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遺体争奪編

良くない報告 2

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 二人は会話を中断したまま、足音の主が来るか、去るのを待つ。足音の主は近づいてきたようで、後ろの窓が開いた。メゼスがチーズケーキを手に顔をのぞかせる。

「大きな声したけど、だいじょーぶぅ?」
「ああ、心配ない」

 メゼスの翡翠の目がロルフの黄色い目とあった。

「おかえりー。チーズケーキ作って待ってたよぉ」
「いやー、ありがたいねえ」

 ロルフが歯を見せて笑った。

「今、ナイフとフォークと皿もってくるねー」

 チーズケーキを置いて、メゼスが戻って行った。
 ロルフがナギサを見る。それだけで何が言いたいのかがナギサには伝わった。

「アファナーン殿は、本人曰くお試しでまずは一年間四天王をやるそうだ」
「お、おう? 成功? ってことか?」
「……一応」
「まあいいや。俺が探しているのは知っているはずなのに隠れたってことは、アラクネの野郎も何か思うところがあるわけだろ。博物館に陛下の遺体があるのはほぼ確定だし、狙ってるってこともありうる。どっちみち、放っておけば翼人族が無駄な戦いをする羽目になるのは確実だ。かく乱戦法が効くとは言えノガが大軍になれば味方の動きが鈍くなる」

 ナギサが眉間に手を当てた。もみほぐすように動かして、ゆっくりと呼吸をする。
 鳥がさえずっている声が良く聞こえるようになった。

(狙いはメルクリウスか、陛下か。メルクリウスをやって陛下をおびき出すか。なら、私とロルフがミュゼルに行くのも愚策?)

 足音が聞こえ、甘い香りがナギサの鼻をくすぐった。

「おまたせー」

 メゼスが皿を置いた。配って、ホールケーキを三等分する。流石の量に驚いたのか、ロルフの目が大きくなって、メゼスを見た。ノリノリで鼻歌を歌っている。次いで、ロルフがナギサを見た。ナギサは首を振る。ロルフの瞳だけがメゼスを見た。

「難しいことにも疲れにも甘いものだよねー」

 手のひらほどの高さと、手のひらほどの横幅のあるチーズケーキがそれぞれの前に置かれた。フォークもついてきて、最後に紅茶が淹れられる。

「じゃ、いただきまーす。遠慮しないでねー」

 メゼスが大きくチーズケーキを切り取り、丸く口を開けて頬張った。目を閉じて、んー、と言いながら頬に手を当て悦に浸っている。今にも足が小躍りしそうな雰囲気だ。
 メゼスの、ロルフと比べると細い手から、ロルフの腕より太い瓶が現れた。中身は濃い青紫色だ。

「ジャムもあるよー。甘さが足りなかったり変化が欲しかったらどうぞー」

 スプーンは体にしまわなかったのか、普通に先程の皿の上にある。そこはきちんと受け取る側の感情を考えているのだろう。

「どうも?」

 ロルフがフォークをチーズケーキに入れる。少しだけ凹み、音も無く裂けていく。かつん、と皿にあたり小さな音を立ててからロルフが持ち上げた。鋭い犬歯が見える。そのまま口の中へ。何度か咀嚼しているうちに、ロルフの顔が明るくなっていった。

「美味いよ! 甘すぎないのがいいね」

 興奮した様子でロルフがメゼスを見た。
 褒められてうれしいのか、メゼスもニコニコだ。

「でしょー。上手くできたんだぁ」
「この味でも良いけど、ジャムも試したくなるのがいい。クノヘも食べてみなよ。嵌るって」

 ナギサは曖昧な笑顔を作りつつ、チーズケーキにフォークを伸ばした。小さく削り取り、口に入れる。ほろりと、口の中で溶けていった。仄かな柑橘類の香りと口に残りすぎない後味がいい塩梅だ。

「おいしい……」
「でしょぉ。クノヘさんの好みを探りながら作ったんだあ」

 何時の間に、と思うもののナギサが滞在していた時間はもう長くなっている。それこそ、実家が近い学生の帰省期間より長いかも知れない。その間の料理は全てメゼスが作っている。ならば、やろうと思えば把握もできるのかもしれなかった。

「そう言えばさあ、シルヴェンヌ・サグラーニイのスカートは今も短いの?」

 ロルフがむせる。
 ナギサはジトっとした目をロルフに向けてから、メゼスにいつもの顔を向けた。

「短いが、どうかしたのか?」
「王妃様なのになあって。あの性癖を捻じ曲げるような太腿とか膝とかふくらはぎを晒すのってどうなのかなって少し思っちゃってねー」
「言われてみれば、あんまり御妃様って感じじゃないねえ。なんか有無を言わさぬ威圧みたいなもので当然な雰囲気があるけど。何で?」

 ロルフが首をナギサに向けた。

「何故当たり前のように私に聞く」
「知ってる可能性があるならクノヘかなって。ねえ」
「だよねえー」

 ロルフが水を向けると、メゼスもロルフに向いて頷いた。

「いつの間に仲良くなったんだ」
「一晩あればなれるなれる」

 最初の日、メゼスはすぐに寝ている。だから話などしていないはずだ。
 とは流石に、ナギサは口にはしなかった。

「それを知ってどうする」
「親しみを覚えるかなー。仕える相手になるわけだし、これまで通り呼び捨てじゃあだめでしょ?」

 言葉にした後、メゼスがチーズケーキを口に入れた。メゼスの手元の分は、もう半分以上消えている。

「…………陛下が、幼い頃、顔を褒めるのはどうかと思ってどこを褒めようかと思った時に足を褒めてからだ。王妃様は、それからずっと足を露出している」

(言っても良かったのだろうか)

