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第一章
第二十五話 魔王、言い聞かせる
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闇のゲートは、今にもオリヴィスを完全に飲み込もうとしていた。
そのサイズは少しずつだが確実に小さくなってきており、周囲の者たちの焦りを加速させる。
「くそっ!なにか手はないのか!!」
「このままじゃ、姐御が闇に食われちまう!」
「……げひゃひゃ、無理無理無駄無駄!闇檻からは何人たりとも逃げられやしねぇ!!てめぇらの大事な聖拳サマは、今ここで死ぬんだ!!」
昼下がりの庭園は、絶叫と嘲笑が交錯する修羅場と化していた。
今朝の魔動車騒動で屋敷周辺は一旦は人が絶えていたが、再び、今度は野次馬として多くの人間が輪をなしている。
皆、領主の屋敷で起きている怪奇現象を、不安な表情で見つめていた。
エリスは、即席茶会の椅子に腰をかけたまま、騒動の様子を見ていた。
そして……
――よっしゃああああああ!!!!グッジョブ悪魔崇拝者!!
……心の中で喝采を上げていた。
――わらわの手を汚さずに勇者一味の一人を葬れるとは、何というラッキー!!
大陸浄化のために、すでに分かっている障害はできる限り迅速に取り除きたいエリスである。
前世で苦汁を嘗めさせられまくった宿敵の聖拳がここで闇に喰われることは、エリスにとっては幸運以外のなにものでもなかった。
――『闇檻』は、一度ハマると絶対に抜け出せぬ地獄への入り口じゃ!邪宝具に力を吸われてヘロヘロの聖拳に、助かる術はない!ふはははは!!
心の中で哄笑する元魔王エリス。
誰がどう見ても絶対悪である。
……オリヴィスは身体のほとんどを闇に吸い込まれ、もはや顔や手足の一部を残すのみとなっていた。
「……もう、いいぞ、お前たち……手を離せ、一緒に呑み込まれちまうぞ……」
「そんな、姐御!」
執行者たちに、絶望の空気が漂う。
「はは、散々やらかしてきたからなぁ……これが、天罰ってやつなのかな。……今日も聖女様、いじめちまったしな」
オリヴィスは力無く笑う。
これはちょっと助かりそうにない、と、感覚でわかっていた。
辛うじて目線だけを動かし、オリヴィスは地面にへたり込む、妹の顔を見た。
「リィ」
「お姉ちゃん……!」
「最期に……あんたに会えて……本当に良かった。……強く、生きろよ」
「いやだ!お姉ちゃん!いやだよ!」
「じゃあな……」
オリヴィスはゆっくり眼を閉じる。
闇のゲートはその口径をいよいよ狭め、オリヴィスをその体内へと完全に閉じ込めるべく蠢いた。
……その時。
「ふんぬあああ!!」
一人の男が、横合いから飛び出してゲートに手をかけた。
男の筋肉が膨張し、異様なほどに血管が浮き上がる。その力は闇のゲートと拮抗し、その動きを押し留めた。
「な……!?テメェ……?」
現れたのは、先ほどまで正門と絡み合って気絶していたはずの、コウガであった。
「うおおおおおおお!!」
コウガはゲートの収縮を抑え込み……そして徐々にだが、その口を拡げていく。
執行者たちや屋敷の使用人、そして周囲の領民たちから喝采が上がる。
「な、何もんだテメェは……?!」
「よくぞ聞いた!」
オリヴィスの声を受け、待っていたとばかりにコウガがキメ顔を向ける。
そして……
「例え天が許しても!聖女エリスが許さない!絶やしてみせようこの世の悪を!示してみせようこの世の道を!鋼鉄の聖女エリス様が第一の騎士、コウガ推参!」
広背筋を大層立派に隆起させながら、高らかに名乗り口上をブチ上げた。
……吹き荒ぶ乾いた風。
常人なら穴に飛び込みたくなるほどのイタい静寂が訪れたが、コウガはやり切った漢の顔をしていた。
――な、なにをやっとるんじゃあやつはー!
