3 / 50
第一章
第三話 魔王、転生に気がつく
しおりを挟む
ガサッと足音がする。
自慢の尻尾を切断されたマンティコアが、怒りの表情でゆっくりと青年に近づいてきた。
やや距離をとりつつ、前脚で青年を弾くように蹴る。
青年は、何の反応も返さない。
もはやこれ以上の抵抗が無いことを確かめると、マンティコアは嘲り笑うように口を歪める。
そして、その巨大な顎門を存分に開いた。
青年に近づき、その首筋目掛けて、勢いよく牙を突き立てようとした……
その瞬間。
マンティコアは全身の毛を一気に逆立て、その場から大きく飛び退いた。
直前の態度から一変。
警戒する猫のように身体を小さくし、腰を低く落として身構えるが、その四肢は目に見えて震えている。
マンティコアが感じたのは、強大な魔物の気配。
自分が絶対に敵わないと確信できる、遥かに格上の相手。
「狩る」「狩られる」ではなく、自分が一方的に消しとばされる虫ケラのような立場にあることを、今、マンティコアは全身の感覚で理解していた。
「貴様……」
目の前にいるその存在は、どうやらすごく怒っている様子だった。
先般出会った時とは、比較にならないほどに。
「少し、調子に乗りすぎじゃなぁ……?」
エリスの周囲に、黒い瘴気が立ち上る。
マンティコアの戦意は、すでにカケラも残さず吹き飛んでいた。
なんらタイミングを計ることなくエリスに背を見せると、脱兎の如く一目散に逃亡を試みた。
「魔王から逃げられると思うてか?愚か者め」
エリスが右腕をマンティコアの背に向けて振り上げる。
瘴気が手のひらで渦を巻き、一切の光の反射を許さない漆黒の球体が姿を現す。
「【魔瘴裂空禍】」
最終詠唱のみで放たれた黒球は、触れるもの全てを削り取り、分解し、消滅させながら、超音速で猛進していく。
万物を抵抗無く抉るそれは、巻き起こす甚大な被害とは裏腹に一切音を生じさせず、それ故にマンティコアが何かを感じ振り返った時、黒い絶望はすでに視界いっぱいを包み込んでいた。
森の主の断末魔をも呑み込み、黒球はそのまま深い森の奥へと消えていった。
「……ふん」
エリスは、森に穿たれた巨大な筒状の空間を興味なさげに一瞥する。
そして、自分の足元で動かない青年騎士を見下ろした。
切り落とした腕と、腹に開けられた傷口からは絶え間なく血が流れ出しており、もう間も無く、この青年は死ぬだろう。
その様子を眺めながら、エリスは少しバツが悪い表情をした。
――気まぐれじゃ。ただの、気まぐれ。
エリスが、青年の身体の上に手をかざす。
手のひらからは、先ほどとはうって変わって穏やかな気配が溢れ出す。
――ちっ。慣れぬ魔法は加減がわからぬ。こんなものか?このぐらいか?
手のひらからは溢れる気配はやがて光の粒となり、青年の身体を包み込む。
近くに落ちていた青年の腕がふわりと浮かび、ゆっくりと元あった場所へと還っていく。
腹部の傷は何事もなかったかのように修復され、さらには全身から毒が消え去っていった。
人間のヒーラーが見たら、例えその人間が大司祭クラスだったとしても驚愕のあまり卒倒するであろう、純然たる『完全回復』であった。
青年の指先が、ぴくりと動く。
その様子を見てエリスは腕を下ろした。
――さて。こやつの仲間が集まって来てもつまらぬ。さっさと姿を隠すとするか。
エリスは最後に青年を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らす。
そしてくるりと踵を返した……のだったが。
「……はれ?」
エリスの視界が、何の前触れもなく突如ぐるぐると回りだす。
その速度はどんどん上がり、今、自分が立っているのか倒れているのか、すぐにわからなくなった。
――!?これは……!
エリスは、かつて一度だけ、この現象を経験した。生まれたばかりの頃に、ただ一度だけ。
――まさか、魔力枯渇!?バカな、このわらわが、魔王たるわらわが、たかが二度魔法を使っただけで魔力枯渇じゃと……!?
