上 下
29 / 116
名称継承編

結界

しおりを挟む
 セスが魔力を送ると、予め決めておいた通りに子蜘蛛のような存在が動き出した。瞬く間に部屋を糸が埋め尽くし、戦士が壁の瓦礫を払って立ち上がる頃には子蜘蛛が沼に戻る。

「変化球型かよ。ストレートが速い方と速くない方、どっち?」
「それを言うなら、制球が良いか良くないかではないかの」
「はは。魔族にも野球の文化があったとは驚きだな!」

 戦士が剣を振り上げ、魔力を込めて蜘蛛の糸に叩きつけた。頑丈な縦糸がしなりながら受け止め、押し込まれたことによって剣にくっついた横糸が魔力を放散させていく。戦士の顔が険しいものに変わった。ロルフの砲弾が戦士めがけて飛ぶ。戦士が剣を引こうとするが巣から離れず、その間に戦士に激突した。戦士が壁にまた戻る。剣は、だらりと蜘蛛の糸から垂れていた。天井の沼から現れた蜘蛛が急いで剣を糸で包んでいく。

「父上とは、やり方が大きく異なると思ってもらって構わぬぞ」

 ロルフの砲弾が戦士に飛んだ。戦士が盾を取り出して防ぐ。

「エフタハか」

 予言の盾、エフタハ。
 正確には魔力の動き、筋肉の動きから相手の行動を予想して所有者にその幻影を見せる盾。

「やっぱ知ってるか。魔族から奪った物だしな」

 左手で器用に回転させながら戦士が言った。奪われた大剣が徐々に上に引っ張られているが、取り戻そうという気概は見られない。

「殿下、そのエフタハってのは蜘蛛の巣を破壊できる代物ですかい?」

 ロルフが言う。

「あれ自身に攻撃能力はない。現状では、時間がかかるだけかの」
「ってことは、まだ何かがあるわけだ」

 声だけで、口元を吊り上げているのだろうなと想像ができる響きがあった。

「やっぱり警戒されるか」

 戦士が右手を上に向けると空間に波紋ができ、禍々しくも研ぎ澄まされた片刃の剣、ダインスレイヴが現れた。

「死ぬ気か?」

 戦士に応じるようにセスが沼からサルンガとグシスナウタルを取り出す。

「あんたらと違って甦るからな。多少無茶してでも頭を潰せば勝利は転がり込んでくるだろ」
「お主と違って、勇者や僧侶に自決するだけの決断力があるかの?」

 ダインスレイヴが戦士の魔力と生命力を吸い上げる。

「全滅を前提にしてんじゃねえよ」

 戦士がダインスレイヴを振り下ろした。止めること能わず、さっぱりと糸が切れる。先の戦士の大剣は子蜘蛛が糸を吐いて捕まえ、沼に潜っていった。

「脆くない?」

 ロルフが蜘蛛の糸をつまんだ振動がセスに伝わってきた。

「ダインスレイヴは所有者を死に到らしめるタイプの魔剣だからの。糸きりぐらいに成れんでは話になるまいて」

 今度は糸の振動が、ロルフが前衛に立とうとしているのを伝えてくる。

「今は援護を頼む」
「殿下よりは俺の方が前衛向きだじゃないですか?」
「エフタハがある以上、そちの攻撃は見切られる可能性が高かろう。ダインスレイヴも、伊達に命を喰らっているわけではあるまい」

 セスがグシスナウタルを番える。

「前衛は、要らぬ」

 セスが矢を放った。
 サルンガによる加護を受けて炎を纏ったグシスナウタルが軌道を変えながら戦士に迫る。弾かれる。なおも戦士に向かう。
 セスは二本目も番え、放った。今度は綺麗な放物線を描いて寄り道せずに戦士に向かった。エフタハが防ぎ、ダインスレイヴがグシスナウタルに籠められた魔力を喰らう。セスはただの矢と化す前に、グシスナウタルに糸を経由させて魔力を供給させ、射かけ続けた。
 最後の三本目も掴み、番える。

「押し切れそう?」

 ロルフが小声で届くように近づいてきた。

「無理だの。シルが扱った時ですら防いでいたのだから、できるわけがなかろう」

 三本目は天井に向かって射た。多量の魔力を含んだ矢は太陽のごとく発光し、顔を上げた戦士の目を潰す。そのまま三本とも一直線に戦士に向かうが、目を閉じたまま戦士が剣を操りグシスナウタルを弾いた。