邪宝具でも貼り付けられたかのような唐突な脱力感が、エリスを襲う。
「……え、えっと?」
オリヴィスは眼を何度も瞬かせている。
周囲の誰もがそうだった。
「だから俺は!」
コウガが再びゲートを睨みつけ、力を振り絞る。
「聖女第一の騎士の俺は!目の前で!人が死ぬのを!絶対に許容せんのだっ!!」
ギギギッと極厚の布を裂くような音を立てて、闇のゲートがさらに拡張していく。
「……な、バ、バカな!?人間の筋力で禁術に抗えるはずなど……!?」
オーリンの中の何者かが、呻く。
その様子を見て、硬直から抜け出した人々がぽつぽつとコウガに声援を送り始める。
そしてそれはすぐに、大合唱へと変わった。
「「「コ・ウ・ガ!コ・ウ・ガ!コ・ウ・ガ!」」」
その声援を背に、コウガはさらに全身に力を込めた。
しかし……
「ぐふっ」
突如、コウガが血を吐き膝をつく。
声援は、途端に悲鳴に変わった。
先程の聖拳の一撃で負ったダメージが影響しているのは、明白だった。
縁を掴んだ腕が、闇の収縮に押し返され始める。
……だがコウガは、再度、両手両脚に力を込める。
口から血が溢れ、全身から軋むような音が聞こえても、なお、引く様子は見せなかった。
「も、もういい!やめろ!テメェも死んじまうぞ!あたしのことはもういいんだ!」
「……何がいいものか!この馬鹿者!!」
コウガがオリヴィスを睨みつける。
その迫力に、これまで幾多の死線を潜り抜けてきたはずのオリヴィスが、圧倒された。
「妹に最期に会えたから良かった?ふざけるな!残される者の身にもなってみろ!!」
血を吐きながらも、コウガは吼える。
「リィ殿は今、眼が見えるのだ!!自分の死に顔を、リィ殿の一生の心の傷として残すつもりか!!お嬢様はそんなことのためにリィ殿の眼を治したのではない!!」
たとえ気絶していてもエリスの奇跡話は聞き逃さない男、それがコウガである。
「!……だ、だけどよ……もう無茶だ……!時間稼ぎにしかなりゃしない!!ホントにテメェまで死んじまうぞ!」
「ふっ……時間稼ぎでいいのだ!!」
「な……?」
「そこに座っている方が、一体何者なのか、忘れてはいないだろう」
コウガの言葉に、オリヴィス以下、その場の全ての者の視線が、一人の少女に集中した。
……当の本人は、キョトンとするだけだったが。
「……!聖女……様」
「そうだ!お嬢様が……きっと奇跡を起こす!それまで耐えれば、俺たちの勝ちだ!!」
――はぁ!?な、なにを言っておるのじゃ!!
「おおおお!!」
「聖女様!!」
「聖女様、お願いいたします!」
――こらこら待てコラァ!執行者ども、節操なさすぎじゃろ!!わらわを散々睨み倒してきおったくせに!!
「聖女様!」
――いや、絶対助けぬって。なんでわらわが怨敵を助けなければならぬのじゃ。
「「聖女様!!」」
――だからっ、助けぬて!そもそもわらわは魔力がからっぽなのじゃ!
「「「聖女様!!!」」」
――ええい、うるさい!他力本願の阿呆ども!!わらわは絶対に……!
「絶対に……!?」
そしてエリスは、リィと目が合った。
「エリスさま……」
――……そんな顔で、わらわを見るなぁぁぁあああああああ!!
エリスは顔を伏せ一気に立ち上がると、眼を強く瞑ってツカツカと歩き出した。
――絶対助けぬ!わらわは魔王ぞ!!魔王が勇者一味を助けるはずがなかろうが!!
首を振り振り、歩き続ける。
――誰の頼みであろうと、絶対に、絶対に助けぬ!!絶対にじゃ!