エリスの必死の抵抗虚しく、エリスの視界と意識はますます混沌の度合いを深め、次第に全てが白く塗りつぶされていって……。
そしてエリスは、気を失った。
◆◆◆
……目が覚めると、そこはよく見知った空間だった。
天蓋付きの、ふかふかのベッドの上。お気に入りの花の刺繍が入った枕は、頭を優しくすっぽりと包み込んでくれている。
少し顔を横に倒すと、ベッドを囲うカーテンの隙間から、木製の大きな棚が見えた。
綺麗な調度品が、いくつも並んでいる。
小さい頃、今は亡き母親から貰った人形も、そこにちょこんと座っていた。
実に十五年もの間、慣れ親しんだ部屋。
ほっと息を吐く。……少し、悪い夢を見ていたようだ。
寝巻き姿のエリスは、ゆっくりと身体を起こすと、片手で寝ぼけ眼を擦り擦り、うーん、と伸びをした。
サイドテーブルに置かれた呼び鈴に目を遣る。
寝起きに、温かい紅茶でも貰おうかしら……。ぼんやりとそんなことを考え、手を伸ばしたところで、
――いやいやいやいや!?なにを自然体にやっておるのじゃ!?
エリスは突然覚醒した。
――こ、ここはどこじゃ?いや、ここはわらわの部屋で、昔から使ってて、って、なんでそんな記憶があるのじゃ!?わらわは魔王ぞ!?こんなお嬢様趣味の部屋で暮らしたことは一度も……!
頭で必死に否定するエリスだったが、考えれば考えるほど、記憶にハッキリと、ここで過ごした思い出があることに気がつく。
記憶だけでなく、あの呼び鈴はどのくらいの強さで振ればこれくらいの音が出る、など、感覚的なことまでしっかり身体が覚えているのがわかる。
――どうなっているのじゃ……。わらわは一体、どうなってしまったのじゃ……。
エリスは頭を抱えるが、そこで再び、額にツノの感触が無いことを思い出す。
――そうじゃ、鏡、鏡!!
サイドテーブルに備え付けられた引き出しから、エリスは急いで手鏡を取り出す。
なぜそこに手鏡があることを知っていたのか、という疑問は、すでにある大量の疑問の中に埋もれてしまっていた。
鏡を覗き込んだエリスが目にしたのは……。
「人間の……女」
妖艶な黒髪に赤眼で、威厳ある二本のツノを生やし、黒い瘴気を常に身に纏っていた魔の女王は、そこにはいなかった。
長い金髪に、青い瞳。インドア派と思われる白く透き通るような肌。額にはツノの跡すらない。顔の造りこそ似ているが、魔王とはまったくの別人。若い、いや、むしろ子供っぽいと言っていい印象の、人間の少女が映っていた。
「ひえええええええ!!!!」
エリスは堪らず大声を上げてしまう。
未だかつてこんなに混乱したことはない。勇者一行が魔王城に到達した時だって、「やっべぇ」くらいは思いはしたが、まだまだ余裕があった。
だが、これは尋常な事態ではない。
今まで経験も想定もしたことがない、何か恐ろしいことが起きている。
エリスは再び目の前がぐるぐる回り出す錯覚に襲われた。
そこへ、どたどたどたと、慌てたような足音が近づいてくるのが聞こえる。
「お嬢様!?」
ベッドから少し離れたところにあるドアを開けて入ってきたのは、身なりが整った、やや細身で知的な雰囲気漂う老人と、二人の使用人と思しき女性であった。
「ああ、じいや、エル、ミルザ!大変なのじゃ!わらわが、見た目が人間になってしまって……」
――って、だからなんでわらわはこやつらを知っておるのじゃあああああああ!!!!
さらに混乱を深めて頭をブンブン振るエリスを見て、入ってきた三人は、なぜか一様に笑顔を浮かべた。
「お嬢様!お目覚めになりましたか!!良かった……」
執事のじいやが退室し、エリスは二人の使用人に着替えをさせられていた。
されるがままになりながら、エリスは据わった目で部屋の壁を見つめている。
――整理すると……。
信じられない気持ちを抑え、ひとつひとつ事実を確認していく。
――わらわはこの家で、十五年暮らしている。
魔王であった記憶は実にはっきりしている。それこそ、勇者を貫いた感触が手に残っているくらいに。
そして、自分が剣で貫かれた感覚も。
だがしかし、この家で長年暮らした記憶もまた、同等に鮮明だった。
――そして、わらわは……人間である。
滅ぼす対象だった人間に、あれほど嫌悪していた人間に、今、自分がなっている。
とっさに憑依魔法を使った?はたまた、変身魔法を使った?……どちらでもない。
記憶の説明がつかないし、そもそもそんな魔力の痕跡はまったく見られない。
頭から足の爪の先まで、完全無欠の人間に、なってしまっている。
――ええい、整理したところで、なにがなにやら全く分からん……!一体わらわの身に何が起こって……ぐぼぉぉぉ!?
