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その三
♪♪♪♪
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答えながら顔の汗をぬぐう。
「ごめんな、来てくれてありがとう。暑いだろ、早く乗りなよ」
翔一郎さんの肩ごしに、後部座席の晴輝が言う。その後ろにギターケースや、使いこまれた黒の頑丈そうな機材ケースがいくつも積んである。
運転席の隆宣さんは、静かに俺達のやりとりを見てる。その顔を見るだけで、なんだか涼しく感じるほどの落ち着きぶりだ。
「あれ、足どうしたの?」
車に乗りこむ時、晴輝のサンダル履きの足に白い包帯が巻かれてるのが見えた。
「家でそうめん茹でてたらこぼしちゃったんだよ。ヤケドしちゃうし、どこにどんなふうにこぼしたのか分からなくてさ。片づけるのに苦労したよ」
晴輝はそう言って肩をすくめた。
「うわ、大丈夫? 一人暮らしだっけ?」
「うん、学校出てからはずっと一人暮らししてる。こんな大失敗、最近はなかったのに」
目が見えないのに一人暮らしで、料理もするなんて信じられない。人気シンガーなんだから、手厚くケアされて、危ないこともしないようにさせられてるんだと思ってた。
だけどそれは、ただ目が見えないだけ、特別扱いは嫌だ。そう言っていた晴輝と、過剰な警備に怒った大石さんを思えば、ごく当然なのかも知れない。
「家族は遠い所にいるんだろ? 心配だなあ、ハルも早く彼女作ったらどうだ?」
ふいに助手席の翔一郎さんが言う。
車はのろのろとしか動けずにいて、ごったがえす歩道を歩く人達は、みんな暑さに不機嫌な顔でワゴンの脇を通り過ぎていく。
「翔一郎さんは? 人のこと言えないんじゃない?」
からかうような、甘えるような口調で晴輝が言うと、隆宣さんも横目で翔一郎さんの反応をうかがう。
「俺はもういいんだよ……」
翔一郎さんはようやく聞こえるくらいの小声で言った。
「よくないですよ」
すかさず、隆宣さんのツッコミ。
「今のままで充分だよ、別にさみしい思いもしてないし、仕事は順調だし……」
翔一郎さんはぶつぶつ言いながら顔を赤くして、うつむいてしまった。いい年した大人が、これだけのことで本気で照れてる。憎めない人だよなあ。
「それに美形の世話女房もいるから?」
「もう、からかわないでくれよ」
翔一郎さんは振り返って晴輝の頭を軽くこづいた。
「だって本当のことじゃん」
こづかれても晴輝はにこにこしている。
「そうですよね、俺がいますもんね。今さら誰かと結婚なんてないですよね」
「え、あ……いや……」
さらりと言ってのける隆宣さんに、しどろもどろの翔一郎さん。明らかにいじめて楽しんでる。
そんなたわいもないやりとりをしているうちに、ワゴンは今日のライブ会場らしい建物の前に止まった。
「ごめんな、営業外なのは後で酒おごって埋めあわせするからさ。手引きしてもらえないかな?」
福岡以来、俺はあくまで言われた範囲内でしか仕事をしない、これまでの自分を改めた。そうするのが遅すぎたかも知れないけど、本を読んで勉強もして、いくらか手引きにも自信が持てるようになっていた。
晴輝が車に頭をぶつけないように、腕を車の窓枠に添える。白杖を準備し終えるのを見届けて、誘導するためにそっと晴輝の左腕に触れる。晴輝が俺の腕をつかむのを待って歩き出す。
「階段だよ」
いったん立ち止まって声をかけてから、ひっそりとして狭い地下へ続く短い階段を、晴輝の先に立ってゆっくりと下りた。
「今ドア開けるから」
言いながら、いろんなステッカーがべたべた貼られた重い扉を開けて中に入る。
中も狭い。正面のステージは、五人も立てばいっぱいだろう。その脇、右奥にささやかなドリンクのカウンター。フロアには古びた木の丸テーブルが六個。それぞれのテーブルには椅子が四脚ずつセットされてる。その後ろ、今俺達が立ってる場所は、立つ人のためか広めに空いてるけど、入れてせいぜい三十人ってとこか。
薄暗い中で、ステージを真上から照らすライトがやけにまぶしい。使いこまれた木のテーブルと椅子が、光を反射してつややかに光っている。
晴輝がツアーで使う会場は、小さいとは言っても五百人前後は入る所が多い。いつもそういう所で演奏してる人達がこんな狭い所でもやるのが、俺にはちょっと意外だ。
「ごめんな、楽屋狭いからここにいて」
翔一郎さんに言われて、俺は一番左端のテーブルに晴輝を誘導した。椅子を引いて座るように促し、晴輝がちゃんと座ったのを見て、俺も隣に座る。
煙草を吸いながら、ライブの準備が整えられるのを眺めた。忙しそうに出たり入ったりするスタッフらしき人達。それ以外にも、ちらほら人が出入りし始めた。
晴輝は黙って座っている。うっすら笑みが浮かんだ表情が、ステージを照らすライトで縁取られる。その顔は、周りから聞こえてくる音を、楽しんでいるようにも見えた。