ひたすら心の中で、エリスは吐き捨て続ける。
そして立ち止まり……
「じゃから……!」
エリスは目の前の、少女の手を取った。
「お主がやるのじゃ!!」
リィは驚きに眼を丸くする。
「え……」
「え?ではない!!お主が自分の手で姉を助けるのじゃ!!わらわはやらぬ!」
半ばヤケクソ気味に吼えるエリス。
一方のリィは戸惑いを隠せない。
「で、でも私に、そんな力は……」
「ある。信じ難いことじゃが、お主の魔力の純度は『とびっきり』じゃ。魔力量も風呂での儀式で多少は増えておる」
「純度?」
「説明は後じゃ!いいから手のひらをあの闇に向けよ!姉を助けたいのならな!」
「は、はい!!」
リィが右の手を、今にもオリヴィスを閉じ込めようとしている闇のゲートに向けた。
「手のひらに魔力を集中させよ。風呂でやった要領じゃ。……そう、上手いのじゃ。では、よいか。わらわの後に続いて詠唱せよ」
その様子を、精神を乗っ取られているオーリンが見て嘲笑う。
「なんだぁ?!聖女様とやらよ!自分じゃできねーもんだからそんな小娘にやらせるってか!失敗したら責任押し付ける気かよ?とんだ聖女様がいたもんだぜ!!」
「……黙っておれ。わらわは今、ひじょーに機嫌が悪い。……殺すぞ」
「……ひっ……!?」
エリスには今、魔力が無い。だから、放たれたそれはただの眼光だったはずだが……オーリンは思わず、その下卑た笑いを止めた。
「……く、む、無駄な足掻きだ!それは禁術だ!最高レベルの闇魔法!小娘ごときになにが出来るか!!」
「……リィ。よいか。始めるぞ」
「【アーリーン・アーリーン・ク・リアーセ リブル・テスタ・リ・オーラ】」
エリスの後に続いて、リィが復唱する。
すると……リィの手のひらに集った魔力が、鋭く、それでいて優しい、不思議な輝きを放ち始めた。
「【聖なる天雷を纏い 其は顕現せり 水と大地の祝福と 風と炎の守護のもと 貫き清めよ 破魔の槍】」
「……こ、これは?!なんだこの魔法は!?」
オーリンが驚愕の呻きを漏らす。
その場にいる他の者たちも、リィの放つ輝きと、その膨大な魔力の奔流に、感覚の全てを捉われている。
「……リィ、あんた……!」
……先ほどエリスは説明を飛ばしたが、人の使える魔法のレベルは、実はその魔力の『量』には相関しない。
一日中、持続的に風呂の水を沸かしていることは出来ても、C級モンスターを倒せる中級火炎魔法が放てない魔導士など、ザラにいる。
魔法のレベルを決定づけるのは、魔力の質。
魔導士の間では、『純度』と呼ばれるこの質こそが、魔導士としての格を左右する重要な力になる。
エリスが『とびっきり』と表現したリィの『純度』が可能にする、魔法。
それは。
「さぁ、仕上げじゃ。……こんな不愉快な魔法、まさか自分が口にするなど思ってもみなかったわ。まったく、舌がピリピリする」
「エリスさま?」
「なんでもないのじゃ。準備は良いか。行くぞ!」
「……はい!」
「【天魔滅槍】!!」
刹那、リィの手から雷のような閃光が迸る。
それは見る者の視界を真っ白に覆い、そして極短時間、全ての物音を吹き飛ばした。
時が止まったような錯覚の中で、人々は、リィから放たれたそれを、辛うじて視認した。
それはどんな白よりも白く、美しい竜。
圧倒的な力を内包しながらも、まるで迷子が母親に会えた時のような安心感を見る者に与える、優しい光。
それは、そのまま闇のゲートを直撃した。
光の竜が、爆ぜるように輝きを増す。
「ギャオオオオオオオオオ……」
まるで断末魔のような音を立て、闇のゲートが一瞬震えた後……。
次の瞬間に人々が見たものは、倒れ込むオリヴィスと、それを咄嗟に抱きかかえるコウガの姿だった。
「お姉ちゃん!!」
リィがオリヴィスの元に駆け寄る。
「リィ……!」
オリヴィスが、震える手でリィを抱き寄せる。
その周囲に、もはや闇の気配は一欠片も残っていなかった。
「……う、お」
「……うおおおおおお!!」
「やったぞ!!姐御が助かった!!!!」
執行者たちが、喜びを爆発させる。
つられて、屋敷の使用人や周囲の領民たちが、大歓声を上げた。
「お嬢ちゃん、良くやったぞ!!」
「聖女様の導きが奇跡を呼んだんだ!!」
「さすが聖女様だ!」
「コウガさんも素敵だったわよー!」
庭園は、瞬く間に興奮のるつぼと化すのだった。
……その中で、一人の少女が大の字になって倒れていた。
――あ゛ーーーーーあ゛ーーーーー何やっとるんじゃわらわはーーーーー。
勇者一味を救うなど、魔王の風上にも置けない外道の所業である。
さらには奇跡の上乗せで聖女認定待った無し。
いやいやわらわは直接やってない、と自分に言い聞かせるも、流石に苦しい言い訳である。
自分の首を荒縄で念入りに締めるこの顛末に、エリスは脱力して芝生の上をゴロゴロ転がるしかなかった。
そのサイズは少しずつだが確実に小さくなってきており、周囲の者たちの焦りを加速させる。
「くそっ!なにか手はないのか!!」
「このままじゃ、姐御が闇に食われちまう!」
「……げひゃひゃ、無理無理無駄無駄!闇檻からは何人たりとも逃げられやしねぇ!!てめぇらの大事な聖拳サマは、今ここで死ぬんだ!!」
昼下がりの庭園は、絶叫と嘲笑が交錯する修羅場と化していた。
今朝の魔動車騒動で屋敷周辺は一旦は人が絶えていたが、再び、今度は野次馬として多くの人間が輪をなしている。
皆、領主の屋敷で起きている怪奇現象を、不安な表情で見つめていた。
エリスは、即席茶会の椅子に腰をかけたまま、騒動の様子を見ていた。
そして……
――よっしゃああああああ!!!!グッジョブ悪魔崇拝者!!
