのものに変わってきてる。
行き場のない、もやもやしたいらだち。後悔に似た、感情。
きっかけは、大石さんの言葉だった。
オフだった昨日、初めて来た福岡の街をランニングする間、俺は大石さんの言葉の意味を考えた。時間が経つにつれ、大石さんの言葉が俺の中で重みを増してきた。
晴輝をちゃんと見てやって、と大石さんは言う。
ちゃんと見るって、どういうことだろう。それがこの仕事への誇りにも繋がるんだろうな、ってことはなんとなく分かるけど……。
ため息をついて、立ち上がる。窓に近づいてカーテンを開けた。
ここは三階で、窓は広くても眺めはよくない。べったり窓に額を預ける。煮詰まってきた自分を感じて、ますますいらだってくる。こんなことは初めてで、俺は俺自身を持てあましていた。よく壁にぶつかるとか言うけど、まさにあれだ。
いても立ってもいられず、Tシャツをバッグから引っぱり出して着た。カードキーとスマホと財布だけ持って、部屋を出る。ずんずん廊下を歩いてる自分に気づいて歩調を緩めた。エレベーターの前で、力が入ってしまってた肩をごまかすように上下に動かす。最上階にあるバーからの眺めがいいって聞いたのを思い出して、行ってみることにした。
最上階でエレベーターを降りた途端、バーの入り口越しの夜景。闇に色とりどりの光で描かれた絵。吸いこまれそうだ。
川がネオンに彩られた街を分けている。川には橋がいくつもかかっていて、車の光が流れていく。左へと目を向けるとその先は港、広がる漆黒は海。
視線を足元の方へと戻せば、ホテルはいろいろな色の光に優しく包まれている。川沿いに並ぶ屋台の、ささやかなのにしっかりした存在感を放つ光も見える。
一気にいらだちが引いていくような気がした。本当にきれいだ。
すっきりした気持ちで、俺は大きく息を吐いた。なにか飲もうかな、と思って振り返る。
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