コルセットを強烈に締め上げられ、エリスは変な声を出しながら白目を剥いた。
「な、なにを……!……はっ!?」
締められた腰回りの血液が頭に流れ込んだのか、その時エリスに一つの考えが浮かんだ。
――これはもしや……クソ勇者の言っていた生まれ変わり、というやつなのか!?わらわはあの時死んで、そして人間に……。
これならば、全て説明がつけられる。記憶も、この体も。
だがそれには、生まれ変わりなどという、たわごとのような話を受け入れなくてはならないが。
――何ということじゃ……!仮に生まれ変わりがあるとして、なにも人間に生まれなくてもよかろうに!これでは魔王廃業ではないか!!
そこで、エリスはふとあることに気がついた。
――!?すると、賭けは奴の勝ちということか!?いかん、これでは、あの勇者とも思えぬ軟派野郎と、デ、デートをしなければならないではないか!
エリスは顔を紅潮させて頬に手をやり、ぶるぶると頭を振った。
しかし、その様子を怪訝そうに窺う使用人の視線に気づき、エリスは急速に冷静さを取り戻す。
――いやいやまてまて。なんでわらわが律儀にデートしてやらねばならぬのじゃ。別に奴が同じ時代に生まれ変わっているとも限らぬし。……そうじゃ、時代。今は、一体いつなのじゃ?あの戦いからどれほど経過しておる?
「これ、今はいつじゃ?」
「今日ですか?今日は礼賛日ですよ。お嬢様は丸一日お眠りになっておられました」
「あ、いや、聞きたいのはそうではない。今年は、何年じゃ?」
「え?あ、えっと、聖王暦二百十五年です、お嬢様」
使用人の一人、エルが慌てて答える。
……しかし、その答えを聞いたエリスの表情を見て、彼女はさらに狼狽した。
エリスの顔が、今まで見たことないくらい険しく変化したからだ。
「な、なにか気に触ることでも……?」
「いや……そうではないのじゃ。……二百十五年、間違いないな?」
「は、はい」
怪訝そうに見つめるエルをよそに、エリスは口元に指を当て、考えを巡らせる。
――いったい、どういうことじゃ?
聖王暦二百十五年。それは、エリスが勇者と対峙し、相討ちとなった年から数えて、十年も『過去』だった。
――過去に生まれ変わった?そんなことがあり得るのか?いや、生まれ変わり自体が超常であると言ってしまえばそれまでなのじゃが……。ぬ?まてよ?ここが過去だとするならば……。
そこでエリスは気がついた。
エリス・ファントフォーゼ。
今世の記憶にある、この身体の名前。
前世と同じく名前がエリスなのは、偶然か、そうではないのか。
ただ、今のエリスの関心事はそこではなかった。
ファントフォーゼ侯爵家。
大陸の南部に位置するエルハイム王国の貴族で、王家の遠縁にあたる。
有力な貴族ではあるが、あくまで一国の一家臣にすぎないこの家は、エリスが前にいた世界では大陸中にその『悪名』を知られていた。
「【悪夢の始まりの侯爵家】……」
エリスが呟く。
大陸全土を巻き込み、魔王誕生のきっかけとなった大戦争。
今から六年後の年に起こったあの戦争の、発端となった侯爵家であった。
自慢の尻尾を切断されたマンティコアが、怒りの表情でゆっくりと青年に近づいてきた。
やや距離をとりつつ、前脚で青年を弾くように蹴る。
青年は、何の反応も返さない。
もはやこれ以上の抵抗が無いことを確かめると、マンティコアは嘲り笑うように口を歪める。
そして、その巨大な顎門を存分に開いた。
青年に近づき、その首筋目掛けて、勢いよく牙を突き立てようとした……
その瞬間。
マンティコアは全身の毛を一気に逆立て、その場から大きく飛び退いた。
直前の態度から一変。
警戒する猫のように身体を小さくし、腰を低く落として身構えるが、その四肢は目に見えて震えている。
マンティコアが感じたのは、強大な魔物の気配。
自分が絶対に敵わないと確信できる、遥かに格上の相手。
「狩る」「狩られる」ではなく、自分が一方的に消しとばされる虫ケラのような立場にあることを、今、マンティコアは全身の感覚で理解していた。
「貴様……」
目の前にいるその存在は、どうやらすごく怒っている様子だった。