……心の中で喝采を上げていた。
――わらわの手を汚さずに勇者一味の一人を葬れるとは、何というラッキー!!
大陸浄化のために、すでに分かっている障害はできる限り迅速に取り除きたいエリスである。
前世で苦汁を嘗めさせられまくった宿敵の聖拳がここで闇に喰われることは、エリスにとっては幸運以外のなにものでもなかった。
――『闇檻』は、一度ハマると絶対に抜け出せぬ地獄への入り口じゃ!邪宝具に力を吸われてヘロヘロの聖拳に、助かる術はない!ふはははは!!
心の中で哄笑する元魔王エリス。
誰がどう見ても絶対悪である。
……オリヴィスは身体のほとんどを闇に吸い込まれ、もはや顔や手足の一部を残すのみとなっていた。
「……もう、いいぞ、お前たち……手を離せ、一緒に呑み込まれちまうぞ……」
「そんな、姐御!」
執行者たちに、絶望の空気が漂う。
「はは、散々やらかしてきたからなぁ……これが、天罰ってやつなのかな。……今日も聖女様、いじめちまったしな」
オリヴィスは力無く笑う。
これはちょっと助かりそうにない、と、感覚でわかっていた。
辛うじて目線だけを動かし、オリヴィスは地面にへたり込む、妹の顔を見た。
「リィ」
「お姉ちゃん……!」
「最期に……あんたに会えて……本当に良かった。……強く、生きろよ」
「いやだ!お姉ちゃん!いやだよ!」
「じゃあな……」
オリヴィスはゆっくり眼を閉じる。
闇のゲートはその口径をいよいよ狭め、オリヴィスをその体内へと完全に閉じ込めるべく蠢いた。
……その時。
「ふんぬあああ!!」
一人の男が、横合いから飛び出してゲートに手をかけた。
男の筋肉が膨張し、異様なほどに血管が浮き上がる。その力は闇のゲートと拮抗し、その動きを押し留めた。
「な……!?テメェ……?」
現れたのは、先ほどまで正門と絡み合って気絶していたはずの、コウガであった。
「うおおおおおおお!!」
コウガはゲートの収縮を抑え込み……そして徐々にだが、その口を拡げていく。
執行者たちや屋敷の使用人、そして周囲の領民たちから喝采が上がる。
「な、何もんだテメェは……?!」
「よくぞ聞いた!」
オリヴィスの声を受け、待っていたとばかりにコウガがキメ顔を向ける。
そして……
「例え天が許しても!聖女エリスが許さない!絶やしてみせようこの世の悪を!示してみせようこの世の道を!鋼鉄の聖女エリス様が第一の騎士、コウガ推参!」
広背筋を大層立派に隆起させながら、高らかに名乗り口上をブチ上げた。
……吹き荒ぶ乾いた風。
常人なら穴に飛び込みたくなるほどのイタい静寂が訪れたが、コウガはやり切った漢の顔をしていた。
――な、なにをやっとるんじゃあやつはー!
