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北方遠征編

この手で殺したかったから

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 匂いの後、影が見える。

 本来なら陽動代わりの戦場で指揮を執っているはずのスパイトフルだと、近くで匂いの嗅いだことのあるロルフは分かった。ピレアもだろう。

 ただし、遠くからしか見たことがないカーサとレジダンスはわかってはいない。雰囲気から、察しただけのようだ。
 レジダンスがロルフのすぐ横に来る。

「ご本人登場とは、流石ですね」
「戦闘能力の高い王妃様を確実に殺さなきゃ何も得られないからねえ。部下任せにはできないでしょ」

 失敗したら、例えスパイトフル本人が絡んでいる証拠が出てこなくてもそう見なされる。
 不遇派、何て言って体制に文句を言って反乱をするような奴が、確実に悪化する状況に我慢できるはずがない。ならば、前に出てくる。
 そして、ロルフの予想通りに出てきた。

「待ちますか?」

 証拠を押さえるまで、だろう。
 怒りに満ちているはずなのに、レジダンスが静かにロルフに聞いてきた。カーサは、既に抜刀している。

「良いよ。ステラクラスとスパイトフルがにらみ合うから、二人がナンバーツーで良かったわけだからねえ。ナンバーツーにしなきゃいけないけれど厄介なだけの存在は、立証できる前に殺しても闘牙族から文句は出ないでしょ」

 後ろにいるピレアに頷いて、ロルフは上から飛び降りた。

 スパイトフルの眼の前に出る。
 向こうは十全、こちらは全然回復していない。ロルフは怪我こそないが魔力量的にはまだ三割ほど。一方のカーサとレジダンスの魔力はほぼ回復しているが、メゼスの治療を持っても大きな傷は軽傷として残っている。長引いた闘いの疲れも依然として体を重くしているであろう。

「工作に行ったのではありませんでしたか?」

 スパイトフルが立ち止まった。後ろの十二人も立ち止まる。

「そっちこそ、指揮を執らなくて良いの? あるいはさっさと人間に逃げ込むとかね。ああ、家族を回収しないと逃げられないのか」
「家族? 私の家族は、人間に殺されましたが?」
「ああ。だからか。まだ首が送られてこないのは。お金は使ったのに、アレイスターは裏切り者に優しいなって思ったら」

 そんなことは依頼していないのだが。

「キサマ……」

 スパイトフルが眼光を鋭くした。注意すれば、声に魔力が籠められていることがわかる。

「奥義、完全解放!」
「奥義、完全解放」

 スパイトフルの叫びとロルフの声が重なる。

 闘牙族は解放状態になった時に、一度体を見せるような間がある。決闘の時も、咆哮をかけたステラクラスも、扇動したレオニクスも。

 その隙があると信じ、ロルフは変化の終わらぬうちに跳んだ。
 スパイトフルの反応が遅れる。白い毛で覆われた首に噛みついた。そのまま持ち上げ、首を噛んだまま地面に叩きつける。

「キサマに」

 スパイトフルの言葉の途中で、ロルフは回し蹴りをかました。スパイトフルが頭から吹っ飛び、崖に当たる。砂や小石がスパイトフルに降りかかった。毛に、たっぷりと染みわたる。

「男前になったねえ」

 ロルフとスパイトフルの奥では、カーサとレジダンスが狭い通路を利用して闘牙族を足止めしている。
 スパイトフルが起き上がった。ロルフが自慢の脚力で跳び上がって、鼻っ面に膝を埋める。

「沼地に引き倒して窒息させる戦法が有効だったってことは、体の上部を狙えば地面には叩きつけられるわけだ」

 体勢の崩れたスパイトフルの頭を、崖を大きく二歩かけ上げって掴む。三歩目の蹴りと自身の落下でもって地面にスパイトフルの頭を叩きつけた。

 押さえ続けるには力の差があるため、ロルフが飛び退く。スパイトフルが起き上がった。
手には長剣。魔力が多分に籠っており、その全てが相手の武器を絡めとるように渦巻いている。