 反応が怖くて、もしこれで陛下の威厳が落ちたらと思うとナギサは時を巻き戻したくなった。もちろん、そんなことはできないのだが。
 僅かな衣擦れの音がナギサの耳に届く。

「ねえメゼス。砂糖追加した?」
「いや」
「一気に甘くなったなあって思ってさあ」

 ニマニマしながらロルフが紅茶を飲んだ。
 ナギサは遠慮なく眼光を鋭くして、ロルフを睨む。ロルフが肩をすくめて、おどけた様子でメゼスを見た。メゼスも口元を緩めながら、残りのチーズケーキを口に運ぶ。

「言っておくが、昔の話だ。今の陛下が同じ行動を取るとは限らない」
「でも、シルヴェンヌ・サグラーニイはずっと陛下のために魅惑の足を出しているわけでしょ。十分おいしい話だよー」

 甘いものは何でも大好きだからねー、と気の抜けた声で言ってメゼスはチーズケーキを食べつくした。

「そうか」
「うん。そういうのってよく見れる?」
「仲いいなってのはよく」

 ロルフが答えた。
 メゼスがクッキーを取り出して、満面の笑みでジャムを塗る。

「ますます行きたくなったよー」

 ナギサは吐きたくなったため息を虚空に消した。
(自分と王妃様の仲も計算に入れていたとすれば、陛下もとんだお方になったものだ)
 視線を彷徨わせてから、チーズケーキに戻して食べる。
 悔しいが、落ち着く。

「それは良かった。ああ、そうだ、お菓子の作り方を教えてもらってもいい? うちのチビが食べれるくらいになったら作ってみたいんだ」
「もちろん。何なら、作りに行く?」
「頼む。あ、でも先に教えてもらっていい? 一応手紙で作り方は送っておこうかと思って」
「そう? じゃあ紙に起こしてくるねー」

 メゼスが立ち上がる。
 ロルフが体をメゼスの方に倒し、右手に重心がある状態になった。

「悪いねえ。ちなみに、手紙を送るのにアルケミーゲルの船を使うのは可能かい?」

 メゼスが首を傾けて、んー、とかわいらしい唸り声を上げた。

「大丈夫じゃないかなあ」
「じゃ、よろしく」

 ロルフが手を振った。メゼスが家の中に戻って行く。
 ナギサが口を開く前に、ロルフの顔が真剣なものになった。目は、展開したままの地図に向いている。

「クノヘ、ミュゼルに行こう」

 紅唐の石を二つ、ロルフがチッタァ・ハブルからミュゼルに動かした。

「……わざわざ罠だらけと予想されるところにか?」
「メルクリウスをむざむざ罠に掛けるわけにもいかないでしょ。幸いなことに、こちらは数が少ないから陽動は本当に一撃離脱しかできない。神狼族を一人ずつで行動させて、精鋭を散らしている隙に博物館に接近。奪い取ってすぐに逃げる」

 ロルフが新たな地図を取り出した。いや、これは見取り図と言うべきだろう。博物館の構造、監視物の位置、階の移動方法、戦闘に仕えそうな場所が書かれている。

「街での分散については既に何度もシミュレーションして伝えてある。軍は上手く分散できるはず。問題は、勇者の成りそこないはきっと動かない事。博物館の近くか、遺体の近くに居るだろうね」
「構成は?」
「女性の槍使いが主軸。それに盗賊まがいの技巧派前衛、神官、魔法使い。後衛二人は基本支援型。ヘクセのような馬鹿火力があるわけじゃない。強化を重ねた槍使いが押し留め、盗賊が時折意識を逸らす。完全に槍使いを中心に添えた戦い方さ」
「なるほど」
「ちなみに、生きて帰れたものは少ないから詳しい戦略はわからないよっていうね」
「……でも、初戦を捨てての戦いはできない。だろ?」

 ロルフが頷いた。

「最高は先王の遺体を回収してチッタァ・ハブルに帰還すること。最低限は二人とも生き残る。他の目標は、相手の戦力を知ること、力を見せること、アラクネと接触することって感じかねえ」

 ナギサは唇に手をなぞらせつつ、地図を見た。
 黒い石は多く、それ以外の石は明らかに少ない。チッタァ・ハブルからミュゼルへと通じる道は細道が多く、大軍を運用するなら海からになるだろうか。ただし、クラーケンとの戦いで鉄甲船が一隻修理中。戦艦は一隻沈んでいる。ミュゼルの駐屯兵力は限界まで減らしているから、カウンターは厳しいだろう。メルクリウスが攻め込んでしまえばこうも行かなくなる。それに、ここで失敗したとしても翼人族に慎重論がでるなら無駄ではない。

「決めたのなら、漏れる前にか」
「だね」

 ぱたぱたぱた、とメゼスが新たなお菓子を手に戻ってくるのが見える。
 二人はメゼスがひとしきりお菓子を振舞うのを待ってから、詳しく計画を詰めだした。
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