邪宝具でも貼り付けられたかのような唐突な脱力感が、エリスを襲う。
「……え、えっと?」
オリヴィスは眼を何度も瞬かせている。
周囲の誰もがそうだった。
「だから俺は!」
コウガが再びゲートを睨みつけ、力を振り絞る。
「聖女第一の騎士の俺は!目の前で!人が死ぬのを!絶対に許容せんのだっ!!」
ギギギッと極厚の布を裂くような音を立てて、闇のゲートがさらに拡張していく。
「……な、バ、バカな!?人間の筋力で禁術に抗えるはずなど……!?」
オーリンの中の何者かが、呻く。
その様子を見て、硬直から抜け出した人々がぽつぽつとコウガに声援を送り始める。
そしてそれはすぐに、大合唱へと変わった。
「「「コ・ウ・ガ!コ・ウ・ガ!コ・ウ・ガ!」」」
その声援を背に、コウガはさらに全身に力を込めた。
しかし……
「ぐふっ」
突如、コウガが血を吐き膝をつく。
声援は、途端に悲鳴に変わった。
先程の聖拳の一撃で負ったダメージが影響しているのは、明白だった。
縁を掴んだ腕が、闇の収縮に押し返され始める。
……だがコウガは、再度、両手両脚に力を込める。
口から血が溢れ、全身から軋むような音が聞こえても、なお、引く様子は見せなかった。
「も、もういい!やめろ!テメェも死んじまうぞ!あたしのことはもういいんだ!」
「……何がいいものか!この馬鹿者!!」
コウガがオリヴィスを睨みつける。
その迫力に、これまで幾多の死線を潜り抜けてきたはずのオリヴィスが、圧倒された。
「妹に最期に会えたから良かった?ふざけるな!残される者の身にもなってみろ!!」
血を吐きながらも、コウガは吼える。
「リィ殿は今、眼が見えるのだ!!自分の死に顔を、リィ殿の一生の心の傷として残すつもりか!!お嬢様はそんなことのためにリィ殿の眼を治したのではない!!」
たとえ気絶していてもエリスの奇跡話は聞き逃さない男、それがコウガである。
「!……だ、だけどよ……もう無茶だ……!時間稼ぎにしかなりゃしない!!ホントにテメェまで死んじまうぞ!」
「ふっ……時間稼ぎでいいのだ!!」
「な……?」
「そこに座っている方が、一体何者なのか、忘れてはいないだろう」
コウガの言葉に、オリヴィス以下、その場の全ての者の視線が、一人の少女に集中した。
……当の本人は、キョトンとするだけだったが。
「……!聖女……様」
「そうだ!お嬢様が……きっと奇跡を起こす!それまで耐えれば、俺たちの勝ちだ!!」
――はぁ!?な、なにを言っておるのじゃ!!
「おおおお!!」
「聖女様!!」
「聖女様、お願いいたします!」
――こらこら待てコラァ!執行者ども、節操なさすぎじゃろ!!わらわを散々睨み倒してきおったくせに!!
「聖女様!」
――いや、絶対助けぬって。なんでわらわが怨敵を助けなければならぬのじゃ。
「「聖女様!!」」
――だからっ、助けぬて!そもそもわらわは魔力がからっぽなのじゃ!
「「「聖女様!!!」」」
――ええい、うるさい!他力本願の阿呆ども!!わらわは絶対に……!
「絶対に……!?」
そしてエリスは、リィと目が合った。
「エリスさま……」
――……そんな顔で、わらわを見るなぁぁぁあああああああ!!
エリスは顔を伏せ一気に立ち上がると、眼を強く瞑ってツカツカと歩き出した。
――絶対助けぬ!わらわは魔王ぞ!!魔王が勇者一味を助けるはずがなかろうが!!
首を振り振り、歩き続ける。
――誰の頼みであろうと、絶対に、絶対に助けぬ!!絶対にじゃ!