先般出会った時とは、比較にならないほどに。
「少し、調子に乗りすぎじゃなぁ……?」
エリスの周囲に、黒い瘴気が立ち上る。
マンティコアの戦意は、すでにカケラも残さず吹き飛んでいた。
なんらタイミングを計ることなくエリスに背を見せると、脱兎の如く一目散に逃亡を試みた。
「魔王から逃げられると思うてか?愚か者め」
エリスが右腕をマンティコアの背に向けて振り上げる。
瘴気が手のひらで渦を巻き、一切の光の反射を許さない漆黒の球体が姿を現す。
「【魔瘴裂空禍】」
最終詠唱のみで放たれた黒球は、触れるもの全てを削り取り、分解し、消滅させながら、超音速で猛進していく。
万物を抵抗無く抉るそれは、巻き起こす甚大な被害とは裏腹に一切音を生じさせず、それ故にマンティコアが何かを感じ振り返った時、黒い絶望はすでに視界いっぱいを包み込んでいた。
森の主の断末魔をも呑み込み、黒球はそのまま深い森の奥へと消えていった。
「……ふん」
エリスは、森に穿たれた巨大な筒状の空間を興味なさげに一瞥する。
そして、自分の足元で動かない青年騎士を見下ろした。
切り落とした腕と、腹に開けられた傷口からは絶え間なく血が流れ出しており、もう間も無く、この青年は死ぬだろう。
その様子を眺めながら、エリスは少しバツが悪い表情をした。
――気まぐれじゃ。ただの、気まぐれ。
エリスが、青年の身体の上に手をかざす。
手のひらからは、先ほどとはうって変わって穏やかな気配が溢れ出す。
――ちっ。慣れぬ魔法は加減がわからぬ。こんなものか?このぐらいか?
手のひらからは溢れる気配はやがて光の粒となり、青年の身体を包み込む。
近くに落ちていた青年の腕がふわりと浮かび、ゆっくりと元あった場所へと還っていく。
腹部の傷は何事もなかったかのように修復され、さらには全身から毒が消え去っていった。
人間のヒーラーが見たら、例えその人間が大司祭クラスだったとしても驚愕のあまり卒倒するであろう、純然たる『完全回復』であった。
青年の指先が、ぴくりと動く。
その様子を見てエリスは腕を下ろした。
――さて。こやつの仲間が集まって来てもつまらぬ。さっさと姿を隠すとするか。
エリスは最後に青年を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らす。
そしてくるりと踵を返した……のだったが。
「……はれ?」
エリスの視界が、何の前触れもなく突如ぐるぐると回りだす。
その速度はどんどん上がり、今、自分が立っているのか倒れているのか、すぐにわからなくなった。
――!?これは……!
エリスは、かつて一度だけ、この現象を経験した。生まれたばかりの頃に、ただ一度だけ。
――まさか、魔力枯渇!?バカな、このわらわが、魔王たるわらわが、たかが二度魔法を使っただけで魔力枯渇じゃと……!?
エリスの必死の抵抗虚しく、エリスの視界と意識はますます混沌の度合いを深め、次第に全てが白く塗りつぶされていって……。
そしてエリスは、気を失った。
◆◆◆
……目が覚めると、そこはよく見知った空間だった。
天蓋付きの、ふかふかのベッドの上。お気に入りの花の刺繍が入った枕は、頭を優しくすっぽりと包み込んでくれている。
少し顔を横に倒すと、ベッドを囲うカーテンの隙間から、木製の大きな棚が見えた。
綺麗な調度品が、いくつも並んでいる。
小さい頃、今は亡き母親から貰った人形も、そこにちょこんと座っていた。
実に十五年もの間、慣れ親しんだ部屋。
ほっと息を吐く。……少し、悪い夢を見ていたようだ。
寝巻き姿のエリスは、ゆっくりと身体を起こすと、片手で寝ぼけ眼を擦り擦り、うーん、と伸びをした。
サイドテーブルに置かれた呼び鈴に目を遣る。
寝起きに、温かい紅茶でも貰おうかしら……。ぼんやりとそんなことを考え、手を伸ばしたところで、
――いやいやいやいや!?なにを自然体にやっておるのじゃ!?
エリスは突然覚醒した。
――こ、ここはどこじゃ?いや、ここはわらわの部屋で、昔から使ってて、って、なんでそんな記憶があるのじゃ!?わらわは魔王ぞ!?こんなお嬢様趣味の部屋で暮らしたことは一度も……!