 一撃を当てれば、そのまま魔力で押さえつけて、闘牙族の力でもって押し切る戦法だろうとロルフはあたりをつけた。腰の入らない攻撃なら、闘牙族の皮膚で防げる。

 スパイトフルが両手で剣を握った。大上段に構え、振り下ろしてくる。
 ロルフは手を前に出した。氷の盾(スヴェル)が大きくなり、防ぐ。ロルフの膝がわずかに沈んだ。籠められた冷気が巻き取られ、一気にスパイトフルを冷やす。

「ま、相性が悪かったねえ」

 残り少ない魔力をかき集め、ロルフがスヴェルの力を解放した。カーサとレジダンスが崖を駆けあがる。闘牙族を逃がさないように、氷が闘牙族の腰から下を凍らせた。

 ただでさえ少なかった魔力が一気に持って行かれ、ロルフもよろめくように倒れる。スヴェルだけは何とか奪い返したが、腹をスパイトフルに晒す形になった。

「この程度の氷で私たちを捕まえられると思っていたのですか?」

 スパイトフルが氷に剣を当てる。魔力の動きが変わり、ドリルのように氷を砕き始めた。

「いんや、思ってないさ」

 スパイトフルが眉を寄せる。
 崖の上から、ピレアが飛び降りた。夜の闇の中で槍を構える。

「我が名誉、この槍と共に。我が栄光、この槍と共に。我が仲間(とも)、この槍と共に。仲間(とも)が魂、この槍と共に」

 ピレアが着地した。スパイトフルの顔に焦りが浮かぶ。発光したピレアの魔力が冷や汗を照らす。

「直線上に入って動きが取れなければねえ」

 ロルフは座り込みながら、のんびりと言った。

「穿て! 我らが美酒のために!」

 ピレアの特大の魔力が籠った槍が放たれた。
 膨大な光量が視界を消し飛ばし、小道を拡張する。

「あなた方に、謝る気はありません」

 ピレアがまっすぐに光線の軌跡を見ながら言い放った。
 夜の闇がゆっくりと戻ってきて、辺りを元に戻す。氷も無くなり、闘牙族が地に伏している。ただ一人、スパイトフルだけは白い毛を散り散りにしながらも立っていた。
 ピレアが頭上で大きく槍を回し、魔力を籠める。

「無策で二度目など撃たせませんよ」

 スパイトフルが剣を振り上げた。
 ピレアが溜めきらないまま、異常に輝く光輪を放つ。スパイトフルが光輪を自身の目の前で砕いた。

「視界を防ぐような戦いはお勧めできないよ」

 ロルフが落ち着いて言う。
 スパイトフルが理解する前に、カーサとレジダンスがスパイトフルの脇から剣を突き刺した。

「な、に……?」
「マリクとマリータの仇」

 カーサが低い声を出した。

「一度しかお前が死ねないのが残念だ」

 レジダンスが言いながら、剣を引き抜いた。ロルフは道中にセスから預かったフロッティを元の大きさに戻し、投げる。カーサが受け取った。

「イリアス・ヘネラールの遺品が一つ。刺突に高い性能を示す剣(フロッティ)ならば、俺らでもお前の首を刎ねられる」

 レジダンスの手もカーサの手と共に柄に重なって、スパイトフルの首に振り下ろした。

 脊椎が断ち切られ、地面に血が広がる。

 カーサが引き抜き、右側を断ち切った。レジダンスにフロッティが渡り、左側を切り離す。
 ピレアが槍を振るって残りの闘牙族に止めを刺しに行った。カーサとレジダンスもフロッティを交互に持ってそれに参加する。

「さて、刎ねた首は杭に刺して高々と掲げないとねえ。スパイトフルとその配下は体も磔にして見せしめにしないといけないか。あ、もちろん死体は丁寧に扱ってねえ」

 よいしょ、とロルフは立ちあがった。

「陛下の傀儡にしなきゃいけないんだからさ」

 ロルフはスパイトフルの剣を断面から生首に突き刺した。
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