ひたすら心の中で、エリスは吐き捨て続ける。
そして立ち止まり……
「じゃから……!」
エリスは目の前の、少女の手を取った。
「お主がやるのじゃ!!」
リィは驚きに眼を丸くする。
「え……」
「え?ではない!!お主が自分の手で姉を助けるのじゃ!!わらわはやらぬ!」
半ばヤケクソ気味に吼えるエリス。
一方のリィは戸惑いを隠せない。
「で、でも私に、そんな力は……」
「ある。信じ難いことじゃが、お主の魔力の純度は『とびっきり』じゃ。魔力量も風呂での儀式で多少は増えておる」
「純度?」
「説明は後じゃ!いいから手のひらをあの闇に向けよ!姉を助けたいのならな!」
「は、はい!!」
リィが右の手を、今にもオリヴィスを閉じ込めようとしている闇のゲートに向けた。
「手のひらに魔力を集中させよ。風呂でやった要領じゃ。……そう、上手いのじゃ。では、よいか。わらわの後に続いて詠唱せよ」
その様子を、精神を乗っ取られているオーリンが見て嘲笑う。
「なんだぁ?!聖女様とやらよ!自分じゃできねーもんだからそんな小娘にやらせるってか!失敗したら責任押し付ける気かよ?とんだ聖女様がいたもんだぜ!!」
「……黙っておれ。わらわは今、ひじょーに機嫌が悪い。……殺すぞ」
「……ひっ……!?」
エリスには今、魔力が無い。だから、放たれたそれはただの眼光だったはずだが……オーリンは思わず、その下卑た笑いを止めた。
「……く、む、無駄な足掻きだ!それは禁術だ!最高レベルの闇魔法!小娘ごときになにが出来るか!!」
「……リィ。よいか。始めるぞ」
「【アーリーン・アーリーン・ク・リアーセ リブル・テスタ・リ・オーラ】」
エリスの後に続いて、リィが復唱する。
すると……リィの手のひらに集った魔力が、鋭く、それでいて優しい、不思議な輝きを放ち始めた。
「【聖なる天雷を纏い 其は顕現せり 水と大地の祝福と 風と炎の守護のもと 貫き清めよ 破魔の槍】」
「……こ、これは?!なんだこの魔法は!?」
オーリンが驚愕の呻きを漏らす。
その場にいる他の者たちも、リィの放つ輝きと、その膨大な魔力の奔流に、感覚の全てを捉われている。
「……リィ、あんた……!」
……先ほどエリスは説明を飛ばしたが、人の使える魔法のレベルは、実はその魔力の『量』には相関しない。
一日中、持続的に風呂の水を沸かしていることは出来ても、C級モンスターを倒せる中級火炎魔法が放てない魔導士など、ザラにいる。
魔法のレベルを決定づけるのは、魔力の質。
魔導士の間では、『純度』と呼ばれるこの質こそが、魔導士としての格を左右する重要な力になる。
エリスが『とびっきり』と表現したリィの『純度』が可能にする、魔法。
それは。
「さぁ、仕上げじゃ。……こんな不愉快な魔法、まさか自分が口にするなど思ってもみなかったわ。まったく、舌がピリピリする」
「エリスさま?」
「なんでもないのじゃ。準備は良いか。行くぞ!」
「……はい!」
「【天魔滅槍】!!」
刹那、リィの手から雷のような閃光が迸る。
それは見る者の視界を真っ白に覆い、そして極短時間、全ての物音を吹き飛ばした。
時が止まったような錯覚の中で、人々は、リィから放たれたそれを、辛うじて視認した。
それはどんな白よりも白く、美しい竜。
圧倒的な力を内包しながらも、まるで迷子が母親に会えた時のような安心感を見る者に与える、優しい光。
それは、そのまま闇のゲートを直撃した。
光の竜が、爆ぜるように輝きを増す。
「ギャオオオオオオオオオ……」
まるで断末魔のような音を立て、闇のゲートが一瞬震えた後……。
次の瞬間に人々が見たものは、倒れ込むオリヴィスと、それを咄嗟に抱きかかえるコウガの姿だった。
「お姉ちゃん!!」
リィがオリヴィスの元に駆け寄る。
「リィ……!」
オリヴィスが、震える手でリィを抱き寄せる。
その周囲に、もはや闇の気配は一欠片も残っていなかった。
「……う、お」
「……うおおおおおお!!」
「やったぞ!!姐御が助かった!!!!」
執行者たちが、喜びを爆発させる。
つられて、屋敷の使用人や周囲の領民たちが、大歓声を上げた。
「お嬢ちゃん、良くやったぞ!!」
「聖女様の導きが奇跡を呼んだんだ!!」
「さすが聖女様だ!」
「コウガさんも素敵だったわよー!」
庭園は、瞬く間に興奮のるつぼと化すのだった。
……その中で、一人の少女が大の字になって倒れていた。
――あ゛ーーーーーあ゛ーーーーー何やっとるんじゃわらわはーーーーー。
勇者一味を救うなど、魔王の風上にも置けない外道の所業である。
さらには奇跡の上乗せで聖女認定待った無し。
いやいやわらわは直接やってない、と自分に言い聞かせるも、流石に苦しい言い訳である。
自分の首を荒縄で念入りに締めるこの顛末に、エリスは脱力して芝生の上をゴロゴロ転がるしかなかった。
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