上 下
106 / 116
反乱鎮圧編

母親 3

しおりを挟む
「申してみよ」

 抑揚のない声でセスは言った。
 バリエンテの頭が一度、大きく下がる。

「陛下の言うこと、御尤もなれども子に親として接してもらえぬ親ほど悲しい存在もおりません。此度は久々の再会ゆえ、感情に歯止めが効かずにこのような次第になったまでと思われます。また、親殺し弟殺しと言うのはいつも以上に気を遣わねばなりません。どうか、陛下のご寛大な御心を我らアラクネにも分けて頂ければ幸いにございます」

 セスとしても、エルモソとプロディエルを殺す気はなかった。
 だが、このまま生かしておいても良いかと言うと、良くはないという思いを固くしてしまっている。

「アラクネとしましても、陛下の決定を待たずの行動ではありますが、忠誠の証として血の涙を呑んで裁定を下しております。筆頭殿の思いに比べれば些細なものかもしれませんが、我らにとっては身を引き裂かれるような思いをして下した決定にございます」

 武人らしい大きな声で、バリエンテが言い切った。
 彼の頭が少しだけプロディエルの方にいく。反対側に居るゼグロも、遅れて顔を上げてプロディエルを見た。

 それだけで、二人がプロディエルの発言に繋げたいと思っていることが、セスにも理解できた。最初の一言以外、ずっと下を向いて固まっているプロディエルに、主君としての仕事をという思いが理解できた。

 だが、プロディエルに動きはない。

(コレには、玉座を任せられぬな)

 暗澹たる気持ちが、より濃くなる。

 目を閉じて、ため息とともにセスは言葉を紡ぐことにした。

「プロディエル。どのような裁定を下したのだ?」
「は。種族の長たる我が祖父の首を陛下に捧げることにいたしました。長い間アラクネをまとめ上げた者ですので、影響は大きいですが、生まれ変わる意味でも致し方なしと。ご自身で腹を召されました」

 扉の方に目をやっても、プロディエルに目をやっても首が運ばれてくる様子はない。

「証拠は?」

 セスは、なんだか虚しくなってきた。
 何故助け舟を出し続けているのか。何故、こうなるのか。


 何故、母はそれでも弟の方が良いと言い切れるのか。


「は。ただいま」

 プロディエルの声の後に、アラクネが一人、木桶を抱えてやってきた。セスに近づく前に、ロルフが鞘に入ったままの大剣を出してアラクネを止める。アラクネが戸惑ったように目を左右に動かした。

「何の真似です?」

 エルモソが言う。

「いやあ、あんな態度を見せられたらねえ。それに何かを仕掛けてんじゃないかって思うのも当然でしょ?」

 ロルフがからからと笑いながら威嚇した。

「つーわけで、はい」

 儀礼を無視してロルフが軽やかにアラクネに近づき、木桶を開けた。中から出て来たのは、すっかり土気色に変わった年配の男性の顔。

「マサトキ」

 セスが呼ぶと、ゆっくりとマサトキが立ち上がった。
「おおくさい」などとわざとらしく言いながら生首に近づき、目を細める。

「ええ。間違いなくファーディフィーロ殿です。残留魔力も、見覚えがあります」
「そうか。ご苦労」

 マサトキが慇懃に頭を下げて、ゆっくりと下がって行った。
 帰り道も扇を小さく動かして、臭いを払っているようである。

「胴体はどこかの?」
「え?」
「既にアラクネの風習に従い、埋葬いたしました」

 プロディエルの間抜け声を覆い隠すように、ゼグロがフォローを入れた。
 セスは、初めて本当にため息を吐き出す。

「首だけでは何の役にも立つまい。かといって、来た道を引き返させるのも忍びないの。……うむ。首はきちんと埋葬しよう」

 セスは左手で従者に払う仕草を見せた。
 頭を下げていそいそと従者が部屋から出て行く。

「我らのことをきちんと調べているようだったからの。ならば、体全部ある方が重要だとわかっておらぬはずがあるまい。わざと隠すとは、なるほどの。それがアラクネのやり方か」

 それを見届けて、セスはゆっくりと玉座へと続く階段を上がった。

「のう、エルモソ」

 玉座に座ると、実質的な支配者に水を向けた。
 母と名乗るなら、息子の能力ぐらい知っておけ、という思いも含まれている。

「母を愚弄するのが貴方のやり方ですか、セス」

 エルモソが、今日一番の低い声を出した。
 ありありと、気に喰わないという感情が見て取れる。

 先程のプロディエルとのやり取りも気に喰わなかったのだろう。完全に、プロディエルが下で、セスに案内されてようやくという様子だったのだから。

「貴男なんて産まなきゃよかった」

 真っすぐにセスを見て、エルモソが言い放った。
 動き出す従者が見えたと思ったら、すぐに視界を白い手が横切る。次いで、温い衝撃。シルヴェンヌの匂い。
 セスに寄り掛かるように、シルヴェンヌが倒れ掛かってきたのはすぐにわかった。

「シル?」

 感情の抜けたセスの声が零れた。

 ニチーダが心配そうに手を口に当てて体を横にふらふらさせだし、ナギサが玉座を駆け上がる。ロルフはアラクネを睨んで抜刀し、メゼスが杖を取り出し、分身体を従者達の近くに登場させた。