頭で必死に否定するエリスだったが、考えれば考えるほど、記憶にハッキリと、ここで過ごした思い出があることに気がつく。
記憶だけでなく、あの呼び鈴はどのくらいの強さで振ればこれくらいの音が出る、など、感覚的なことまでしっかり身体が覚えているのがわかる。
――どうなっているのじゃ……。わらわは一体、どうなってしまったのじゃ……。
エリスは頭を抱えるが、そこで再び、額にツノの感触が無いことを思い出す。
――そうじゃ、鏡、鏡!!
サイドテーブルに備え付けられた引き出しから、エリスは急いで手鏡を取り出す。
なぜそこに手鏡があることを知っていたのか、という疑問は、すでにある大量の疑問の中に埋もれてしまっていた。
鏡を覗き込んだエリスが目にしたのは……。
「人間の……女」
妖艶な黒髪に赤眼で、威厳ある二本のツノを生やし、黒い瘴気を常に身に纏っていた魔の女王は、そこにはいなかった。
長い金髪に、青い瞳。インドア派と思われる白く透き通るような肌。額にはツノの跡すらない。顔の造りこそ似ているが、魔王とはまったくの別人。若い、いや、むしろ子供っぽいと言っていい印象の、人間の少女が映っていた。
「ひえええええええ!!!!」
エリスは堪らず大声を上げてしまう。
未だかつてこんなに混乱したことはない。勇者一行が魔王城に到達した時だって、「やっべぇ」くらいは思いはしたが、まだまだ余裕があった。
だが、これは尋常な事態ではない。
今まで経験も想定もしたことがない、何か恐ろしいことが起きている。
エリスは再び目の前がぐるぐる回り出す錯覚に襲われた。
そこへ、どたどたどたと、慌てたような足音が近づいてくるのが聞こえる。
「お嬢様!?」
ベッドから少し離れたところにあるドアを開けて入ってきたのは、身なりが整った、やや細身で知的な雰囲気漂う老人と、二人の使用人と思しき女性であった。
「ああ、じいや、エル、ミルザ!大変なのじゃ!わらわが、見た目が人間になってしまって……」
――って、だからなんでわらわはこやつらを知っておるのじゃあああああああ!!!!
さらに混乱を深めて頭をブンブン振るエリスを見て、入ってきた三人は、なぜか一様に笑顔を浮かべた。
「お嬢様!お目覚めになりましたか!!良かった……」
執事のじいやが退室し、エリスは二人の使用人に着替えをさせられていた。
されるがままになりながら、エリスは据わった目で部屋の壁を見つめている。
――整理すると……。
信じられない気持ちを抑え、ひとつひとつ事実を確認していく。
――わらわはこの家で、十五年暮らしている。
魔王であった記憶は実にはっきりしている。それこそ、勇者を貫いた感触が手に残っているくらいに。
そして、自分が剣で貫かれた感覚も。
だがしかし、この家で長年暮らした記憶もまた、同等に鮮明だった。
――そして、わらわは……人間である。
滅ぼす対象だった人間に、あれほど嫌悪していた人間に、今、自分がなっている。
とっさに憑依魔法を使った?はたまた、変身魔法を使った?……どちらでもない。
記憶の説明がつかないし、そもそもそんな魔力の痕跡はまったく見られない。
頭から足の爪の先まで、完全無欠の人間に、なってしまっている。
――ええい、整理したところで、なにがなにやら全く分からん……!一体わらわの身に何が起こって……ぐぼぉぉぉ!?
コルセットを強烈に締め上げられ、エリスは変な声を出しながら白目を剥いた。
「な、なにを……!……はっ!?」
締められた腰回りの血液が頭に流れ込んだのか、その時エリスに一つの考えが浮かんだ。
――これはもしや……クソ勇者の言っていた生まれ変わり、というやつなのか!?わらわはあの時死んで、そして人間に……。
これならば、全て説明がつけられる。記憶も、この体も。
だがそれには、生まれ変わりなどという、たわごとのような話を受け入れなくてはならないが。
――何ということじゃ……!仮に生まれ変わりがあるとして、なにも人間に生まれなくてもよかろうに!これでは魔王廃業ではないか!!
そこで、エリスはふとあることに気がついた。
――!?すると、賭けは奴の勝ちということか!?いかん、これでは、あの勇者とも思えぬ軟派野郎と、デ、デートをしなければならないではないか!
