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遺体争奪編

若き族長 1

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 後宮に近い休息所を出て、資料室の一つに行く。本来なら来客用の部屋にメルクリウスを案内するべきなのだろうが、どうせ来てもらったのなら話しておきたいことがある。そのための情報収集もその集積も先の男は十分に理解しているはずなので、その部屋に案内してくれているだろう。
 コンコン、と適当にノックをして返事を待たずにドアノブに手をかけた。
 ナギサとしては少し慣れないが、一応ナンバーツーとしてある程度こういった態度も取っていかないといけない。

「よし」

 小さな声で気合を入れた。

「ナギサさん!」

 が、行動に移す前に人懐っこい声がナギサを止めた。
 振り返ると、木蘭色の髪に姉とは違ってやわらかさの見える紅い目が後ろからやってくる。

「お久しぶりです、メルクリウス殿」

 メルクリウスが足を止めると、後ろにいたフェガロフォトが頭を下げて片膝をついた。

「お久しぶりです。ナギサさん、見ない間にまた格好良くなりました?」
「髪を切ったからではないでしょうか」
「いや、なんか、こう、顔つきが凛々しくなったというか、立ち方も綺麗ですし、覇気に満ちている感じですよ」
「ありがとうございます」

 さっきの姿のどこに満ちている感じがあったのかと思いながらも礼は言っておく。

「ここで話すのも何ですから、中に入りませんか?」
「そうしましょう」

 元気にメルクリウスが返事をした。ナギサが扉を開ける。彼女としてはメルクリウスに先にどうぞとしたのだが、メルクリウスとしてはナギサに先を譲ったつもりらしい。見合うような形になる。メルクリウスは、相変わらずニコニコとしていた。

「入らないの?」

 中からロルフの声が聞こえた。
 少し訝し気に思いながらも、ナギサは先に入った。メルクリウスの足音が続く。
 部屋の中ではロルフが立体地図に手を加えている所だった。

「午前中は、休んでいるんじゃなかったのか?」
「休んでるよ。これは趣味と実益を兼ねているのさ」

 ロルフが犬歯を見せながら笑った。
 あきれ顔を浮かべてから、ナギサは半身になりメルクリウスに顔を向ける。

「メルクリウス殿、こちらが私の同僚のロルフ・ガイエルです」
「よろしく。気軽にロルフって呼んでよ」

 からっとした笑みを浮かべて、ロルフがメルクリウスに手を伸ばした。

「メルクリウス・ベルスーズと申します。以後、お見知りおきを」

 メルクリウスも何も警戒せずに手を伸ばして握手を交わした。
 その間に、フェガロフォトが扉を閉めて入り口近くで空気に徹し始める。

「ベルスーズ、ってことはアレか。陛下の親族」
「一応、義弟です」
「義弟くんかー。若いなあ」
「若いけど、族長だよ」
「えっ」

 ロルフの黄色い目が大きくなる。

「いや、そんな大したものじゃないですよ。義兄上が傀儡を貸してくださったおかげで何とか失地回復と種族の糾合ができたようなものです。フェガロフォトやヴェンディも来てくれたのも大きいですね」
「大したものでしょ。こんな短期間で」

 余程興味がわいたのか、ロルフの瞳孔が大きくなっている。
 椅子を引いて座り、ロルフが近くの椅子をメルクリウスに手のひらでさした。メルクリウスが一言断ってから座る。

「どうやった?」

 ロルフが作っていた模型を避けて、別の模型を机の上に置いた。
 今度はメルクリウスの瞳孔が大きくなる番だ。

「ロルフさんは私たちの里に来たことがあるのですか?」

 しげしげとメルクリウスがロルフの手作りの地図を眺めている。

「ないよ。これは、フェガロフォトとかに聞いて再現してみたやつ。どう?」

 ナギサは、小さくため息を吐きながらも、陛下が来るまでは一時間あるのだからロルフに歓待をしてもらうかと、少し離れたところに椅子を引いて座った。

「すごいです。大きな違いはないですよ」
「で、どうやった?」

 ロルフはさらに駒が入った箱を取り出してメルクリウスの前に置いた。

「折角持ってきてもらって悪いのですが、行ったのは基本的にはゲリラ戦術です」

 メルクリウスが小さな駒を各地に散らばせていく。

「翼人族最大の部族は私の父が率いていたところ。そこが屑共にいの一番に潰され、小さな部族が慌てて降伏したものの認められずに殺されていたのがいわば反攻作戦前夜の状況です」
「降伏したのに殺されたのか?」

 ロルフが眉をしかめた。

「はい。人間共の作戦は一貫しています。先に頭を潰して、組織的な抵抗を抑止する。蛮族だとか言葉を理解するだけの原人だとか言ってる方もいますけど、少なくとも頭は私たちに文明があると知りながら虐殺を繰り返しているようです」
「そのくせ殺すか」
「降伏は認められないという認識が広がって翼人族の抵抗が激しくなったおかげで攻勢が止まったというのは、まあ、いいことでしょうか」