「ごめんな、来てくれてありがとう。暑いだろ、早く乗りなよ」
翔一郎さんの肩ごしに、後部座席の晴輝が言う。その後ろにギターケースや、使いこまれた黒の頑丈そうな機材ケースがいくつも積んである。
運転席の隆宣さんは、静かに俺達のやりとりを見てる。その顔を見るだけで、なんだか涼しく感じるほどの落ち着きぶりだ。
「あれ、足どうしたの?」
車に乗りこむ時、晴輝のサンダル履きの足に白い包帯が巻かれてるのが見えた。
「家でそうめん茹でてたらこぼしちゃったんだよ。ヤケドしちゃうし、どこにどんなふうにこぼしたのか分からなくてさ。片づけるのに苦労したよ」
晴輝はそう言って肩をすくめた。
「うわ、大丈夫? 一人暮らしだっけ?」
「うん、学校出てからはずっと一人暮らししてる。こんな大失敗、最近はなかったのに」
目が見えないのに一人暮らしで、料理もするなんて信じられない。人気シンガーなんだから、手厚くケアされて、危ないこともしないようにさせられてるんだと思ってた。
だけどそれは、ただ目が見えないだけ、特別扱いは嫌だ。そう言っていた晴輝と、過剰な警備に怒った大石さんを思えば、ごく当然なのかも知れない。
「家族は遠い所にいるんだろ? 心配だなあ、ハルも早く彼女作ったらどうだ?」
ふいに助手席の翔一郎さんが言う。
車はのろのろとしか動けずにいて、ごったがえす歩道を歩く人達は、みんな暑さに不機嫌な顔でワゴンの脇を通り過ぎていく。
「翔一郎さんは? 人のこと言えないんじゃない?」
からかうような、甘えるような口調で晴輝が言うと、隆宣さんも横目で翔一郎さんの反応をうかがう。
「俺はもういいんだよ……」
翔一郎さんはようやく聞こえるくらいの小声で言った。
「よくないですよ」
すかさず、隆宣さんのツッコミ。
「今のままで充分だよ、別にさみしい思いもしてないし、仕事は順調だし……」
翔一郎さんはぶつぶつ言いながら顔を赤くして、うつむいてしまった。いい年した大人が、これだけのことで本気で照れてる。憎めない人だよなあ。
「それに美形の世話女房もいるから?」
「もう、からかわないでくれよ」
翔一郎さんは振り返って晴輝の頭を軽くこづいた。
「だって本当のことじゃん」
こづかれても晴輝はにこにこしている。
「そうですよね、俺がいますもんね。今さら誰かと結婚なんてないですよね」
「え、あ……いや……」
さらりと言ってのける隆宣さんに、しどろもどろの翔一郎さん。明らかにいじめて楽しんでる。
そんなたわいもないやりとりをしているうちに、ワゴンは今日のライブ会場らしい建物の前に止まった。
「ごめんな、営業外なのは後で酒おごって埋めあわせするからさ。手引きしてもらえないかな?」
福岡以来、俺はあくまで言われた範囲内でしか仕事をしない、これまでの自分を改めた。そうするのが遅すぎたかも知れないけど、本を読んで勉強もして、いくらか手引きにも自信が持てるようになっていた。
晴輝が車に頭をぶつけないように、腕を車の窓枠に添える。白杖を準備し終えるのを見届けて、誘導するためにそっと晴輝の左腕に触れる。晴輝が俺の腕をつかむのを待って歩き出す。
「階段だよ」
いったん立ち止まって声をかけてから、ひっそりとして狭い地下へ続く短い階段を、晴輝の先に立ってゆっくりと下りた。
「今ドア開けるから」
言いながら、いろんなステッカーがべたべた貼られた重い扉を開けて中に入る。
中も狭い。正面のステージは、五人も立てばいっぱいだろう。その脇、右奥にささやかなドリンクのカウンター。フロアには古びた木の丸テーブルが六個。それぞれのテーブルには椅子が四脚ずつセットされてる。その後ろ、今俺達が立ってる場所は、立つ人のためか広めに空いてるけど、入れてせいぜい三十人ってとこか。
薄暗い中で、ステージを真上から照らすライトがやけにまぶしい。使いこまれた木のテーブルと椅子が、光を反射してつややかに光っている。
晴輝がツアーで使う会場は、小さいとは言っても五百人前後は入る所が多い。いつもそういう所で演奏してる人達がこんな狭い所でもやるのが、俺にはちょっと意外だ。
「ごめんな、楽屋狭いからここにいて」
翔一郎さんに言われて、俺は一番左端のテーブルに晴輝を誘導した。椅子を引いて座るように促し、晴輝がちゃんと座ったのを見て、俺も隣に座る。
煙草を吸いながら、ライブの準備が整えられるのを眺めた。忙しそうに出たり入ったりするスタッフらしき人達。それ以外にも、ちらほら人が出入りし始めた。
晴輝は黙って座っている。うっすら笑みが浮かんだ表情が、ステージを照らすライトで縁取られる。その顔は、周りから聞こえてくる音を、楽しんでいるようにも見えた。
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