エリスは顔を紅潮させて頬に手をやり、ぶるぶると頭を振った。
しかし、その様子を怪訝そうに窺う使用人の視線に気づき、エリスは急速に冷静さを取り戻す。
――いやいやまてまて。なんでわらわが律儀にデートしてやらねばならぬのじゃ。別に奴が同じ時代に生まれ変わっているとも限らぬし。……そうじゃ、時代。今は、一体いつなのじゃ?あの戦いからどれほど経過しておる?
「これ、今はいつじゃ?」
「今日ですか?今日は礼賛日ですよ。お嬢様は丸一日お眠りになっておられました」
「あ、いや、聞きたいのはそうではない。今年は、何年じゃ?」
「え?あ、えっと、聖王暦二百十五年です、お嬢様」
使用人の一人、エルが慌てて答える。
……しかし、その答えを聞いたエリスの表情を見て、彼女はさらに狼狽した。
エリスの顔が、今まで見たことないくらい険しく変化したからだ。
「な、なにか気に触ることでも……?」
「いや……そうではないのじゃ。……二百十五年、間違いないな?」
「は、はい」
怪訝そうに見つめるエルをよそに、エリスは口元に指を当て、考えを巡らせる。
――いったい、どういうことじゃ?
聖王暦二百十五年。それは、エリスが勇者と対峙し、相討ちとなった年から数えて、十年も『過去』だった。
――過去に生まれ変わった?そんなことがあり得るのか?いや、生まれ変わり自体が超常であると言ってしまえばそれまでなのじゃが……。ぬ?まてよ?ここが過去だとするならば……。
そこでエリスは気がついた。
エリス・ファントフォーゼ。
今世の記憶にある、この身体の名前。
前世と同じく名前がエリスなのは、偶然か、そうではないのか。
ただ、今のエリスの関心事はそこではなかった。
ファントフォーゼ侯爵家。
大陸の南部に位置するエルハイム王国の貴族で、王家の遠縁にあたる。
有力な貴族ではあるが、あくまで一国の一家臣にすぎないこの家は、エリスが前にいた世界では大陸中にその『悪名』を知られていた。
「【悪夢の始まりの侯爵家】……」
エリスが呟く。
大陸全土を巻き込み、魔王誕生のきっかけとなった大戦争。
今から六年後の年に起こったあの戦争の、発端となった侯爵家であった。
1
あなたにおすすめの小説
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
ファンタジー
17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。
記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。
そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。
「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」
恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
王女様は聖女様?おてんば姫の大冒険~ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しに行きます!~
しましまにゃんこ
ファンタジー
アリシア王国の第3王女ティアラ姫には誰にも言えない秘密があった。
それは自分が全属性の魔力を持ち、最強のチート能力を持っていた「建国の賢者アリシア」の生まれ変わりであること!
8才の誕生日を境に前世の記憶を取り戻したものの、500年後に転生したことを知って慌てる。なぜなら死の直前、パートナーのドラゴンに必ず生まれ変わって会いにいくと約束したから。
どこにいてもきっとわかる!と豪語したものの、肝心のドラゴンの気配を感じることができない。全属性の魔力は受け継いだものの、かつての力に比べて圧倒的に弱くなっていたのだ!
「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」
かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。
しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。
「今度こそ、私が世界を救って見せる!」
失われたドラゴンと世界の破滅を防ぐため、ティアラ姫の冒険の旅が今、始まる!
剣と魔法が織りなすファンタジーの世界で、アリシア王国第3王女として生まれ変わったかつての賢者が巻き起こす、愛と成長と冒険の物語です。
イケメン王子たちとの甘い恋の行方もお見逃しなく。
小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
聖女やめます……タダ働きは嫌!友達作ります!冒険者なります!お金稼ぎます!ちゃっかり世界も救います!
さくしゃ
ファンタジー
職業「聖女」としてお勤めに忙殺されるクミ
祈りに始まり、一日中治療、時にはドラゴン討伐……しかし、全てタダ働き!
も……もう嫌だぁ!
半狂乱の最強聖女は冒険者となり、軟禁生活では味わえなかった生活を知りはっちゃける!
時には、不労所得、冒険者業、アルバイトで稼ぐ!
大金持ちにもなっていき、世界も救いまーす。
色んなキャラ出しまくりぃ!
カクヨムでも掲載チュッ
⚠︎この物語は全てフィクションです。
⚠︎現実では絶対にマネはしないでください!
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~
紅月シン
ファンタジー
聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。
いや嘘だ。
本当は不満でいっぱいだった。
食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。
だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。
しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。
そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。
二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。
だが彼女は知らなかった。
三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。
知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。
※完結しました。
※小説家になろう様にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる