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第一章
第八話 魔王、失敗する
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思いもかけぬ大失敗に、エリスは頭を抱えてしゃがみ込む。
――しくじったのじゃ!こんなに目立って、誰かにわらわの魔王の力に気づかれでもしたら……!
勇者暗殺、とかやる前に間違いなく自分が殺されるだろう。
――うう、なんとか誤魔化せぬか……。そうじゃ、いっそもう一発ぶちかまして目撃者を全員消すか!……いやいやもう魔力が無いんじゃ。
抱えた頭をうりうり動かしながら、エリスは知恵を絞ろうと奮闘する。
あまりに必死に考え込み、周囲への意識がすっかりおろそかになった、その時。
「お嬢様、危ない!!」
執事のじいやと一緒に部屋に入ってきていたコウガが、突如腰の短剣を抜き放って駆け出した。
頭を抱えてうずくまっていたエリスの頭上付近で、ガインッと、金属同士のぶつかるような音が響き渡る。
「なんじゃ!?」
空中で体勢を立て直し、テラスにズシンと着地したそれは……
――マンティコア!?
どうやら先程の極大魔法を辛うじて回避していたようだった。
双眸に激しい怒りを宿した魔獣は、サソリの尾を鋭く振り上げてコウガを威嚇する。
貴様に用はない、どいていろ、と言わんばかりに。
――マズイ、わらわはもう魔力がすっからかんなのじゃ。コウガだけではまた前回の繰り返しじゃろうし……。
コウガはエリスを守る位置に立ち、怒れる魔獣と対峙している。
折れた剣の換えが間に合わなかったのか、コウガが持っているのは短剣のみであった。サソリの尾に対しリーチで圧倒的に劣る、昨日とまったく同じ、不利な状況である。
――くそ、こうなったらこやつを捨て駒にして脱出するしかないか……!
エリスが黒い考えを巡らし始めたところで。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
突如、コウガが仕掛けた。
テラスを踏み抜かんばかりの勢いで、マンティコアに斬りかかる。
昨日の結果のみを知るものであれば、無謀な突撃と言わざるを得ない行動。
しかし。
前回の戦いそのものを自身の目で見たものにとっては、その『差』は驚くほど明確だった。
――速い!?まるで別人じゃ!
疾風怒濤の突進に、マンティコアも虚をつかれた様子で体勢を崩す。
なんとか尾で身を守ろうとするが、コウガの繰り出した剣撃は、これもまた、威力、スピードともに昨日の比ではなかった。
わずか数回の撃ち合いの後、サソリの尾は呆気なく先端を斬り飛ばされる。
大きく怯んだマンティコアへ、コウガが横薙ぎに蹴りを放つ。およそ人間のものとは思えぬ重量級の一撃は、マンティコアの顔面を正確に捉え、吹き飛ばした。
テラスの手すりに激突、バキバキと破壊したマンティコアは、そのまま民衆の群れる庭へと落下していった。
下から、民たちの悲鳴が聞こえる。
エリスたちが覗き込むと、マンティコアが、自らが押し潰した植木の中からヨロヨロと立ち上がるところであった。
しかし流石はB級モンスター。間も無く体勢を整えると、テラスの方を睨みつけ、建物ごと吹き飛ばさんと赤黒い魔法陣を展開した。
……が、その魔法陣は、効果を発揮することなく霧散する。
テラスからなんの躊躇もなく飛び降りたコウガが、勢いそのままにマンティコアの眉間に短剣を突き立てたからだ。
獣の絶叫が響き渡る。
決着は、至極あっさりと着いた。
コウガが短剣を引き抜き、血を払う。
その表情に驚きはなく、当然の結果だと言わんばかりの平常心が窺えた。
その様子を、エリスは呆気に取られて見つめていた。
――な、なんでじゃ?先般、ボコボコにされた奴と同種のモンスターじゃぞ?なんでそんなに簡単に……?
そのエリスの視線を感じ取ったか、コウガは一度エリスの方を見上げると、おもむろに膝をついて頭を下げた。
「お嬢様!お見事でございます!!」
……そう大声で言い放ったコウガに、エリスも、周囲の領民たちも、皆一様にポカンとする。
「お嬢様の加護魔法、まさに効果絶大!このコウガ、感服いたしました!!」
「……は?」
――加護魔法?そんなものかけた覚えは……。
まったく意味がわからず再び頭を押さえるエリス。一方で、周りの領民たちがざわつき始める。
「加護魔法だって?かけられた人間の能力を大きく引き上げるっていう……」
「確かに、一人でマンティコア倒すなんて普通じゃ無理だ」
「でもそれって、滅茶苦茶レベルの高い聖職者しか使えないって聞いたよ。ほとんど奇跡だって」
「その通りだ!!お嬢様には、奇跡の御力がある!」
突如領民たちの方を振り返ったコウガは、おもむろに上着を脱ぎ出す。
そして、闘技場のリングに上がる戦士さながらに、脱いだ服を空へ放り上げた。
バサバサと風にはためく服と、拳を突き上げたコウガの姿。
それはまるで絵画のように雰囲気があり……そしてまったく意味不明であった。
――いや、マジでなんなんじゃあやつは。
「俺は昨日、モンスターと戦い左腕を失った」
――それはお主が自分で切ったんじゃが。
「だが!お嬢様の御力により、このように完全に治していただいた!見るんだ!傷跡すら無い!」
両腕を突き上げて、コウガが吠える。
傷跡すら無ければ本当かどうかわからんだろうが、とエリスは思ったが、コウガとしてはスッパリ切れた左右で長さの違うアンダーシャツが証拠になると思ったらしい。
阿呆か。ていうか着替えろ。とエリスは独りごちたが、想像以上に群衆にはコウガの言動が刺さったようだった。
「おお……なんという事だ。切れた腕を元通りにするなんて、聞いたこともない」
「まさに神の御技だ……」
「ねえ、もしかして、エリスお嬢様って、聖女様なんじゃない?」
――聖女?
誰かが、ふと呟いた言葉。
その一言に、エリスの顔が凍りつく。
――聖女、じゃと?
エリスの手が、わなわなと震え出す。
対照的に、コウガはその言葉に、我が意を得たりとばかりに大きく頷いていた。
「その時、俺はさらに加護魔法もかけていただいた。その力は、みんなも今見た通りだ!そう、まさにお嬢様は聖女様だ!この地に、聖女様が舞い降りたのだ!」
ざわざわとしていた民衆たちだったが、瞳が徐々に興奮に輝き始める。
「……お、おおお」
「……おおおおおお!!」
「うおおおお!!聖女様バンザイ!!」
コウガは何とも誇らしげな表情で叫び、群衆を大いに盛り上げている。
コウガとしては、自身が仕える主が実に偉大であるということを知らしめたい一心のようだったが、当のエリスは……。
――な、に、を……。
「なにを言っとるんじゃ愚か者どもがーーー!!」
渾身の怒鳴り声を上げていた。
だが、まるでお祭りのような群衆の大歓声に、彼女の声は完全にかき消されてしまうのであった。
――聖女!?わらわが聖女!?……ほわああああああ、虫唾が走る!虫唾が大暴走する!聖女など、勇者の次に嫌いな言葉じゃぁ!!
またしても頭を抱えてうずくまってしまうエリス。
魔王である彼女にとって、現在進行形で響き渡る「聖女様!」の大合唱は、普通の人間が「この悪魔!人でなし!」と言われているのとなんら変わらないのであった。
――くそっ!貴様ら……魔力が回復したら覚えておれよ……!!
大陸浄化への想いをより一層強固にしたエリスであった。
だがそこへ、盛り上がる群衆の中から気になる言葉が聞こえてきた。
「いやぁ、加護魔法があったにせよ、マンティコアに一人で挑む度胸は、流石ガイウスだなぁ」
――ガイウス?
エリスはひょこりと顔を出して下を覗く。
どうやら、ガイウスというのはコウガを指しているようだ。
「ガイウスとはなんじゃ?コウガよ」
突然投げかけられた問いに、コウガは一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに照れたような笑顔に変わる。
「は……、いえ、お嬢様。ただの昔からのあだ名です。祖父から譲られたこの短剣の銘なのですが、いつの間にか俺のあだ名として定着してしまって」
取るに足りないこと、そういったていでコウガは説明したのだが、エリスの様子の変化は凄まじかった。
――ガイウス……ガイウス……そうじゃ、ガイウスじゃ!!
「そうかお主、ガイウスじゃったか!!」
「?えと、お嬢様……?」
その変貌ぶりに、コウガも戸惑いが隠せない。
だがそんなことはお構いなしに、エリスは……この上ない、歓喜の笑みを浮かべていた。
――前と比べて血色が良すぎるから気がつかなかったが、確かにあの顔は、ガイウスじゃ!!
ガイウス。
前の世界で、人間でありながら魔王エリスの右腕だった男。
世界を憎み、人間を憎み、魔に堕ちたその男が振るうは、暗黒の剣技。
一撃で数百もの人間の魂を刈り取る力を持つ、魔王エリスの四天王筆頭【嘆きの剣】暗黒騎士ガイウス。
眼下の青年は、その若かりし頃の姿だった。
――なるほど、ガイウスなら今回の突然の進化も頷ける。元々わらわの力に馴染みやすい体質ゆえ、腕を治療した際にわらわの魔力を吸収して潜在能力が開花したのじゃろう。
エリスはニヤニヤしながらうんうんと頷きを繰り返している。
――それにしても、こんなに早くガイウスに逢えるとは、なんという幸運じゃ!あとは、早いところ世界に絶望させて闇堕ちさせれば、最強の魔剣士の完成じゃ!
エリスは、スキップしたいほどウキウキしていた。いきなり手元に前世最強の戦士が転がり込んだのである。大陸浄化の第一歩としては申し分なかった。
――くくく、奴が闇堕ちした理由も、本人からちゃんと聞いておったからな。今世でも、それを再現すればよいだけじゃ。えと、確か……。
エリスはポンと手を叩く。
――そうじゃ!確か仕えていた主人が無惨に殺された、とか言っていたな!!うむ、これだけの忠誠心を持っていれば、そのような状況で世界に絶望するのも無理はない。では早速その主人とやらを始末して……。
そこまで思考を進めて、エリスは固まった。
「……あれ?」
ガイウスが仕える主人。それは、少なくとも今のこの世界においては……。
――わらわじゃった!!!!
心の中で絶叫し、エリスは焦りの表情を浮かべる。
――どどどどど、どうすればよいのじゃ!?わらわは死ぬわけにはいかぬぞ!?でも、仕えた主人が死なないとガイウスは闇堕ちしないわけで……!
再び頭を抱え、うりうりうりうりと悶えるも、まったくいい考えが浮かばない。
……え、詰んだ?という声がエリスの頭の中でコダマし始めた。
――なんということじゃ……。世界浄化再チャレンジの第一歩で躓いてしまったぞ……。
満面の笑顔から突然灰のようになったエリス。
そんな主人を心配して、コウガが下から声をかける。
「あの、大丈夫ですかお嬢様?」
「……大丈夫じゃ……なんでもない。コウガ、今日は大義であった。お主は実は本当に本当に凄い剣士じゃ。……今後も、鍛錬に励めよ」
虚な目と、感情も何もこもらない死んだような声で、エリスはそう告げた。
それを聞いたコウガは。
「は……はい!!」
笑顔で、そう返事するのだった。
その笑顔が、あまりに嬉しそうで……
一瞬エリスは面食らい、そして、思い出していた。
何かを振り払うように日々激戦に身を投じ、常に返り血に塗れていた男の姿を。
『あの方の居ない世界など、要らぬ』
そう呟いた、男の横顔を。
そういえば一度、エリスは尋ねたことがある。
お主は笑ったことがあるのか、と。
『笑い方など、忘れてしまった』
それが返事だった。
勇者たちとの戦いの後。
死してなお、その顔は、怒りと憎しみに歪んでいた。
――そうかガイウス。お主は、そんなふうに笑うのか。
……つまらぬ、と心の中で呟くと、眼下の青年から目を逸らし、エリスはゆっくりと部屋の中に戻っていった。
――しくじったのじゃ!こんなに目立って、誰かにわらわの魔王の力に気づかれでもしたら……!
勇者暗殺、とかやる前に間違いなく自分が殺されるだろう。
――うう、なんとか誤魔化せぬか……。そうじゃ、いっそもう一発ぶちかまして目撃者を全員消すか!……いやいやもう魔力が無いんじゃ。
抱えた頭をうりうり動かしながら、エリスは知恵を絞ろうと奮闘する。
あまりに必死に考え込み、周囲への意識がすっかりおろそかになった、その時。
「お嬢様、危ない!!」
執事のじいやと一緒に部屋に入ってきていたコウガが、突如腰の短剣を抜き放って駆け出した。
頭を抱えてうずくまっていたエリスの頭上付近で、ガインッと、金属同士のぶつかるような音が響き渡る。
「なんじゃ!?」
空中で体勢を立て直し、テラスにズシンと着地したそれは……
――マンティコア!?
どうやら先程の極大魔法を辛うじて回避していたようだった。
双眸に激しい怒りを宿した魔獣は、サソリの尾を鋭く振り上げてコウガを威嚇する。
貴様に用はない、どいていろ、と言わんばかりに。
――マズイ、わらわはもう魔力がすっからかんなのじゃ。コウガだけではまた前回の繰り返しじゃろうし……。
コウガはエリスを守る位置に立ち、怒れる魔獣と対峙している。
折れた剣の換えが間に合わなかったのか、コウガが持っているのは短剣のみであった。サソリの尾に対しリーチで圧倒的に劣る、昨日とまったく同じ、不利な状況である。
――くそ、こうなったらこやつを捨て駒にして脱出するしかないか……!
エリスが黒い考えを巡らし始めたところで。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
突如、コウガが仕掛けた。
テラスを踏み抜かんばかりの勢いで、マンティコアに斬りかかる。
昨日の結果のみを知るものであれば、無謀な突撃と言わざるを得ない行動。
しかし。
前回の戦いそのものを自身の目で見たものにとっては、その『差』は驚くほど明確だった。
――速い!?まるで別人じゃ!
疾風怒濤の突進に、マンティコアも虚をつかれた様子で体勢を崩す。
なんとか尾で身を守ろうとするが、コウガの繰り出した剣撃は、これもまた、威力、スピードともに昨日の比ではなかった。
わずか数回の撃ち合いの後、サソリの尾は呆気なく先端を斬り飛ばされる。
大きく怯んだマンティコアへ、コウガが横薙ぎに蹴りを放つ。およそ人間のものとは思えぬ重量級の一撃は、マンティコアの顔面を正確に捉え、吹き飛ばした。
テラスの手すりに激突、バキバキと破壊したマンティコアは、そのまま民衆の群れる庭へと落下していった。
下から、民たちの悲鳴が聞こえる。
エリスたちが覗き込むと、マンティコアが、自らが押し潰した植木の中からヨロヨロと立ち上がるところであった。
しかし流石はB級モンスター。間も無く体勢を整えると、テラスの方を睨みつけ、建物ごと吹き飛ばさんと赤黒い魔法陣を展開した。
……が、その魔法陣は、効果を発揮することなく霧散する。
テラスからなんの躊躇もなく飛び降りたコウガが、勢いそのままにマンティコアの眉間に短剣を突き立てたからだ。
獣の絶叫が響き渡る。
決着は、至極あっさりと着いた。
コウガが短剣を引き抜き、血を払う。
その表情に驚きはなく、当然の結果だと言わんばかりの平常心が窺えた。
その様子を、エリスは呆気に取られて見つめていた。
――な、なんでじゃ?先般、ボコボコにされた奴と同種のモンスターじゃぞ?なんでそんなに簡単に……?