「わーお」

 ロルフがとぼけたような感嘆の声をあげる。

「エフタハの予測は、本人の視界の有無とは関係ないからの」
「みたいですねえ。でも、目の時と動きに差はある、と」

 グシスナウタルを糸で回収して、蜘蛛に引っ張ってきてもらう。
 戦士が片目を開けて、セスとロルフを見てきた。

「修正できそうか?」
「まあ、あいつの技量が無駄に高かったおかげで今の一撃がこれまでとどれだけズレていたのかはわかりましたけど、それが続くのかどうかの保証もないですし、そもそもあえてずらしたのかどうかもわかりませんし」
「そうだの」

 普通の矢を番えて放つ。サルンガのおかげで多量の火力となったわけだが、剣でうち弾かれた。散った魔力の一部は糸が回収し、セスに戻ってくる。
 セスの魔力が動いているにも関わらず、エフタハを構えることなく戦士は一歩ずつ引いていき、壁から出てきたときの位置に戻った。

「一つ聞きたいのだが」

 あえて少し間延びした声を出して、セスは戦士に問いかけると、戦士は顎を引いたまま、ダインスレイヴの先を少し下げた。
(やけにあっさりと応じたの。ダインスレイヴは時間がないというのに)

「守勢に回っているようだが、そんな時間はお主にあるのかの?」

 蜘蛛が垂らしたグシスナウタルを受け取り、二本は腰に、一本は手に持ったまま半身になる。

「意思に関係なく甦ることができる以上、魔族と俺らの間で命の価値が大きく違う、とでも言っておこうか」

(僧侶が何か仕掛けたか?)
 セスの目が一瞬上に行く。

「殿下」

 ロルフが前に出た。糸が幾つも途切れる感覚がセスに伝わってくる。下がれ、という言葉を飲みこんで、セスはロルフに援護の魔力を送った。ダインスレイヴが当たったところから糸が切れるが、戦士の他の部分に当たった糸が確実に戦士の魔力を削る。
 ロルフが踏み込むことなく待つ。戦士が剣を振り上げても動かず、直前になってしゃがみながら転がるようにして体を倒し、剣を動かして受け止めた。
開いた視界から、セスがサルンガに番えたグシスナウタルを戦士に向けて射る。戦士が退いて、矢を弾いた。ついでにダインスレイヴに含まれる魔力が大きく膨れ上がり、喰らいつくすようにグシスナウタルから魔力を奪い取る。帰りの分も失った矢が重力に従って落ちる。沼から現れた蜘蛛が糸を放った。戦士が斬撃を飛ばし、蜘蛛を切断する。ぴぎゃ、というらしからぬ断末魔を上げて真っ二つになった蜘蛛が戦士の足元に落ちた。グシスナウタルも続く。

 戦士が大振りし、体についていた糸を切断した。蜘蛛の巣に大穴ができたような状態になる。
セスは普通の矢を速射した。ダインスレイヴに当たると、魔力を喰われたように纏っていた炎が消える。ロルフが砲を放つ。毟り取られるように消された。

「魔力の大喰らいだの」

 首輪を通して通れる道を伝え、ロルフに蜘蛛の巣を走らせる。戦士が顔を向けずに体勢をわずかに変え続けた。セスはサルンガとグシスナウタルを糸に貼り付け、沼からアダマスを取り出して駆ける。戦士が横に移動した。

「まずは、ここか」

 蜘蛛の糸を避けるようにダインスレイヴを突き出され、首輪と繋がる糸が切断された。
粘着性のある糸を積極的に斬るようにして、いや、それすらも大口に放り込むようにダインスレイヴが無くしていき、セスに迫る。
 セスがアダマスで横に薙ぐ。紙一重でかわされ、戦士の重心がセスの方へと移動した。だが、すぐに足を踏みかえてアダマスの刀傷圏から離れて上にエフタハを構えた。ロルフの魔力砲がエフタハにあたる。セスが半歩踏み込むも、戦士はそれ以上に離れた。背後に回ることを諦めたらしいロルフが通った道を戻る。

「どっちのカードから先に切ります?」

 ロルフが糸の上に座り込むようにして聞いてきた。

「我の方がよかろう。現状でも、上に行った時を考えてもの」

 戦士が浅く息を吐いて、顎を引いた。
 天井の沼がぬらりぬらりと広がる。戦士は左足を一歩引いただけであり、警戒の対象はセスのままらしい。ロルフが糸の上で戦士に突撃するような仕草を見せたが、エフタハの効果か、フェイントと見切られていて戦士に動きはなかった。

「そう警戒することもあるまい。これ自体に攻撃能力はないからの」

 戦士が警戒を解かないのは承知の上で言う。ロルフは相変わらず弛緩しているような雰囲気を醸し出しており、セスに同調しようとしているものの効果はないだろう。

(まあ、別に構わんがの)