「申し訳ありません。少し、疲れてしまいまして……」

 シルヴェンヌが荒い息と共に言った。
 体温は、常と変わらない。

「私が、寝室までお送りいたしましょうか」

 ナギサが片膝をついて提案した。
 後ろではニチーダが文字通り胸をなでおろしており、メゼスの粘体が消えていた。
 ロルフは抜刀したまま、ピレアも槍を構えている。

「お断りいたします。わたくしは、セス様と一緒にいたいので」

 前半は毅然と、後半は甘える声をシルヴェンヌが出した。
 ナギサの眉間にしわが寄る。怒りではなく、探り、疑問に近い。

 やがて、納得したのか、涼しい顔に戻った。

「かしこまりました。陛下、精神状態も大きく影響すると言いますので、一度開いては如何でしょうか。何、謝罪に来たのかと思いきや喧嘩を売りに来た者などに貴重な陛下の時間を割くよりは有意気でしょう」

 セスも少し考えてから、口を開く。

「うむ。では、そうするとしよう。皆の者、忙しい中、わざわざ時間を作ってもらってすまなかったな。アラクネの処罰は、詳しくは追って話す。少なくとも、先の戦争で消費した全部族の金品は、アラクネに負担してもらうからの。そのつもりでいるように」

 そこまで言ってから、セスはシルヴェンヌを抱きかかえるように立ち上がった。

「後のことはナギサに任せる。基本は皆で決めた通りにだが、ある程度の裁量はそなたに任せる。好きにせよ」
「かしこまりました」

 ナギサが頭を下げた。
 それからゆっくりと立ち上がり、セスについて扉まで行くと、先に扉に手をかけて開けた。

 セスが廊下に出る。

「それから」

 ここまである程度部屋にも聞こえる声で言ってから、セスはナギサを手招きした。
 ナギサが近づく。
 セスは口元を隠すようにしてから、ナギサの耳に口を近づけた。

「バリエンテに、『そなたの命を懸け、名を汚してまで主君を護る態度、非常にあっぱれである。そなたの心意気に免じて、此度は主君としてプロディエルを戴くアラクネを許そう』と伝えておけ。何、感じ入ったのは本当だしの」
「かしこまりました」

 ナギサが綺麗にお辞儀をしてから、下がっていった。扉が閉まる。

 駆け寄ってきたナリズマを手だけで制してから、ゆっくりと歩き出した。シルヴェンヌはセスに寄り掛かったまま。セスも何も言わず、のろのろと歩き続け、ついには寝室が見える位置まで来た。

「そろそろ、良いのではないか?」
「気分が悪いのは事実ですよ?」

 けろりとした様子で、シルヴェンヌが言った。
 体調が、ではなく、あの謁見の場での出来事が、だろう。

「シルにしては、静かだったの」

 気にしていないというアピールのために、セスは冗談交じりに口にした。
 寝室の扉を開ける。

「セス様はわたくしのことを何だと思っているのですか」

 シルヴェンヌが、心外だ、とでも言うように頬を膨らませる。

「いや、シルに気を遣わせてしまったなと思うての。我の母親故、黙っていたのなら随分と我慢を強いてしまったのではないか?」

 セスはベッドにシルヴェンヌを座らせた。自身は座らず、最近はめっきりと減る量が少なくなった水差しへと近づき、コップに水を注ぐ。

「わたくしが、我慢強いと思っているのですか?」
「時と場合によってはの」

 セスは水をシルヴェンヌに渡した。
 シルヴェンヌがわずかに横にずれる。

「座って下さいませ」

 少し迷ったが、セスはシルヴェンヌの勧めに従って座ることにした。
 すぐさまシルヴェンヌの手が伸びて、セスを包み込む。純白の翼も出したようで、セスがすっかりシルヴェンヌの懐に治まる形になった。

「シル、何を」
「私は、何があってもセス様のお傍におります」

 強く、少し痛いくらいにシルヴェンヌに抱き寄せられた。
 前のめりに近い形になったセスの頭に、シルヴェンヌの頬が乗る。

「シル?」
「私は、あの女は好きではありません。ですが、セス様を産んで下さったことだけには感謝しております。これまでも、もう二度と味わいたくないこともたくさんありましたが、何か一つでも欠ければセス様とこうして一緒に居られることがなくなるかもしれないと思えば、やり直したいと思うこともございません」

「どうしたのだ?」

「あの女の言うことを、セス様が気にする必要はありません。私が、ずっと、セス様のお傍におります」

 背中に回された力は弱まったが、その分、セスとシルヴェンヌが密着するような形になった。

「気にしてはおらぬ」
「ならば、しばらくこのままで……」

 翼が優しくセスを包み込んだ。
 顔を上げようにもシルヴェンヌに押さえられており、直にシルヴェンヌの温もりが伝わってきている。

「大丈夫ですよ。私は、セス様をいつまでも愛しておりますから」

 落ち着く匂いと、心地よい声に、セスは瞼が重くなっていくのを感じた。

 安らいだ結果、張り詰めていた緊張の糸が緩んだのだろう。

 北部から休まずに南部に行き、西部も睨みながら足元の改革も進めなくてはいけなかった。

(少しくらいなら、休んでもよかろう)

 一時間か、二時間くらいならば。
 そう思い、セスは心の声に従うように瞼を閉じた。
しおりを挟む

処理中です...