そのエリスの視線を感じ取ったか、コウガは一度エリスの方を見上げると、おもむろに膝をついて頭を下げた。
「お嬢様!お見事でございます!!」
……そう大声で言い放ったコウガに、エリスも、周囲の領民たちも、皆一様にポカンとする。
「お嬢様の加護魔法、まさに効果絶大!このコウガ、感服いたしました!!」
「……は?」
――加護魔法?そんなものかけた覚えは……。
まったく意味がわからず再び頭を押さえるエリス。一方で、周りの領民たちがざわつき始める。
「加護魔法だって?かけられた人間の能力を大きく引き上げるっていう……」
「確かに、一人でマンティコア倒すなんて普通じゃ無理だ」
「でもそれって、滅茶苦茶レベルの高い聖職者しか使えないって聞いたよ。ほとんど奇跡だって」
「その通りだ!!お嬢様には、奇跡の御力がある!」
突如領民たちの方を振り返ったコウガは、おもむろに上着を脱ぎ出す。
そして、闘技場のリングに上がる戦士さながらに、脱いだ服を空へ放り上げた。
バサバサと風にはためく服と、拳を突き上げたコウガの姿。
それはまるで絵画のように雰囲気があり……そしてまったく意味不明であった。
――いや、マジでなんなんじゃあやつは。
「俺は昨日、モンスターと戦い左腕を失った」
――それはお主が自分で切ったんじゃが。
「だが!お嬢様の御力により、このように完全に治していただいた!見るんだ!傷跡すら無い!」
両腕を突き上げて、コウガが吠える。
傷跡すら無ければ本当かどうかわからんだろうが、とエリスは思ったが、コウガとしてはスッパリ切れた左右で長さの違うアンダーシャツが証拠になると思ったらしい。
阿呆か。ていうか着替えろ。とエリスは独りごちたが、想像以上に群衆にはコウガの言動が刺さったようだった。
「おお……なんという事だ。切れた腕を元通りにするなんて、聞いたこともない」
「まさに神の御技だ……」
「ねえ、もしかして、エリスお嬢様って、聖女様なんじゃない?」
――聖女?
誰かが、ふと呟いた言葉。
その一言に、エリスの顔が凍りつく。
――聖女、じゃと?
エリスの手が、わなわなと震え出す。
対照的に、コウガはその言葉に、我が意を得たりとばかりに大きく頷いていた。
「その時、俺はさらに加護魔法もかけていただいた。その力は、みんなも今見た通りだ!そう、まさにお嬢様は聖女様だ!この地に、聖女様が舞い降りたのだ!」
ざわざわとしていた民衆たちだったが、瞳が徐々に興奮に輝き始める。
「……お、おおお」
「……おおおおおお!!」
「うおおおお!!聖女様バンザイ!!」
コウガは何とも誇らしげな表情で叫び、群衆を大いに盛り上げている。
コウガとしては、自身が仕える主が実に偉大であるということを知らしめたい一心のようだったが、当のエリスは……。
――な、に、を……。
「なにを言っとるんじゃ愚か者どもがーーー!!」
渾身の怒鳴り声を上げていた。
だが、まるでお祭りのような群衆の大歓声に、彼女の声は完全にかき消されてしまうのであった。
――聖女!?わらわが聖女!?……ほわああああああ、虫唾が走る!虫唾が大暴走する!聖女など、勇者の次に嫌いな言葉じゃぁ!!
またしても頭を抱えてうずくまってしまうエリス。
魔王である彼女にとって、現在進行形で響き渡る「聖女様!」の大合唱は、普通の人間が「この悪魔!人でなし!」と言われているのとなんら変わらないのであった。
――くそっ!貴様ら……魔力が回復したら覚えておれよ……!!
大陸浄化への想いをより一層強固にしたエリスであった。
だがそこへ、盛り上がる群衆の中から気になる言葉が聞こえてきた。
「いやぁ、加護魔法があったにせよ、マンティコアに一人で挑む度胸は、流石ガイウスだなぁ」
――ガイウス?
エリスはひょこりと顔を出して下を覗く。
どうやら、ガイウスというのはコウガを指しているようだ。
「ガイウスとはなんじゃ?コウガよ」
突然投げかけられた問いに、コウガは一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに照れたような笑顔に変わる。
「は……、いえ、お嬢様。ただの昔からのあだ名です。祖父から譲られたこの短剣の銘なのですが、いつの間にか俺のあだ名として定着してしまって」
取るに足りないこと、そういったていでコウガは説明したのだが、エリスの様子の変化は凄まじかった。
――ガイウス……ガイウス……そうじゃ、ガイウスじゃ!!