 メルクリウスが次いで少しだけ大きい駒を少し遠くに配置していった。最後に大駒を。山の外にもたくさん置いたことから、赤い駒は人間を示しているのだろう。

「できました。これが義兄上に助けを求めた直後の状況です」

 立ち上がって配置を行っていたメルクリウスに続いて、ロルフも立ちあがる。
 さっき座ったのに忙しいことだ、と思いつつもナギサも興味が湧いて近寄ってしまった。

「これらが辛うじて保っている部族です。大きいところは真っ先に標的になりましたので、残っていません。小さいのは、抵抗が出来なくなった結果散り散りになった集団。まあ、きっとまだまだいるとは思います」

 メルクリウスが翼を出し、自分の羽根を一本抜いて地図の端に置いた。

「ここが、最大戦力。途中で旅が終わりましたけれど、勇者になるべく旅立った一行がいます。火力兵力共に最大です」
「対翼人族の本拠地ってこと?」
「どちらかというと、しくじった時の後詰の意味合いがあったと思います。勇者一行が去った後に全軍投入すればすぐに残りの部族も蹴散らせたはずですから」
「どちらにせよ、前には来ないわけか」

 ロルフが羽根を手に取って、元の位置に戻した。

「少なくともすぐには。つまり、私たちがまず叩かなくてはいけなかったのはこの三部隊」

 海岸沿いに配備した駒と集合地から北に進んでいる駒。そしてその二つの中間地点にある駒二つで構成された山頂を陣取り黒い駒の多くを睨んでいるような駒を指した。

「配置だけ見れば取り囲めたのですけどね」

 メルクリウスが小さく息を吐いた。
 現実問題、逃げるように潜伏している者に連絡ができるはずもなく、逃げることに意識が行った集団は駒の上では有利でもそれとは関係なしに逃げ出してしまう。

「神狼族なら取り囲めますか?」

 メルクリウスがロルフにふった。
 ロルフが頷く。

「元々群れで動く種族だからね。散り散りになっても連絡する術はあるさ」
「なるほど。だから城下に神狼族が集まっていたんですね。義兄上の主戦力ですか?」
「だといいねえ」

 ロルフは笑って、地図上に手をやり、手のひらをメルクリウスに向けた。
 メルクリウスは駒を一つ手に取った。

「残念ながら翼人族はそんなことができないので、まずは地道に足で探しました」

 もう一本羽根を抜き、小刀を取り出して小さく切って駒の上に置いていく。

「連絡が取れた仲間はこれだけです」
「上手く散らばってるねえ」

 六個の駒は、東西は人間の部隊間の中点に、南北は真ん中の部隊をきっちりと挟んでいる。

「情報を集めさせて散らばせました。情報を収集して、駄目だったら逃げようと言えば協力してくれましたよ。たまたま逃げようとして捕らえられた翼人族の話も流れてきましたし。これは屑が手間を減らすために流した情報の可能性もありますけれど、弱り切った群は信じますからね」
「待って、これ、林道とかに近くない?」

 片手を挙げて話を止め、ロルフが言った。
 満足気にメルクリウスが頷く。

「はい。そこに移動してもらいました。これだけの軍勢を山中に置いておくには、台車や牛車などの車輪のある、道路を通る必要があるものが必要ですから。義兄上の軍勢が上陸したのと同時に」

 メルクリウスが駒を線ができるように切り開かれた場所へと移動させた。

「輸送部隊を襲撃しました。反撃があっても先鋒。しかもこちらのほとんどが防衛一方で中には交渉を試みている部族もいたぐらいですから大分気が緩んでいましたよ。まあ、あえてそれまで攻撃を控えていた面もありますけれど」

 道に動かした駒を今度は勾配の急な山間へと移動させている。掘り方的に、川がある場所だろう。

「次に、慎重な行動よりも速度を重視させて集合しました。屑共は自分たちが有利だと思っている驕りと、私たちが勝利によって慎重さが減ったと思ったのか予想通りに釣れましたよ」

 一つの大駒を二つの中くらいの駒に分けて、一つを黒い小さな駒に合わせて動かした。
 赤い駒は道中をくねらせて、やや遅く進軍する。

「武器弾薬、食糧。運ぶには切り開いた道を通るしかありませんが直線距離では繋がっておりませんから。身一つで動かざるを得ない私達とは速度が違います」

 黒い駒を集合させた後、赤い駒を近くまで持って行って止めた。

「で、度し難いことにこちらが軍備も何もなく、余裕で手柄が立てられると思っている馬鹿がいるので、先鋒に任じられている奴らはずるいと思った人がさらに来るんですよね。ま、金になるし自慢話になるからでしょうけど」

 メルクリウスがもう一つの中くらいの赤い駒を川まで進ませた。
 そして、海から中くらいの黒い駒を遡上させる。

「ま、でもやっぱり戦場では一番前に中々行きたがらないものですよね。しかも私たちは飛べますし。なら遠距離武装が中心で、攻撃をするには木々が邪魔だから身を晒さなきゃいけない。そこまで頑張ったのに止めを持って行かれたらそっちに手柄が移る。口火が切られるまではここで膠着するわけです」

 駒を二つ、崖の上で止めた。

「注目が集まっているこの状況で、義兄上の援軍が到着するわけです。小型船で五艘。普通に考えたら私たちが逃げられるだけの数。必然的に、逃げないようにと指揮官クラスの注意はここに行く」

 ナギサとロルフの注目が集まったところでメルクリウスが駒を弾いてひっくり返した。

「ここで、勇者一行の魔法使いヘクセ・カルカサールの姿を露にしたわけです。当然、人間の部隊の中で誰かが『勇者一行が寝返ったのか』と叫ぶわけです」

 言葉の途中で悦が入るのは、流石姉弟だなとナギサは思った。

「混乱する軍に、地形を変えるメテオを撃ち込めば、それだけで四散していきましたよ」

 赤い駒を適当に動かしながら、静かにメルクリウスが言った。

「第二段階は、追い打ちと追いはぎを行って、義兄上から貸してもらった感染傀儡を屑の陣に潜らせたんです。夜になったらかがり火を煌々と焚いて外への警戒はしていましたけど、中から襲わせて。裏切り者が出たと思ったところに遠くから矢を射かけるだけで持ち場を離れるものもいましたから、その間に傀儡は撤退してもらいました」

 メルクリウスが黒い駒を引かせた。今度は道からも少し距離がある。

「勇者一行の一人が敵にいる。誰かがこの状況で裏切ったかもしれない。しかもこれだけの数が集まっていれば気に喰わない人や対立だってある。怪しい人には事欠かない。危機感のない阿呆は、ライバルを追い落とす材料にし始める」

 メルクリウスが駒を動かす手を止めた。

「最終局面。我が同胞に号令をかける。『セス・サグラーニイ殿下が仇を取って王に即位した。王妃は我が姉で、我は翼人族をまとめるようにと仰せつかった。友好の証として援軍が来ている。参陣したい者は手土産を持って参れ。第一功は、仕官クラスの首』。そう、流布しました。部族で抵抗をしているところには使いを出しましたけどね」
「メテオの破壊痕と動きの変わった軍隊があれば勝ち馬に乗れる可能性が見えるわけか」

 軽く握った右手を口元にあて、ナギサは呟いた。
 ロルフが笑って口を開ける。

「それだけじゃないよ。少し頭が回る者ならその前にベルスーズが輸送隊を襲っていたこともわかるし、さっさと襲わないと人間に警戒されるともわかる。だから、さくっと襲うはずさ。距離がある人は別の隊へと行く輸送隊をね。あるいは、乗り遅れた者を待って糾合して手柄を挙げるものも出てくる。簡単に組織の土台を作れちゃうって寸法。でしょ?」
「ご名答です」

 メルクリウスがロルフの言葉を認める。

「両翼の軍から使者が来ても、敵か味方かを一度疑ってしまうわけですから、伝達もうまく行かなくなります。その間に糾合を進めて、ヘクセ・カルカサールの一撃を持って開戦とする。傀儡の一団には人間と同じ装備を着せて向かわせれば恐怖心で逃げ出す者が出てくる。これだけの数が集まれば、一部が逃げ出しただけでも相当な数に見えるでしょう。戦いにはなりませんよ。僧侶系がいないことは集まるのを待っている間に調べてありましたし」
「あ、そっか。落ち武者狩りで逃げる奴らを狩れば手土産になるからさらに集まるのか」

 ロルフがぽん、と膝を打った。

「はい。両翼もこれで敵陣に取り残された形になるわけですから。しかもその頃には皆様が勇者一行に勝ったことが伝わっておりますし、補給路も狙われていると理解している。少しでも頭があるなら前線を引いて後詰を待ちますよね。だから、こちらは糾合した集団で砦を築いて敵襲に備えればいいだけ。もちろん、集まらなかった部族もありますけど、そこに兵を割くだけの余裕はないですからね。放置しています」
「聞くだけなら簡単そうに聞こえるけど、実際によく実行できたね」

 しかも敗軍で。とロルフの言葉に続いているような気がナギサにはした。
 メルクリウスが人懐っこい笑みを浮かべる。

「これも全て義兄上を始めとする皆様のおかげです。あの傀儡の破壊力が無ければ鮮やかに勝ちを収めることができませんでしたし、フェガロフォトらが上手く川まで来てくれなければあそこでみんな死んでました。それに、勇者一行の敗北、行方不明が与えた影響は両軍ともに甚大ですから」
「上手い事言うなあ」

 ロルフが楽しそうに笑った。
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