 床にも沼を展開した。壁には上から下から這い寄るように黒が広がって行き、蜘蛛の糸が切れて中央へとやってくる。そうなるようにあえて天井は沼の中に起点を作ったとはいえ、攻撃の意思は乏しい。

「ロルフ、どう見える?」

 セスは首輪を繋げ直して、唇をあまり動かさずに尋ねた。

「エフタハよりも自分の目と感覚重視じゃないですかね。糸は単純な武器とは違いますから叩きどころが違ってもわからなかったりしますけど」

 ダインスレイヴを縦横無尽に動かし、垂れてきた糸を喰らっている戦士を見ながらロルフが小声で言った。音も無くロルフがセスの横に着地する。
 どろり、と粘性の高く見える黒が戦士の目の前に垂れた。ダインスレイヴが黒に当たるが、消えることなく、ぼたり、と地面に点を作った。周囲の沼へと広がって行く。ダインスレイヴに残っていた黒も剣を下げれば重力に従って落ちる。

「いわば、奥義の解放をしている段階と言えばわかるかの?」

 のんびりとセスが言った。戦士が沼に隠れていない床に足を踏み出すが、どんどんその領域は削られていく。
 天井から垂れ落ちる粘液が増え、視界に縦線を入れては消え、入れては消えるを繰り返す。不自然に揺れる黒い沼は、鳴ってもいないのにぽちゃぽたと音を立てているようだ。

「シルは、見ているだけで膝から沈んでいくようだと言っていたの」
「惚気?」

 セスの呟きに、ロルフが笑いながら返した。
 戦士の膝が曲がる。
 その様子を冷めた目で見ながら、セスはアダマスを手放して沼に落とした。戦士の目が揺れる。だが足元を確認して、もう靴の部分しか床がないとわかったからか、目を据えて膝を伸ばした。鉄塊がセスとロルフに迫りくる。

「ようこそ我が結界へ。歓迎しよう。カルロス・ブラッド」

 粘体がずりおち、三人を飲みこめば視界が捻じれ、戦士の突撃が終わった時にその距離は踏み込んだ時よりも大きく開いていた。
 あたりは黒。すぐ目の前にも黒いものがある気がするし、遠くにある気もする。手を伸ばしても何の感触もないが、何かを掴んでいる気もする。下だって立ってはいるがさらに下があってもおかしくないし、何もない上に立てる気だってする。前後左右の感覚をおかしくする、星のない夜の海のような、それでいて互いが見えて遠くに何があるかも見えるような、不思議な空間。セス・サグラーニイの結界。時折見せる泥の全容。膨大な魔力を孕む、彼のための内包空間。

「さて、さて」

 セスが茶飲み話でもするかのような声で切り出した。

「父上はお主らにこういった別空間は見せたかの?」
「同じもの……ではねえな」

 足場を確認するようにすり足で細かく足を動かしながら、戦士が言った。

「無論、同じものではない。父上は我の魔力量でロルフほど効率よくシルの攻撃を放てるからの。父上は父上らしく、我は我が使いやすいように変えておる」
「聞けば聞くほど、勝てたのが信じらんねえな」

 自嘲気味に戦士が笑った。

「父上は歩調を合わせての戦いに向かないかったからの。多勢で囲んで叩けばよい。ま、言うは易しでしかないがな」
「今のようにってか?」

 戦士が一歩踏み出した。

「そうだの」

 セスが笑う。

「多勢で囲って攻撃すればよい。それが死を恐れぬなら、なおのこと。感情のある生物としてではなく駒としての計算で十分だからの」

 黒い粘体から這い出るように、産み落とされるように、引き上げられるように。戦士を中心にして球体を描くように翼人族の死体が現れた。戦士の目が素早く動き、エフタハに籠められる魔力量が増した。光のない濁った眼が一斉に戦士に向く。翼人族の体についた黒が、ぬるりと落ちた。

「エフタハの攻略も、同じではないかの? 理解はしていても対応が出来なければ意味がない。お主らが無駄にシルの同胞に喧嘩を売ってくれたおかげだの」

 一斉に遠距離攻撃が開始される。戦士はエフタハを踏みつけるように足場にして、ダインスレイヴを振った。籠められた魔力と吸われる生命力に比例して、ダインスレイヴが翼人族の攻撃に対して無双を開始する。それでも四百七十二の攻撃は鎧を掠め、盾を揺らして戦士を確実に削っていった。