「そうかお主、ガイウスじゃったか!!」
「?えと、お嬢様……?」
その変貌ぶりに、コウガも戸惑いが隠せない。
だがそんなことはお構いなしに、エリスは……この上ない、歓喜の笑みを浮かべていた。
――前と比べて血色が良すぎるから気がつかなかったが、確かにあの顔は、ガイウスじゃ!!
ガイウス。
前の世界で、人間でありながら魔王エリスの右腕だった男。
世界を憎み、人間を憎み、魔に堕ちたその男が振るうは、暗黒の剣技。
一撃で数百もの人間の魂を刈り取る力を持つ、魔王エリスの四天王筆頭【嘆きの剣】暗黒騎士ガイウス。
眼下の青年は、その若かりし頃の姿だった。
――なるほど、ガイウスなら今回の突然の進化も頷ける。元々わらわの力に馴染みやすい体質ゆえ、腕を治療した際にわらわの魔力を吸収して潜在能力が開花したのじゃろう。
エリスはニヤニヤしながらうんうんと頷きを繰り返している。
――それにしても、こんなに早くガイウスに逢えるとは、なんという幸運じゃ!あとは、早いところ世界に絶望させて闇堕ちさせれば、最強の魔剣士の完成じゃ!
エリスは、スキップしたいほどウキウキしていた。いきなり手元に前世最強の戦士が転がり込んだのである。大陸浄化の第一歩としては申し分なかった。
――くくく、奴が闇堕ちした理由も、本人からちゃんと聞いておったからな。今世でも、それを再現すればよいだけじゃ。えと、確か……。
エリスはポンと手を叩く。
――そうじゃ!確か仕えていた主人が無惨に殺された、とか言っていたな!!うむ、これだけの忠誠心を持っていれば、そのような状況で世界に絶望するのも無理はない。では早速その主人とやらを始末して……。
そこまで思考を進めて、エリスは固まった。
「……あれ?」
ガイウスが仕える主人。それは、少なくとも今のこの世界においては……。
――わらわじゃった!!!!
心の中で絶叫し、エリスは焦りの表情を浮かべる。
――どどどどど、どうすればよいのじゃ!?わらわは死ぬわけにはいかぬぞ!?でも、仕えた主人が死なないとガイウスは闇堕ちしないわけで……!
再び頭を抱え、うりうりうりうりと悶えるも、まったくいい考えが浮かばない。
……え、詰んだ?という声がエリスの頭の中でコダマし始めた。
――なんということじゃ……。世界浄化再チャレンジの第一歩で躓いてしまったぞ……。
満面の笑顔から突然灰のようになったエリス。
そんな主人を心配して、コウガが下から声をかける。
「あの、大丈夫ですかお嬢様?」
「……大丈夫じゃ……なんでもない。コウガ、今日は大義であった。お主は実は本当に本当に凄い剣士じゃ。……今後も、鍛錬に励めよ」
虚な目と、感情も何もこもらない死んだような声で、エリスはそう告げた。
それを聞いたコウガは。
「は……はい!!」
笑顔で、そう返事するのだった。
その笑顔が、あまりに嬉しそうで……
一瞬エリスは面食らい、そして、思い出していた。
何かを振り払うように日々激戦に身を投じ、常に返り血に塗れていた男の姿を。
『あの方の居ない世界など、要らぬ』
そう呟いた、男の横顔を。
そういえば一度、エリスは尋ねたことがある。
お主は笑ったことがあるのか、と。
『笑い方など、忘れてしまった』
それが返事だった。
勇者たちとの戦いの後。
死してなお、その顔は、怒りと憎しみに歪んでいた。
――そうかガイウス。お主は、そんなふうに笑うのか。
……つまらぬ、と心の中で呟くと、眼下の青年から目を逸らし、エリスはゆっくりと部屋の中に戻っていった。
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これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
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