「喰らいつくせ!」

 押し込まれた体勢で戦士が叫んだ。ダインスレイヴの力が増大する。
 セスは翼人族の傀儡を戻しつつ、新たに獲得した人間の傀儡を戦士の目の前に出した。剣を振るえばすぐに斬れる距離。真っ先に切断される位置。戦士の動きが一瞬止まった。盾から足が降りる。距離が開いた。次の傀儡を視界の隅に入るように出して戦士に襲わせる。今度は遠慮せずに先の傀儡ごとダインスレイヴの餌食とされた。
 だが、その間に翼人族の撤退には成功している。

「魔法使いなら、一瞬の躊躇もなかったろうな」

 戦士のすぐ足元から人間の傀儡を取り出す。足を掴む前に蹴飛ばされ、頭を割られて削り取られた。

「急に出てこられると生きてるかどうか判断できないからな」
「生きていてもお構いなしに攻撃したと思うがの」

 サルンガとグシスナウタルを持ち、射かける。黒の外に居た時と変わらず、弾かれ、魔力を喰らわれた。違う点は、魔力が無くなった瞬間に黒に消えてセスの手元に回収されるところだろう。

「ロルフ、音はどうだ?」

 スヴェルに触れて、沼を介してあらゆる方向から氷を出した。戦士がギリギリで全てに対応している。

「ダインスレイヴを振る度に心拍数が上がってるねえ。運動によるものかなーって最初は思ったけど、たぶん、いや、絶対違うわ」
「削られている、と見てよいか?」
「汗自体に匂いがついてきているから、きっと。精神的な面では徐々に追い込まれているんじゃないかなあ」
「ふむ。なら、まともにやり合う必要はないの」

 囲むように三体の傀儡を出して、斬られて肉塊と化した方から新たな死体を出す。剣が過ぎたところに、さっきとはタイミングをずらして。上から、下から。勢いが籠ってなければ躱させて、時折魔力を過剰に入れて戦士に攻撃を加えて。
コヅパで手に入れた傀儡はたくさんある。それを、戦士が一度に対処できないタイミングで取り出していく。
 戦士を見ながら、セスはフロッティの柄、グシスナウタルの羽根、アダマスの持ち手を自分の周囲の沼からのぞかせた。まずはフロッティを掴む。

「死せる友よ、忠義に殉じた猛者よ。その魂、我のために今一度働かせたまえ」

 フロッティを中心に魔力が渦巻く。次にグシスナウタルに触れた。

「死せる射手よ。一番槍を担い続けた猛者よ。その魂、我のために今一度働かせたまえ」

 そして、アダマスへと手が伸びる。
 戦士がこちらへこようとするも、どこからでも出てくる傀儡が邪魔をして走らせない。

「死せる女傑よ。対等の勝負を好みし猛者よ。その魂、我のために今一度働かせたまえ」

 ロルフの魔力砲が戦士の腕が伸び切るタイミング、縮むタイミングを見計らって放たれ、完全に戦士の足を止めた。
 セスは、最後に懐から殺生石の欠片を取りだした。

「死せる忠臣よ、娘を案じた猛者よ。その魂、我のために今一度働かせたまえ」

 四つの魔力の渦が沼に半ば隠れる形で荒れ狂う。
 ただでさえ魔力が濃密な結界内で、セスの周りはむせかえるほどに魔力が満ち溢れた。

「目覚めよ、『ヘインエリヤル』」

 魔力が各武器を中心に膨れ上がり、形を作って黒に沈むように消えていく。

「お主ら四人をいわば人間の四天王だと考えれば、面白い意趣返しかの」

 戦士の直下からスヴェルが顔を出し、凍らせる。すぐにダインスレイヴが伸びるがヘネラールの幻影が出てくることはなく沼に消えた。代わりに、サルンガから炎の矢が放たれる。エフタハが弾くが火炎が盾を回り持ち手に迫った。エフタハの予測に入っていたのか、戦士が強引に炎を消し去る。

「余裕ぶっていられるのも今の内だろ? ヘクセですら切り札にせざるを得なかった魔術を急造で、しかも四天王を使って最後まで保つとでも? そこまでして呼び出したのが大幅に弱体化した四天王とは救われないな」
「そう思いたいなら、紛い物の希望に縋り付き続けるがよい」

 黒い粘体の中から四百七十二の翼人族が顔をのぞかせた。

「少々乱暴だが、これでエフタハは破れたも同然だからの」

 黒い中にぽっかりと白く光る穴ができた。
 セスは戦士に背を向け、穴に向かう。

「待て!」

 出口だと悟ったのか、戦士が叫ぶが直後に破壊音が響いた。セスが首だけで振り返ると、沼から出てきたクノヘの幻影が戦士を押しており、コヅパの民が上から圧し潰すように落ち始めた。

「何だ。何かを言うわけではなかったのか」

 セスは白々しくそう言うと、穴から結界の外に出た。
しおりを挟む

処理中です...